1979年4月28日に公開の映画「復讐するは我にあり」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「復讐するは我にあり」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
復讐するは我にありが視聴できる動画配信サービス
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復讐するは我にありのあらすじ
ある男が微笑みながら犯罪を重ねていく!数々の映画賞を受賞した、日本映画の傑作の一つ。稀有な殺人鬼、榎津巌の犯行と人間像を描いた佐木隆三の直木賞受賞作を、名匠・今村昌平が挑んだ意欲作。九州、浜松、東京で五人を殺害し、史上最大の重要指名手配の公開捜査を逃れ、時には大学教授や弁護士を名乗り、詐欺や女性関係に明け暮れる犯罪者の生涯をエネルギッシュに描いた、日本映画史において欠かせない名作だ。二人の男を殺して逃亡する榎津巌(緒形拳)は、投身自殺を装って警察の目を欺き、次々と殺人を重ねていく。彼はやがて浜松に住むハル(小川真由美)の情夫となるが……。
復讐するは我にありの詳細情報
「復讐するは我にあり」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
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復讐するは我にありのよくある質問
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Q映画『復讐するは我にあり』のあらすじはどのようなものですか?
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A
映画『復讐するは我にあり』は、1979年に公開された今村昌平監督の作品で、実際の事件を元にしたフィクションです。主人公の榎津巌は、連続殺人犯として全国を逃亡するストーリーで、彼の内面や複雑な人間関係が描かれています。映画は彼の人生の背景や心の葛藤を深く掘り下げています。
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Q映画『復讐するは我にあり』の主要なキャラクターを教えてください。
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A
映画『復讐するは我にあり』の主要なキャラクターは、主人公の榎津巌です。彼は冷酷な連続殺人犯でありながら、内面的な葛藤や過去のトラウマを抱えた複雑な人物です。また、彼の家族や関係者もストーリーに重要な役割を果たしています。
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Q『復讐するは我にあり』のテーマやメッセージは何ですか?
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A
『復讐するは我にあり』のテーマは、人間の内面に潜む悪や、その背後にある社会的・心理的要因です。映画は、犯罪者の心理を描くことで、人間の複雑な性質と、それに影響を与える環境を鋭く問いかけます。
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Q映画『復讐するは我にあり』の制作スタッフについて教えてください。
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A
映画『復讐するは我にあり』は、今村昌平が監督し、脚本は馬場当が手掛けています。撮影は前田米造が担当し、音楽は武満徹が作曲しています。彼らのチームによって、作品は重厚で緊張感のある雰囲気を持つものに仕上がっています。
