2022年6月11日に公開の映画「スープとイデオロギー」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「スープとイデオロギー」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
スープとイデオロギーが視聴できる動画配信サービス
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スープとイデオロギーのあらすじ
大阪・生野区に生まれ育った在日コリアンのオモニ(母)。2009年にアボジ(父)を亡くして以来、大阪で一人暮らしを続けている。ある夏の日、朝から台所に立ったオモニは、高麗人参と豊富なニンニクを詰めた丸鶏を手間暇かけて煮込む。それは、婚約者カオルさんを迎えるための特製スープだった。新しい家族へ伝えるための大切なレシピ。そして、突然語り始めた「済州4・3事件」の悲劇。アルツハイマーによって記憶が薄れていく母を、ヨンヒは70年ぶりに春の済州島へ連れて行くことを決意する。
スープとイデオロギーの詳細情報
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スープとイデオロギーの公式PVや予告編動画
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スープとイデオロギーを無料で見る方法は?
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感想・レビュー
日本生まれの美しいお母さん。済州島4・3事件の記憶をよく覚えており、詳しく語ってくれます。3人の息子と1人の娘をもうけたが、息子たちは全員北朝鮮へ送られたそうです。長男は強制的に連れて行かれたらしい。長男は20歳まで日本で暮らしていたが、日本の生活になじむことができなかったようです。
作品にはっきりとした結論や成長は見えないけれど、それが人生そのものだ。家の匂いがくっきりと立ち上がり、温かいスープを飲みたくなる。
監督の家族に関するドキュメンタリーの第3作。
クラシック音楽とコーヒーが好きな長兄は、北朝鮮には不向きな性格だと思われていたが、実は金日成の還暦祝いのために「人間プレゼント」として北朝鮮に指名されたという衝撃的な事実が明かされた。人間プレゼントという言葉が印象的だ。
済州島を訪れた監督が、4・3事件について真剣に理解した際に、母に対して批判的だった自分が、北朝鮮に3人もの兄を送ったことで、批判する気持ちが湧かなくなり、困惑しながら泣いていたシーンが心に強く残った。
4.3研究所で口を噤むオモニの表情思い出せないのか、思い出したくないのか、言いたくないのか
自分の父親に何があったのか、次回じっくり尋ねてみよう。
荒井カオルさんがその作品に素晴らしいエッセンスを与えている。
#映画好きと繋がりたい #ドキュメンタリー作品
オモニの話と家族の物語
劇場公開を逃していた作品を、ようやく配信で鑑賞することができました。
このドキュメンタリーには、朝鮮籍のオモニ、韓国籍の娘、そして日本人の婿が登場します。彼らはそれぞれ異なる国籍を持ち、信じるイデオロギーも多様です。それでも彼らは家族として共に生きています。異なる背景を持つ者同士が、それぞれの事情を理解し合い、尊重し合う姿勢は、平和な社会の実現に繋がるかもしれません。しかし、現実の世界はそう簡単ではありません。
本作はヤン監督による家族三部作の最終章です。監督は以前、オモニを撮影しないと断言していましたが、世話をする人がいなくなったことで、彼女の本音が少しずつ垣間見えるようになったのです。物語の発端は、アボジの前にフィアンセがいたという話から始まりますが、それは朝鮮半島の悲劇へと繋がります。
済州島四・三事件は近代朝鮮の黒歴史であり、多くの無実の人々が虐殺された痛ましい出来事です。当時、韓国の共産主義者の武装蜂起に対し、李承晩政権は武力で鎮圧を試み、その際に無関係な村人たちが無差別に殺されました。そこには大阪から疎開していた十代のオモニがいたのです。
彼女の婚約者は仲間を助けるため山に立てこもり、帰らぬ人となった。そしてオモニは弟妹を連れ、必死に島を脱出しました。道中では、虐殺された村人たちの遺体が山積みにされていたといいます。オモニの壮絶な体験は、娘であるヤン監督にも、なぜ母が韓国やアメリカを嫌い、北朝鮮に傾倒したのかを理解させました。
このような悲劇に直面したオモニが、祖国韓国を信じることは難しかったでしょう。北朝鮮を新たな希望として見出そうとする彼女の気持ちを、娘は深く理解することができたのです。
しかし、過去を告白したオモニは、その後急速に認知症が進行しました。済州島での記憶を呼び起こそうと試みても、詳細はまったく浮かばないようでした。彼女は過去の辛い経験を心に閉じ込め、自身を守ろうとしているようにも見えました。忘却はオモニの自己防衛だったのかもしれません。
