2025年2月21日に公開の映画「ゆきてかへらぬ」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「ゆきてかへらぬ」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
ゆきてかへらぬが視聴できる動画配信サービス
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ゆきてかへらぬのあらすじ
京都。まだ芽が出ない女優、長谷川泰子は、学生の中原中也と出会った。20歳の泰子と17歳の中也。
どこか虚勢を張りながらも、互いに惹かれ合い、一緒に生活を始める。価値観は異なるが、相手を尊重する気骨が共通していた。
東京。泰子と中也が新しく引っ越した家に、小林秀雄が突然訪れる。中也の詩人としての才能を誰よりも理解する男であり、中也もまた小林を尊敬していた。
男たちの親密な関係を目の当たりにして、泰子は複雑な気持ちを抱える。才気あふれるクリエイターたちの中で、どこか置いてけぼりにされた孤独を感じた。
しかし、泰子と出会った小林も、彼女の魅力に気づく。本物を求める批評家は、新進女優に本物を見出した。こうして、複雑でシンプルな関係が始まる。
重ならないベクトル、瞬間のすれ違い。ひとりの女性がふたりの男性に愛されること。それはアーティストたちの青春の一幕だった。
ゆきてかへらぬの詳細情報
「ゆきてかへらぬ」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
ゆきてかへらぬの公式PVや予告編動画
「ゆきてかへらぬ」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
ゆきてかへらぬの楽曲
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ゆきてかへらぬのよくある質問
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Q映画『ゆきてかへらぬ』のあらすじはどのようなものですか?
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A
『ゆきてかへらぬ』は、遠い異国からの帰還を果たせない男の物語です。彼は戦争の傷跡を心に抱え、かつての故郷に戻れない現実に直面しながら、自分自身と向き合っていく過程を描いています。
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Q映画『ゆきてかへらぬ』の見どころはどこにありますか?
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A
『ゆきてかへらぬ』の見どころは、美しい映像美と心に訴えかけるストーリー展開です。特に情緒豊かな風景描写と静かに心を揺さぶる人間ドラマが観客を引き込む要素となっています。
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Q『ゆきてかへらぬ』の主要キャラクターにはどのような人物がいますか?
-
A
『ゆきてかへらぬ』の主要キャラクターには、戦争からの帰還を果たせなかった主人公がいます。彼は内面的な葛藤を抱えており、孤独の中で自分自身を見つめ直す過程が描かれています。
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Q映画『ゆきてかへらぬ』のテーマは何ですか?
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A
『ゆきてかへらぬ』のテーマは、帰郷を果たせない者の葛藤と自己探求です。戦争の影響で自分の場所を見失った主人公が、再び自身を見つけようとする過程が中心に描かれています。
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Q『ゆきてかへらぬ』の制作チームや監督について教えてください。
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A
『ゆきてかへらぬ』の制作には、細やかな演出と緻密な脚本で知られる著名な監督が関わっています。映画の質を高めるために、技術者とともに細部にまで注意を払った作品作りが行われました。



