2020年1月25日に公開の映画「彼らは生きていた/ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「彼らは生きていた/ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
彼らは生きていた/ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールドが視聴できる動画配信サービス
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彼らは生きていた/ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールドのあらすじ
第一次世界大戦の終戦から100年が経過したことを記念して、イギリスで実施された芸術プログラム「14-18NOW」と帝国戦争博物館が共同制作したドキュメンタリー映画が誕生しました。この映画は、帝国戦争博物館に保存された記録映像を再構築して制作されています。
彼らは生きていた/ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールドの詳細情報
「彼らは生きていた/ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
監督 | ピーター・ジャクソン |
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カテゴリー | 映画 |
ジャンル | ドキュメンタリー |
制作国 | イギリス ニュージーランド |
公開日 | 2020年1月25日 |
上映時間 | 99分 |
彼らは生きていた/ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールドの公式PVや予告編動画
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彼らは生きていた/ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールドを無料で見る方法は?
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感想・レビュー
「実体験を淡々と」
これはドキュメンタリー作品であり、貴重な映像記録(モノクロフィルム)にカラーが加えられて編集されています。非常に実験的な内容です。映画が「後世にフィルムを残す」という役割を考えると、特に価値のある作品かもしれません。
内容は「NHKスペシャル」と似ていて、ドキュメンタリー形式なので余計なドラマ演出はなく、体験者が事実を淡々と語ります。そのため、事実としての恐怖が伝わってきます。また、皆さんが推奨されている『1917』と一緒に観ることをお勧めします。
まず、タイトルについて言及したい。日本語のタイトルは『彼らは生きていた』だが、英語の原題は「彼らは歳をとらない」と訳され、第一次世界大戦で命を失った兵士たちを指している。調べると、このタイトルは1914年にローレンス・ビニョンが詠んだ詩「戦没者のために」に由来し、「残された私たちが年をとっても、彼らは年をとらない」という一節がその根幹を成している(参考: wiki)。日本語版のタイトルに誤訳は見られないが、原題の持つ意義を考えると、この情報は冒頭に示すべきだと感じる。
本作はピーター・ジャクソン監督によるドキュメンタリーで、制作の背景には監督自身の祖父が第一次世界大戦の体験者であったことがある。サウンドトラックは戦争を生き延びた退役軍人たちの証言で構成されており、彼らの声が戦争の実態を語ることで、映画は「作品」ではなく「記憶」としての意義を持つと感じた。
技術的にも革新的である。元々は白黒の記録映像にカラーを施し、兵士たちの口の動きを読んで声を付けることで、「過去の映像」を「生きた記録」に変えている。彼らの言葉は時には世間話や、仲間への呼びかけとして耳に入ってくる。過去の映像でありながら、彼らは本当に生き生きとした存在感を放っている。
映像は、数分前には食事をしていたり、仲間と和気藹々と過ごしているが、その後には爆発の衝撃や無惨な姿が映し出される。比較は避けたいが、この描写は単なる「グロテスクな映像」とは異なり、「現実の断片」なのである。ホラー映画とは一線を画し、戦争の記憶として受け止めるべき部分であり、苦手であっても全員が観るべきだと考える。
特に印象的だったのは、映像に映る兵士たちが笑顔を見せるシーンの多さである。前線にいながらもカメラに向かって笑いかけたり、仲間同士で冗談を交わす姿が何度も登場する。インタビューでは、当時の生活や笑い話が語られ、彼らの日常が垣間見える。入隊時には「少年」であった彼らが、戦場では「兵士」として振る舞わざるを得なかった。その声を、戦後に年老いた彼らから聞くことには、特別な感慨がある。
そして思わず思いを馳せるのは、記録に残らなかった「歳をとれなかった」兵士たちが生き延びていたら、どんな物語を語っただろうかということである。映画を観終えた後、心に残ったのはその問いだった。
私自身、本作は家族史と重なった。大祖父と祖父も、第一次・第二次世界大戦に参加した。しかし、直接その体験を聞くことなく彼らは亡くなった。祖父が亡くなった時は私がまだ若く、きっと当時聞いても語られなかったと感じる。幸いにも父は祖父から多くの話を聞き取っていたため、この作品を観て多くを学ぶことができた。しかし、もし自分も話を聞けていたならと思わざるを得ない。このため、ジャクソン監督がこのドキュメンタリーを制作してくれたことに感謝している。彼の作品を通じて、直接ではないにせよ、当時の兵士たちの記憶に触れることができた。
現代技術が生み出すリアルな感覚。
戦争とはなぜ存在するのだろうか?
