2007年3月10日に公開の映画「絶対の愛」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「絶対の愛」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
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絶対の愛のあらすじ
付き合って2年になるセヒとジウ。セヒは彼との永遠の愛を願っているが、徐々に「彼は私の変わらない顔に飽きているのでは?」という不安が募り始める。そんなある日、整形手術を決意したセヒは、ジウの前から姿を消してしまった。
絶対の愛の詳細情報
「絶対の愛」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | キム・ギドク |
|---|---|
| 脚本家 | キム・ギドク |
| 出演者 | ソン・ヒョナ ハ・ジョンウ パク・チヨン 杉野希妃 |
| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | サスペンス ドラマ |
| 制作国 | 韓国 日本 |
| 公開日 | 2007年3月10日 |
| 上映時間 | 98分 |
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絶対の愛のよくある質問
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Q映画『絶対の愛』のあらすじはどのようなものですか?
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A
映画『絶対の愛』は、整形手術を通じて愛を確かめようとする女性とその恋人の複雑な関係を描いた作品です。女性の不安と恋人の信頼をめぐる葛藤が、緊張感あるストーリーを作り出しています。
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Q『絶対の愛』の監督について教えてください。
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A
『絶対の愛』の監督はキム・ギドクです。彼は複雑な人間関係や心理描写を得意とし、多くのカンヌ国際映画祭でも評価されている韓国の著名な映画監督です。
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Q『絶対の愛』のテーマやメッセージとは何ですか?
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A
『絶対の愛』は、愛の本質や人間のアイデンティティについて問いかける作品です。外見の変化が内面に与える影響を通じて、真の愛とは何かを考えさせる深いメッセージを持っています。
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Q映画『絶対の愛』に登場するキャラクターの魅力は何ですか?
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A
『絶対の愛』の登場人物は感情に溢れるリアルなキャラクターです。特に主人公の女性は、愛と不安の狭間で揺れ動く姿が視聴者の共感を呼び、物語に深みを与えています。
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Q『絶対の愛』の撮影スタイルや演出の特徴は何ですか?
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A
『絶対の愛』は緊張感あるカメラワークとシンプルなセットが特徴です。視覚的な美しさとともに、キャラクターの内面に焦点を当てた演出が、観る者に強い印象を残します。



絶対の愛の感想&レビュー
DVDを手元に置いて何度も楽しみたくなる衝撃作。「サマリア」は、キム・ギドクが2006年に脚本・監督を務めた話題作。ソン・ヒョナとハ・ジョンウが主演を務め、公開後にはハ・ジョンウが『チェイサー』の犯人役でブレイクを果たした。韓国が世界有数の整形大国として知られる社会背景のもと、愛のために整形を決意するヒロインと彼女を取り巻く恋愛の激動を描く。セヒとジウは付き合って2年、深く愛し合っていたが、セヒはジウが自分に飽きてしまうのではないかと不安に苛まれていた。ある日、セヒは整形を決意し、ジウの前から姿を消す。半年後、セヒの不在に傷ついたジウはスェヒという美女と出会い恋に落ちるが
ギドクが本作にどれほど真剣に取り組んだのかは謎だ。この映画は、まるで韓流ドラマのパロディのようで、過去の作風とは大きく異なっている。韓国の整形事情を皮肉った作品であり、ギドク自身のスタイルが整形手術によって変わってしまった印象を受ける。内容は、犬も食わないような痴話げんかや、安っぽいホラーを彷彿とさせる後味の悪い結末が特徴だ。この作品は、ギドクが長年批判してきた韓国映画へのアンチテーゼと言える。
倦怠期に入ったカップルの物語。セヒ(パク・チヨン)は、飽き始めたジウ(ハ・ジョンウ)の気を引くために整形し、美しさを手に入れることを決意する。新たに現れた彼女はスェヒ(ソン・ヒョナ)と名乗り、見事にジウの心を取り戻す。しかし、ギドクらしい要素も見受けられるものの、全体的には韓流メロドラマの枠を超えていない。
『グエムル』を批判し、韓国のマスコミから大きな非難を受けたギドクが、一時的に映画界から引退したことは周知の事実。本作は、彼が監督として復帰した後の初めての作品であり、商業的に受け入れられやすい娯楽作品となっていることが影響しているのかもしれない。評価は厳しいが、次の作品『ブレス』では見事な復活を遂げているため、韓国の異端児監督としての彼の今後には安心感があるだろう。
(ちなみに、整形美女に生まれ変わったスェヒを演じた女優は、自身の整形を認めたそうですが、日本の松嶋菜々子に似ていると思うのは私だけでしょうか?)
