2009年1月24日に公開の映画「誰も守ってくれない」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「誰も守ってくれない」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
誰も守ってくれないが視聴できる動画配信サービス
現在「誰も守ってくれない」を視聴できる動画配信サービスを調査して一覧にまとめました。以下のVODサービスで「誰も守ってくれない」が配信中です。
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誰も守ってくれないのあらすじ
ごく普通の四人家族、船村家。ある日突然、彼らの未成年の長男が、小学生姉妹殺人事件の容疑者として逮捕される。東豊島署の刑事・勝浦(佐藤浩市)と三島(松田龍平)は、突然その容疑者家族の保護を命じられる。逮捕現場へ向かう二人は、容疑者の家を囲む報道陣や野次馬の群れを目の当たりにする。彼らの任務は、容疑者家族をマスコミの目、そして世間の目から守ることだった。
誰も守ってくれないの詳細情報
「誰も守ってくれない」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
誰も守ってくれないの公式PVや予告編動画
「誰も守ってくれない」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
誰も守ってくれないの楽曲
「誰も守ってくれない」の主題歌や挿入歌、サウンドトラックを紹介します。映像だけでなく音楽からも作品の世界を感じてみましょう。
- サウンドトラック誰も守ってくれない (OST) [オリジナル・サウンドトラック] Takatsugu Muramatsu
- メインテーマYou Were ThereVarious Artists
誰も守ってくれないを無料で見る方法は?
「誰も守ってくれない」を無料で視聴するなら、「DMM TV」「Prime Video」「Lemino」「U-NEXT」などの無料トライアル期間を活用するのがおすすめです。
「Dailymotion」「Pandora」「9tsu」「Torrent」などの動画共有サイトで無料視聴するのは避けましょう。これらのサイトには、著作権者の許可なく違法にアップロードされた動画が多く存在し、利用者側も処罰の対象となる可能性があります。
誰も守ってくれないのよくある質問
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Q映画『誰も守ってくれない』のあらすじはどのようなものですか?
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A
映画『誰も守ってくれない』は、家族が犯罪を起こしたことで世間の批判を受ける家族と、それを警護する刑事の物語です。事件を通じて、メディアの在り方や常に変わる人間関係が描かれています。
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Q『誰も守ってくれない』に登場する主要キャラクターは誰ですか?
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A
『誰も守ってくれない』の主要キャラクターは、新人刑事の本庄や、犯罪者の妹である沙織です。本庄は沙織を守る任務に就き、彼女の心の葛藤に寄り添いながら進むストーリーとなっています。
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Q映画『誰も守ってくれない』の制作スタッフには誰が関与していますか?
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A
映画『誰も守ってくれない』の監督は君塚良一です。この作品は彼の緻密な演出により、社会問題に対する深い洞察を持つ作品として評価されています。
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Q『誰も守ってくれない』のテーマはどのようなものですか?
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A
『誰も守ってくれない』のテーマは、メディアの影響力や個人の責任についてです。事件を中心に、報道の在り方や他者との関係性に焦点を当て、人々がどのように生きるべきかを問いかけています。
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Q映画『誰も守ってくれない』はどのような評価を受けていますか?