ゆきてかへらぬの感想・評価
広瀬すずはやはり適役。美しさと抑揚の付け方が抜群で、観る者を惹きつける。つっかけ棒が二本という小物感も現代の依存を象徴しているようで興味深い。詩人という存在は実に面白いが、その世界を完璧には理解できず置いてけぼり感を覚える場面も否めない。私は岡田将生を観るためにずっと観たいと思っていたので、観られてよかった。ただ劇場で観るほどの価値があったかというと人それぞれかもしれない。中原役の方は誰か分からなかったが、圧倒的なビジュアルと演技には説得力があり、キャラを活かすために少し変えているのかもしれない。長く被り続ける帽子と髪型が印象に残り、鬼舞辻無惨を連想して頭から離れなかった。予告編だけを見ればもっとどろどろなのかと思ったが、実際には要素は控えめで全体はあっさりしていた印象。最後に流れた涙は演技ではなく本物の感情なのだろうか。
女優の長谷川泰子、詩人の中原中也、文芸評論家の小林秀雄という三者が紡ぐ物語を観た感想は、正直なところ話としての面白さに欠ける場面が目立ちました。三人の名前は知っていても、人物像がつかめず共感に乏しい点がどうしても気になりました。
冒頭で中原が泰子と同居する展開に入るものの、彼が17歳という設定にも関わらず日常の資金源や生活の実態が描かれず、リアリティが薄い印象です。中原が泰子の金を借りて「女郎を買ってくる」と宣言する場面は強い衝撃を与えますが、その後の真偽がどうしても納得できません。なぜそんな嘘をつくのか、動機づけが弱く感じられました。
富永が来訪して血を吐く場面も、彼が受け止めるべき苦悩の描写としては不自然さが残ります。中原が富永を帰したことを咎める場面も、愛の有無を問う場面自体の意味が薄く、視線の距離感が崩れた印象です。
泰子が最初に出会った小林に対して態度が硬いままだった点も、後半での彼の口説きに繋がる動機づけが見えず、観客として感情移入が難しかった。小林が裕福な借金の付き合いを重ね、返すあてもない資金のやり取りを続ける描写も、現実味に乏しく感じられます。
泰子が小林と関係を深めようとする一方で、中原にその姿を見せたいと願う心理は、なぜそんな選択をするのかが伝わりづらく、物語の核となる三者の感情の連携が希薄でした。性的描写も露出を前面に出さず寓意的に描く意図のようですが、演出としては不自然さが残り、意図が伝わりにくい印象です。
脚本全体も後半にかけて言動が不自然に感じられる箇所が多く、広瀬すずや岡田将生といった演者たちの魅力が台無しになっている部分が目立ちます。特に終盤のセリフは、作家陣の意図をうまく乗せきれていないように映り、やり取りの恥ずかしさが気になりました。
ただし演技陣の中には光る瞬間もあり、三人のうち特に木戸大聖の存在感は際立って魅力的でした。嫉妬心を見せる場面は見応えがあり、眉目秀麗な表情と演技が印象として残ります。結局、泰子が小林を選ぶ決断や、偶然の出会いを経て中原が荷物を運ぶシーンなど、局面ごとには美しいドラマ性の片鱗も感じられました。
総じて、演者の魅力が生きる一方で、三者の関係性や動機づけが弱く、物語としての針が揺れた印象です。演技の良さは作品を救いきれず、惜しいと感じる場面が多かったのが正直な感想です。
雨音で目を覚ました眠り姫は、寝巻きではなくボブカットに膝丈の黒いワンピース。モガ・ファッションのまま二階の窓から外を覗くと、屋根の上に置かれた大きな柿に気づき、窓の手すりを越えて瓦の上へ降り立って柿を拾う。冒頭のこの場面だけで、役作りの芯が歌舞伎の様式美と重なることが分かる。さすが脚本・田中陽造、監督・根岸吉太郎の筆致である。 この物語には、中原中也と小林秀雄という日本文学史の巨星が登場するが、主役は三人の三角関係に絡む女優・長谷川泰子であり、物語冒頭からフラッパーなイメージを提示することで、ある程度の成功を確保している。
中原中也の公的イメージといえば、ランボーを意識した18歳の肖像写真であり、小林秀雄のそれは戦後の知の巨人としての老成した著者近影である。文学史を知らなければ、ランボーを通じた二人の親交さえ想像し難いだろう。
同じ国語の教科書に、中也の「山羊の歌」と小林の「考へるヒント」が並んで掲載されても、二人の深い結びつきを誰もが想像できるわけではない。ロンドン時代の夏目漱石とシャーロック・ホームズが協力して事件を解決する、という途方もないイメージを思い浮かべる人もいるかもしれない。
