2020年12月4日に公開の映画「燃ゆる女の肖像」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「燃ゆる女の肖像」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
燃ゆる女の肖像が視聴できる動画配信サービス
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燃ゆる女の肖像のあらすじ
ブルターニュの貴婦人から、娘エロイーズの結婚を取り持つための肖像画を託された画家マリアンヌ。しかしエロイーズ自身は結婚を望まず、身分を隠して近づいたマリアンヌは孤島の屋敷で密かに絵を仕上げる。真実を知ったエロイーズは絵の出来栄えを否定するが、マリアンヌは描き直す決意を固める。すると意外にもエロイーズがモデルになることを申し出てくる。キャンバス越しに向かい合い、美しい島の風景をともに歩き、音楽と文学について語り合ううちに、二人は恋に落ちる。約束の日の五日後、あと一筆で完成という瞬間、それは別れを意味していた──。
燃ゆる女の肖像の詳細情報
「燃ゆる女の肖像」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
燃ゆる女の肖像の公式PVや予告編動画
「燃ゆる女の肖像」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
燃ゆる女の肖像の楽曲
「燃ゆる女の肖像」の主題歌や挿入歌、サウンドトラックを紹介します。映像だけでなく音楽からも作品の世界を感じてみましょう。
- エンディングテーマLa Jeune Fille en Feu (Bande originale du film)Various Artists
感想・レビュー
女性画家と令嬢の恋物語。
絵画を題材にしているため、映像は美しい仕上がりになっています。主な舞台が波打ち際や暖炉のある部屋であるため、色彩やキャラクターの身なりが相まって、まるで絵画のように画面が映えています。また、カメラワークは控えめで音楽も使われていないものの、波や炎の音によって画面と音の変化が生まれ、会話劇でも間が持たれています。音楽がないことでラストの印象を際立たせる効果があるのです。
天候は、二人の関係が進展する終盤に向けて晴れやかに変わります。
物語の中で、画家としての観察眼で相手を理解したつもりが、実は相手に見透かされていたという描写が興味深いです。互いの気持ちを知った後は、身体的な描写が増加し、心と体が通じ合うことで肖像画が理想に近づいていきます。しかし、絵画の完成は同時に別れの時を意味します。
カット割りは基本的にゆったりしていますが、決めるべきところでは大胆に切り替わり、ラストは最も長い1カットで魅せるバランスが取れています。
また、冒頭や終盤を除くと男性はあまり大きく映されず、意図的に女性だけの空間が作られています。この舞台設定が孤島や屋敷内に閉じ込められた状況であることは、当時の時代背景にも関連しているかもしれません。
私には少し難しかったかも〜笑
許されない愛、
後悔するのではなく、
思い出す。
でも、映像のどこを切り取っても
絵画になりそうな美しい場面ばかりで、
本当に印象的だった。
今後、絵画を見る目が少し変わるかもしれないと思った!さまざまな想像をしながら絵を見ると、さらに楽しめそう。説明文の先に広がる想像力を膨らませてみたくなる、そんな映画でした。
学生時代、神話画・歴史画は格が高く、描き手が限定され、世俗の人物画や風景画、静物画は格下だと習った。その説は、私の中では長い間ピンとこなかった。過去のどの時代の造形物もフラットに見える場所に身を置き、今でいうプリミティブアートを「芸術とは違うもの」と講師が断じるのを、レポートで反論することもできたであろう、そんな元気いっぱいの学生だった私が、この映画を見てもひとつも心に響かなかったはずだ。でも、それでいい。走り抜けて、やがて絶望に沈むことを恐れずに生きてほしい。苦痛には価値があるはずだ。
最初の散歩シーン。エロイーズのこめかみのあたりの髪のすじの美しさに目が釘付けになる。その部分へ焦点が集まるように設計されている。はじめからおわりまで、マリアンヌの視線を追う映画だからだ。
エロイーズが海に入る場面は完全に遠景で表現されている。マリアンヌが近づかないからだ。でも、私はエロイーズが「私たち全員の代わりに海に入ってくれた」と感じた。「走ることを夢見ていた」の場面もそうで、「この絵は私ではなく、あなたでもない」場面もそう。彼女はたぶん、われわれ全員の代わりに怒っている。強い目ばかりで、哲学的な問いをむけてくる神さまのように。
しかし、その彼女が「モデルになる」と言い出す時、彼女は神さまからひとりの人間になる。永遠の苦痛と引き換えに一瞬を選ぶ。私たちでもなくマリアンヌでもなく、彼女自身のために。
後半の彼女の目は、強さだけでなく柔らかさも帯びている。前半とはまったく違う。寝顔や笑顔、この世でふたりだけが共有できる短い時間が満ちる。
それが最終的に、サロン(官展)という場所で「再会」することに驚く。えっ、サロンに出品するのかと。