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Q『復讐するは我にあり』が評価されている理由は何ですか?
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A
『復讐するは我にあり』は、深い心理描写や社会的テーマの追及で評価されています。実際の事件を基にしたストーリーは、観客に衝撃を与え、心に残る作品として高い評価を受けています。また、俳優陣の演技力や今村昌平監督の独特の演出も評価の一因です。



復讐するは我にありの感想・評価
・ジャンル
クライム/ドラマ/エロス/バイオレンス/ロードムービー/実話ベース
・あらすじ
昭和39年1月4日、雪の降りしきる正月。榎津巌は78日間にも及ぶ逃亡の末に逮捕される発端はタバコ商とその仲間の2人を標的にした強盗殺人であった。その後も全国を巡って詐欺と殺人を繰り返す彼は、大学教授や弁護士を名乗り身分を偽り続ける逃亡生活へと身を投じる。本作はその一部始終を描く。
・感想
本作の根幹を成すのは、1963年10月から1964年1月にかけて実際に発生した通称西口彰事件である。戦後最悪の連続殺人事件として語られるこの事件を、佐木隆三の同名小説を映画化した本作はクライム/ドラマとして描き出している。
この物語を理解する上で鍵となるのは、やはり現実の事件そのものだ。詐欺と殺人を繰り返しながらも、10歳の少女に容疑が見破られるまで逮捕に至らなかったという事実は、まさに事実は小説より奇なりと言える出来事であり、創作の題材として格別の素材を提供している。加えて犯人・西口彰はクリスチャンの家庭に育ち、父親の経済的成功と病による放棄が結末へと導く複雑な背景を持つ。では、なぜ彼は犯罪へと走ったのか。
多くの分析で挙げられる契機は、寄宿制ミッションスクールでの厳格な教育と、それに伴う窒息感である。しかし本作ではその経緯はやや脚色され、榎津巌という創作上の中心人物の心理へと焦点が絞られている。榎津は幼少期から反抗心が強く、戦時中に父・鎮雄が海軍の戦力として船を差し出すなどの経験を目の当たりにし、父と神への信頼を失っていく過程を通じて、社会や権威に対する深い不信を抱くに至る。これが彼の暴走の土台となっていく。
同時代の実在の人物・西口彰には、父への愛情が根底にあったのではないかとの見方もある。商才のある父が病のため事業を放棄せざるを得なかった事実が、神の無意味さを悟らせ、ミッションスクールでの教育と相まって社会への憎悪を培ったのだろう。榎津と西口を比較すると大きな違いがあるが、両者の情念は共通点を持つ。信仰を持つ者がそれを捨て去ることで生まれる空白を、社会への挑戦と暴力で埋めようとする点だ。
現実と作中の描写を重ねると、どちらのケースも許されるべきではない凶悪な犯罪である。しかし同時に、社会の偽善性にも目を向けるべきだ。作中には人種差別、浮気する夫婦、嫁と父が揺れ動く家庭、娼婦といった複雑な人間模様が描かれ、戦争の余波が男女の関係性に影を落とす時代の断面が露わになる。榎津はそうした人間の弱さを利用して他者を支配し、殺害へと導くが、自身もまた弱さと葛藤を抱え続ける。
ハルとの関係性も一様に単純ではない。偽りの出自で出会い、真実を知ってなお彼女を愛そうとする面がある一方で、彼女を救済の手として利用した側面もある。逃亡の終盤でハルを殺す動機には、彼女を「現実の希望のない人生」から解放するための自己救済的な意味も含まれていた可能性がある。
善と悪が解体され、見た目だけが平穏に再構築された社会が生み出す自己破壊的な欠陥、それが榎津の正体だ。血のつながる父への僅かな愛情が、彼の暴力と欺瞞の根を成している。信仰と矛盾する行為の末に彼が残したのはアーメンという言葉の皮肉にも映る孤独の叫びであり、それが暴力性と結びつくことの本質を浮かび上がらせる。