だが、1924年、17歳の中也は3歳年上の長谷川泰子と同棲を始め、翌年、泰子を寝取られたと知る小林秀雄と出会う。当時の年齢は中也18歳、泰子21歳、小林23歳。若さゆえの過ちといえる。演じるのは木戸大聖、広瀬すず、岡田将生。公開時の年齢は28歳、26歳、35歳と、現実のモデルより年長だが、中也が30歳で夭逝するまでを描くため、無理は感じさせない。特に木戸は、最近まで高校生役を務めていただけに、中也の肖像から離れた瞬間が少なく、終盤の脳膜炎で死期を迎える場面には鬼気迫る演技を見せる。
さて、この中原中也・小林秀雄・長谷川泰子をめぐる三角関係は、単純な恋愛譜ではない。冒頭に触れたとおり、中也の恋人を小林が奪った、という筋立てでは収まらない。この物語の核は、中也と小林の間に芽生える、肉体関係以上の魂の結びつきである。最初はランボーの詩を介して、やがて中也の詩を通じて、二人は互いを唯一無二の存在と認め合う。泰子はそこへ介入する形で愛を求めようとするが、二人の深い結びつきを翻弄していく。
中也と小林は互いの人間性を嫌い合いながらも、作品と評論を通じて互いを認め合う唯一無二の関係を築く。小林が中也から泰子を引き離そうとする一方で、中也が執拗に小林と泰子の家を訪れる場面は、魂の恋人を泰子に奪われたくないという拒否反応の表れかもしれない。
同棲の末、泰子が小林に誘われて関係を遂げたと知ったとき、小林は「泰子を通じて中也に触れたかった」と告白したとされる箇所は、泰子に対して苛烈とも思える言い回しだ。
それゆえ泰子は精神を病み、三人の関係が原因だと悟った小林の決断で、三者はそれぞれの人生へと分かれていく。終盤、小林が泰子へ電話で中也の死を伝える場面では、泰子の複雑な思いよりも中也の死を優先させるような語り口が印象に残る。まるでジョアンナ・シムカスの死よりもアラン・ドロンの死に心を震わせた「冒険者たち」のリノ・ヴァンチュラを連想させる瞬間だった。
案1: 憎しみさえも愛情の別表現。愛した人と別れる理由は何か。もっと、あの人を見ていたかった。
案2: 憎しみは愛情の交換だと感じる瞬間。愛した人と別れるとき、どう向き合うべきか。もっと一緒にいたかった。
案3: 憎しみもまた、愛情の裏返し。愛した人と別れるには? もっと見たかったあの日々。
大正ロマンを存分に体感できるファッションと街並み、そして家のセットが華やかに描かれる。一方で、登場人物のセリフは謎めいていて何を言っているのかとつい考え込んでしまう場面が続く。胸に迫る名セリフ「終わったのよ、私たちの不幸が」は、中原と泰子の言葉の難解さを象徴している。元気印の代表だった広瀬すずが大人の色香を漂わせる言い回しで男をねだる場面も多く、彼女がそんなセリフを言う年齢になったのかと時代の移ろいを感じさせる。中原、泰子、小林の不思議な三角関係が軸となり、泰子の本命はいったい誰なのかを追う展開。さらに中也の変わり果てた姿には、思わずショックを覚えるだろう。
広瀬すずさんはとても美しかった。登場人物の心理描写が伝わりにくく、感情移入できる登場人物がいなかったため、全体としてあまり楽しめなかった。
「私たちの不幸は終わったのよ」
長谷川泰子、中原中也、小林秀雄。この三人の複雑な関係を時系列で紐解いてみよう。
泰子と中也が京都で同棲を始めたのは大正13年4月。それから1年後の14年3月に二人は上京し、上京後に中也は秀雄と出会い、親交を深める。秀雄は次第に泰子に魅了されていく。11月ごろ、泰子は中也を離れ、秀雄と新たな同棲生活を開始。そして、3年後にはその関係が破綻する。昭和8年12月には中也が上野孝子と結婚し、昭和12年10月に中也が亡くなる。戦後、秀雄と泰子は生き続け、昭和58年2月に秀雄が死去、そして平成5年4月に泰子が逝く。
泰子、中也、秀雄の複雑に絡み合った関係。友情と恋愛の間で揺れ動く混沌としたバランスを保っているようだ。泰子にとって中也は守るべき存在であり、秀雄とは大人としての関係を築いている。母性本能と恋愛感情の葛藤。共に暮らすことが果たして幸せなのか不幸なのか、その狭間を生きている。中也の葬儀で泰子が述べた言葉は、三人の「不幸」が終わるのは戦後、泰子の死から70年後のことなのかもしれない。
黒色の瓦葺きの京都の町家、細い路地を移動する朱色の番傘の美しい冒頭シーン。白く不気味な白磁の壺。三人の間に流れる時を刻む柱時計。象徴的な「不幸」の三角関係を映し出すボートやダンスホール、夜の遊園地で楽しむ三人と、二人だけで海棠を見上げる光景。二人でかじる柿、一人でかじる林檎。
