2012年7月7日に公開の映画「グスコーブドリの伝記」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「グスコーブドリの伝記」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
グスコーブドリの伝記が視聴できる動画配信サービス
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グスコーブドリの伝記のあらすじ
美しきイーハトーヴの森で、ブドリは両親と妹のネリとともに幸せに暮らしていた。しかし冷害が森を凍らせ、食料は枯渇。家族は離れ離れとなり、妹ネリは謎の男“コトリ”に攫われてしまう。力尽きたブドリを救ったのは、てぐす工場の工場主だった。彼のもとで働くうちに技を覚えるブドリだが、仕事が終わると再びひとりぼっちに戻る。里へと下ると赤ひげのオリザ畑で働くが、寒さと旱魃の影響で畑は甚大な被害を受け、人を雇えなくなる。ブドリは旅に出る決意を固める。銀河ステーションでネリに似た少女を見かけ、必死に追いかけるも姿を見失う。イーハトーヴ市へと辿り着いたブドリは、クーボー博士と出会い、彼の紹介で火山局に勤めることになる。所長ペンネンナームの厳しくも温かな指導のもと、局員として逞しく成長していくブドリ。しかし再び冷害が襲来。博士の助言を胸に、“ボクにもできることがある”と決意した彼は、故郷と大切なみんなのために、ある選択をする――。
グスコーブドリの伝記の詳細情報
「グスコーブドリの伝記」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
原作者 | 宮沢賢治 |
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監督 | 杉井ギサブロー |
脚本家 | 杉井ギサブロー |
主題歌・挿入歌 | 小田和正 |
出演者 | 佐々木蔵之介 小栗旬 忽那汐里 林家正蔵(9代目) 林隆三 柄本明 草刈民代 |
カテゴリー | 映画 |
ジャンル | アニメ |
制作国 | 日本 |
公開日 | 2012年7月7日 |
上映時間 | 108分 |
グスコーブドリの伝記の公式PVや予告編動画
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グスコーブドリの伝記を無料で見る方法は?
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感想・レビュー
捉えがたい作品だった
ファンタジーと現実を行き来する。
宮沢賢治の同名児童文学を原作とする長編アニメ映画『グスコーブドリの伝記』は、映画『銀河鉄道の夜』を手掛けたスタッフが再結集して制作した作品です。監督・脚本を務めるのは杉井ギサブロー。
あらすじは、イーハトーヴの森に生まれたグスコーブドリが主人公。ある日、森から太陽が姿を消し、作物が作れなくなると森の人々は飢餓に見舞われ、やがて衰退していきます。
この作品を語るうえで、どうしても『銀河鉄道の夜』と比較してしまうのは自然なことです。原作は短編の児童文学で、宮沢賢治の作品は現在パブリックドメインとなっておりWeb上で無料で読めます。そのため、原作と映画を照らし合わせながら楽しむのも良い体験です。
本作の雑感としては、原作のメッセージを分かりやすく噛み砕きつつ、現代の観客に合わせてテンポを上げた、誰もが入りやすい作りになっていると感じました。原作と異なる点については、時代性に合わせた表現の工夫として受け止められるものが多いです。原作の結末の扱いは現代の観客に理解されにくいとの判断かもしれず、筆者自身もそう考えます。
妹の結末の変更もあり、これも悪くないアレンジだと捉えています。省略されたエピソードもあるのは事実です。
また、『銀河鉄道の夜』のアイテムが随所に登場し、ファンにはニヤリとくる演出がちりばめられています。冒頭のトマトスープの描写は相変わらず美味しそうで、こうした細部も好印象を与えます。
率直な感想を続けます。全体として、もう少し派手さを抑えた普通の映画寄りの仕上がりになっている点は賛否が分かれるところです。
キャラクター表情については、全体的に豊かな側面が見える一方で、宮沢賢治の世界は元来、感情の起伏が控えめで淡々とした描写が多いと感じます。それを本作は、無表情でボソボソと語らせる演出で再現しており、冒頭に登場する商店の親父や盲目の老人、牛乳屋の老婆といった場面は、セリフの意味をつかみづらい瞬間もあります。ただ、それが宮沢賢治の世界観を体現しているとも言えます。
