アイダよ、何処へ?はどこで見れる?今すぐ視聴できる動画配信サービスを紹介!

4.4
アイダよ、何処へ? 映画

2021年9月17日に公開の映画「アイダよ、何処へ?」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「アイダよ、何処へ?」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。

アイダよ、何処へ?が視聴できる動画配信サービス

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最終更新日

アイダよ、何処へ?のあらすじ

1995年7月11日、ボスニア紛争の終息を迎えつつある中、ボスニア東部の町スレブレニツァがセルビア人勢力に攻撃され荒廃した。避難を求める約2万人の市民が、町外れにある国連施設に殺到する。国連保護軍の通訳のアイダは、夫と二人の息子を無理やり施設内に入れさせるが、ムラディッチ将軍率いるセルビア人勢力は国連との合意を一方的に破り、避難者の「移送」と残虐な処刑を開始する。愛する家族や仲間の命を守るため、アイダは必死に施設の内外を行き来し、あらゆる手段を講じる。

アイダよ、何処へ?の詳細情報

「アイダよ、何処へ?」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。

監督
脚本家
出演者
カテゴリー
制作国 ボスニア・ヘルツェゴビナ オーストリア ルーマニア オランダ ドイツ ポーランド フランス ノルウェー トルコ
公開日 2021年9月17日
上映時間 101分

アイダよ、何処へ?の公式PVや予告編動画

「アイダよ、何処へ?」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。

アイダよ、何処へ?の楽曲

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アイダよ、何処へ?を無料で見る方法は?

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アイダよ、何処へ?のよくある質問

Q
映画『アイダよ、何処へ?』のあらすじはどのようなものですか?
A

映画『アイダよ、何処へ?』は、1995年のボスニア紛争中、国連通訳として働くアイダが家族を守ろうと奮闘する姿を描いた作品です。ある日、彼女の街が包囲され、避難所となる国連キャンプが圧倒的な混乱に陥ります。家族の安全を確保するため、アイダは必死の交渉を始めます。

Q
『アイダよ、何処へ?』で描かれるテーマやメッセージは何ですか?
A

『アイダよ、何処へ?』では、戦争の理不尽さや個人の力ではどうにもならない要素が強調されています。特に、家族を守ろうとする母親の決意と、戦争の混乱の中での人間の尊厳と希望がテーマとして描かれています。

Q
『アイダよ、何処へ?』の制作スタッフはどのような人物が関わっていますか?
A

『アイダよ、何処へ?』はヤスミラ・ジュバニッチ監督によって制作されました。彼女はボスニア・ヘルツェゴビナ出身の映画監督で、この作品を通じて自身の故郷での出来事をリアルに描写したと言われています。

Q
『アイダよ、何処へ?』の舞台となる地域はどこですか?
A

『アイダよ、何処へ?』の舞台は、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァです。1995年のボスニア紛争での悲劇的な出来事で知られるこの地域が物語の中心として選ばれています。

Q
映画『アイダよ、何処へ?』が評価されている理由は何ですか?
A

『アイダよ、何処へ?』は、戦争の現実を鋭く描写し、緊張感のあるストーリー展開で高く評価されています。また、主演の演技力と、監督のリアリズムが観客の心を捉え、国際的な映画祭でも注目を集めました。

JAPANMATE運営事務局
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映画

アイダよ、何処へ?の感想&レビュー

  1. どんぺー どんぺー

    宗教の違いだけでこうも憎しみ合うことが、日本人には理解し難い。狂気の戦争指導者による人種差別で引き起こされたホロコーストとは異なり、こうした問題はいつでも身近で起こり得ると感じました。

  2. 山根和典 山根和典

    ボスニア紛争やスレブレニツァ虐殺について知識を深めることができて良かった。

    この映画は、実在の男性ハサン・ヌハノビッチさんの体験に基づいているようだが、監督は「ドキュメンタリー過ぎるのを避けたい」「母親や女性の視点から描きたかった」との理由で、主人公を女性に変更したとのこと。