日本で育ち、差別と貧困、そして戦争を経て故郷に疎開しなおも壮絶な経験をしたオモニ。彼女の気さくで明るい笑顔は、計り知れない苦難を背負ってきたことを教えてくれました。
認知症が進行したオモニは、亡きアボジや家族の名を呼び続けます。彼女は、実際には共に過ごしたことのない家族と一緒に暮らしている妄想の中にいるのでしょう。それがたとえ認知症によるものであろうとも、オモニはきっと幸せだったのです。娘たちはその妄想を否定しませんでした。
ヤン監督は、長年壁に掛かっていた金親子の肖像画を外すことを決めます。オモニはそれに対してまったく気にしないと答えました。この場面は母への配慮からカットされましたが、監督はこの時オモニがイデオロギーから解放されたのではないかと感じました。肖像画のない壁は、まるで長年の重荷を取り去ったかのようにすっきりとしたものでした。オモニの参鶏湯スープのレシピも、婿に受け継がれていきました。
認知症で親が息子たちを忘れてしまうことは悲しいことだと思われるかもしれませんが、その一方で、本人にとっては解放でもあるのかもしれません。苦しみや悩みから解放され、心配事のない時間を得ることができると考えると悲しいことばかりではないのかもしれません。
オモニの忘却は自己防衛でしたが、為政者たちは忘却を許されてはいけません。済州島での虐殺は決して忘れてはならない出来事です。国は過去の過ちを認め、その事実を後世に伝えるために、その場所を保存し慰霊碑を建立しました。
在日コリアンの人々の壮絶な過去については、今を生きる若者たちにとってなかなか理解されていない部分もあります。地元大阪のコリアンタウンが韓流ブームで賑わう中で、昔から住むオモニたちの悲しい歴史を知る人は少ないのです。
ドキュメンタリーは、そのテーマに対する関心や知識がなければ魅力が半減してしまう。今回の場合もそうだった。監督の前作を観ていれば、もっと没入感が得られたのかもしれない。カオルさんについても、さまざまなことが気になる存在だ.
済州で4.3事件を経験しただけでなく、日本で出会った旦那さんが北朝鮮の方で、息子を送り出さなければならないという運命は、文字通り非常に厳しいものです。それでも、彼女は明るい表情で参鶏湯を作っており、心からの尊敬を覚えました。
監督ヤン・ヨンヒは、戦争と分断を生き抜いた母の姿と正面から向き合う。思想という仮面(ペルソナ)の下に隠れてきた痛みを、娘の視点で浮かび上がらせる。カメラは作家としての視線と娘としての感情を行き来させ、感情と理性、記憶と思想を一つの器に溶かしていく。構成は静謐で控えめだが、芯には戦争・植民地主義・家族という大きなテーマが横たわる。さらに、どの立場にも偏らず「人間としての母」だけを見つめるという繊細なバランスを、最後まで崩さず貫く。煮立つ鍋の音と沈黙のあいだで、イデオロギーは溶け、記憶と生命だけが残る。劇的な和解や過度な感動の演出はないが、その静けさの中で娘は対立してきた母を内なる自己へと統合していく。沈黙の重さを受け止める力が観客に求められる難しさはあるが、それは弱点ではなく、表現としての覚悟だ。派手さより深さで勝負する、極めて誠実で希有なドキュメンタリー。
自宅で作る参鶏湯スープ。たっぷり入れた青森産の大蒜が香りを立てる光景は、娘の婚約者を迎えるためのスープとしても格別だ。故郷の味でオモニの気持ちを温めるその手仕事の映像には、皺のように深く柔らかな温もりが宿り、人間の温度を直に感じさせる。
この映画を観るまで、済州島の四・三事件について自分の知識はほとんどなかった。ヨンヒ監督自身も、母の語りを聴くまでそうだったのだろう。街のつながり方、北朝鮮の活動家だった両親、朝鮮学校での教育、兄たちの北への献上、そして死を経て。生まれてからずっと自分の国籍・ルーツ・アイデンティティ・表現・政治思想を問い続ける環境にあったことを思うと、胸が痛む。
ここからは、私が調べた歴史の要点を整理しておく。済州島は韓国の沿岸部から日本海へと突き出た辺境の島で、海産物の公納を課す制度があり、搾取が過酷になると島民は海を離れて暮らすようになった。1629年には全島民の出陸禁止令が出された。1910年の日韓併合以後、日本の植民地となり、多くの漁師が移住。漁業は日本人管理者の下で行われ、島民は苦難を強いられた。出陸禁止令が緩和されると、大半は大阪をはじめとする日本の工業地帯へ移住していった。オモニも済州島出身だが大阪で生まれ、日本の戦局が激化する中、済州への疎外感を抱えた。さらに済州では軍事政権下で島民が虐殺され、島は焼き尽くされ、島民の五人に一人が命を落とした。オモニの婚約者が政権に反対して処刑されたため居場所を失い、幼い兄弟とともに密航船で日本へ戻る。日本にいる祖母の手配だった。この経験を経て、統一と発展を信じて総連の活動家として家族を守り続け、息子たちを北へ送り出したのだろう。知ることは「世界にそれが存在する」という現実を受け止めること、知らないことは「世界には存在しない」という虚構を生むこと。たとえこれが歴史の一欠片にすぎなくても、私は涙をこらえられなかった。