彼女たちの、きわめて私的で、相手にだけ見せられれば満足なはずの感情を、むしろ相手の目にとまるかどうか確実でないと思える公の場に掲げる必要はあるのだろうか。
特にマリアンヌは自分の私的な記憶である《燃ゆる女の肖像》を印象主義や象徴主義っぽい、かなり先進的な作風で描いているので、わざわざ(自分を苦しめる/苦しめたであろう絵画界の)権威の象徴である神話画の形と、それにそぐう作風で、父親の名前を使ってまで。そんな選択をする理由はある。絶対に。
私たちを引き合わせ、そして社会の一部としてそれでも彼女たちは共に生きていきたいからだ。はるかむかしにそういう個人的な思いによって生まれたかもしれない、神話や歴史の一部として。
そういう遠景に導かれるような結末を、この映画は最後あのカットで終わらせている。極小の単位の、生の痛みと感情しかないあの横顔。後世に彼女たちの絵を見たひとたちがどれだけ感動したとしても、決して知る由のない。号泣してしまい、終演後もしばらく席を立てなかった。
画面から音響まで緻密に作られた極上の恋愛映画ではあるんだけれど、もうひとつ、造形物に限らず文章や音楽といったあらゆる「ものをつくる」ことの本質を描いた映画だと思う。
昔好きだった男性がこの映画を絶賛していたのを思い出しつつ、ずっと観そびれていた作品。メゾンエルメスの上映に感謝。二人が惹かれ合っていく過程や、緑のドレスの美しさ、ラストシーンの28ページという合図には、切なく美しい余韻が残った。あの人ならこの作品を絶賛したに違いないと感じる。一方、現在のシーンだけは少し冷めてしまうところがあった。
なんとも素晴らしい映画だった。
映像とセリフの選び方が絶妙で、余韻に浸ることができる作品だった。
最後の再会のシーンでは、
彼女は私を見つめなかった。
というより、
見られなかったのだろう。きっと。
感情の機微が丁寧に描かれる秀作の映画だった。二人の仲が深まるきっかけが大きな事件として描かれるわけではなく、むしろ一緒にいるうちに自然と距離が縮んでいく様子が観客にも伝わってくるのが印象的だった。最初は画家の視点から相手を観察し、笑顔を引き出そうと距離を詰める過程が、後に関係性の変化としてわかりやすく提示される。劇中にほとんど曲が挿入されない点も、ラストシーンや重要な場面で強い余韻を生んでいたように感じる。まるでフランス映画のような情緒が漂い、日本映画のような繊細さとも見事に重なる。眠くなる場面は確かにあったが、それを補って余りある名作だった。
アマプラで配信されていて長年観たかった作品を即視聴。想像を超える強烈さで、究極のフェミニスト映画とも言える一作だ。女性の在り方を描くテーマは深く、軽く済ませられない。エロイーズはマリアンヌに殺されることを選ぶという選択を通して、倫理と信念の境界を浮かび上がらせる。ソフィの堕胎シーンで横に置かれた赤子が生と死のコントラストを象徴し、人間の生が何かに間接的に支配されているというテーマも印象的だった。とにかく素晴らしく、ヴィヴァルディの音楽やギリシャ神話のモチーフが巧みなメタファーとして機能している点も見逃せない。
「愛されただけで充分なのだ」結婚を控えたエロイーズの肖像画を依頼された画家マリアンヌ。しかしエロイーズは結婚を拒み、以前の画家は彼女の顔を描けなかった。マリアンヌはエロイーズを散歩の相手として近づけ、肖像を完成させるが、二人の距離はやがて別の形へと変わっていく。
望まない結婚、妊娠を巡る葛藤と堕胎、秘密の散歩。束の間の女たちの自由をめぐる瞬間。時代の不自由さの中で彼女たちは自由を見つけ出し、その叫びは歌となり、火の粉を散らす。燃ゆる女は美しく、あまりにも刹那で、炎のように熱い。
絵は残るのに、刺繍は枯れず、時はあっという間に過ぎてゆく。数日間は永遠のように長く、思い出話は涙を呼ぶほどに輝く。
エロイーズとマリアンヌ、そしてソフィ三人はそれぞれに美しく、このわずかな巡り合わせを一生抱えながら、生と喪失を生きる。ラストの場面、オーケストラと共鳴する沈黙の中、エロイーズは確かに慟哭を口にせず、しかし胸を刺す表情でそれを伝える。
全ての場面が絵画のように息づく。風の強いときに現れるスカーフの結び方が特に印象的で、髪を乱さず、顔を覆う布はカチューチャのように巻かれ、心を覆うドレスであり、肖像画と本音を隠すカーテンであった。あまりにも深く、辛く、美しい愛と海のコントラストは言葉を越えて輝く。
素晴らしい感情が寄り添うと、こちらまでその雰囲気に引き込まれる。二人の表情が全てを物語っていて、まさに心を奪われる。素晴らしい作品だ。
あまりピンと来なかった。フランス映画には「これが正解」といった感じがなくて、今はどんな気持ちなのか、何のシーンなのかよく考えることが多い。お互いに好きなのは間違いないけれど、エロイーズは結婚から逃れるためにマリアンヌを利用したのかなと思った。一方で、マリアンヌは罪悪感があったため、娘と一緒の絵を見た時に嫉妬と同時に安心感を抱いていたのかもしれない。最後のシーンでは、エロイーズがマリアンヌに気づいていたけれど、やっぱりお嬢様と画家の距離に戻そうとしたのが切ない。夫や娘との生活を捨てる覚悟はなかったのか、逆にマリアンヌは会いたかったのかもしれないと思うと、その情熱はマリアンヌの気持ちだったのだろう。