    個人的には、実際の出来事に忠実に男性のまま描く方が、より現実感が増して好ましかったかもしれない。

  3. nanasi

    ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の悲劇、残忍なジェノサイドの実態を描いた作品。

    厳しい状況の中で、家族を守るために奮闘する主人公の行動には理解を示しつつも、その利己的な姿勢にはどうしても共感できなかった。30年前に発生したスレブレニツァ虐殺についての学びを得ることができた。

  4. YMD YMD

    悲しみと憎しみを乗り越え、力強く生き続ける女性たちの姿が描かれています。

    旧ユーゴスラビア連邦の分裂に伴い勃発したボスニアの民族紛争で、国連の通訳として奮闘するアイダという女性が主人公です。彼女は家族を救うために奔走し、その姿が物語全体にわたって描かれています。その結果、訪れる悲劇的な結末には心を痛めざるを得ません。

    紛争後、三つの民族がスレブレニツァでかつての虐殺の地に普通に暮らしています。教師として復職したアイダは、自分の家族を殺したセルビア人も同じ町に住むその場所に戻ってきました。かつて暴力の舞台となった講堂では、子どもたちの発表会が開かれています。そして、その場に見られるアイダの強い意志が伝わってきます。

    旧ユーゴスラビアは自国の力だけでナチスドイツの侵攻を防いだ国でしたが、カリスマ指導者チトーの死後、多民族国家であった共和国が独立宣言を始めたことで、民族紛争に発展しました。この状況は混沌とした時代の始まりを告げます。民族浄化という言葉も、この紛争から生まれましたが、多民族国家が無惨な状況に陥った背景には、チトー氏の偉大さを再認識させる要因があるといえます。

    本作はスレブレニツァの虐殺に焦点をあてているため、セルビア人が一方的に悪者と見えることもありますが、ボスニア紛争は三つの民族が互いに民族浄化的な行為を行っていました。セルビア人の行動が多くの犠牲を生む中で、彼らの行為はジェノサイドとして認定されました。

    ボスニア紛争で平和維持軍として駐留していたのはオランダ軍で、その数はわずか450人でした。彼らは国連の指揮のもとにしか活動できなかったため、国連自体の常任理事国の思惑によって、しばしば機能不全に陥っていました。セルビア勢力への空爆が遅れた原因には、NATOの加盟国間の対立もあったとされています。

    本作では国連に手をこまねく平和維持軍の姿が描かれており、セルビア勢力に対抗する術を持たなかった彼らは無力感に苛まれる様が明らかになっています。しかし、彼ら自身に罪はなく、国連の歪みが状況を悪化させているのです。国連の存在意義が問われるべきです。

    監督が取材した被害者の女性たちの言葉には驚愕しました。家族を失ったにもかかわらず、スレブレニツァに今も住み続ける彼女たちは、未来のために異なる民族同士が共に暮らすべきだと主張しています。悲しみや憎しみを超えて、相手を許し共に生きていこうとする姿勢に衝撃を受けたと監督は語っています。

    本作はセルビア人による虐殺を描いているため、公開時にセルビア側から反発を受けましたが、主演女優とムラディッチ将軍を演じた俳優はセルビア人であり、二人は実生活で夫婦です。制作において様々な圧力もあったに違いありませんが、彼らはセルビア人もこの作品を観るべきだと主張しています。

    旧ユーゴスラビアはかつて「モザイク国家」と称され、多民族、多宗教が共存していました。その中で彼らには独自の寛容さが存在していたのではないでしょうか。

    本作は終始緊張感を持ち続け、題材の性質上、趣向が異なるかもしれませんが、娯楽作品としても高い完成度を誇る作品です。

  5. hina0813 hina0813

    ボスニア紛争のスレブレニツァでの虐殺をテーマにした戦争ドラマ。この事件を初めて知り、その衝撃は一生忘れられないほど心に深く刻まれる作品だった。

    主人公アイダは、家族を守るために必死に行動する。しかし、この厳しい状況では善や正義など存在せず、ただ生き延びることを渇望するだけだ。その願いも残酷に打ち砕かれ、救いのない現実が突きつけられる。

