2020年3月20日に公開の映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実が視聴できる動画配信サービス
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三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のあらすじ
1968年、大学の不正運営に反対して結集した学生による全国的な運動、特に東大全共闘と呼ばれる武闘派の集団に、文学者の三島由紀夫が一人で立ち向かう姿があった。この伝説的な「三島由紀夫 VS 東大全共闘」の記録を高精細な映像で復元し、当時の関係者や現代の文学者、ジャーナリストらの貴重な証言を集めることで、約50年を経た今、その全貌がついに明らかになる。
三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実の詳細情報
「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
監督 | 豊島圭介 |
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出演者 | 三島由紀夫 内田樹 原昭弘 宮澤章友 小川邦雄 小熊英二 平野啓一郎 木村修 椎根和 橋爪大三郎 清水寛 瀬戸内寂聴 篠原裕 芥正彦 |
カテゴリー | 映画 |
ジャンル | ドキュメンタリー |
制作国 | 日本 |
公開日 | 2020年3月20日 |
上映時間 | 108分 |
三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実の公式PVや予告編動画
「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実を無料で見る方法は?
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感想・レビュー
自分が他人をどう認識しているのか、なぜ自分が他人ではなく自分であるのかという違いと理由を、わかりやすく理解して伝えられるようになりたい
作中の討論会記録映像は興味深いが、映画としては評価が低い。
多くの人が今作をテレビ番組のように捉え、一般的なドキュメンタリー映画としての価値を見出せていないのかもしれない。そのため、面白い作品が多く存在するにもかかわらず、ドキュメンタリー映画はあまり注目されていないのではないだろうか。
時代の熱気を感じる
激しい議論になるかと思いきや、三島は冷静にユーモアを交えながら話す。
討論は哲学的で少々難解だったが、三島も学生たちもお互いにリスペクトを持って臨んでいたのだなぁ。
すごい人だ。正直、思想が強い陰謀論者かと思っていたが、それを上回る説得力を持つ。理論はクリアで、万人が理解できるように整理された演説を、こんなにも上手く組み立てられる人がいるのかと感心する。声の抑揚は最小限で淡々としているのに、圧倒的なカリスマ性を放つ。全てを見下しているような雰囲気も感じさせるが。現代のSNS時代に三島由紀夫がいたら、変にカルト的人気が生まれそうだ。実際、今も右翼のアイコンとして語られることがある。「暴力とエロチズムは他者にしか発動しない」という考えにも言及しておく。
途中で理解しづらい部分もあるが、それは私の知識不足によるもので、このドキュメンタリーは価値のある作品だと感じる。
素晴らしい体験だった。六十年代の熱気を感じられるドキュメンタリーだった。あの時代の活気は非常に羨ましい。
ある意味、集団ヒステリーのような妖しさを持ったエネルギーが900番教室に満ちていた。
その中で、本当に革命の使命に燃えていた学生はどれだけいただろうか。
教室には三島由紀夫と約1000人の学生が集まっていた。興奮した群衆を前にしても、三島の表情には動揺が見られなかった。
彼の言葉は、対立や説得とは言えない、むしろ自己表現に近いものだった。三島由紀夫がその場に現れ、生身の人間として語りかける。これが学生たちにとって何よりも心の安らぎをもたらしたに違いない。
