1992年6月20日に公開の映画「ふたりのベロニカ」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「ふたりのベロニカ」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
ふたりのベロニカが視聴できる動画配信サービス
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ふたりのベロニカのあらすじ
ポーランドとパリでほぼ同時代を生きる二人のベロニカ。ポーランドでは、アマチュア合唱団に所属するソプラノ歌手として実力を認められ、名指揮者の薫陶を受け音楽堂での舞台へと進む。しかし初舞台の直前に胸の痛みが生じ、突然この世を去ってしまう。もう一人のベロニカはパリで子どもたちに音楽を教える教師。ある日、彼女は人形劇の人形遣いアレクサンドルと出会い、恋に落ちる。そんな中、もう一人のベロニカの存在を感じる不思議な出来事が続くが、一枚のテープが彼女の元へ届き、録音された声を頼りにカフェへ向かうと、そこにはアレクサンドルが待っていた…
ふたりのベロニカの詳細情報
「ふたりのベロニカ」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | クシシュトフ・キエシロフスキ |
|---|---|
| 脚本家 | クシシュトフ・キエシロフスキ クシシュトフ・ピエシェヴィッチ |
| 出演者 |
|
| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ |
| 制作国 | フランス ポーランド |
| 公開日 | 1992年6月20日 |
| 上映時間 | 97分 |
ふたりのベロニカを見るのにおすすめの動画配信サービス
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ふたりのベロニカのよくある質問
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Q映画『ふたりのベロニカ』のあらすじはどのようなものですか?
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A
映画『ふたりのベロニカ』は、フランスとポーランドに住む二人の女性ベロニカが、互いに気づかぬまま不思議なつながりを持つ様子を描いています。二人は同じ日に生まれ、一方が歌手、一方が音楽教師という対照的な人生を歩みます。運命が交錯する中、二人の心情が幻想的に紡がれていきます。
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Q『ふたりのベロニカ』の登場人物の魅力は何ですか?
-
A
『ふたりのベロニカ』の魅力は、異なる人生を歩む同名の女性たちの繊細な感情描写にあります。彼女たちは身体的にも物理的にも互いに存在を感じ合い、その神秘的な関係が作品全体を魅力的に彩ります。観客は彼女たちに自分自身を重ねることができ、共感を呼び起こします。
-
Q『ふたりのベロニカ』のテーマやメッセージについて教えてください。
-
A
映画『ふたりのベロニカ』は、個々の存在と運命、そして自己探求をテーマにしています。二人のベロニカが共有する感覚や経験を通じて、視聴者は自分自身と向き合い、他者とのつながりを考えるよう促されます。幻想的な要素を用いながら、生きる意味を問いかける作品です。
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Q『ふたりのベロニカ』の制作スタッフについて知りたいです。
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A
『ふたりのベロニカ』は、ポーランドの名匠クシシュトフ・キエシロフスキが監督を務めました。音楽はズビグニェフ・プレイスネルが担当し、幻想的で感動的なストーリーを音楽で彩っています。キエシロフスキ監督の繊細な演出が作品の魅力を引き立てます。
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Q『ふたりのベロニカ』と原作や他の作品との関係はありますか?