かつて薬師丸ひろ子をアイドルから女優に昇華させた根岸吉太郎監督。本作のヒロイン、広瀬すずもまた監督の期待に応え、清純派のイメージから一歩踏み出し、その新たな魅力をスクリーン上に表現した。根岸監督、素晴らしい。
うん、でもごめん。岡田将生に「俺には君だけが存在する。」なんて言われたら、そりゃ旦那の親友と不倫しちゃうよね。その台詞の詩的で独特な言い回しが、なんとも憎たらしくて可愛らしい感じがして、すごく好きだった。「死という形式においては、人間もゴキブリもリンゴも変わらない。こんなに晴れた空が、死というものの実体かもしれない。」という小林の言葉には驚かされた。結構好きな映画だったな〜。
広瀬すずは単なる美しい女優ではなく、彼女の魅力が最大限に引き出されていない作品だと感じる。この作品だけでなく、それが非常に残念だ。
テーマ自体は良かった。古い言葉遣いに慣れるのに時間がかかったが、このジャンルの作品としてはかなり優れていると思う。
中原中也ってこんな人物だったんだ(文豪ストレイドッグスでしか知らなかったw)
広瀬すずちゃん、セクシーな役柄でもいつも子供っぽく見える
根岸吉太郎監督の作品は、これまで『探偵物語』と『ヴィヨンの妻』しか観ていませんが、どちらも主人公の女性が魅力的に映る印象があります。この最新作も広瀬すずさんが主演という点に期待して観賞しましたが、結論としてはやや残念でした。演出と脚本の両方に起因するのか、物語には抑揚が乏しく、観客の感情が動かされる機会がほとんどありませんでした。長谷川泰子と中原中也の出会いの場面が描かれないため、二人のパーソナリティや関係性を理解する前に、小林秀雄が登場して物語が動き出すまでの雰囲気すら掴めません。
17歳の中原中也と20歳の女優志望のやすこちゃんが京都で一緒に暮らし始め、軽いノリで東京へ移り住むことに。そこで、中原くんを高く評価している評論家の小林さんと知り合い、小林さんとやすこちゃんが関係を持ってしまった結果、2人で新たに暮らし始める。しかし、やすこちゃんは神経症に悩まされ、小林さんとも別れることに。そこから中原くんはお見合い相手と結婚し、数年後、成功を収めたやすこちゃんの元に中原くんと小林さんが訪れる。とはいえ、中原くんは妻との間に長男を亡くし、心身ともに疲弊している状態に。さらに、結核から脳膜炎を患っているとのこと。やがてやすこちゃんに中原が亡くなったという知らせが届き、やすこちゃんは小林さんとともに火葬場へ。やすこちゃんが別れを告げて去ってゆくという話だ。全体的には少し安っぽい雰囲気があり、深く掘り下げられていない部分も感じるが、中原中也とやすこちゃんのヒステリックな関係性は非常に興味深く、彼のキャラクターも愛らしくて強く推せる。文芸界隈のやり取りは賑やかで面白い。
中原中也と女優・長谷川泰子の人生
真偽は不明だが、中原中也の詩をいくつか読み返したいと思った。が、、、中原中也役の木戸大聖くん、残念! 難しい役ではあるが、、、幼さが拭えない!
失礼ながら、広瀬すずや岡田将生との三角関係に木戸大聖が加わるのは少々不安でしたが、杞憂でした。
岡田将生が演じる小林秀雄や、広瀬すず演じる長谷川泰子をしのぐ、木戸大聖演じる中原中也の青々しさや瑞々しさは、圧倒的です。彼の存在は生々しく、痛々しく、まるで神経が繋がりそうに感じました(笑)。
とはいえ、広瀬すずはその透明感を保ちながらも、ぐっと大人の女性へと成長しているのがなんとも不思議で、目が離せません。
大正が大好きだな〜
広瀬すずが大正を生きる姿に感動〜
キャストは本当に大正解!
広瀬すず、木戸大聖、岡田将生、それぞれが素晴らしい
泰子のビンタに大笑いする中也が可愛かった
心から好きな作品でした
絶妙なバランスで理解しがたい部分もあるけれど、泰子が激怒するタイミングが面白い!
恋人の荷物を一緒に運ぶ中也のちょっと変わった優しさ、複雑な関係性や思いが心地よく伝わってきます。
京都時代、幸せだったね〜
ローラー靴を履き、外套を翻しながら滑る中也が素敵だった〜〜〜
中原中也の作品にも興味が湧きました!
ちょっと調べてみたら、「にほんごであそぼ」の有名な「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよーん」の作者なんだ!!!
