2022年11月11日に公開の映画「あちらにいる鬼」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「あちらにいる鬼」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
あちらにいる鬼が視聴できる動画配信サービス
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あちらにいる鬼のあらすじ
「髪を洗ってやるよ」。それは、男と女でいられる最後の夜だった。1966年、講演旅行をきっかけに出会った長内みはると白木篤郎は、それぞれに妻子やパートナーがありながら男女の仲となる。もうすぐ第二子が生まれるという時にもみはるの元へ通う篤郎だが、自宅では幼い娘を可愛がり、妻・笙子の手料理を絶賛する。奔放で嘘つきな篤郎にのめり込むみはる、全てを承知しながらも心乱すことのない笙子。緊張をはらむ共犯とも連帯ともいうべき3人の関係性が生まれる中、みはるが突然、篤郎に告げた。「わたし、出家しようと思うの」。
あちらにいる鬼の詳細情報
「あちらにいる鬼」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
あちらにいる鬼の公式PVや予告編動画
「あちらにいる鬼」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
あちらにいる鬼の楽曲
「あちらにいる鬼」の主題歌や挿入歌、サウンドトラックを紹介します。映像だけでなく音楽からも作品の世界を感じてみましょう。
- サウンドトラックあちらにいる鬼 (Original Soundtrack)鈴木正人
- メインテーマ恋ごころ浜田真理子
あちらにいる鬼を無料で見る方法は?
「あちらにいる鬼」を無料で視聴するなら、「Prime Video」「Lemino」「U-NEXT」などの無料トライアル期間を活用するのがおすすめです。
「Dailymotion」「Pandora」「9tsu」「Torrent」などの動画共有サイトで無料視聴するのは避けましょう。これらのサイトには、著作権者の許可なく違法にアップロードされた動画が多く存在し、利用者側も処罰の対象となる可能性があります。
感想・レビュー
どうしてこの映画はこんなに印象が薄くなってしまったのか。本当に残念です!
原作があれほど面白かったのにキャストも全員素晴らしかったのに。
原作を読み、白木篤郎のモデルとなった井上光晴のドキュメンタリー『全身小説家』も視聴済みです。
ストリップシーンの時、「あ、これ井上光晴さんもやってたのか!トヨエツさんでもそうなるんだな」と思いました。
不倫についての価値判断は当事者自身が決めるものだと思いますので、それぞれのケースによってさまざまでも良いと思います。
『あちらにいる鬼』では、作者の井上荒野さんも父や瀬戸内寂聴さんに対して裁くような描写はなく、それがとても素敵でした。
作家の妻を演じた広末涼子さんの表現は、達観した雰囲気で、まるで既に一段上にいるような佇まいが印象的でした。彼女は遠い目をしていました。
寺島しのぶさんの演技も、情念に振り回されつつも出家後も捨てきれない部分があり、さすがでした。この二人の演技があったからこそ、白木篤郎に最後まで寄り添えたのでしょう。
しかし、自分の夫がもしこういうタイプだったらと考えると辛いです。
当事者だとこんな風に生きることは難しいだろうと思います。ご家庭の雰囲気が良かったからこそ、荒野さんは5〜12歳の頃に関係に気づかなかったそうですしお母様の強さをしみじみ感じました。井上光晴さんの小説には、お母様が描いたと思われる作品があるそうで、寂聴さんも荒野さんも「3作ある」と言っていましたが、そんなに明確にわかるものなのか!
髪を洗うシーンや剃髪の場面で、寺島しのぶの表情がとても魅力的でした。
寺島しのぶの髪を洗う場面と剃髪の瞬間に見せた表情は、特に素敵でした。
髪を洗うシーンや剃髪の場面では、寺島しのぶの表情が際立って美しかった。
理解できないほど難解な物語を観ていると、つい傍観のフェーズに入り、ぼんやりしてしまう。広末涼子がその場にいるはずなのに、どこか遠くを見ているような視線が好きだ。
60年代を生きた登場人物たちは、それぞれどこかネジが外れているようにも見えた。激動の時代がそうさせたのか、それとも別の理由があるのか。そして、この話を当事者の娘が書いているという事実が、特に印象的だ。
初めは緊張感と輝きがあって魅力的だったが、次第に無理を感じるようになった。
今の時代にこうした男性像を描くなら、圧倒的な魅力が求められると思う。白木は魅力的なキャラクターとして描かれているのかもしれないが、トヨエツも年齢を重ね、おじいさんの印象が強い。さらに、白木には女性に対する敬意が感じられない。
私には、傲慢で自己中心的なおじいさんが周りの女性にちやほやされながら好き勝手に振る舞っているようにしか見えず、途中で観るのをやめた。
三角関係や不倫といったドラマは好きだが(自分がやりたいわけではないが)、それに登場する男性が魅力的でないと観る気にはなれない。
そもそも、男性が王様のように振る舞い愛人を作っていた時代背景の中で、明らかに公平ではない関係性を美化する映画を作る意味は何なのだろう。昔の女性が耐えていた、強い、ということ?
寺島しのぶと広末涼子は素晴らしかった。
ふーん
瀬戸内寂聴の半生については少し知っていましたが、やはり共感できる点は全くありませんでした。
何も心に響くものがなかったのです。
結局、自分の娘よりも自分自身を優先していたようですし、貞操義務も全く守らなかった印象です。
他人のことなので、彼女の選択についてはどうでもいいと思います。
映画の演出も小さく感じましたが、寺島しのぶの演技は本当に素晴らしいです。
ああ、やってしまった!広末涼子が出演している映画を見たら、気が散ってしまった!トヨエツと寺島しのぶのベッドシーンは、まるで放送事故を見ているかのようだったクリスマスの三角帽子って何?笑
井上荒野の小説が、父と母と瀬戸内寂聴の特別な関係を綴る物語として映画化される。
恋愛に関する問題は、結局当事者だけが理解できるという普遍的な真実。冒頭で男性が批判していた角瓶を、結局自分が飲むシーンにはユーモアがあった。
瀬戸内寂聴の世界観を、寺島しのぶと豊川悦司の組み合わせで描いた本作は、想像通りの完成度だった。
二人の主演は性に奔放に生きる姿を映し出す一方、結局は夫の浮気を知りながら自分の中で折り合いをつけ、出来た妻という型を押し付けてしまう構図になっている。逆の視点なら成立しないだろうし、昭和の価値観ゆえの表現なのかもしれないが、男の理想の世界観がぎっしりと詰まっている。果たしてこの奥さまは鬼なのだろうか。とはいえ、男の勝手さに感じるのはいつも同じ感想だ。
1960年代の設定としてはさほど古さは感じず、年の差がない設定の妻を広末涼子が演じる点は、豊川悦司との並びで少し違和感を覚えた。
ストーリー自体は退屈にはならず、鑑賞価値は十分あって星3以上の評価に値する。
最後の夜のお風呂場のシーンで『ヴァイブレータ』を連想したのは、同じ監督×荒井晴彦脚本だったことを後から知って、納得がいった。