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A
『ふたりのベロニカ』はオリジナルの脚本で、特定の原作には基づいていません。しかし、監督のキエシロフスキは後に『トリコロール』三部作を手がけることとなり、その作品群に通じるテーマや美学が『ふたりのベロニカ』でもすでに見受けられると評価されています。



ふたりのベロニカの感想・評価
詩的な作品でありながら、鑑賞者がその表現を解読するための材料や道筋がきちんと示されている点が魅力的です。抽象的でありながらも明確さを持っているところに、特に惹かれます。
奇跡に乾杯 空はこれまでで一番美しく黄金色に染まり、ベロニカの身体美は絵画のように整っている。彼女の下着越しの光景や、雨粒が滴る表情さえ、トリコロールの赤を想わせる愛の表現として、ただの健全な女性像ではなく健気な女神の佇まいを私たちに示してくる。この映画は美しく儚い夢のような体験で、自分と瓜二つの人物が、他者より幸せで、あるいは不幸であるかのように描かれる展開へと私たちを誘う。そう知ってしまえば、観る者はさらに夢心地に沈んでいくはずだ。現実の日常が一変するような出来事が、尺の終わりまでベロニカを救い続けるのは、もう一人のベロニカだったこの構図が美しく切ない。フランス映画らしい風情も強く、私にはベロニカたちの存在が今も色褪せずに響いてくる。個人的にこの映画で最も評価している点のひとつがカメラワークと画角だ。ベロニカが倒れる瞬間にはカメラも連動して倒れ、人物の動きに寄り添うかと思えば、次の瞬間には私たちが傍観者として空を見上げる天の視点、あるいはベロニカの横を歩くような視角へと切り替わる。この逆説的なカメラ運用こそが本作の魅力で、ベルイマンの影響を強く感じさせる。さらに、フランス映画の美女がタバコを喫う描写には独特の魅力を見出していて、それも好きな理由の一つだ。
うぐぬ 映像美・音楽・雰囲気は圧巻だったが、共感できずに世界へ入り込めなかった。監督が心臓病を患っていたと知り、死の影が常に漂っていたのはそういうことだったのかと理解できる。苦しさの中に美しさがあり、胸が締めつけられるようだった。ドッペルゲンガーには世に三人いると言われるが、こんなにもイケメンが三人もいるとは信じ難い。
とっつきにくいストーリーにもかかわらず、ほぼヒロインの存在感と映像・音楽の美しさだけで視線を釘付けにされた。女優の演技力が際立ち、撮る側の技量が半端ないと感じた。黄色いフィルターを切り取った静止画だと強烈に感じることもあるが、映像としては違和感なく美しくハマっていた。本当に美しかった。フランス編では、色味とショートヘアのはっきりした顔立ちのヒロインが印象的で、カフェでの再会とアメリを連想させるモチーフが多かった。作品の雰囲気は全く違うけれど、それぞれの場面に独自の魅力を感じられた。
美しいと感じる。ただ、雰囲気に重きを置きすぎて、作品の世界へすんなりと浸れなかった。こちらの気分次第かもしれない。目のふちを指輪でなぞるクセは、特に印象的だった。
道を横断するシーンは、ギリギリまで攻めすぎて笑っちゃうくらいだった。あの瞬間は本当にヒヤヒヤした。
気を緩めると、ふたりのベロニカがまるでひとりに見えてしまう。クリアボールで映し出される世界は、一体何を象徴しているのだろうか。思わずうっとりするようなシーンを、一つ一つじっくりと見つめることができた。最後にはちょっとした驚きが待っていた。
言葉を尽くせないほどの名作に出会えた。難解なヨーロッパ映画に挑戦して本当に良かった。物語の緻密な構成、巧妙な仕掛け、そして印象的な画角すべてが最高峰だった。
映画監督クシシュトフ・キェシロフスキにとって、女優イレーヌ・ジャコブとの出会いは、始まりよりむしろ終わりを象徴したのかもしれない。
彼がファインダー越しに彼女を見つめると、彼女もまた彼を見つめ返した。彼女の眼差しは、彼の内面に触れるようだった。
イレーヌ・ジャコブが登場したのは、まるでジャン=リュック・ゴダールにとってのアンナ・カリーナのようである。しかし、彼女たちの役割は異なり、ゴダールにとっては新たな始まりであり、キェシロフスキにとっては一種の終焉を告げるものだったのかもしれない。
イレーヌ・ジャコブに見つめ返されたことで、キェシロフスキの中にドッペルゲンガーのような二重性が生まれたのだろう。ドッペルゲンガーと出会うことで、その存在が消え去るように。