現実の西口事件にも同様の複雑さが存在する。逮捕のきっかけとなったのは冤罪を防ぐ教誨師・古川泰龍の幼い娘・瑠璃子との関係を通じた人間的なつながりであり、古川氏は手紙を送り続け、学費の支援を行いつつ西口の改心へと導いた。瑠璃子との文通も彼の更生へと結びついたとの証言がある。
罪を憎んで人を憎まずという理念を一家は実践してきた。被害者の救済と再生を目指す姿勢は、単なる善悪の二項対立を超えた現実的な救済の選択肢にも見える。しかし本作はこの結末を詳細に描かず、善と悪だけで社会を語る手法を取っている点が、善意ある救済の物語としては惜しまれる。
以上が物語の総括だが、映画としての魅力にも触れておきたい。キャスト陣は皆が役に深くはまり込む演技を見せ、特に緒形拳が演じた榎津の飄々とした態度と内部の狂気・孤独・怒りの共存は圧倒的な存在感を放つ。詐欺の場面では知能的で落ち着いた佇まいを見せる一方、殺人場面は荒削りで迫力がある。現実の事件を元にした臨場感・緊迫感は、
初めの専売公社の殺人シーンは難解でしたね。結局、誰が殺されたの? 何で知り合いなの? と何度も見返してやっと理解できました。小川真由美は適任だと思いますが、若尾文子の方が合っていたかもしれません。
緒形拳さんはこの手の役に関してはまさに神業です。他の人には真似できないと思います。それなのに主演男優賞を受賞できなかったのは本当に不思議です。それでも、この作品は名作です。
昔の映画は苦手だ。視覚的にも聴覚的にも不便だし、淡々とした展開で、時代を超えた共感も得にくい。しかし、「東京物語」や「羅生門」のように、集中して観ることで意外な気づきを得ることがある。
この作品は日本アカデミー賞を受賞し、実際の事件に基づいており、監督・今村昌平が綿密な取材を重ねて小説の原作者を超えるレベルの作品に仕上げた。
ネジの外れたシリアルキラー、榎津厳が欲望に従って人を欺き、殺していく。彼の複雑な女性関係や冷酷な殺人シーンはリアルに描かれているが、監督の徹底的な取材によって、表面的な描写を超え、厳の本質や迷いも感じ取ることができる。
「復讐するは我にあり」は新約聖書からの引用で、裁きを下すのは神のみという意味を持つ。躊躇なく5人を殺す厳は、殺した後も罪悪感を抱かず、その視点で彼の姿が描かれている。
一見理解不能な残虐な男が、なぜ女性に好かれるのか。それは、彼が自分だけに見せる心の一片に触れられたと思うからかもしれない。「自分だけはこの人を理解できる」と感じさせる何かがあるのだろう。厳が殺人者だとわかっていても、愛人がそばにいたのも、そんな思いがあったのではないか。
DVやモラハラ、浮気性といった様々な「ダメ男」が溢れる中、一見「危ない」人間が魅力的に映るのは、こうした側面が影響しているのかもしれない。
冷静に考えると、「復讐するは我にあり」という言葉は厳の父の言葉かもしれない。熱狂的な宗教信者である父は、自らを律し、欲望を他者(妻を抱こうとした駅員)に代わりに実行させていた。憎むべき息子に手を下さず、その復讐は神にゆだねていた。ある意味、狡猾で憎むべき父だ。
理解しがたい冷酷な殺人者、榎津厳にも、少しの同情を抱かずにはいられないのは、こうした部分が影を落としているのかもしれない。
作品を観終わってしばらく経っても、厳の鋭く妖しい眼光が忘れられない。
この作品はシリアルキラーや連続殺人鬼といったジャンルには寄りすぎず、九州男児が女性と信頼関係を築き、それを破壊へと転じるドラマを描く。回避型の九州男児が生まれる物語の一幕を感じさせる。お見合いが主流だった時代に生まれなくて良かったと感じさせる一作だ。緒方拳は人を巻き込む側ではなく、むしろ自分が巻き込まれていく存在だったと捉えられる。