ただし、映像化としては分かりやすさを優先させる現在の潮流の中で、無感情な語り口を貫くのは難しく、どこか既視感のある世界観になっている点は否めません。
視覚面でも注目点が多く、都会的シーンやメカデザイン、そして猫を追いかける不思議な世界観が和のテイストで統一され、非常に完成度が高いと感じました。背景の絵画的な表現は平面的で遠近感が崩れる箇所があり、それが『銀河鉄道の夜』の独特な絵画世界を思わせます。星座を独自解釈で描くテーマ性の強さも魅力で、プリオシン間の海岸などの描写は特に見応えがあります。
そして音楽面。細野晴臣のサウンドトラックは、この作品にとって大きな核となっています。グスコーブドリの音楽自体も聴き応えがありますが、全体として細野氏のサウンドが作品の雰囲気を格段に引き上げています。
この映画は、宮沢賢治の世界観を映像化した奇跡の一本と言えるでしょう。グスコーブドリもよくできてはいますが、賢治の物語自体が人を選ぶ性質のため、この映画もやはり観客を選ぶ側面があるのかもしれません。
結局のところ、『銀河鉄道の夜』はやはり奇跡の映画だと再認識します。
総評として、宮沢賢治の人生そのものをエンタメとして描く力があり、自己犠牲のテーマに惹かれる人には響く作品です。よだかの星のような素朴で力強い作品が好きな人には特におすすめします。
2025年-旧051
独特な世界観
原作を読まずに観たせいか、かなり置いてけぼりに感じました
主人公が生きていない感じが弱く、退屈にしかならない。表情も動かず、声の抑揚も乏しい。宮沢賢治の『人間から少し距離のある視点』を狙ったのかもしれないが、浮きすぎて違和感が拭えない。映像化の意図がいまひとつ伝わらず、ただ見せるだけなら小説のままで十分だ。宮沢賢治の作品には自己陶酔的な読者が多いが、今回もその傾向が強く感じられる。
絵本か映画か、ネリが時空の狭間へ永遠に連れ去られてしまったような印象を、改めて思い返していた。
この映画が流れる部屋そのものの空間がいい。細田守の映画に感じるような、内容を理解していても雰囲気だけ味わうために部屋で流しておく感じ。
童話だから腑に落ちなかったり、脈絡を感じにくいカオスな場面があるかもしれないが、そうした物語の型に嵌まらない宮沢賢治の自由な空想の世界が心に沁みる。
むかし見たときにはあまりこの映像の魅力が分からなかったが、今見てみると要素が独立した魅力をもちつつ、まとまりがあってかなり好きな世界観だ。
清らかに生きようとする姿勢をもつ人には痛いほどわかる宮沢賢治の精神性。
単純化して理解したような気にならないほうがいい。
(自己犠牲は使い古されており、この言葉に寄ってたかって過剰に反対する人には理解できない。心の有り様を漢字四文字で表せるわけがないのに。)
ベッドに潜って横になり、部屋を暗くして観るのがおすすめ。狭いほうがより深く染みる。
過去の観賞記録
映画天国(日テレ)
録画日:2014年5月6日
期待して見たが、残念な結果だったようだ。
急な要約感が漂う。
ストーリーのテーマに関しては、宮沢賢治の生い立ちや土地の風土が背景にあり、この雰囲気(不幸に直面した際の過剰な自己犠牲と諦めの態度)が根底にあるように感じる。
映画としては、物足りなさが残る仕上がりとなっている。
原作と映像との間にギャップがあるのかもしれない。
宮沢賢治は、自分を犠牲にしてしまうほどの自己犠牲を重ねていたことを思い出した。
そういえば、彼には妹を亡くしていたのだった。
腑に落ちない点が多い。戦時中のマインドを押し付けるような説教が始まっていて、単なる時代錯誤だと片づけられない。現代の日本と世界の情勢を踏まえてこれを見ると、どうしてもイライラしてしまう。勤勉で都合よく扱われる「犬のような存在」にされるべきだと言われているようで、腹立たしくてしかたない。自己犠牲のもとで人が死ぬことが美化されるのも、ひとミリも受け入れられない。絶対に反対だ。中等部の現国の時間に観た銀河鉄道はあんなに良かったのに、と思わず泣いてしまう。映画としての問題というよりは、このお話自体の根本的な問題だと感じる。アニメーションの表現はかわいく、猫のキャラクターが良かった。塔の中の場面の光の描き方は不思議でとても良く、コマ撮りと混ざっているため質感が微妙に異なり、少し違和感を覚えた。思考停止の状態で観たほうがよかったのかもしれない。眠くなることもある。
とても良かった。
宮沢賢治は『銀河鉄道の夜』にも見られるように、自己犠牲を理想的な行動として捉え、それを物語に反映させているのだろうと感じました。
登場人物たちは物語を通じて愛情がどういうものかを理解していき、その表現として自己犠牲を選んでいるように思えます。愛情表現としての自己犠牲でしょうか。愛という言葉に安易には頼れない人間像が印象的です。
一方的で真っ直ぐで、ひたむきで孤独なキャラクターにとても惹かれます。