力強い痛みを強調したオープニング。
整形大国・韓国への批判というよりも、ヒステリックな女性が多い国という(私個人の)印象や、男性の未熟さが目立つという(私個人の)印象が、まさに映画として描かれている、韓国そのもの。
時間は容赦なく進む。刻々と迫り、そして消えていく。時の鼓動は象徴的ではあるが、原題のTIMEを含め、テーマがもう一歩見えづらい。
そもそも顔を変えるという短絡的な考え方に限界があり、さらに「僕も!」と挑む男性も、やはり愚かだ。
このあたりは故意にやったのだろうが、そのためには一歩先を行く驚きのクライマックスが欲しいところ。
それでも、テンポの良い展開やヒロインの素晴らしい演技が魅力的で、飽きることなく引き込まれる、その腕前はさすが。
不穏な主観的映像が新鮮で少し幼稚に思えるが、こうしたディテールにさらなる工夫が必要だ。
とよた真帆や島谷ひとみを彷彿とさせるヒロインがとても魅力的。
結局は人間性が本質。顔はおまけ、中身こそが魅力の核だ。あれ、この感想、どこかの作品で書いた記憶がある。ソン・ヒョナはスルメ美人だと感じる。
愛は永遠ではなく、形は時とともに変わる。だからこそ、見た目だけで愛を判断してはいけない。外見以外の要素で相手を愛せるかどうかを見極めることが大切だ。外見だけを取り繕っても、愛が長く続くことはない。そんな考えを巡らせていた。2時間ドラマのような映像は退屈に感じる。冒頭には直視できないような場面があるため、視聴には注意が必要だ。
整形と絶対の愛をテーマに描かれていますが、キム・ギドク監督の作品ということで、ある程度の覚悟を持って観ました。しかし、意外と悪くなかったです。
登場人物には共感できる人が一人もいなかったのは、監督らしい特徴だと思います。それにしても、やはり恐ろしさが際立っていて、演技が非常にリアルでした。演者の方々は、まるで監督に身内を人質に取られて出演しているかのように感じました。
本当に怖かったです。
こ、こわいこの物語は、世にも珍しいまでの愛と恐怖の結びつきを描く。よくある若者の痛々しい恋愛を越え、劇的なラブロマンスを経てヒステリックホラーへと転じる、魂を揺さぶる展開だ。絶対の愛とは何かを問うテーマが貫く中で、顔が変わっても愛の形は変わらないという思いと、表面的な美しさよりも中身が大切だということに、彼女も彼も気づくのがあまりにも遅すぎた。『ぴったり合う服みたいだね』というセリフは初出のときにはとてもロマンチックだったが、彼を探しているときに同じ言葉を返されると伏線だったと気づかされると思いきや、それも束の間。歪んだ愛の末路へと進む展開は、まるで意趣返しを狙うような結末だった。最後の彼が本当にジウなのかさえ断定できないのが、余韻として残る。整形外科の先生の神経が図太すぎるのも、この業界の闇を鮮やかに描く証拠だ。業界に身を置くほど、登場人物たちは色々と熟れてくるのだろう。カフェの場面は出禁になるのも納得だそんな強い印象が残る作品だった。
ハ・ジョンウが大好きで、彼の演技はやはり素晴らしかった。評価はおおよそ80点。ハ・ジョンウじゃなければ、総合点は約20点低くなっていたかもしれない。
若い韓国人女性セヒは、恋人のジウからの愛に自信が持てず、整形手術を決意する。2006年の映画で、手術には約半年かかるため、彼女はジウの前から姿を消す。ジウはセヒを失って悲しみに暮れるが、他の女性と関係を持ちたいとも考えており、その心理描写は生々しいものである。