*
1966年11月23日、ポーランドとフランスで瓜二つの女の子が誕生し、二人ともベロニカと名付けられた。どちらも音楽家を目指すが、ポーランドのベロニカは心臓病で舞台で命を落とし、フランスのベロニカはそれを霊的なひらめきとして音楽から教師への道を選ぶ。ポーランドのベロニカは死に、フランスのベロニカは生き残る。
二人の接触は一度だけで、フランスのベロニカがポーランドを訪れ、ポーランドのベロニカを一瞥することで成立し、一方でフランスのベロニカはポーランドのベロニカの写真に彼女が映っていることを確認する。つまり、互いのまなざしが交差しているのだ。
ドッペルゲンガーとはそういうものであり、シュレーディンガーの猫のような量子論的な同時存在としても理解できる。しかし、たとえモチーフがそうであっても、主題はそのことを描こうとしてはいない。
存在することそのものが抱える哀しみ。
「そうであった」ということは同時に「そうでなかった」ことを含む。この感覚は、量子論を知らずとも多くの人が体感したことだろう。ミラン・クンデラが『存在の耐えられない軽さ』で描く運命論的な「重さ」と偶然による「軽さ」の問題も、この存在論的な感覚に基づいているはずだ。
見つめられることは、見つめられないことを含む。出会うことは、出会わないことを含む。キェシロフスキの素晴らしさは、こうした存在論的テーマを映像に巧みに織り込んでいることだと思う。
たとえば、ポーランドのベロニカが列車の中で、ガラス球のようなスマートボールを透視しているショットがある。その球体には街並みが反転して映り込んでおり、それは同時存在を直感的に伝えている。
キェシロフスキはガラスや鏡を使ったショットを多用するが、それが単なる映像的遊びに留まらず、偶然や運命、神秘を通じて人々に存在論的な問いを投げかけるように昇華されている。そしてその感覚は、赤や緑を基調とした本作の色彩にも強く表れている。
また、フランスのベロニカの元に、ポーランドのベロニカが使った楽譜を綴じるための紐が不明な差出人から届けられるシーンにも、存在すること自体の哀しみが描かれている。室内の背後で紐を見つめるベロニカのショットの美しさは印象深い。キェシロフスキの神秘とは、ミラン・クンデラが言うところの「運命と偶然を繋ぐもの」だったのかもしれない。
フランスのベロニカが出会う人形師アレクサンドル・ファブリは、『トリコロール/赤の愛』の元判事ジョゼフの影のようであり、彼の人形劇はポーランドのベロニカの運命を想起させ、同時にポーランドで映画を制作してきた監督自身の姿を映している。
つまり、人形師がフランスのベロニカと出会うことは、監督キェシロフスキが女優イレーヌ・ジャコブと出会ったことと重なり合う。カフェの音をカセットテープに録音し、彼女に渡す人形師の行為は、ロベール・ブレッソンの『白夜』を彷彿とさせながらも、まるで万華鏡を回転させて作品を作り続ける監督そのものの行為に通じる。
あなたには分かりますか?
この謎は、監督キェシロフスキから女優イレーヌ・ジャコブへの問いかけでもあったのかもしれない。
あなたは私に触れることができるのか?
カフェでの彼らのやり取りには、そのナイーブな感覚が巧みに表現されているように思える。
そして、彼女は彼に触れた。
1991年の『ふたりのベロニカ』の後、1993年から94年に『トリコロール』の三部作を撮影し、国際的に活躍していたキェシロフスキはその後引退し、最期を迎える。
短期間に三度観賞しました。本当に美しい。
誰もが子供の頃から持つ感覚を、神秘性を失うことなく形にした作品です。そこに潜む不条理ささえも、美しいと感じられるほどです。
歌声は魂の光です。死の影を纏っているからこそ力強く、やはり美しく響いています。
見る者と見られる者が瞬時に入れ替わり、ときには層を成して重なり合い、ときには矢印が曖昧に空に溶けていきます。その錯綜した状況は、鑑賞者にまで影響を及ぼします。
運命(とその予感)に翻弄される様子。それは一方で自分の感性に従うことでもあります。受容は単なる受動とは異なるものだと感じます。
身体や顔の美しさが丁寧に撮影されています。私には単なる男性の視線には思えません。「耽美」の姿勢や、実存感の強調、そして儚さを感じます。何度かのセックスは官能的というよりは危うさを伴い、常に死の関連が浮かび上がり、どこか不在感が漂っています。
観終わった後、案外「丁寧に生きよう」と思えるのが不思議です。