2015年2月21日に公開の映画「君が生きた証」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「君が生きた証」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
君が生きた証が視聴できる動画配信サービス
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君が生きた証のあらすじ
やり手の広告マン、サムは大きな契約を締結し、祝杯を挙げようと大学生の息子ジョシュを呼び寄せた。しかし、テレビに映し出されたのはジョシュの大学で発生した銃乱射事件の速報だった。ジョシュは二度と帰らぬ人になってしまった。
その2年後、会社を辞めたサムは荒れたボート生活を送っていた。そこに別れた妻が訪ねてきた。「あの子の音楽好きはあなた譲りよ」と渡されたのは、ジョシュが生前に書き溜めていた楽曲の歌詞とデモCD。曲を聴いたサムは、ジョシュの思いを何も知らなかった自分に気付く。彼はジョシュの遺したギターでその曲を演奏し始め、場末のライブバーに飛び入り参加する。酔客の中で、サムの演奏に魅了されたのが若きロック青年クエンティンだった。「この曲はもっと多くの人に聴かれるべきだ」と語るクエンティンの情熱に影響され、二人は“ラダーレス”というバンドを結成することに。
徐々に人気が高まっていくが、実はサムには喝采を浴びることができない理由があった……。
君が生きた証の詳細情報
「君が生きた証」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | ウィリアム・H・メイシー |
|---|---|
| 脚本家 | ウィリアム・H・メイシー ケイシー・トゥエンター ジェフ・ロビンソン |
| 出演者 |
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| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ 音楽 |
| 制作国 | アメリカ |
| 公開日 | 2015年2月21日 |
| 上映時間 | 105分 |
君が生きた証の公式PVや予告編動画
「君が生きた証」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
君が生きた証の楽曲
「君が生きた証」の主題歌や挿入歌、サウンドトラックを紹介します。映像だけでなく音楽からも作品の世界を感じてみましょう。
- サウンドトラックRudderless (Original Motion Picture Soundtrack) Various Artists
君が生きた証を無料で見る方法は?
「君が生きた証」を無料で視聴するなら、「U-NEXT」「Prime Video」などの無料トライアル期間を活用するのがおすすめです。
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君が生きた証のよくある質問
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Q映画『君が生きた証』のあらすじはどのようなものですか?
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A
映画『君が生きた証』は、息子を失った父親が彼の音楽活動を通じて自身と向き合う物語です。彼は息子の遺した曲を演奏しながら、感情的な再生の旅を続けます。親子の絆や喪失をテーマにした感動的な作品です。
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Q『君が生きた証』での主な登場人物は誰ですか?
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A
『君が生きた証』の主な登場人物は、息子を失った父親であるサムと、彼と共に音楽活動を支えるキャロラインです。彼らの関係は物語を進める重要な要素となっています。
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Q映画『君が生きた証』のテーマやメッセージは何ですか?
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A
『君が生きた証』のテーマは、喪失と再生です。大事な人を失った悲しみとどう向き合うか、また音楽を通じて自分自身を見つめ直す過程が描かれています。
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Q『君が生きた証』の制作に携わったスタッフについて教えてください。
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A
『君が生きた証』はウィリアム・H・メイシーが監督・脚本を担当しました。彼の演出が作品の深い感情を引き出す手助けをしています。
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Q『君が生きた証』の音楽の特徴や見どころは何ですか?
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A
『君が生きた証』では、音楽が重要な要素として使われています。息子が遺した楽曲が物語の進行と共鳴し、登場人物の感情を深く掘り下げる役割を果たしています。



君が生きた証の感想&レビュー
息子の墓石にまで落書きされるとは思っていなかった。加害者が父親だとはいえ、周囲の人がこんなに優しいとは。こんな近さの場所なら、違う国や街ならまだしも、もっと早くバレるだろうに。年齢差を理由に曲とバンドを奪われると思っていたが、そんなことにはならず、むしろ良い意味で裏切られた。加害者の曲なら受け入れ難いはずなのに、きっと大きく話題になるだろうと観ていた。
