2012年4月7日に公開の映画「KOTOKO」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「KOTOKO」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
KOTOKOが視聴できる動画配信サービス
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KOTOKOのあらすじ
愛する息子を守ろうとするあまり、現実と虚構のバランスを崩していく女性の物語。琴子(Cocco)は一人で幼い息子・大二郎を育てている。彼女の目には世界が「ふたつ」映り、常に命の危険が迫る日々。だから琴子は気を抜けず、神経がどんどん過敏になっていく。近づく危険を殴り、蹴り飛ばし、必死で子どもを守る彼女。琴子の心が「ひとつ」になるのは、歌を歌っているときだけだ。大二郎は小さな体をまるごと琴子に委ね、彼女を喜ばせるために、手作りのおもちゃや散歩を楽しむ。しかし大二郎はしばしば激しく泣き叫ぶ。外に出たり高所に立つだけで、もし手を離してしまったらという強迫観念が琴子を追い詰める。ついには幼児虐待の疑いがかかり、大二郎は遠く離れた彼女の姉のもとに送られてしまう。琴子は自分の身体を傷つけて、「存在してもいいか」を確かめる。身体は「生きろ」と訴える。姉から連絡を受け、大二郎に会うために沖縄へ向かうリムジンバスの中で、琴子は歌を口ずさむ。車内には彼女を見つめる男が一人。沖縄では、大二郎が元気に育っていて、琴子は家族の温かさの中で笑顔を取り戻す。しかし、その貴重な時は短く、再び大二郎と別れ、東京へ戻る琴子。毎日の孤独に耐える中、小説家の田中(塚本晋也)が近づいてくる。彼はバスの中で聞いた琴子の歌声に魅了され、彼女を追いかけるが、琴子は暴力で彼を押し返す。傷だらけになりながらも田中は諦めず、ついには結婚指輪を持参する。答えが見つからない琴子は、田中と共に大二郎のいる沖縄を訪れる。沖縄で、田中と共に穏やかに眠る大二郎を見て、琴子は決意する。「私は幸せになりたい」と。しかし、琴子の心には憎しみと恐怖の記憶が甦る。共に暮らし始めた田中を縛り、暴力を振るう琴子。制御できない自分を恐れ、暴れ出す彼女に、田中は「大丈夫です、大丈夫です」と繰り返し、傷だらけの身体で彼女を抱きしめる。「あなたを好きでいることが仕事だったらいいのに」と琴子は思う。これまで一人で歌ってきた歌を田中に捧げ、一瞬のうちに世界がひとつになったと感じる・・・。
KOTOKOの詳細情報
「KOTOKO」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
KOTOKOの公式PVや予告編動画
「KOTOKO」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
KOTOKOを無料で見る方法は?
「KOTOKO」を無料で視聴するなら、「Prime Video」「U-NEXT」などの無料トライアル期間を活用するのがおすすめです。
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感想・レビュー
これまで観た映画の中で最も心に響いた作品
良い意味で、Coccoの独自性が光る映画だと感じた。
産後うつを経験した私にとって、あの頃は必死に何かを守ろうとし、外からの攻撃をどう逃れるかを考えていた時期と重なる出来事でした。子育て以外の場面でも悩みが深く、心身がしんどかった日々を思い返します。現実と妄想の境界はどこだったのか。息子は本当に生きているのかいや、生きていたのだとわかって、ほっとしました。
私の心に響く歌姫は、彼女だけです。
彼女の人生をそのまま映し出すかのような、狂気に満ちた暴力的なホラーが、母の愛の物語として描かれています。
まるで演技とは思えない、圧倒的な体験でした。心に残る壮絶な瞬間。
彼女の歌は、愛と絶望が渦巻いています。
主人公の妄想の世界は恐ろしいし、Coccoの演技は素晴らしかった。
小説家の田中が本当に存在したのかどうかも疑わしく、現実が何なのか謎に包まれている。