当時『死亡遊戯』と同時期に上映されていたらしく、学校で死亡遊戯の話題で騒ぐ子どもたちを横目に、復讐は我にありを観て育つガキを想像してみてもいいだろう。
緒方拳の穏やかな物腰は、角刈りでコワモテのずん飯尾のような雰囲気を醸し出していた。
ポン・ジュノ監督とロバート・パティンソンが好きな人にも響く映画として観賞しましたが、今年のスタート作として選べて本当に嬉しいです。
正解ばかりを追い求めると、こんな作品は決して生まれません。もっといろんな生き方があっていい。登場人物それぞれが、彼らにしか持ち得ない感情で物語を動かしていく。
熱量がすごい。とても熱い作品です。
2026年の初作品
鑑賞日: 1月1日
非常に深い内容の映画で、満足度が高い。\n特にお気に入りのシーンは、タンスから老人の死体がほんの少し見える瞬間。ゾクッとした。
この時代の邦画特有の陰鬱な雰囲気と湿り気がたまらなく好きだ。妖艶でありながら暴力的で、強烈な刺激が印象に残る。
東映の実録ヤクザ映画のような導入が印象的で、時間と場所を飛び回る構成が面白い。昭和を西暦換算で25年足す発想を採用すると、1937年の盧溝橋事件を背景に日中戦争のリアリティと海軍の力の強さが自然と浮かび上がる。キリシタンの父が海軍という世界に屈し、世界がその人物を軸にひっくり返る父の良心から分離した悪魔が社会へ反発する、という寓意的な筋だ。ドラゴンボールのピッコロ大魔王と神様のエピソードにも通じるテーマ性がある。最終的には、死刑が宣告された悪魔が全生へ憎悪を燃やし、死後もこの世に影を落とすという壮大な意図だ。ただし、ビジュアルはその規模感に追いついておらず、骨組みは生ける意味を示すには不十分で、記号としても機能していない。ツィゴイネルワイゼンと同様、この方向性を邦画が強引に走ると、狭い賞賛の輪だけで終わり市場の拡がりを失う。現状は巻き返しの兆しを見せるものの、邦画の低迷を象徴する作品として理解できる。
昭和の雰囲気が色濃く表現された邦画
不気味な映像と重厚な作風が相まって、犯人役の緒形拳がより一層怖ろしい存在に見える。彼の不気味さには、サイコパスとは異なる何かを感じさせる。
現代の視点から見ると、緒形拳だけでなく他の登場人物もかなり危険な印象を持つ。
ただし、物語は基本的に淡々と進行するため、緊張感はあまりない。
1963年、78日間にわたり警察の捜査を巧みにかわし、殺人と詐欺を繰り返し5人の命を奪った殺人鬼・西口彰の物語を小説化したのが佐木隆三の「復讐するは我にあり」であり、これはその小説を映画化した作品です。
突如訪れる恐怖の瞬間が際立ち、普通のホラー映画のような恐怖感を抱かせます。
榎津巌役は緒形拳が演じ、感情の揺らぎもなく淡々とした態度で殺人を重ねる姿に目を奪われます。
【以下の内容には触れています】
榎津の殺人には金銭目的以外の理由が存在せず、ダークヒーローともなりません。観客はどこにも感情移入せず、淡々と進行していきます。
序盤で、血に染まった手を立ちションで洗うシーンがあり、その瞬間に「彼は相当に異常だ」と思わせてくれます。その後、次は柿をもぐ場面へ。
途中、老弁護士に近づき、仕事の依頼と称して殺害し、その部屋に滞在する際、建付けの悪いタンスが突然開き、遺体が現れます。こちらは驚かされますが、巌は冷静にその遺体を足で押さえて釘を打ちます。この場面は視覚的にもキャラクター的にも非常に恐怖を感じさせます。
さらに、巌の死刑執行後、彼の遺骨を抱えた妻・加津子と父・鎮雄がロープウェイで山頂へ向かうシーン。すれ違うロープウェイにはお遍路さんと思われる人々がいっぱい乗っています。この場面もまた、視覚的に非常に怖いです。
鋭い恐怖が散りばめられ、観る者をドッと疲れさせる映画でした。
2025年11月26日