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A
映画『誰も守ってくれない』は、緊張感のあるストーリー展開と社会問題への鋭い視点が評価され、多くのファンを獲得しました。特に、役者たちのリアルな演技が見どころとして挙げられています。



誰も守ってくれないの感想&レビュー
このドラマの着眼点は悪くないと思う。ただ、離婚をきっかけにした展開やカーチェイスの演出が過剰すぎて、現実味に欠ける印象だ。犯人ならまだしも、容疑者の妹をこれほど追い回す意味があるのか疑問に感じる。柳葉敏郎のパートは、いくつもの要素が入り混じっていて、結局どれも頭に入りにくい。ぎばちゃんのキャラクターにはサイコパス的な部分を感じる。木村佳乃のフランス風の設定も、悪い意味で引っかかるところがある。妹の証言がそんなに重要なことだとは思うのに、長い間黙っていた点はあまりにも残念だ。冒頭の学校シーンは、視聴者がどんな感情を抱いたのか、今でも気になる。
当時の視点は新鮮だった。
子どもの感情を表現するのが巧みだと感じる。
被害者家族と加害者家族の物語として始まるが、ネットの怖さを過度に強調する方向に傾くのが気になる。最初はマスコミが主題のはずなのに、いつの間にか匿名性のネットを「いけない」と悪者扱いする展開へと変化するのが違和感を生む。ホテルで自分たちの持ち物を回収に来たオタクの場面は、いかにもデフォルメされた描写で現実味を欠く。暴力の場面も唐突で、ネット叩きの要素が先導すると緊張感が薄れてしまう。\n\nそれでも佐藤浩市と柳葉敏郎のやりとりは光る。立場が違うから同じ痛みは理解できないとしても、彼らの対話には深く引き込まれる。「本当はあんたの顔も見たくない」といったやり取りや、ランドセルの件は痛々しく胸を打つ。子どもが授かったことが、せめてもの救いとして描かれる点も救いになる。志田未来の演技は抜群で、特に母親が自殺した場面は強く心に響く。家族構成が自分と似ているだけに、自然と自分の境遇に重ねてしまう。佐藤浩市の存在感はさすがで、目だけで伝わる演技には圧倒される。「守るってのは痛みが分かるということ」という結びは、物語の芯をしっかりと締めている。
加害者の家族はスピード離婚と再婚を行い、姓を変更する手続きを迅速に進めることができるんですね!「税金で加害者を守るな!」という声もありますが、そうしないとマスコミやネットの野次馬が、正義の名のもとに無実の人の人権を侵害し続けることになりますから、仕方がない面もあります。佐藤浩一はさすがですね!松田龍平もカッコいい!志田未来も可愛いです
この映画自体がフジテレビそのものだ。実に下品だ。あらゆる組織や世間の日本人が、その醜悪な前近代性の中にとどまっている。もちろん、それを撮るフジテレビも同じだ。遠慮せずに、国家も国土も国民もすべて壊滅すればいいのだ。志田未来だけが立っている。そう言えば、『ゴールデンスランバー』の伊東四郎だけが、いわゆる加害者家族の中で、堂々と個人の人権をマスメディアに突きつけていた。冤罪被害者は言うまでもなく、バッシングと人権侵害を受ける加害者家族もまた、逆に権力に報復する権利のための闘争する権利がある。
『誰も守ってくれない』は、現代社会の深層に巣食う陰鬱な問題を鋭く抉り出す重厚な社会派サスペンスだ。全体の完成度は極めて高く、公開時には加害者家族へのバッシング、メディアスクラム、匿名のインターネット社会が生む私的制裁の是非といった時宜を得たテーマを正面から捉え、倫理的な問いを観客に突きつける。事件発生の衝撃から事態の悪化、そして主人公・勝浦刑事が真実と正義を追い求める姿を、緊迫感あふれる筆致で描く。特に、被害者と加害者の家族を取り巻く社会の冷酷な視線と、正義の名の下で行われる無辜な集団リンチの狂気をリアルに描く点が卓越している。
ただし、取り上げる問題の深さゆえに、観客が受け取るのは必ずしも解決策や希望ではなく、拭い去れない絶望感と無力感だ。エンディングも全員が救済されるわけではなく、傷跡が深く残る幕切れとなる。この「救いのなさ」は社会の問題の本質を浮き彫りにする一方で、視聴者によっては感情的なカタルシスを得にくいと感じることもある。それでも、社会の闇と人間の醜さを直視する姿勢は、商業映画としてだけでなく現代社会への鋭い警鐘として極めて重要だ。全体を覆う重厚な雰囲気は、安易な感情移入を許さず、観客の思考を促す。エンターテインメント性と社会性の高水準なバランスを達成した稀有な作品と言える。