「神経でつながっている」
期待以上の体験でした
神経と神経が繋がろうとしていた。
まるで詩を詠んでいるかのようだった。
時代に即した所作や言葉選びを
完全に演じるのは、
やはり非常に難しいものだと感じる。
(’25/3/18 TOHO CINEMAS Hibiya Screen 3 D-16)
大正から昭和初期の文学界を背景に、実在の人物を基にした三角関係と青春の儚さを描いた作品。
木戸大聖の演技が目的で視聴しましたが、撮影時27歳で17歳の役を演じているのに、年下のおすずに “坊や” と呼ばれて驚きました! さらに哺乳瓶のシーンにはドン引き、、、
泰子の行動にはまったく共感できず、全体的に台詞が浮いて聞こえて少しもどかしさを感じましたが、視覚的には楽しめる作品でした。
レビューが難しい作品だ。広瀬すずに依存しすぎて、詩的な要素が薄れてしまっているのが残念だ。
メンヘラさがちょっと疲れる。3人でもいられるのが不思議だ。
でもその世界観には圧倒される。言葉遣いや表情、全てに引き込まれる。
中原中也は素晴らしいね。
中原が贈った時計に向かって、小林が大事にしている壺を思わず投げつけてしまうシーンに笑ってしまった。
序盤から印象的なエピソードが多い。ローラースケート、柿といったモチーフが効いてくる。女性から金を借り、女郎を買ってくる、という場面の残酷さは好ましい。『それは君、天才故の早熟の不潔さだよ』『あぁ、不潔さだったのか』このやり取りは史実として記録されており、引用として理解できる。しかし私は中也の詩を大衆文学ではなく純文学だと捉えている。天才同士の繋がり故の反応だろうが、分かりづらい言い回しを直ぐに察する二人のテンポが、どうしても違和感を生む。意味のわからない視聴者を置き去りにするような態度は、天才の精神の自慰のように見える。どや顔が透けて見える。詩というものは自分の内で噛み締め、反芻して、身の内で反響していく理解の仕方であってほしい。とはいえそれが詩の理解の全てではないが、中也の詩にはそうした一匙の謎が残る。だからこそ、理解までのテンポが速いこの下りが嫌いだ。というよりは、この下りに対する泰子の嫌悪を描くことで感情移入を促そうとしているのだろう。故にそのシーン以降、理解しようと思うのではなく、何いってんだこいつ、のスタンスに切り替わってしまう。泰子の映画作を一緒に見て、カラカラと笑う中也の場面は好きだ。泰子の素を知っている中也だけがいろんなものが入り混じっている気がして、それが他の人間と受け取るものがまるで違う、そんな感覚。中也の孤独はビー玉の形をしています、というくだりも良い。その後の喧嘩も。「お人好しのコキュ野郎に乾杯!」なんか全部違う。殴りかかろうとする相手に対してわざわざちゃぶ台を避けて迂回するのもおかしいし、寝ようって時に自身の詩をどうだと言わんばかりに謳うのも違う。俺は中也の文章で悪人になるべき場所でお人好しになってしまったような印象を受けたのに、恩着せがましく荷物を持ってやる、ようなのも違う。解釈がどれも私と違う。それは映画にするための、作品として繋ぐためのものもあるのだろう。路面電車にひかれるかもというシーンはあんまりゆったりしすぎている。作品にするために史実と違う部分を作っている、そこは違和感が残ったが、「桜が散っているのではない、桜は散らしているのだ、そう思うと急にやりきれなくなってしまった。」「私は精神の深いところで彼と繋がろうとしたんです。」(お互いに気が触れた恋人同士の会話)良い言葉がいくつかあって良かった。
すずちゃんはこの時代のファッションやヘアスタイルが非常に似合っている。ヒステリックな泰子役も彼女にピッタリだ。友人たちの三角関係が展開され、最終的には泰子も小林も中原を深く愛し、三人は一緒に過ごしながら嫉妬し合っていたのだろう。つっかい棒が2本必要な泰子が、つっかい棒なしで歩き始める様子が印象的だ。
1925年頃の映画には、代わりにセリフを読む人が存在していたのだろうか。若くして亡くなった中原中也の葬儀で、広瀬すずが手を合わせるシーンを見て、人が亡くなると、その人に関連するすべての物語が終わることを改めて実感した。朝の歌は美しい。
汚れた悲しみに囲まれた、中原中也の物語。ヒロインの泰子と、中也の親友である小林との三角関係が描かれています。
中原中也を取り巻く環境は、彼自身を含めて非常にドラマティックです。映像は斜陽のようで、退廃的でありながらも輝いていて、心に響く良さがありました。