芥氏が現れると、場の緊張は最高潮に達した。主体、他者、エロティシズム、目的論、時間、空間、自然、開放区、関係、名付け、天皇などについて、曖昧な討論が続いていった。
三島は学生の意見に耳を傾け、理解しようとし、補足を行っていた。
それは右や左といった争点ではなかった。強いて言うなら、「良く生きるため」の意見交換だったのだ。当時の世代は、自らの生きる責任をどこに求めるべきかを考えたに違いない。祖国なのか、芸術なのか、家族なのか、それとも…。その選択の正当性をどこに見出せるのか。
学生たちの苛立ちは、そうした実存的な問題に起因するだろう。
三島にとって、それは明瞭であり、「日本国」ということに集約される。だからこそ、当時の学生から見れば、彼が体制の象徴のように見えたのも理解できる。
対立は依然として存在したが、討論の終わりには最初の緊張感が和らぎ、900番教室には和やかな雰囲気が流れていた。
それはなぜだろう。結局、人と人との信頼の問題だったと思う。三島の表情、声、応答が、学生たちの安堵を引き起こしたのだ。そんな素朴な理解はどうだろうか。
「言葉に羽が生えて教室内を飛び回った」と三島は言った。この討論会は、まさにそのような言論の強さが輝いた瞬間だったのだ。
現実は言葉によって築かれる。暴力が唯一の現実的手段であるという結論を三島は回避することに成功した。文学者・三島由紀夫が最も輝いた瞬間と言えるだろう。
相方と深夜の鑑賞会を楽しむ。
「映像の世紀」なんて最高だよね。
東大全共闘と作家の三島由紀夫が議論を交わす場面に、現代の当事者や文化人が様々にコメントする形で構成されている。
東大生がどんどん意見を述べる中、瞬時に理解し、丁寧かつユーモラスに応答する三島由紀夫の高貴さには圧倒される!
東大生たちもさすがの知性。
論じるとはこうあるべきだと思う。
朝まで生テレビの大島渚のような激昂は全く感じられないw
両者とも、60年代の熱い思いを胸に抱いていた雰囲気が伝わってきた。
三島由紀夫、あんな選択をしなくてもよかったのに。
昭和以降も生きていたら、彼は何を考えていただろう。
ユーモアも混じる談義には終始緊張感が漂い、認識論や外側へ向けた関係性、天皇論といった話題が興味深く展開した。どれも魅力的だったが、すべてを咀嚼するには余力が足りなかった。ゴシップに時間を割くより、もう少し分かりやすく整理してほしかったが、これは一つのエンタメとして割り切るしかない。芥正彦のオーラは三島に引けを取らないほど強烈だった。暴力が生じるのは、他者が主体を見てしまう視点に由来するという指摘は的を射ており、争いの核を捉えているように感じられた。言葉を冷静に見極めつつも、言葉そのものの沼へ足を踏み入れる三島の振る舞いは、さすが小説家と感嘆させる。こんな人物が日本に実在したのかと驚く。建設的だったかどうかは分からないが、双方が理性を保って接していた点には、幼稚な指摘を除けば好感を持てた。
自分の知識が不十分で、理解しきれない部分が多かった。
ぜひ再度見たい。
「大人と子供の討論会」
約50年前に開催された東京大学の討論会を題材にしたドキュメンタリー作品です。過去の映像に加え、現代のインタビューを挿入することで、観客を飽きさせない工夫が施されています。また、難解な用語や場面には適切な解説テロップが付けられ、作品全体が丁寧に仕上げられています。単なる過去映像の編集に留まらない、深みのある内容となっています。現代パートのインタビューも絶妙で、監督のセンスが光ります。
討論会の印象としては、やはり「大人と子供の討論」といった感じです。三島由紀夫が東大生たちを圧倒的に凌駕しているのは彼の議論の内容によるものではなく、「相手の話をじっくり聞く姿勢」や「他者の価値観を否定しない態度」に見えます。討論の終盤では学生から究極の二択を求められ、その反応も見事でした。論客・三島由紀夫の大人らしさには心を打たれました。
もちろん、子供の意見が必ずしも間違いではなく、大人の意見が正しいとも限りません。しかし、現代の日本は三島由紀夫が懸念していた通りの姿になってしまっています。劇中でも描かれていた通り、東大全共闘の学生たちの「想い」は、今の日本と強く結びついています。
「争うことすらしなかった次の世代」や「争うこと自体を奪われた孫の世代」を考えると、「争った世代」と論じる三島由紀夫の姿がどこか楽しげで、心に響く作品です。