2011年12月17日に公開の映画「CUT」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「CUT」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
CUTが視聴できる動画配信サービス
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最終更新日
CUTのあらすじ
売れない映画監督の秀二は、いつも資金を提供してくれていた兄が借金問題で亡くなったことを知る。兄が自分のためにヤクザの世界で働いていたとは知らず、彼は深い罪悪感に苛まれ、多額の借金を返すために殴られ屋として身を落とすが、借金は容易には消えず、闇の世界が彼の運命を次第に蝕んでいく。
CUTの詳細情報
「CUT」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | アミール・ナデリ |
|---|---|
| 脚本家 | アボウ・ファルマン アミール・ナデリ |
| 出演者 | でんでん 常盤貴子 笹野高史 菅田俊 西島秀俊 鈴木卓爾 |
| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ |
| 制作国 | 日本 |
| 公開日 | 2011年12月17日 |
| 上映時間 | 120分 |
CUTの公式PVや予告編動画
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CUTの感想&レビュー
拳銃を喉に当てるシーンでの「これも映画みたいなもんだ」というセリフが印象的だった。素晴らしい映画には必ず血と肉が流れている。映画制作は単なる仕事や作業、宿題ではない!全ての1秒24コマに魂を込めて創り上げるというメッセージを、この映画から強く感じた。
35mmフィルム上映で鑑賞。西島秀俊が殴られる場面と、監督お気に入りの映画ベスト100を特集。第1位の演出は豪華すぎて思わず笑ってしまうほど。黒澤・小津・溝口の墓参りをしたい気持ちがよぎる瞬間もある。
殴られて借金を返す?最後にはたくさんの文字が現れても、理解できず、どの作品と関連しているのかも不明だった。
バスター・キートン。
来重土巻。
でんでんが素晴らしい。
常盤貴子、非常に可愛い。
小津安二郎監督。
シネマスコープ。
裸の島。
HANA-BI。
カンバセーション。
ストレンジャー・ザン・パラダイス。
イレイザーヘッド。
ボヘミアン・ライフ。
ラスト・ラーダ。
書を捨て、町に出よ。
少年。
サムライ。
レイジング・ブル。
羅生門。
東京物語。
街の灯。
戦艦ポチョムキン。
宇宙の旅。
晩春。
蜘蛛巣城。
月世界旅行。
81/2。
市民ケーン。
まだまだ観ていない名作映画がたくさんあるな。
本当に素晴らしい映画だった。
なぜかイラン映画の雰囲気がしっかりとあるのが面白い。
25-121はU-NEXTで視聴できる作品。シネフィルを賛美するのか、揶揄するのかで評価の軸が変わる。西島秀俊が拡声器を握り、がなり立てる主張は、映画の芸術性だけに焦点を当てる視野の狭さを露わにするもので、そいつをボコす展開には娯楽性が全く生まれていないという点が、本作の難点だ。
訳あって殴られ屋になった映画監督
主人公の映画への情熱がストイックすぎて、時には狂信的に映るのが少し残念だった。
私はジャンルに関わらず、多様な表現ができる映像をスクリーンで多くの人に楽しんでもらうことが映画の本質だと考えている。
作品自体は好きだが、少々厳しい印象を受けた。
アミール・ナデリ監督は脚本を通じて、西島秀俊に現代の映画に対する批判と古典映画への賛美を表現させる。
監督の示すシネフィル精神には共感できる点もあるが、シネコンで上映される作品を一律に批判するのは短絡的だと思う
西島秀俊が演じる殴られ屋の顔の変形は痛々しく、監督の映画に対する愛情と暴力を併せ持つ実験的なスタイルが際立っていた
【MOVIE IS MINE】
中学1年の頃、私にはすでにシネフィルの片鱗があったが、周りには映画大好きと自負する雰囲気を漂わせる人は一人もいなかった。実情として観ていたのは『タイタニック』や『ハリー・ポッターと賢者の石』くらいで、いわゆる主人公のような屈折した映画愛を貫く青年は周囲にいなかった。
この作品のシネフィル主人公が、過去の自分を見ているようで、なんだか恥ずかしくなる。西島秀俊には正直、同意しづらい。敢えて映画愛と借金返済のために「殴られ屋」を始めるという設定の落差が、作品としての質を低下させている。だからこそ、シネフィルはうるさく感じてしまう。
シネマヴェーラ渋谷やアテネ・フランセ文化センターへ行けば共感できる人はいるかもしれないが、そうした輩は自意識を満たすためだけに映画を利用して自己宣伝をしている空疎な存在だろう。蓮實重彦は「他人の意見に振り回されるな、勝手に観ろ」と語っている。
蓮實重彦の方がまだ達観している分、好感は持てるが、本作の自己宣伝的な西島秀俊にはどうしても共感できない。実に残念だ。よ〜い、スタートッッッ!!
展開が単調で退屈だったうえ、かっこよさそうなシーンもあったが、視聴中に特に心を奪われる瞬間はなかった。
西島秀俊が借金返済のため暴力を生業とする男を演じる異色作。ファイト・クラブを観たときに感じたような、金を払ってでも何かを殴りたいという衝動と、自分が殴った跡をこの目で確かめたいという生々しい欲望が、人間には潜んでいるのかもしれないと思わせる作品だ。殴られた直後、頭をオスタップで冷やし、頭を上げた瞬間の西島の表情には、映画への情熱が確かな軌跡を描いていた。イラン映画については、背景にある現実味が相まって泥臭さを生み出す作品が多いとの印象を強め、これを契機により多くの作品を開拓していきたいと感じた。特設サイトのインタビューによれば、撮影時はカメラが回る前から暴力を開始し、止まらなくなる場面がしばしばあったという。映画におけるカットの概念は、前後の出来事を区切って見せるためのもの、という固定観念を覆す作品だった。カット後に映らなくなるはずの場面まで現場は緊張感を保ち、西島は挨拶や食事の会話すら許されなかったという。演技は映像の一部として切り取られるべく、カットは単なる演技の終わりではなく映像表現の継続として機能していた。リアリティの新しい作法として理解を深めた。作品には商業的な価値観を牽引するシネコン上映への批判と、真の映画を信じる姿勢が同居している一方で、現代は配信で誰でも視聴できる現実がある点にも強い違和感を覚えた。