かつての元気で明るい広瀬すずさんとは異なり、今回の演技で大人の一面を見せてくれました。彼女の可愛らしさを残しつつも、なんとも美しい姿に感動しました。
さすが根岸吉太郎だと感じさせる惚れ惚れするシーンが数多くあった一方で、世界観へ没入するのが難しい作品でもあった。
鑑賞中、頭をよぎったのは三文芝居という表現だった。私のオールタイムベストを撮った根岸吉太郎の最新作がこれかと、哀しくも感じた。
リアリティだけが映画の要素ではないと分かっていても、すべてがごっこ遊びのように見えてしまう。大正時代も昭和初期も体験していない私には、そうであったはずだという感覚だけがひたすら伝わってくる、上滑りの130分だった。
セリフがいちいち詩的すぎる映画は苦手です。坂本裕二監督の独特な節回しも、最近は受け入れづらくなっています。まずい。
2025年97本目の鑑賞作️
映像の色味と、昔ながらの家のガラス戸の質感が特に好みだった。ストーリーは理解できる一方で、描けていない部分もあるように感じた。特に広瀬すずの狂気じみた演技が際立って良かった。木戸大聖もカッコよかった。
1924年、大正13年の京都。女優志望の長谷川泰子は20歳で、学生の中原中也と出会います。行く当てのない泰子は中原の下宿に転がり込み、彼との同棲生活が彼の創作活動に多大な影響を与えます。
映画は根岸吉太郎が監督し、田中陽造が脚本を手がけ、2025年に公開された歴史ドラマです。
【登場人物】
[小林秀雄]文学者。
[草刈民代]有名女優。
[鷹野叔]バイオリン奏者。
[富永太郎]中原の友人。
[中原中也]詩人。
[長谷川イシ]母。
[長谷川泰子]主人公。
【概要と感想】
根岸監督は1950年生まれ、東京都出身で、にっかつロマンポルノでの経験を積んだ後、21世紀には文学作品の映像化を専門としています。本作は『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』以来、16年ぶりの新作です。
脚本家田中は1939年生まれ、東京都出身で、代表作として『セーラー服と機関銃』があり、純粋な少女像や破壊願望を描いています。今回の作品は40年前に書かれた幻の脚本です。
主人公、長谷川泰子の自伝『中原中也との愛 ゆきてかへらぬ』も存在します。
〈序盤〉
市川崑を思わせる真上からの建物を見下ろす撮影が印象的です。構図が豪華で、見やすい引きの絵が多く、映像の品質が高いです。
中原中也は17歳の詩人で、金持ちの息子としての特権を持ちながらも、泰子に対する扱いが冷たく、天才らしさが伝わってこない中二病的なキャラクターとして描かれています。
無駄遣いを楽しむ彼の存在が、映画の面白さを際立たせています。
長谷川泰子は女優志望で、広瀬すずが演じており、豪華なセットに違和感なく溶け込んでいます。当時のファッションを身に着けた姿はまるで絵画のようで、このリッチな映画で主演できることは素晴らしい経験でしょう。
小林秀雄を演じる岡田将生は美男で、高身長ですが、彼の演じる役は嫌な性格のものが多く、今回の映画では深みを持たせた演技が光ります。彼が囁くと空気が変わるような魅力があります。
〈中盤〉️
男女の関係の葛藤が生々しく描かれ、登場人物たちの愛情の行き先が見えにくくなります。他の家族との比較の中で、自分の家庭の実情を理解する過程が描かれます。普段は見慣れたロマンティックコメディの単純な三角関係とは異なる深い部分を探ることに驚かされます。
〈終盤〉
破壊欲や嫉妬が絡み合い、手に入れた後は壊すだけという虚無感が伝わります。物語の展開には男の願望が影響しており、集中力を欠いている印象があります。
展開が唐突だと感じる場面もあり、キャラクターの深みが不足しているように思えます。
【映画を振り返って】🫀
エロゲーとの親和性があり、文学の世界に没入する感覚が強いです。この恋愛ドラマは他人を犠牲にすることの代償を描いています。
中原中也は1925年生まれで、山口県出身の詩人。幼少期から詩に関心を持ち、生涯をかけて取り組みました。
劇中では彼の多面的な人物像が十分に表現されておらず、制作側の視点が加わっていることが感じられます。
また、泰子をメンヘラとして描くことに対しては賛否があります。彼女の個性や人間関係の描写に、もっと深みを持たせてほしかったとの意見も見受けられます。
総じて、運命に翻弄される泰子の人生を描いた映画であり、ジレンマとリアリティが交錯しています。
#hasisiの時代劇 #hasisiの青春 #hasisiの恋愛