2002年2月2日に公開の映画「ほしのこえ」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「ほしのこえ」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
ほしのこえが視聴できる動画配信サービス
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ほしのこえのあらすじ
中学3年の夏、昇は美加子から国連軍の選抜メンバーに選ばれたと告げられた。地上と宇宙で離れたふたりは携帯メールでやり取りをするが、美加子の宇宙船が太陽系の深淵に向かうにつれて、メールの往復にかかる時間が増え、ふたりの時間はますますズレていった。
ほしのこえの詳細情報
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感想・レビュー
宮崎駿は、中身はがつがつした右翼オタクのおっさんなのに、自身は左翼のアーティストを気取りながら振る舞っているのに対して、新海誠は初めから右翼色を隠さない。本作のメカや自衛隊的ガジェットは、『君の名は。』に通じる80年代風の設定やノリへ、私の中で一直線につながっている。それは、現在のオタク文化の遥かな先祖への敬意の表れにも見えるし、岩波書店的な雰囲気を気取りつつも、本作『ほしのこえ』的な、メカや軍隊をむしろ宮崎が大好きであるはずの要素として対置するアンチテーゼのようにも読める。結局、新海は宮崎と違い、第一作目から現在に至るまで、1ミリもぶれていなかった。それが、立場を異にする今の私には、今作のストーリーと同じく、やや鬱陶しく感じられる。
粗いプロットと絵柄。
2000年代初頭の『エヴァ』の影響がいかに深かったか、改めて思い知らされる。
ただし、ストーリーには星新一のSFショートショートのような独特な味わいも感じられる
壮大な物語でありながら、登場人物はたったの2人。
これもセカイ系に分類されるのだろうか。
新海誠のデビュー作。
中学3年生の夏、美加子は国連軍の選抜チームに選ばれ、宇宙へ旅立つ。恋人の昇とは携帯メールでやり取りを続けるが、地球との距離が広がるにつれ、メッセージの到着に8年かかるようになってしまう
二人の関係が試される中、世界が危機に瀕したとき、彼女からのメッセージが届く。「私はここにいるよ」
メールが届くまでに数年の時差がある設定は、確かに面白い。とはいえ、戦闘シーンが前面に出過ぎるせいで、「遠く離れてしまった二人」というテーマへじっくり向き合うことができなかった。新海誠と私の思考の根っこは、こんなにも違うのかと、改めて痛感させられる作品だった。
国連宇宙軍へ選抜された少女と、地球に残る少年の物語。監督のデビュー作としては、風景に比べて人物描写の技量が未熟だったが、その後の成長を感じさせる。エヴァ風味を帯びつつ作家性も色濃く表れ、技術の進化が進む中で手紙へ回帰するテーマを描く。
新海誠監督の2002年の自主制作は、いわば原点だ。そこには監督の好きが濃密に詰まっている。だから、これまでの新海作品のレビューと同じ視点で語るのが自然だろう。
まずはエヴァの影響について。あれほど大胆に取り入れられている点には驚くほどだ。とはいえ、それだけエヴァが界隈に与えた衝撃が大きいということでもある。時代を超えてプラスにもマイナスにも強い影響を残してきたのだろう。庵野秀明の凄さを改めて感じさせてくれる。
さらに、新海誠は中高生の制服姿へのこだわりが際立っている。美加子がずっとあの格好をしているのは、もはやギャグにも近い。論理的に説明しきれない部分があり、作者自身の選択として説明が不足していると感じる場面もある。
論理の破綻・飛躍を挙げるとすれば、彼女がその場所へ向かう意味がそもそも分かりづらい。選抜試験があったのか、それとも勝手に任命されたのか。もし試験を受けたのなら、最初から受けなければよかったのでは。任命されたとしても断れないのか、そんな強制力があるのか、疑問は尽きない。
それから、昇くんという呼称ばかりが目立つ一方で、他のキャラクターはどうなのか。家族は?友達は?
