2016年2月13日に公開の映画「火の山のマリア」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「火の山のマリア」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
火の山のマリアが視聴できる動画配信サービス
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火の山のマリアのあらすじ
グアテマラの高地。火山のふもとで農業を営む両親と暮らす成人したマヤ人の女性、マリア。生活苦から、父親は彼女を地主の後妻に嫁がせようとしていた。ところがマリアは、農園で働く青年との間に子を身ごもってしまう。やがてその事実は、両親にも知られてしまい…
火の山のマリアの詳細情報
「火の山のマリア」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | ハイロ・ブスタマンテ |
|---|---|
| 脚本家 | ハイロ・ブスタマンテ |
| 出演者 | マヌエル・アントゥン マリア・テロン マリア・メルセデス・コロイ |
| カテゴリー | 映画 |
| 制作国 | グアテマラ フランス |
| 公開日 | 2016年2月13日 |
| 上映時間 | 93分 |
火の山のマリアの公式PVや予告編動画
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火の山のマリアの感想&レビュー
マヤ族の家族を通じて描かれる、先住民族が直面する労働搾取、言語の不平等、女性の権利といった問題。
まず印象的なのは火山の麓に広がる荒れ果てた風景。自然光を活かした穏やかな色合いで表現された映像は美麗であり、岩場で母が祈るシーンの秀逸さが際立っています。
彼らが話すカクチケル語や、葬儀、まじないといった伝統行事、日常生活の描写はとても興味深く、彼らが長い歴史を持つ文化を引き継いでいることがわかります。
しかし、マヤ族が自給自足で生きていけるわけではなく、地主から借りた農地で農作業をしますが、薄給で生活が成り立たず、主人公のマリアは金銭的な理由で地主に嫁がされます。
彼女は自己決定権や性的尊厳を持っていないのです。
家畜の豚を交配させたり、屠殺して調理し、地主に振る舞うシーンもあり、生活文化の描写だけでなく、若い女性と豚が同様の扱いを受けている象徴でもあると感じました。
また、公用語のスペイン語が理解できないため、彼らはさらなる搾取に遭います。騙されていることに気づかず、犯罪が成立しない恐ろしさもあります。
ヘビ避けのまじないについて、母親が「そんなの信じるな」と言い、父親が試してみる気か問うシーンは、不思議と微笑ましい瞬間です。
(結局は中断されますが、霊媒師が続けようとする中、母がそれどころじゃないと怒る様子は、切迫した場面でありながらもユーモラスに映ります。)
それでも、マリアやその家族の姿は力強く、明るい音楽で物語が締めくくられることで、火山(原題のIxcanulはカクチケル語で「火山」を意味します)の強さや尊厳を感じさせます。
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特に印象に残ったのが、マリアとぺぺが会話している時に、遠くから馬車がゆっくりと近づいて通り過ぎていくシーンです。
一見何気ない演出に見えますが、高低差のある地形が生む視覚的な興味深さと、その地域の人々の暮らしをサラッと見せてくれる素晴らしいシーンだと思いました。
(さらに、馬車の上にさりげなくイタチのような小動物がいるのも見逃せません!)
予想以上にストーリーが魅力的で、映像の圧倒的な美しさだけではなかった。グアテマラのコーヒー農園で暮らす人々の生活を知ることができ、まるでドキュメンタリーを観ているかのような感覚を覚えた。
マリアが働く農園は山の奥深くにあり、独自の言語が話され、外界から隔絶されている。医療へのアクセスが乏しいため土着の信仰に頼らざるを得ないが、映画はそれを神秘的に描くのではなく、社会問題として冷静に捉えている点が印象に残った。
人はどこでも生きていける。結局、私たちは生まれた場所の文化や風習に囲まれて日々を過ごすだけだ。日本もさほど変わらない。
それにしても母は強い。グアテマラの映画を初めて観た。ほかにも観たい作品がある。
グアテマラの火山の麓で農業を営む家族の娘・マリアは、政略結婚として地主の男と結婚する運命にあった。しかし、年の近いペペという青年に心を寄せた彼女は、彼とともにアメリカへ渡る条件として自らの身体を捧げる覚悟を決める。ところがペペは結婚前に黙って出発してしまい、さらに妊娠が発覚するという展開に向かう。
初めて観たグアテマラ映画は、ロケーションの独特さにまず圧倒される。家の周りは森が広がるのどかな農場だが、少し足を伸ばせば黒くてごつごつした火山の岩場に辿り着く景観は、日本では味わえない特異さだ。作中の登場人物はマヤ人と呼ばれる先住民族の人々であり、マヤ文明の中心地の一部がこの地域に含まれていることを初めて知る。
この映画は、グアテマラのマヤ人を取り巻く現状を描くドラマである。家族のために望まない結婚を強いられるマリア、少数民族ゆえの言語の壁、迷信に惑わされる人々、人権侵害といったさまざまな困難が物語に折り重なる。多くの問題を一度に抱える構成で、マリアの孤独と抗う力が伝わる反面、すべてを解きほぐすことなく終わるためモヤッと感が残るのも事実だ。現実の痛みを直視する作りなので、観る人によっては物足りなさを感じるかもしれない。
