1986年5月1日に公開の映画「ゴダールの探偵」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「ゴダールの探偵」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
ゴダールの探偵が視聴できる動画配信サービス
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ゴダールの探偵のあらすじ
パリの老舗ホテルで、中年の男性二人が若い女性を助手に迎え、ビデオカメラで窓の外を撮影している。ロビーでは、パイロットの夫が妻と口論中。部屋の中ではボクサーが若い女性たちと戯れている。また、ボクシングのプロモーターはマフィアからの借金返済に追われていた….
ゴダールの探偵の詳細情報
「ゴダールの探偵」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
監督 | ジャン=リュック・ゴダール |
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脚本家 | アラン・サルド ジャン=リュック・ゴダール フィリップ・セトボン |
出演者 | アラン・キュニー エマニュエル・セニエ クロード・ブラッスール ジャン=ピエール・レオ ジュリー・デルピー ジョニー・アリディ ナタリー・バイ ローラン・テルジェフ |
カテゴリー | 映画 |
ジャンル | ドラマ |
制作国 | フランス |
公開日 | 1986年5月1日 |
上映時間 | 105分 |
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感想・レビュー
なんとも芳醇な作品で、観る者を贅沢な気分に包み込む。映画が光と影と音の芸術であることを、改めて実感させられる。グランドホテル形式の群像劇ゆえ、誰が誰なのか、犯人が誰で被害者が誰かさえ分からなくなる瞬間が訪れるが、それもこの作品の魅力だ。コメディリリーフのジャン=ピエール・レオが場を明るくしてくれる。真剣な演技なのに、出てくるだけで画面が華やぐオーラは彼ならでは。やはりレオの存在感は素晴らしい。女優陣の魅力も画面を彩り、満足度を高める要素として印象的だ。
ストーリーが全く理解できないのに、視聴していて楽しい。
ショットの切り替えが絶妙で、心を奪われる瞬間ばかり。映像で伝えるということは、こういうことなのだろう。
多くの登場人物がいて、賑やかで愛らしい印象がある。
ジャンリュック・ゴダール監督の作品。
うーん、正直、理解に苦しんだ。
登場人物も困惑するほど分からず、物語の展開もほとんど無かった。哲学的なセリフがホテルの部屋で延々と続く様子は、ゴダールの特徴が色濃く出ていた。
しかし、映像は非常に美しい。印象的なシーンは「カルメン」ほどではないものの、いくつか存在した。
それでも、理解できないながらも、なんとか引き込まれてしまった。
音楽も断続的に流れたり止まったりし、意図がはっきりしなかった。
私個人としては「カルメン」ほどの深みは感じられず、驚くような美しい瞬間もあまり見られなかったので、この評価に。
ゴダール流のフィルムノワール。ジャン=ピエール・レオの出演が嬉しかった。
フランス語とフランス文化の学習を目的に、ジョニー・アリディを中心に視聴しています。呼吸するように難しく考えず自然体で観ると、ゴダールの不可解さが詩のように心地よく感じられ、穏やかな気分になれます。アメリカ映画の箸休めとしてとてもおすすめで、これに慣れるとハリウッド映画のコテコテで主張が強すぎる点が気になることもあります。分かりすぎるのも良くないと感じる場面もあります。終盤には部屋のテレビでジャン・コクトーの『美女と野獣』が流れて印象的でした。字幕版を視聴しています。
頭を使い尽くしたような感覚がある。この映画を観ながら、私の中で構築していく過程があったと思ったら、次のシーンではそれが崩れ去る感じがする。組み立てては壊し、また組み立てる。その繰り返しを経て、映画は終わりを迎え、残されたのはゴダールの作品を観たという印象だけだ。
それはまるで詩のような映像だった。
何と言っても、絵は立体感にあふれ、美しさが際立っている。
特にビリヤードのシーンでは、赤と緑の光が素晴らしい調和を見せていた。
盗撮や愛人、逃走、窃盗といった要素が、探偵モノの趣をクラシカルな撮影手法に散りばめている。しかし物語は掴みにくく、秘密を身体で掘り出す探偵の過激な姿を、満遍なく記録するコンピューターの象徴とともに描く謎めいた構図だ。映像はおしゃれだが、どこか既視感もあり、やはりカメラの軽やかさをもっと感じたい。ゴダールの楽しさは、一見の軽さゆえの刺激にあると感じる。ただ、ここまで作品づくりを観客に委ねる勇気には驚かされる。
カサヴェテス、ウルマー、イーストウッドに捧げる
一度だけ映る銃撃戦のクライマックス
乳にスパーリングが交錯する
ゴダールの作品の中で、特に理解が難しいと感じる。
難解さというよりは、内容の薄さとでも言うべきか。
既存の様式や慣習を避けることでこうなっているのかもしれない。
不思議とこの映画が徐々に良い作品に思えてきた。
ジュリー・デルピーの初々しさが際立っている。
ゴダールの映画は、「なにがどうなってんだ!」という混乱と「めっちゃいい!面白い!」という喜びが同時に存在する不思議さが魅力。映画の魔法を体感する瞬間だ。とりわけ印象的なのが、マフィアの台詞。「男には二種類いて、男根が清らかだからそれを汚さぬよう小便の前に手を洗う男と、(お前のように)男根が汚いから小便の後に手を洗わなければならない男がいるんだ」という言葉で、この一言だけでキャラクターが成立している。なんて素晴らしい名台詞だろう。