監督・演出の柱は君塚良一。テレビドラマ「踊る大捜査線」シリーズで培われた社会派エンターテインメントのノウハウを存分に発揮し、リアルな警察捜査の描写と人間心理の機微を丁寧に描く力が健在だ。特筆すべきは、過熱報道とそれによる世論の暴力性を視覚・聴覚の両面で巧みに表現する点。インターネット掲示板の書き込みを映像として挿入する演出や、テレビニュースの音声を効果的に活用することで、観客は自分自身が狂騒の渦中にいるかのような没入感を味わう。感情の揺れを捉える演技は過剰にならず、抑制された表情と視線の揺らぎで内面を丁寧に描く。全体として、過度な説明を排し、観客の想像力に余白を残す演出が作品のテーマ性を際立たせている。
主演の勝浦巧を演じた佐藤浩市は、圧巻の演技で観客を引き込む。加害者家族を守るという責務と自らの過去の過ちとの葛藤を、内面の動きとして見事に体現する。初めは冷徹で断定的だった態度が、事件の深部へ触れるにつれて人間性を開く過程は、微細な表情の変化と息遣いに克明に刻まれる。特に沙織を前にする眼差しには、苦悩と憐れみが交錯し、倫理観の揺らぎが雄弁に伝わる。怒りが爆発する瞬間は抑制の果てに放たれ、観客の心を打つ。抑制と爆発を巧みに使い分ける演技は、日本映画史に残る名演の一つとして高く評価される。
沙織を演じた志田未来は、若さにもかかわらず計り知れない絶望と恐怖、葛藤を内包する表現力を披露する。表情の乏しさの中の微かな震え、視線の揺らぎ、言葉にならない嗚咽が沙織の窮状を痛々しく伝える。時折見せる毅然とした態度や、僅かな希望にすがる眼差しは視聴者の印象に強く残る。勝浦との信頼関係の中で人間らしさを取り戻す過程を、繊細に演じ切った。
若手刑事・三島省吾を演じた松田龍平は、冷静さと葛藤を自然体で表現し、独自の存在感を放つ。勝浦とは異なるアプローチで事件へ向き合う姿勢が、物語に奥行きと緊張感を与える。控えめながら確かな演技が、物語の緊張を緩衝する役割を果たす。
過去に勝浦が担当し息子を失った父親・本庄圭介を演じた柳葉敏郎は、深い悲しみとその傷を抑制した表現で滲ませる。日常を穏やかに営む姿の裏にある喪失感と複雑な感情を、静かな表情の変化と佇まいで描く。再会の場面では、癒えない傷と過去の事件の真相、勝浦との関係性の中で揺れ動く心情を説得力を持って演じきる。被害者遺族の苦悩を深く掘り下げ、物語に層状の人間ドラマをもたらす。
脚本は君塚監督自身の手によるもので、デリケートな現代問題を真正面から描く意欲作だ。少年犯罪の加害者家族への過剰なバッシング、匿名のネット中傷、そしてメディアスクラムの無責任さなど、時代を反映したテーマを巧みに織り込む。善悪の二元論に陥らず、被害者・加害者双方の視点と社会の反応を multilayered に提示する。加害者家族の絶望を克明に描くことで、観客に深い思考を促す。物語の構成は、事件発生から捜査の進展、社会反応の過熱へと緊密に積み上げられ、インターネットとテレビ報道の描写が現実感を高める。
ただし難点も指摘できる。扱う問題の規模と複雑さゆえ、最終的な解決像や希望を明確に示しきれず、消化不良を感じる観客もいる。また、登場人物の動機づけが一部で説明不足と受け取られる場面もある。ただしこれらはテーマの根深さゆえの要素であり、容易な解決を選ばず観客へ問いを投げかけ続ける姿勢こそが本作の真価を高めている。
映像は抑制的な色彩と冷たいトーンで統一され、作品の重厚なテーマ性を際立たせる。暗い警察署の廊下、薄暗い保護施設、雨に濡れた街並みに閉塞感を与える美術はリアリティを徹底。衣装は登場人物の立場と心情を的確に示す。編集はテンポと緊張感の両立を支え、長回しとクローズアップの使い分けで内面描写を丁寧に表現する。作曲は村松崇継が担当し、静謐で切ない旋律が全編を包む。雨音、街のざわめき、ネットの打鍵音といった生活音がリアリティを増幅し、匿名の誹謗中傷シーンでは不協和音的な音響が不安感を高める。
作品情報(要点)
– 監督・脚本:君塚良一
– 主演:佐藤浩市
– 助演:志田未来
– 撮影・視覚効果:栢野直樹
– 美術・衣装デザイン:山口修
– 編集:穗垣順之助
– 作曲:村松崇継
– 評価指標・全体性:114.5×0.715、81.9 など
加害者の家族もつらいよね( ́д̩̥̀ )
現実には起こり得そうな話だけど、もしこれが実際の出来事だったら、あまりにも悲しい。
