2004年9月25日に公開の映画「モンスター」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「モンスター」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
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モンスターのあらすじ
娼婦のアイリーンはバーでセルビーと出会い、次第に愛し合う仲に発展する。二人で過ごすためのホテル代を稼ぐため、アイリーンは客を取るが、ある日、暴行を受けた拍子に客を手にかけてしまう。社会で他に仕事を見つけられず絶望した彼女は、再び売春相手を衝動的に殺してしまう…。
モンスターの詳細情報
「モンスター」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
監督 | パティ・ジェンキンス |
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脚本家 | パティ・ジェンキンス |
出演者 |
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カテゴリー | 映画 |
ジャンル | クライム ドラマ 伝記 |
制作国 | アメリカ ドイツ |
公開日 | 2004年9月25日 |
上映時間 | 109分 |
感想・レビュー
アメリカ初のシリアルキラー、アイリーン・ウォーノスの生涯を描いたサスペンス調の伝記映画です。
彼女は娼婦として数々の苦難に直面し、1件の殺人事件を起こしたことで逃避行が始まります。しかし、その行為にはあまり共感を得られません。最初の殺人は強姦に対する正当防衛と見なされるかもしれませんが、その後は無駄な正義感から次々と犯罪に手を染めていきます。彼女の唯一の理解者だったセルビーも、結局は見て見ぬふりを決め込み、あっさりと彼女を裏切ってしまう捻くれた人物です。
それでも、シャーリーズ・セロンの役作りへの情熱は圧巻で、彼女の演技に引き込まれてしまうほどです。観る者が彼女の演技を楽しむための作品であり、彼女がアカデミー賞で演技賞にノミネートされたのも頷けます。物語自体の引き込みには欠ける点もありますが、セロンのパフォーマンスには圧倒されることでしょう。
実在のアイリーンの生い立ちには同情を感じるが、彼女が恋人と出会う前に犯した罪は非常に衝撃的で、映画を見る前にその犯罪歴を考慮すると気がかりになるかもしれない。この映画はアイリーンに対して比較的優しい視点を持っている。クリスティーナ・リッチが演じるセルビーは、彼女の無邪気な外見と相まって、世間知らずで自己中心的な女の子の印象が強い。そのため、セルビーのモデルになった人物の名前が使えなかったのも納得できる。映画としては非常に印象深いものだが、もしアイリーンがこの作品を観たらどんな気持ちになるのだろう。シャーリーズ・セロンの役作りに対する妥協のない姿勢が素晴らしい。眉毛を剃っているせいか、どこかミア・ゴスを思わせる雰囲気がある。
〖サスペンス:アメリカ映画〗
アメリカの犯罪史において初の女性連続殺人犯として知られるアイリーン・ウォーノスの衝撃の実態を描いたサスペンス映画です。え?シャーリーズ・セロンが? 本当に?と思わず驚く場面が満載です!