大丈夫ではない歌がとても良かった。重くて聴くのがしんどかった。
大丈夫ではない歌はとても良かった。テーマが重く、聴くのがしんどかった。
重くて聴くのがしんどい曲だったが、すごく良かった。
大丈夫ではない歌が印象的で、非常に良かった。
重く感じるなぁ。
生きるのがとても辛いよ。
フォークが手に刺さりすぎている…。
今年観た中で最も恐ろしい作品。
“子供を守るべき”という強迫観念から、現実と妄想の境界が曖昧になる母親の狂気を描写している。
守らなければならないのに、守れない。
その苦悩を抱えた母親の様子が、非常に辛い。
グロテスクな描写が多いため、注意が必要。
2025年240本目
終始続くノイズが辛い。
酔ってしまいそう。
CoccoのためのCocco作品。
子供をあれこれといじめるイメージには馴染めない。
劇場公開時、沖縄を旅して訪れた桜坂劇場で観た。おそらく慰霊の日の前日、上映の最終日だったのかもしれない。血に染まる腕と、Coccoの『ダークサイド』が胸を刺す。同時に、歌が生む無敵感もまた、強く響く。アパートの屋上にひとり立ち、沖縄民謡『月ぬ美しゃ』を伸びやかに歌い上げると、その美しさは言葉を超える。刑務所の中庭、雨がどしゃ降りの中のダンスシーンも心に刻まれる。地下壕の場面を思えば、我が子の首に手をかけ、殺さねばならなかった沖縄戦の記憶は、今なお胸を締め付ける。だからいまはただ、エンディングで奏でられる『Lollypop』の『ウートートー』を胸に抱く。その手で折る折り紙は、祈りそのものだ。ウートートーとは沖縄の言葉で、手を合わせて拝むこと、あるいはそのときに唱える祈りの言葉を指す。
アマプラの「あなたの好きそうな映画リスト」にずっと顔を出していたこの作品。ジャケットの女性は、痩せ過ぎて頭が大きく見えるくらいで、目力だけで生きているようにも見える摂食障害を想起させる。長いこと前から話題になっていたのに、知人やフォローしている人は誰もこの映画に触れず「オモロないのかも」と思い、観るのを二の足を踏んでいた。ところが塚本晋也監督の『野火』を調べる過程で、この作品も彼の監督作だと知り、前後の順番を入れ替えて観ることにした。結論から言うと、これはもう凄いモノを観たと言わざるを得ない。冒頭から最後まで痛みがまとわりつき、リスカのシーンは避けられないとしても、絶叫・絶望・暴力が次々と襲いかかってくるので怖さはかなりのものだ。主演・原案・美術・音楽を担当したCoccoについては詳しくは知らなかったが、過去に彼女を強く好きだと言う人を知っており、このKotokoにはその人と重なる部分があると感じた。彼女の体型と虚無の瞳、そして明るく振る舞う不思議なテンションを見ていると胸が締め付けられる。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のBjorkを思わせるような、尖ったミュージシャンが救いのない映画の主演を務めるとき、奇跡のような作品が生まれるのかもしれないと思わせるところがある。ちなみにCoccoが好きなあの人はBjorkも好きだったはずで、何か通じるものがある気がする。塚本晋也といえば「鉄男」が圧倒的だが、自分を傷つけるだけでなく愛する人をも傷つけざるを得ないこの映画の主人公Kotokoは、鉄男の自傷を現代のシングルマザー版に置き換えたようにも見える。塚本監督が映画の中で描く人間存在の痛みは、肉体・精神・心のいずれにもぐりぐりと伝わって観る者をえぐる。今思い出しても身体中がゾクゾクするほどだ。塚本晋也の「鉄男感」とCoccoのパーソナリティと美意識が見事に溶け合い、圧倒的なアートとして完成している。映画の中の田中がKotokoに対してそうであったように、Kotokoが息子に対してそうであったように、ままならない時には「大丈夫」と言うしかなく、それは「大丈夫になりますように」「大丈夫でありますように」といった祈りの形だ。自分自身は全く大丈夫でなくても、愛する人のためならそう願い、そう言えるのだ。私自身、昔よく「大丈夫」と言い続けていたことを思い出した。田中のように根拠のない自信で「大丈夫」と言い続けた結果、私は生きているし、きっとあの人も生きている。まあ、それで大丈夫だったんだろう。めでたしめでたし。