2018年12月30日。
今を描くことに挑んでいるが、実際の現実に圧倒されている気がする。
そんな感じだ。
この映画の公開日に、フジテレビ系列でドラマ『誰も守れない』が放送された。
映画では「加害者の保護」がテーマにされているのに対し、ドラマは映画の4ヶ月前に起きた事件を通して「被害者の保護」を描いている。
フィクションだから許される部分もあるが、フジテレビの商法はやはり目を引く。
邦画が「つまらない」と言われていた時代の象徴的な作品です。テーマ自体は悪くないのですが。
『凶悪犯罪を犯した容疑者の家族を警察が保護する』という設定に、当時も2025年の現代も特に違和感は感じませんが、物語の出発点が根本的に異なるのではと思います。
凶悪犯罪を犯した容疑者が、なぜそのような行動に至ったのかを探り、特に妹との関係を深めつつ、その子を守るための過程が描かれれば納得できたのにと思います。物語の冒頭で『これは必要です』と言いながら、いきなり容疑者の親に離婚を強要したり、学校に行けない手続きを迫ったりする警察の行動にはリアリティが感じられず、違和感を覚えます。もっと落ち着いて対処するべきなのに、優先すべきはまず【マスコミから隔離する】ことでしょう。あのような激しいカーチェイスを受けて、警察はマスコミを一掃しなければならないのに、最低限の制裁も受けていないのはおかしいと思います。ほんとうに理解できません。
ケアから入るのが通常なのに、それすら無視されているようです。警察は容疑者家族を守る大義名分を掲げながら、素顔を晒して移動するのは矛盾している。容疑者家族を守るための行動なのに、その実態が伴っていないのが明らかです。
カーチェイスの責任はお前らにあるだろうに。自分の面だけ隠すのではなく、せめて他の家族のために顔を隠すくらいするべきではないでしょうか。警察にすれば満車にできる駐車場がありえないし、一体どうなっているのかと思います。掲示板の管理人を逮捕する描写も、礼状を取ったのか疑問です。これこそ越権行為でしょう。
ホテルに押し入って写真を撮るマスコミは異常で、迷惑系YouTuberよりひどいです。ああ、今の状況も同様ですけどね、マスコミさん。
佐々木蔵之介のマスコミの描写もひどく、ちゃんとした報道とは言えないレベルで、文春以下の行為をしているというのも驚きです。そもそも、逮捕された容疑者が注目されるのは理解できますが、その家族、特に妹がなぜこれほどまでに世間から執拗に狙われるのか、必ず理由があるはずです。守りたいはずの子に対する扱いが雑なのも矛盾を感じます。
いくら古い作品で誇張された脚本だとは言え、被害者家族が世間に晒される苦しみを描くこと自体に問題がありますし、税金で守る理由を問いかけるのも相当です。また、過去の事件を元にした台詞や描写がデリカシーを欠いているという点も感心できません。
ギバちゃんの発言は一見無茶に思えますが、彼の立場から見ると理にかなっている部分もあるのが面白いところです。古き良きネット民は、いきなり行動に出たりしません。現職の刑事が顔を晒すような危険行為をすることも考えにくい。
この物語の理屈でいくと、彼らが逮捕された場合、やはり保護するべきです。
この作品は、ツッコミを入れるのが面倒に感じるレベルです。志田未来を警察で取り調べていれば、こんなに2時間も引き伸ばさなくても済んだはず。佐藤浩市の説教も筋が外れていて、モントリオールの脚本賞を受賞したというのも信じられません。
また、最初は逮捕から何日目の何時何分というテロップが出ていたのに、途中からなくなったのも気になります。これが必要だったのは、佐藤浩市が離婚寸前の家族との旅行に行くために事件を早急に解決しなければならないことを示すためでしたが、物語が進むにつれてその要素が消えています。どこが良い脚本なのか。
良かった点と言えば、石田ゆり子さんの美しさだけが評価ポイントで、石田ゆり子さんを取り扱ったシネマハスラーの回がオススメです。
もし自分の家族が害されたと想像したら、加害者の家族までも憎んでしまうものだろうか。そんなことを考えると、映画に対して騒いでいる人々は結局、当事者ではないただの部外者だと気づかされる。大半は娯楽感覚や好奇心で騒いでいるのかもしれない。しかし私が知りたいのは、ネット上でこの種の言動をする人々の心理状態を、専門的知識に基づいて理解することだ。なぜ彼らはそれを面白いと感じるのか。