連続殺人犯の人生と78日間にわたる逃亡の物語。歩行しているシーンを後ろから捉えたカットからは、活力が感じられ、リアリズムの中でどのようにドラマを展開させるか工夫された演出に驚かされる。衝動的に人をしてしまう主人公に恐怖を覚えつつも、肩書きに惑わされやすい人間心理を巧みに利用して詐欺と潜伏を繰り返す姿には驚きを禁じ得ず、その物語に映画的な魅力を感じた。人間関係の描写は非常に生々しく、視聴中は不安を覚えるが、今村昌平監督の独自の視点で描かれるサスペンスを楽しむことができた。
薄化粧に惹かれて思わず観てしまった。緒形拳が演じる主人公は、金と欲望と暴力のオンパレードを描くが、本作では彼の鬼畜さが一段と際立つ。薄化粧で見られたように人を斬っても筋を通す場面がある一方で、こちらはその感触をはるかに超える凄惨さを露わにする。さらに三國連太郎が演じる父の存在感は圧倒的で、父と主人公の嫁との蜜月シーンも物語の核と同等のインパクトを放つ。緒形拳と三國連太郎のダブル主演とも言える布陣を、今村昌平監督が巧みにまとめ上げ、極上のエンターテインメントへと昇華させている。金・女・暴力といった人間模様に興味がある方は、ぜひ観てほしい一作だ。
今村映画50周年を記念して再鑑賞。反社会性パーソナリティ障害を思わせる男性が日本を旅して女性と関係を持ちながら人を殺す、戦時中の混乱を背景に私欲を満たすダーク版「男はつらいよ」の趣きを感じさせる。戦時の混乱に紛れて私欲を満たすババアは危険な存在だが、潔さゆえに一番かっこいいと印象づけられる場面も。榎津を止める場面には納得しかけたが結局 初期のJTらしき会社の人間はもちろん、旅館の親子を殺す場面の動機も、分かるようで分からない。深作欣二版はサイコスリラー風に榎津をジョーズのように捉えて撮る構想だったとされ、全く想像がつかないがぜひ観てみたかった。)
2025年10月11日視聴、U-NEXT
日本アカデミー賞作品賞受賞作の鑑賞会を開催しました。
原作は未読ですが、鑑賞後に実在の事件(西口事件)がモデルであることを知りました。
昭和38年、詐欺師であり殺人犯の榎津巌(緒形拳)は、金銭目的で殺人や詐欺、女性関係を繰り返し逃亡しますが、最終的に逮捕されます。取り調べや面会を通じて、信仰を重んじる父(三國連太郎)との確執や家族の崩壊、妻(倍賞美津子)への執着が描かれます。彼の逃亡に関わる人々を通じて人間の業も浮き彫りになります。
巌の残忍さはもちろんのこと、信仰を口にしながらもその行動がクズである父親には驚きを覚えました。緒形拳さん、三國連太郎、倍賞美津子さんの演技は非常に迫真で、心がざわつきました。
本作を通して考えさせられたのは、巌が犯罪に走った原因は父への反発や信仰の拒絶だけではなく、嫌悪感も一因ではないかということです。「家の墓には入らない」と言った父は、それを理由に煩悩に生きる道を選んだのかもしれません。結局、親子共に家の墓には入らない運命となります。
#邦画2025年度配信鑑賞 #U-NEXT #日本アカデミー賞
正直なところ、この作品の高評価が理解できません。構成がなんとも分かりにくく、ただおしゃれに見せるための手法に過ぎないように感じます。また、主人公がどんな人物なのかもよくわかりません。ただ緒形拳の魅力だけに頼った、現代のアイドル映画にも劣る出来だと思います。さらに、お色気シーンが多く散りばめられている点も、無理にウケを狙った印象を与えます。評価されるべき要素がほとんど感じられず、強いて挙げるなら実際の事件を題材にしたことくらいですが、エンターテインメント性がなく、実録ものとしての説明も不足しています。邦画界が説明を極端に避ける一方で実録ものを好むのは、実に矛盾を抱えていると思います。全体としては、表面的な作品に過ぎないと感じますが、西口彰事件に興味のある方には一応おすすめです。