それでも、この一人の創作でここまで作り込めるのは本当にすごいことだ。現実味の有無は別としても、物語の間隔が空く演出はメールのやり取りのエモさと同義にも感じられる。アニメーションとしては、雨・雪・空・光といった要素が、この時点ですでに新海誠の特徴として成立している点にも感心する。
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2002年に制作された短編アニメーションは、一見地味に思えるかもしれないが、実は「君の名は」で邦画興行収入第2位を記録した新海誠監督の独自の作風が詰まった魅力的な作品だ。
SF的な設定やデザインには『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』の影響が見受けられるが、幻想的なライティングが施された美しい映像や、すれ違う男女のラブストーリーは、新海誠らしい幻想的な雰囲気を醸し出している。淡く心に残る余韻はこの作品からも感じ取れる。
2Dと3Dの融合も当時としてはよくまとまっており、キャラクターの動きが少ない点は気になるものの、全体のクオリティは高く、見応えのある作品に仕上がっている。
新海誠監督の初期作品のなかで、商業流通へとつながる転換点となったのが『星を追う子ども』ではなく、短編ながらも長く語り継がれる『星を追う子ども/Voices of a Distant Star』である。ミニシアター下北沢トリウッドでのイベント上映を皮切りに、後にDVDで一般流通化。2002年4月に発売され、2003年8月には6万枚を超えるヒットを記録した。こちらも前作『彼女と彼女の猫 – Their standing points』と同様、監督自身が脚本・演出・作画・美術・編集のほぼ全てを手掛け、Power Mac G4 400MHzとAdobe製品を制作機材として用いた。声優は前作と同じく新海監督本人と篠原美香が務め、DVDにはプロ声優版も収録されたが、基本は個人制作の域を出ない作品であり、原盤の完成度が真価を発揮している。短尺ゆえ、まずはそのバージョンを観てほしい。前作の4分46秒に比べ、本作は約25分の長編ながら、監督が一人で成し遂げた点が話題を呼び、公開初日には劇場に行列ができたという評が残る。SNS以前の口コミ拡散が大きく、当時の個人から商業へという流れの皮切りともなり、アニメの分野での新海監督キャリアを決定づけた作品である。物語と演出は、現在の『君の名は。』や『天気の子』へと続く原点そのものであり、同時代の流行や表現を反映しつつも、距離と時間、そして変わるものと変わらないものという普遍的テーマを描く。セカイ系の嚆矢としての地位も、この作品を通じて確立されたと言える。 セカイ系とは、世界規模の出来事が同時に進行する一方で、物語の核は〈君と僕〉の小さな世界に焦点を合わせる語り口を指す。新海監督はこの世界観を、エヴァンゲリオンの影響を受けつつ、都市のノスタルジーと近未来の技術を交差させながら描く。2046年という近未来を舞台に、携帯電話とメールが支配する現代の感情を浮かび上がらせる手法は、SF設定以上に青春の情感を際立たせる。作中で使われる携帯は1999年発売のSANYO 538Gという実在機をリアルに描くこだわりがあり、細部の描写が観客の自己投影を促す。これらの緻密さは後の大作群と並ぶクオリティであるが、一人の手でここまで描けた時代の限定性もまた本作の魅力の一部だ。 景観描写は生きているかのようにリアルであり、風景と感情が密接に結びつく。そのため、画面上の人間キャラクターは自主制作的なタッチを持ち、風景の細部と対照的に浮遊感を生むこともある。とはいえ、そのアンバランスさこそが独特の世界観を生み出し、後年の大規模な商業作品とは異なる純度を示す要因となっている。中盤以降の宇宙描写や戦闘機械といった要素は、あくまでミカコとノボルの距離を引き離す舞台装置であり、物語の主軸は変わらず距離と時間、そして変わるものと変わらないものの探求である。 音楽は天門が担当。新海監督との長い関係性は周知の通り、彼らが日本ファルコム在籍時代からの付き合いであり、前作からの連続性を保つスコアは感情の揺れを静謐な美しさで支える。