2004年3月6日に公開の映画「イノセンス」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「イノセンス」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
イノセンスが視聴できる動画配信サービス
現在「イノセンス」を視聴できる動画配信サービスを調査して一覧にまとめました。以下のVODサービスで「イノセンス」が配信中です。
最終更新日
イノセンスのあらすじ
2032年の日本を舞台に、人間とサイボーグ、ロボットが共存する未来社会を描く。魂が薄れつつある時代、少女型の愛玩ロボットが暴走して所有者を惨殺する謎の事件が起きる。「人間のために作られたはずのロボットが、なぜ人間を襲ったのか」。捜査を開始したバトーは、相棒のトグサとともに事件の背後を追う。高度な電脳ネットワークを駆使し、自分の脳を狙う謎のハッカーの妨害に翻弄されながらも、真相へと迫っていく。)
イノセンスの詳細情報
「イノセンス」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
イノセンスの楽曲
「イノセンス」の主題歌や挿入歌、サウンドトラックを紹介します。映像だけでなく音楽からも作品の世界を感じてみましょう。
- サウンドトラックイノセンス O.S.T.Kenji Kawai
- メインテーマFollow MeKimiko Itoh
イノセンスを無料で見る方法は?
「イノセンス」を無料で視聴するなら、「DMM TV」「U-NEXT」などの無料トライアル期間を活用するのがおすすめです。
「Dailymotion」「Pandora」「9tsu」「Torrent」などの動画共有サイトで無料視聴するのは避けましょう。これらのサイトには、著作権者の許可なく違法にアップロードされた動画が多く存在し、利用者側も処罰の対象となる可能性があります。
感想・レビュー
押井守による「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」の続編。監督・脚本は押井守が担当し、制作はProduction I.Gです。日比谷映画での上映。
ひたすらバトーの哀愁に浸る100分。
攻殻シリーズは常に不気味や悪趣味という言葉が頭をよぎるけれど、作中の「人間が人形を不気味に感じるのは、その人形が人間らしさを持っているから(要約)」という言葉が印象に残った。
『Ghost in The Shell』の続編を観ることにしました。
CG表現に少し戸惑いましたが、声優陣は前作と同じなので徐々に馴染んできました。
ただ、前作同様にストーリーが複雑で理解しきれませんでした。
再度観る必要がありそうですが、その前に『SAC』をもう一度観るつもりです。
雰囲気は抜群にかっこいいのに、何を言っているのかさっぱり分からない。
うーん。前作のアニメーションが素晴らしかったので、どうしても見劣りを感じてしまう。
ストーリーは相変わらず難解で、主要な事件がさまざまな組織や人物と絡むため理解が難しい。さらに哲学的なテーマが加わると、もう手がつけられない
とはいえ、前作も同様だったので気にしてはいないが、アニメーションがほぼCGに依存してしまっているのが残念でならない
それでも、犬はとても可愛かった
独自の世界観や雰囲気が素晴らしい!
20年前の作品とは思えないほどの映像と音楽があり、非常に緻密に作られていてマニアックかつレトロな魅力が色あせません。
昔の作品は時間が経つにつれて一層魅力を増すように感じます。
日本の旧車が世界中で人気があるのと同じように、特化して作り込まれた作品は常に魅力的です。
比喩表現は難解だが、緻密な描写と世界観はさすがの押井守作品だ。
本作は、作者の思想を深く構築する要素のひとつとして位置づけられる作品だ。前作と異なる雰囲気の中、セル画とCGを織り交ぜた重厚な映像表現が特徴となっている。展開や演出もより深みと奥行きを増している。
引用が多く、聖書・古典文学・評論・諺など引用元は多岐にわたる。この高頻度の引用セリフは初見では難解に感じられることがあるが、基本は場面・状況に即した比喩として機能している。
ストーリーは、暴走して人間を次々と殺害したガイノイドシリーズの系譜を辿り、製作企業の闇を暴く展開だ。しかし本作の真髄は、その中で浮かび上がる「人間」と「人形」(ロボット)についての問いにある。
「外見上は生きているように見えるものが、本当に生きているのかどうかという疑問。その逆に、生命のないものがひょっとして生きているのではないかという疑問」ーキムー
電脳化と義体化が進む未来では、ゴーストを宿さない人間と、ゴーストを宿した人形という存在が外見での区別を意味を失わせる。つまり、外見だけは人間に見える者に魂がなく、見た目には機械の存在に実は魂が宿る、そんな現象が日常的に起こり得るのだ。
「18世紀の人間機械論は、電脳化と義体化の技術によって再び蘇った。記憶の外部化を可能にしたときから、人間は生物としての機能の限界を押し広げるべく、積極的に自らを機械化し続けた」ーキムー
ボディは機械と化し、修理や修復の対象になる。脳や記憶といったブラックボックスさえも電脳化によって機械的に扱われるようになった。だけどボディだけでなく記憶さえも機械的に改変できるならば、「私」とは、ゴーストとは、いったい何をもって定義すべきなのだろうか。
「人間もまた生命という夢を織り成す素材に過ぎない。夢も知覚も、いや、ゴーストさえも、均一なマトリクスに生じた裂け目や歪みなのだとしたら」ーキムー
「均一なるマトリクスの裂け目の向こう。広大なネットのどこか。その全ての領域に融合して。自分が生きた証を求めたいんなら、その道はゴーストの数だけあんのさ」ーバトーー
「私」を「私」たらしめるゴースト。それすらも情報としての情報のなかで存在するある種の変異体にすぎないのか。もしくは、自己を通してのこのネットの海こそがゴーストなのだろうか。
「鳥の血に悲しめど魚の血に悲しまず。声あるものは幸いなり」ー少佐ー(「緑雨警語」斎藤緑雨 より)
ゴーストを通しての声こそが、「私」のための最後の砦なのかもしれない。
様々なシリーズを観た中で、これが一番理解できなかった。何を言っているのかさっぱりわからず、イヤホンを使えばよかったのかな?
少佐が登場してからは面白くなった。
犬の耳を守ってあげるのがかわいい。
最近、改めて観直した。原作の文脈を離れ、完全に監督の世界観が支配しているのは構わないが、伝えたい意図が伝わりにくいと感じる。登場人物が自らの役割を演じることを半ば放棄したかのように、断片的にテーマだけを語る独特の作風は、正直いささか突出している印象だ。テーマだけを眺めれば原作のスケール感を大幅に縮小したようにも映り、前作のトンデモSF的な世界観の一部に監督自身の影響が混ざった、いわば二次創作寄りのオリジナル性なのではという気もする。前作の設定を途中で忘れているかのようにゴーストの存在を疑わせる退廃的で停滞した世界観、機械や荒廃を連想させる無彩色と黄色の組み合わせが非常に美しく映える。とはいえ、原作からクールかつドラマティックに再構成された攻殻機動隊映画の続編としては、どうしても違和感が残る。いっそ完全オリジナルとして作っていればよかった気もするが、それだと予算が下りなかったのだろう。