それでも本作は、グアテマラという国の良さと課題の両方を鋭く浮き彫りにする力を持つ。強いメッセージ性と現実感に満ちたドラマとして、国際社会が抱える問題にも光を当てる作品だ。
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先住民女性の望まぬ妊娠とそれに伴う不幸な結末は、ROMAの歴史を思い起こさせずにはいられないテーマだ。グアテマラの歴史・社会と結びつけて考えると、独裁時代との関係性を探る視点が自然に浮かぶ。しかし蛇の象徴が何を意味するのかは難解で、悪者を一概に断定できないニュアンスを含んでいる。蛇は sacred とも言われることがあり、このメタファーは読み手の解釈を深める一方で、過度の読み込みになりがちだ。
グアテマラとフランスが共同制作した映画 Ixcanul を初鑑賞。小規模なグアテマラの映画産業と、演者の多くが素人扱いという現状を反映しつつも、社会の深層を鋭く掘り下げた作品です。舞台は中央アメリカ北部の山岳地帯、パカヤ火山を望む風景が印象的。主な産業はコーヒー、砂糖、バナナなどで、かつてこの地にはマヤ文明の繁栄がありました。16世紀以降のスペイン支配と、1821年の独立を経て、現在の公用語はスペイン語ですが、先住民族の多くはカクチケル語(マヤ語)を日常語として用います。映画は、こうした言語と文化の壁を象徴的に描き出しています。
物語は、17歳の少女マリアが父マヌエル、母フアナと3人で暮らす家族の周囲で展開します。暮らしは貧しく、地元の名士イグナシオとマリアの結婚が決まっています。母と父はこの結婚で家計が楽になると安心しますが、マリアは閉ざされた世界と親が勝手に決めた未来に悩みを抱えます。コーヒー農園で働く青年ペペは、自由を求めてアメリカへの移住を夢み、マリアにもその旅路を共にしたいと願います。マリアはペペに心を寄せますが、彼は旅立ってしまい、やがてマリアは妊娠していることが判明します。
特徴的なのは、マリアが劇中でほとんど笑う場面がないことです。環境の厳しさと抑圧が彼女の表情を支配しています。それでも、物語の核には家族の絆と母親の強さが確かに息づいています。母フアナは旦那よりも強く、家族を見通す力を持つ存在。彼女がマリアの横で父親へ距離を取らせる場面には、17歳の娘を取り巻く現実の重さがにじみます。ただし、イグナシオが悪者として描かれていない点も作品の重要な視点です。マリアはペペへの愛情というより、自由と進路の選択を求める心の叫びとして、アメリカへの移住という希望を抱いているのだと読み取れます。
本作のテーマは、マヤ人の言語・文化と非マヤ人社会の言語差別・人種差別・貧困といった社会課題の交錯にあります。グアテマラの街とマヤ人の暮らしとの間で、言葉が通じにくい場面が象徴的に描かれ、貧困の現実と女性の選択の問題が浮き彫りになります。マリアの成長物語として、彼女が将来どのような強い女性へと変化していくのかも見どころのひとつです。
総括すると、 Ixcanul は、スケールの小ささを力に変えた力作です。言語・民族・階層の壁を越えようとする人々の姿を、自然豊かな風景と共に静かに描き出します。演じるのが素人と感じられる場面もありますが、それがかえって登場人物のリアリティを強く伝え、観客に深い共感を呼び起こします。マリアがどのように自立と自由を選び取るのか、家族の愛がどこに落ち着くのかそんな問いをそっと投げかける作品です。
自然音を背景のBGMとして活用し、画面に引き込まれる。フィクションながら作り込み過ぎた印象がなく、グアテマラの先住民の間で実際に起こっている光景かもしれないと想像させる。世界にはまだ知らない文化や風習が数多く存在することを実感させられる。
思わず南米のどの国かと調べてしまうほど、火山が連なる地域を舞台にした物語。国鳥は炎の鳥のように輝く印象だ。グアテマラのマヤ人の少女を中心に、貧困のゆえに両親が娘を金持ちの家へ嫁がせる選択を迫る。度重なる悪魔のような蛇の誘惑を乗り越え、大人の愛情と知恵が勝る物語だった。
魅了されるように観賞しました。
グアテマラの火山の麓に広がる農業地帯は、どんな気候なのでしょうか。しかし、むせかえるような濃厚な雰囲気の中で、貧しい農家の少女の婚約それは嬉しそうではなく、アメリカへの憧れ、酒の酔い、少年との性行為と妊娠が描かれていました。豚まで酒を飲んでいる場面も印象的でした。
無駄な音楽がなく、静かにそれが表現されていたからこそ、心に響きました。
女性が生命を生み出す神秘を感じました。男性たちは頼りない印象を受けましたが、力仕事を担っている彼らは、出産する女性を畏敬しているように見えました。
特にマリアの母親が素敵でした。当初は下品だと思ったものの、あっさりと中絶を選ぶべきだと言ったり、この子は生まれる運命だと受け入れたりしていました。
彼女の言葉は現実を映し出していました。
それにしても、言葉の壁は高いなと感じました。通訳という存在が恐ろしいものだと再認識しました。
マヤ族は、あの高度なマヤ文明の末裔ですよね?現在では、このような状況に
中米グアテマラ。マヤ先住民の貧しい家族が直面する試練を描いた作品。
悲劇といっても、深い感情移入や共鳴を感じるほどの力強さはなかった。ただ、グアテマラの先住民族が主体であることや、ロケ地の独特な自然には非常に魅力を感じた。また、祖先から受け継がれてきたさまざまな呪術や民間療法の描写も興味深かった。それらに対する好奇心を刺激された。
自分はコーヒー焙煎が趣味で、グアテマラ産のコーヒーは非常に美味しい銘柄の一つであるため、あの火山砂礫に覆われた厳しい農地で育てられていることを思うと、感慨深いものがあった。