二人の距離が離れるたび、時間もまたずれていく。ミカコが15歳の時点で送るメールは、8年7ヶ月後の24歳となるノボルに届く。その光速通信の遅延と時間差は、セカイ系の中核的な見え方として物語の骨格を形成する。 物語の冒頭でミカコは「世界というのは携帯の電波が届く場所だと漠然と思っていた」と語るが、電波の届かない世界へと旅立つミカコは、現実世界から距離を置くことで、届くまでの時間がどんどん遅れていくメールの在り方を体感する。海外や電波が届かない場所では、メールは不達となり、国内でも電波の不安定さが人と人の距離を遠ざける。携帯による連絡が日常を変えた時代のリアルを、ほんの20年前のリアルとして描くのだ。 ノボルは当初、届かないメールを待ち続ける日々を捨て、現実の時間を生きようとするが、結局はミカコを待つ選択をする。彼女に届いた言葉を読み、再び時間を取り戻す決意をするのだ。SFとしての設定の精密さは完璧ではなく、ミカコが死地へ向かう動機づけが十分に整っていない点もあるが、それはセカイ系の時代性ゆえの弱さとして捉えるべきだろう。タルシアンとミカコの会話や、シリウス星系第四惑星アガルタの展開など、設定の不確定さはあるものの、物語の核は距離と時間の喪失をどう埋めるかに収斂する。 本作を純粋なSFとして捉えるよりも、新海監督の原典として、情景描写と青春の二つの柱にフォーカスして観るべきだろう。夏の記憶と冬の別離、季節の移ろいを通じた美しい情感は、今後の作品にも通底するモチーフである。夏の夕暮れの郷愁、冬の雪に宿る別離。これらは新海監督の原風景であり、永遠のテーマといえる。やがて2007年の『秒速5センチメートル』へと繋がるが、この時代の技術で一人がここまで描けた事実自体が、ニコニコ動画時代の台頭や、後の生放送文化、現在のYouTuberへと続く現在の動画文化の萌芽を生んだと言って過言ではない。 8年7ヶ月を経て届いたメールの末尾に記された「今でもノボルくんのこと、すごくすごく好きだよ」という言葉は、ノボルには文字化けのまま届かなかったが、同じ心を共有した者同士には届くという普遍性をもつ。到達に至るかどうかは未知だが、二人の心は確かに一直線のままに繋がれている。漫画版・ノベライズ版は新海監督の関与が薄く、小説も監督自身が執筆していない。従って、これらは二次創作的な受け止め方が多い。今作は新海監督の初期作として、ハッピーエンドを明確には描かず、感情と映像の対話を重ねる時代の産物である。結局、彼らの時間と距離が完全に届くかどうかは、14年後の『君の名は。』まで待つことになるのだ。
ウラシマ効果をテーマにした恋愛短編。新海誠による男女のすれ違いの始まりを描いています。
新海誠の初の劇場公開作品で、監督、脚本、演出、作画、編集など多岐に渡って担当。他にも声優や宣伝を行う自主制作映画で、若干チープに感じる部分もありますが、「君の名は。」以前の新海作品が好みなら、見る価値はあります。
この作品を通じて、新海誠が長年男女のすれ違いを描いていることが分かります。本作ではウラシマ効果による時間のズレを取り入れた男女の不協和音が展開され、これは「インターステラー」の親子のすれ違いに似ていますが、こちらの方が先に制作されています。
ウラシマ効果を取り扱ったSFはたくさんありますが、これほどメロドラマとして昇華できるのは新海誠ならでは。逆に、そろそろメロドラマを排除した映画も見てみたい気もしますが、川村元気とタッグを組む限り、それは難しいかもしれません。
友人の推薦で数年ぶりに観賞しました。25分に凝縮された壮大な宇宙と時、さらには恋心の物語です。
もし今送ったメールが5年後、8年後に届くとしたら、どんな内容になるのかその頃までのお互いの想いはどうなっているのかそんなことを考えていると、なんとも切ない気持ちになりました。
色合いは違いますが、筒井康隆の小説『エディプスの恋人』を思い起こしながら観ていました。
わずか25分のショートストーリー。新海誠監督が2002年に自主制作した作品です。今観ても素晴らしいのですが、公開当時にこの作品を見ていたら、その才能に圧倒されるしかなかったでしょう。
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