    反戦映画として強烈なメッセージを持っており、非常に印象的な作品だった。

  6. イーロン・マヌク

    この作品は、虐殺へ至る経緯を緊迫感豊かに描く一方で、ボスニア人による残虐行為やゲリラ活動にはほとんど触れず、セルビア人の残虐性のみを強調しています。そのせいで、紛争の本質的な複雑さが著しく矮小化されている印象を受けます。

    ボスニア内戦は、三民族の隣人同士が互いに殺戮を重ね、いずれも残虐な行為を行った点で特異な事例です。単に「セルビア人が悪い」や「国連が無能」という描写だけで済ませるのは、映画として妥当なのか疑問が残ります。

    また、加害行為の描写が限定的な点も奇妙です。セルビア人兵士の侵攻から逃れようと森に逃れたボスニア人が、山中で追い詰められる事実は、作品内でほとんど触れられていません。収容所での抹殺に焦点を当て、ナチズムとの比較を狙っているのかもしれませんが、その狙いだけでは戦争の全体像は伝わりません。

    作品の結末で、セルビア人とボスニア人が同じ学校で子どもを見守る場面は、隣人同士の愛と憎しみの複雑さを示す試みとして捉えられます。しかし、前述の現実描写が不十分なため、このメッセージ性も大きく損なわれているように感じます。

    スレブレニツァの虐殺は間違いなく戦争犯罪ですが、一方的な視点は被害者意識を煽るだけで、戦前の民族主義キャンペーンと変わらないとの指摘もあります。むしろ、そうした逆説的な描写を通じて、戦争の哀しみと人の愚かさを浮き彫りにしているのかもしれません。

  7. 山嵐 山嵐

    30年ほど前、遠い地で起きたジェノサイドを描く物語。国連で通訳として働く男性職員と、息子や夫を失った女性たちこの二つの現実を結びつける存在として描かれるアイダ。二つの側面が重なり合うことで、事件の複雑さがより鮮明に浮かび上がる。

    通訳という役割は、ボスニア市民とセルビア兵、そして国連軍の間に架け橋をつくるはずだった。しかし民衆の不安を取り除くことなど現実には難しく、セルビアと国連の言葉はそれぞれ嘘や建前だと気づいていても、翻訳して伝えるしかない。過酷な職務だ。

    アイダは国連職員としての立場を使い家族を守ろうと奔走するが、それは全く報われなかった。家族を守れないと悟る瞬間の叫びは胸を締めつける。

    紛争が終わった後、一人取り残されたアイダはセルビア人の侵攻を受けた故郷へ戻る。家族の命と引き換えに、守られた命がそこにはある過去の痛みを胸に抱えつつ、未来のために生きる決意を固め、子どもたちの未来へ温かな眼差しを注ぐ。

    これ以上ない苦難を乗り越え、それでも前を向いて生きる強い女性の物語。

    私たち日本の社会には衝撃が大きく、現実を自分ごととして捉えるのは容易ではない。しかし、映画を観て事実を知り、忘れずに受け止め、誰かと共有して何かを感じ取ることができる。

  8. 杉山 真

    最後の頼みの綱である国連の無力感
    ただ見守ることしかできないもどかしさ
    そう遠くない昔に起きた信じられない虐殺
    目にすることができてよかった

  9. りょうま りょうま

    紛争の無慈悲さや理不尽さ、後味の悪さは強く伝わってくる。一方で、アイダが自分の身内だけを救おうとする点には、やや引っ掛かりを覚える(その気持ちは理解できるが)。国連軍も寄せ集めで、地元の人と縁もゆかりも薄い者が多いのが現実だ。機能しなくても仕方ない側面がある。英語を話す場面には、どうしても第三者的な印象を受ける。

  10. 中平一樹 中平一樹

    学校の課題で鑑賞しました。

    夏休みに大学の特別授業として国連研修に参加することになり、その一環としてこの映画を見ました。国連研修に行く前に、国連の機能の限界についての映画を観るのは少し複雑な気持ちでした。

    この作品からは、国連がこの紛争をいかに軽視していたかが明確に伝わってきました。