グロテスク!エロティック!グロテスク!エロティック!一つ飛ばしてエロティック!これは一体何だろう?昔、原作を読んだ記憶があるけど、こんな感じだったっけ?これって西口彰事件じゃないの?賢い子供はいつ現れるんだろうねこんな悪影響な旅館じゃ、子供が育つのは無理だよね。あれ、子供、出てこなかったじゃん!あさのの女将が一番不幸かも。タイトルの意味、調べないと分からないなでも結局、理解できなかったクリスチャンなら分かるのかな指名手配って、案外速攻でバレるもんなんだね緒形拳も三国連太郎も倍賞美津子も私の知っている人じゃない倍賞さん、ちょっとおっぱいデカすぎ。倍賞さんがセクシーすぎて、ストーリーに集中できなかった。あの2人、本当に一線は越えてないのかな?あんな魅力的な嫁が好き好きオーラ出してたら、手を出したくなるのが当たり前じゃん!!出さなかったとしても、これじゃ実質、ラブホテルの市長と同じようなもんだよ!お寿司を届けに2階上がるシーンでは一瞬「エ゛ッ!?」ってなった。逮捕直後は刑事たちが無愛想だったのに、後々は打ち解けていく様子が怖い。憎めないキャラクターで、口が上手いからこそ周囲に受け入れられたんだろうな。北九州の松永太に似ている気がする。あさのの母娘の行動は意味不明だけど、こういう人とリアルで出会ったら、結局は引き込まれてしまうのかもしれない。怖いね
戦争のトラウマ
カトリックへの弾圧
問題児、緒方拳
美しすぎる画
松竹文芸路線の作品は、中盤以降に急に面白くなるのが特徴だ。松竹文芸作品の移動シーンで現れる日付や場所を示す字幕を見ると、やはり松竹らしさを感じるよね。
2025年の第47回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)で、李相日監督が選ぶ私のヌーベルバーグ作品として『さらば、わが愛/覇王別姫 4K』と併映の2本立て上映が行われた。
35mm上映は、映写機1台の故障で約5分の中断を7回も挟むという異例の進行。中断のたびに作品へ引き込まれる一方で、正直なところフラストレーションも残った。しかし、作品自体の魅力は強く、当初は『さらば、わが愛/覇王別姫 4K』目当てだったはずが、こちらの作品が想像以上の収穫だったことを実感した。
西口彰事件を題材に、直木賞を受賞した長編小説を映画化。昭和の時代が塊となって迫ってくるようで、息をのむ体験だった。留置場の冷えた空気を想像させる緊張感が、終始心を支配した。
榎津巌という人物像はつかみづらく、殺人と詐欺が生存のための行動として関係してくる。緒形拳が演じる姿には、驚くほどの濃密さが宿っていた。
『お前は殺したい人を殺していない』という断片が、物語全体の意味を問い直す。三國蓮太郎は今の年齢で見ると格好いい存在、倍賞美津子は強さと官能性を同時に放つ。かつて露天風呂のシーンが週刊誌を賑わせた記憶も蘇り、二人のずるさと背徳感が見事に映えていた。腹いっぱいの余韻が残る作品だった。
上映機材の不具合の埋め合わせとして、会場では「映画監督 森田芳光」の招待券が配られた。森田監督は高校の先輩(面識はなし)とのこと。次はどの作品を観ようかと、まだ迷いはあるが、PFFの体験は忘れられそうにない。 #PFF
超昭和テイスト全開のハイパーコンプラ映画で、めちゃくちゃ面白かったです。今と違って昔は整形が難しかったはずなのに、あれだけ全国を逃げ回れるのが信じられます。凄い。とはいえ、性的描写が過剰で、欲望のままに生きる人が多い印象も受けました。
映写機の調子が悪く、20分ごとに映像が途切れるという、かなりレアな体験をした。正直、こんなに面白い理由があるのかと疑ってしまう。しかも事実を基にしている点が恐ろしさをさらに増す。三國連太郎さんも緒形拳さんも、地味に初めてじっくり観る機会だったかもしれない。巧妙すぎる手口と大胆な犯行、さらには複数の女性と関係を持つというとんでもない殺人鬼の物語。言葉に表しきれないほどの凄さで、もし身近にあんな人がいたら私はきっと逃げていただろう。派手な描写はないのに、全てが派手に見えてくる映画だった。