2025年2,106本目
#2025年鑑賞 #サスペンス #アメリカ映画 #2003年製作 #シャーリーズ・セロン #クリスティーナ・リッチ
シャーリーズ・セロンの演技は本当に巧みで、まるでアイリーンを演じているかのよう。徹底的に研究したのだろうと感じる表情の再現も非常によく似ている。家庭環境が悪いと人生に影響を及ぼすのだろうか。それでも、ただ幸せな人生を送りたいだけなのに
アイリーン・ウォーノスをテーマにした映画は、観客の共感を引き出す演出が印象的です。作中では彼女の内面的葛藤や恋人との関係がクローズアップされ、過去の被害や心理的苦悩が描かれることで、ウォーノスに対する同情的な視点が生まれます。しかし、実際の歴史と照らし合わせると、これらの描写にはかなりの脚色があることが明らかになります。
ウォーノス自身は、殺人には金銭的な動機があったことを認めており、映画が描くような内面的葛藤や道徳的苦悩についての記録はほとんど存在しません。最初の殺人についても「レイプされそうになったため防衛として撃った」と主張していますが、実際には被害者は後方から撃たれており、証言や事件の状況は食い違っています。また、インタビュー映像を見る限り、映画で描かれるような人間的な側面はほとんど見受けられず、彼女が快楽的に殺人を行った可能性も考慮すべきです。
この映画は、実際の事件や人物像を美化し、ドラマティックに再構成していますが、完成度は非常に高く、シャーリーズ・セロンの演技も素晴らしいです。史実との違いを理解した上で観ることで、事実とフィクションの境界について考えさせられる、非常に魅力的な作品となっています。
父の自殺後、弟妹を支えるために10代から娼婦として生計を立ててきたリーと、家族の支えを受けて他人の力で生きてきたセルビー。リーは幼少期の性的虐待と娼婦としての経験を重ねるうちに、数多くの男性客と接することで男性への深い苦手意識を培っている。二人の背景を時系列で重ねて読むと、その過酷さがより鮮明になる。愛するセルビーと出会い幸福を得ようとする一方で、悪いと知りつつも泥沼にはまっていくリーの姿は切なく、特に恋人から娼婦の仕事を頼りに生活される場面が最も辛い。セルビーと暮らすようになってからは、性行為への抵抗感が芽生え、客の妻や子どものことを口にする場面が増え、心の変化が少しずつ形を取っていく。ギプスが取れても自分で稼ごうとせず、リーのせいにするセルビーの姿も印象的だ。自分勝手な言動を繰り返しながらも愛し続けるリーの魅力は一体どこにあるのだろうか。死刑直前の発言から、この映画の制作自体が彼女にとって必ずしも望んだものではなかったのかもしれない。
シャーリーズ・セロンの圧倒的な演技力が光る。実話をもとにしたドラマ『Monster』は、私の予想を覆す展開で心を掴まれた。リーが就活するシーンは特に印象的で、セルビーとの関係性には複雑な距離感が漂う。セルビーは一見素直で純粋にも映るが、子供っぽい一面もあり、リーを巡るやり取りには思わず目が離せなかった。物語が進むにつれて、セルビーがリーを心から愛していたのかは揺れ動く感情として伝わってくる。事件の背景を調べると、1年足らずで7人を殺害したとされる衝撃の事実が分かる。映画のテンポが良いせいか、もっと多くの犠牲者がいたのではと感じる場面もあった。もちろんリーは悪い人物だが、彼女のバックボーンを知ると同情の感情が芽生える瞬間もある。裁判シーンでのセルビーには強い怒りを覚えた。シャーリーズ・セロンが本作で主演女優賞を受賞したのも納得できるほどの圧倒的な存在感と引き込まれる演技だった。役作りへのこだわりも徹底しており、さすがの一言。総じて、セロンの演技こそ本作の最大の魅力であり、見る者の心に長く残る作品だ。
年齢にふさわしくない、不良娘のような振る舞いを見せるリー。彼女は常に虚勢を張り、相手に舐められないよう睨みを利かせ、周囲を威嚇する。社会性は13歳のままで、自らの存在価値を売春以外に見出せずにいるが、そもそも社会の一員としての自覚が育っていない。面接での不合格シーンは、彼女の未熟さを痛感させ、その残酷さを際立たせる。他者への尊敬が欠け、レストランで暴れまわるリー。しかし、彼女に対する社会の扱いの中に、果たして彼女の尊厳を育むものがあったのだろうか。
冒頭でリーがフェラで得た5ドルを使って自殺していたら、物語はそこで幕を閉じていただろう。セルとの出会いによって守りたいものができ、社会性や先を見通す力がないにもかかわらず、彼女はセルを引っ張る形で前に進んでしまった。その無理な勇気こそが、後の破綻を招くことになる。