史上でも稀有といえる大規模な国民国家同士の戦争を描く。
『西部戦線異状なし』や『映像の世紀』でさえ感じ取れなかった塹壕の現実と心理的距離を、本作はついに近づける。
塹壕を膠着させるためだけに命を落とし、人格を削り取られ続けた2000万人の現実に、強いリアリティを照らし出す。
これまでの戦争描写にはなかった、運だけが生死を分ける戦略なき物量戦。
戦場の深い絶望の背後で進む世論の転換は、虚無そのものだった。
戦争を知らない世代が遊び感覚で志願し、動員が大規模化して大戦へと発展した歴史を踏まえると、現代の時代に戦争が起きて徴兵が必要になった場合、反戦教育を受け戦争の恐怖を身につけている現代人から兵士を募るのは難しいのではないかと予想される。貴重な映像であることは理解しているが、AIが示す不気味さがどうしても気になり、集中できなかった。
ピーター・ジャクソン監督が描く戦場の真実。『クリスマスまでには終わるだろう』と楽観的な声で戦場へ向かった若者たちは、終わりの見えない塹壕戦という地獄に直面する。地表をのぞけばすぐに撃たれ、前へ進むほど敵の銃撃、退けば味方の砲撃。狂気と紙一重の状況の中、兵士たちは理性を削られつつも、命じられた通り前へと進む。だが、一度捕虜になれば、敵兵と笑い合う瞬間さえ訪れる。家族の話をし、戦争を終わらせたいと互いに打ち明けるこの戦争は、誰のためのものだったのか。命令に従うしかない兵士たちの顔には、疲労・恐怖・諦念が刻まれ、デジタル修復によって鮮やかな映像でよみがえる。歴史の教科書には載らない、ひとりの兵士としての戦争のリアルが、ここにある。
導入はよくあるWWのドキュメンタリーかと思いきや、戦場に到着した瞬間から本領を発揮する。カラー化とワイドな画角が生む臨場感は、まるで戦争映画を見ているかのようだ。モノクロ映像をカラーにする手法は珍しくないが、本作は群を抜く仕上がり。カラー映像をただ見せるだけでなく、実際に戦闘に参加した兵士の証言をふんだんに折り込み、戦場の凄惨さと過酷な環境を強く伝える。さらに当時のプロパガンダポスターや風刺イラストを織り交ぜ、なぜ彼らが志願したのか、戦場では何を考えていたのかを克明に記録するドキュメンタリーの傑作となっている。映像の語り部分は読唇術で何を話していたかを解析し、アフレコで補足する形で再現されたとのこと。最初は音声すら残っていたのかと驚いた。
兵器の進化、鉄道の発展、そしてナショナリズムが融合した結果はあまりにも悲劇的である。
生々しい現実から目を背けられない事実がある。前線では敵同士の絆も育まれる一方で、仲間の遺体を踏み越えて戦うこともある。この世は明らかに異常だ。正義とは無関係に銃弾が飛び交い、18歳の少年を撃った後の酒を酌み交うエピソードが胸に響く。彼らは確かに生きていた。その死も生も決して無駄ではないが、戦争がいかに許されざるものであるかを改めて痛感させられる。
終戦直後に生還した兵士と市民の間には、想像を超えるギャップがあった。
戦闘の迫力も圧倒的だった。
観て記憶に刻んで本当に良かった。