自失状態の父親は亡き息子の楽曲を通じて何を成し遂げたかったのか。名声や富ではないことは自明だが、息子を弔うこと、心のリハビリ、社会とのつながりといった課題をどう焼き直すのかが焦点になる。おそらくは、計算ずくではなく、ただ楽曲を聴いて心の赴くままに委ねた結果、逃避していた息子の死と向き合う力を父が得、別の誰かを前へ進める力へと変えたのだろう。これが私の読みである。しかし、この核が叙述トリックの仕掛けに負けてしまい、結果としてどんでん返しのジャンルに穴を空けてしまっている点は惜しい。観る者の心を揺さぶる大きな要因の一つだ。加害へ至った息子の動機や家族間の関係性といった事件の要を掘り下げる過程は、この種の作品にお決まりの展開だが、息子の事情は不自然なくらい語られない。敢えて命題を避けて伝えたかったことは一体何なのか。亡き息子の残した楽曲を父が引き継ぎ、音楽を通して再生していく軸は、音楽とバンドの絆をセラピーとして丁寧に描く。一転してからは、加害者遺族としての内省へと話が深まっていく。被害者遺族の視点を前提にすれば、どんな背景があっても時間は戻らない。だからこそ、さまざまな感情が交錯する中、輝かしい表情でバンドに向かうジョシュを許せない元カノの気持ちも理解できる。とはいえ、クエンティンが内気なナードからレザーを身にまとうバンドマンへと成長したのは確かだ。「君を息子のように思っていた」といったベタな台詞を挿む余地はあったはずだが、ここでもあえて避けているように感じる。音楽が与えた勇気が父と一人のバンドマンを前に進めたという事実だけで、作品は十分に語りきっている。鑑賞後に新たな解釈へと導くタイプの作品私は好きだ。#常連になるとエフェクターを2割引してくれるモーフィアス
大学生の息子を銃乱射事件で失った父親の物語は、崩れ落ちた生活とともに船の上での孤独な日々へと向かう。息子が残した曲を、街の小さな店でギターを手に披露する父。そこに共鳴する若者が現れ、二人は一緒に演奏を始める。次第に反響は大きくなり、二人の名前は密かに話題となっていく。父は息子の遺作を世に出すことを胸に秘めながらも、まだ見ぬ未来へ小さな希望を抱き続ける。そんな日々が続く中、物語は思わぬ波紋を呼ぶ。\n\nやがて真実が明らかになると、視点は180度ひっくり返る。息子は被害者ではなく加害者だったことが分かり、曲自体には光が宿っていたとしても、人々の受け取り方は一変する。若者たちは夢を諦めず、世界を変える力を信じてほしいそんな強いメッセージだけが、残された音と言葉に残る。\n\nそれでも父は歩みを止めない。若者には欲しがっていたギターを、世話になった夫妻には小さな船を渡し、自分は歌を歌い続ける。たとえ息子が傷つけた相手だったとしても、「そんな息子でも息子だ」と静かに受け止める父の声は、聴く者の心に深く響く。
様々な感情が湧き、エンドロールでは多くのことを考えました。音楽は、一対一の力やセラピーの力を持つもの、つまり愛そのものであると改めて感じました。そして、この音楽は本当に素晴らしかったです。
「ストーリーについて知ってる?」と暗い気持ちで尋ねたとき、「いいえ、報道されていることしか知らない」と返答が返ってきて、涙がこぼれました。報道されていることを=ストーリーと捉えていない人が、音楽を聴いて向き合ってくれたからこそ、私はやっと涙を流せたのだと思います。
様々な感情が浮かび、エンドロールを見ながら深く考えた。音楽は人と人をつなげる力や癒しの力を持っている。それが愛だと感じた。
「ストーリーを知ってる?」と、暗い気持ちで尋ねたとき、「いいえ、報道されていることしか知らない」との返事が返ってきて、思わず涙がこぼれた。報道された内容を「ストーリー」とは考えていない人が、その話に耳を傾けてくれたおかげで、やっと感情が解放されたのだ。
銃乱射事件で亡くなった息子と、それを見つめ直す父親の物語。冒頭で州立大学を襲った悲劇がニュースとして流れるが、事件の生々しい描写は抑えられている。広告代理店でエリートとして働く父は、息子がその事件に巻き込まれたとテレビで知り、物語はそこから始まる。息子が残したオリジナル曲を耳にしたことから、父と息子の絆と過去が浮かび上がり、やがて驚くべき展開へと導かれていく。なぜ父はこの結末を迎えたのか読み進めるうちに物語に引き込まれていく。作品内で奏でられる楽曲も素晴らしく、聴く者の心を深く震わせる。
やられてしまいました。
『墓場まで持っていく』とは、まさにこのこと。
途中までは割と普通の映画って感じやったけど、一気に重みを増してきたね。
同じ歌、同じ歌詞でもこんなにも感じ方が変わるなんて!
最後のシーン。普通なら嫌悪感を抱く場面かもしれないけど、父のストレートで美しい、でも少しの憎しみと悲しい息子への思いが、それを和らげていたんやと思う。
好き嫌いを超えて、親として観るべき映画だ。
銃乱射事件で息子を失った父は、被害者側だと思っていたが、実は加害者側だった。
やばい、めっちゃ泣いた。まだ絶対に共感できないし、それでも父として向き合えるかどうかの愛の試練だったのは予想外すぎて度肝を抜かれた。全ての苦しさが詰まったラストショットに置かれたマイク。これからどうすればいいのか、言葉が出ない。
どの出来事についてもあまり語られていないせいで、考えさせられる。
お父さんの立場になったら、私もお父さんと同じように歌を歌ってしまうかもしれないし、周りの人の立場ならケイトより酷いことをしてしまうかもしれない。
それにしてもサムはかっこよすぎだろ。さすがに。
レビューを読んでから視聴しました。評判が高かったため大いに期待していたのですが、私には少し外れた印象でした。ネタバレを避けた範囲で感想を述べます。見る前に情報を得てしまっていたせいで、楽しみが薄まってしまったのが残念でした。
重厚なテーマを扱った音楽映画。主人公は成功を収めた広告代理店のサム・マニング(ビリー・クラダップ)。彼には大学生の息子ジョシュがいる。ある日、ジョシュの通う大学で衝撃的な銃乱射事件が発生する。その犯人はまさかのジョシュだった。一体息子は何を思っていたのか。事件を無視し続けていたサムだが、息子が残した歌を聞くことで、ジョシュの思いに気づき、彼の音楽を歌い継ぐ。そんな中、場末のバーで音楽を愛する若者クエンティン(アントン・イェルチェン)と出会う。
簡単なあらすじを知った上で観たため、予想とは全く異なる展開に驚いた。
冒頭と結末で音楽の印象が変わり、思わず悩まされました。途中からは感情の流れが掴めなくなり、深い余韻が残りました。
序盤で『多分』と予測できたから、その視点で観ても、サムを責めるべきか迷う。そもそも会って間もない人に話せる話題ではないし、君がどう思うかも分かるけれど、どんな理由があれ擁護はできない。ただ親の立場から見れば複雑だろう。内容そのものには関係ないけれど、フェリシティ・ハフマンを久々に見られて嬉しい。『デスパレードの妻たち』以来、ローレンス・フィッシュバーンも相変わらず好きだ。やっぱり何かカッコいい 2025年63本目