また、セルの他責思考は、同性愛的指向に対する社会からの矯正というストレスに根源があるように見える。虐げられている自分は被害者で無力であり、そんな環境を打破して救ってくれる存在を求めているところに、リーが現れる。彼女から見ると、リーに全て責任を押し付けているのではなく、そう見えるのならばそれは、自分を救えなかったリーの能力不足である。そして逆に、リーを信じて救われなかった自分もまた被害者だ。しかし皮肉なことに、これはリーがセリを救いを求めていたことからも明らかに、互いに依存し合う関係にあり、両者が「してもらう側」でも「与える側」でもなかったこと(リーはそれに気づいていたが方法を誤った)が破滅の根本原因であったと言える。
シャーリーズ・セロンの体重増加とメイクは、見た目の変化だけでなく、内面からの憑依型演技としてアカデミー賞を受賞する理由も頷ける。クリスティーナ・リッチはセロンよりも小柄で、少女のあどけなさを残しつつも、リーからの愛情を巧妙に利用する狡猾さを見せ、2人の対比が映画の魅力を引き立てている。
2002年に死刑が執行され、2003年に公開されたことも驚きであり、映画全体に漂う時代の雰囲気も素晴らしい。
シャーリーズ・セロンが素晴らしい。
映画を観た後、アイリーン・ウォーノスの実際の事件を調べてみたが、その顔が彼女とあまりにも似ていて驚いた。体重を13キロも増やしたとのことだ。
愛に依存していた彼女にとって、出会いは救いでありながら、同時に引き金ともなったのかもしれない。彼女は7人を殺害したが、それは許される行為ではない。
しかし薬物注射による処刑と知ったとき、せめて最初に意識を失っていることを願ってしまう。
アメリカで実在した、娼婦が連続殺人を犯した事件を軸に、人間性・過去・未来を深く見つめる物語。生きることの難しさと希望の光を強く映し出し、観る者の心に深い印象を残す秀作だ。
本作でアカデミー賞主演女優賞を獲得したシャーリーズ・セロンは、圧倒的な存在感と怪演で終盤にかけて特に強烈な印象を放つ。
以下、ネタバレを含む感想を整理する。
冒頭から重そうだと予感させつつ、二人の関係がどう発展するのかを見守る展開。恋の普遍性や娼婦という社会的視線、そして当事者の再生の難しさとその心情が、次第に観客の心を捉えていく。
「恋をしてその人といたい」という気持ちと、「味方となる人がいればいい」という希望が交錯し、それがうまくいかない歯がゆさが際立つ。
娼婦に対する視線については、以前観たイラン映画の「聖地には蜘蛛が巣を張る」という題材や、SNSで話題となった元セクシー女優のウェディングドレス姿といったエピソードが、身近に感じられる形でリンクしてくる。
そして当人たちは勝手で放置できない現実と向き合い、社会のレールから外れた人々が直面する復帰の難しさや周囲の拒絶反応を痛感させられる。
仕事がうまくいかず連続殺人へと至る過程は、やがて初めてでという恨みのない男性との出会い、そして憎しみとは無縁のうちに殺してしまう優しい人物(警察官)との歯車の噛み合わせを描き、主人公を容赦なく追い詰める。終盤は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を思わせるが、本作のメッセージはそれ以上に強く心に刺さる。性産業を描く作品としての鋭い社会性と、アカデミー賞級の緊密さが際立つ。
最後はあっさりと逮捕されるが、主人公視点の物語としてそれでよいと感じる。とはいえ私には生きる術がこれだったというセリフは強烈で、生きる道を他人に正すのは簡単ではないという現実を、観客に強く突きつける。SNS時代の風潮にも通じるテーマだ。
現代日本にも通じる「向こう側の人間」と「こちら側の人間」という格差の断絶は、言葉にされずとも確かに存在している。ラストの警察の録音シーンで、泣き崩れる少女と全てを背負う主人公の対比は、これまでの不甲斐なさを超えて純粋な愛の結晶を浮かび上がらせる。裁判後も服役中も主人公の性格が変わらなかった点は、物語のリアリティを高めている。
救いの多い作品ではないが、ひとりの女性が生きる道を模索し、愛と救いを求めてもがく姿を通して、感情の起伏と生きる意味を強く照らす忘れられない一本だった。シャーリーズ・セロンの圧巻の演技が、物語を最後まで引き締めていた。