これが男性の女性に対する一般的な本質と言えるのかもしれない。セヒは背後でジウの恋愛を妨げており、彼女は愛を信じられないまま、ジウのもとを離れられない。現実の恋愛はしばしばこのような複雑さを抱えるもので、運命の人が別にいるのではないかといった幻想や、一途に惹かれる思いと現実的な選択の間で苦しむことが多い。自由恋愛の一環とも言えるだろう。
ただ、整形手術を選んだ時点でセヒはジウに見切りをつけたとも言える。自分の外見を変えつつ、恋人には心変わりは許容しないというのは明らかに矛盾しているように思える。しかし、セヒはスェヒという新しい名前でジウの前に現れ、二人は交際を始める。
しかし、スェヒはセヒを忘れつつあるジウに耐えきれなくなり、情緒不安定な行動が増えていく。セヒは絶対的な愛をジウに求めるが、実際には自らがその愛を信じていないように見える。外見は変わっても中身は同じであるため、ジウは本質的には同じ女性を愛しているとも言えなくはない。しかし、スェヒは耐えきれず、自らがセヒであることをジウに告白する。この瞬間はホラーのような緊迫感が漂い、二人の狂おしい葛藤は一般的な恋愛映画とは一線を画している。
最後に、ジウも整形手術を受けてセヒ(スェヒ)から姿を消し、セヒはジウの行動を絶対的な愛として捉えたのかもしれない。しかし、すれ違う男性全てがジウのように見え、誰が本物のジウか分からなくなる。だが、結局のところ彼女は絶対的な愛は存在しないという結論には至らない。それはかなり興味深い。#韓国映画
衝撃的な映画体験だった。初めて観たキム・ギドク監督の作品ながら、これほどまでに強烈な印象を受けるとは思わなかった。隅々まで計算された演出と展開が、私の感覚に一直線に刺さってくる、まさに鬼才の仕事だ。冒頭の強烈な整形手術の映像から始まり、後の重要なぶつかりのシーンへと緊張感を高めていく構成が抜群だ。物語は進むが、主人公セヒはメンヘラ度が極限まで振り切れており、彼女の過剰な感情表現が観客の心を引きつけて離さない。彼女の奔放さは、恋人ジウを心配させるレベルまで到達するほどだ。セヒのこの不安定さが、後半の展開で大きく効いてくる。
顔を変えて別人としてジウの前に現れたセヒは、ジウが未だ元のセヒを愛していることを知って追い詰められていく。元の顔のお面をつけて現れるあのシーンは、視覚的にも精神的にも極めてえぐい。写真の印刷の描写にも意図を感じさせ、見た者の心を凍らせる。あの笑顔の印象は、夢にまで出そうなほど強烈だ。ホラー映画の類を軽く凌駕する恐ろしさがある。
その後、ジウが姿を消し、整形したジウを探してさまようセヒの姿は、あまりにも哀れで痛々しい。そこからの展開と決断、そして物語が描く悲しい円環構造は、観る者の心に深い余韻を残す。もう二度と戻れないあの頃と、呆気なく捨ててしまった愛おしい人生の重さを、原題の意味時間が強く響かせる。胸が締め付けられ、辛く、エグく、とんでもない感覚が残る。
整形後のセヒを演じたソン・ヒョナの熱演は特筆に値する。メンタルが崩れ崩壊していく演技は圧巻だ。ジウ役のハ・ジョンウも、見た目は軽薄そうだが根は真っすぐで一途な男を見事に体現している。場面ごとの見せ方が極めて上手く、セヒがカメラに語りかける場面の迫力は特に印象的だ。海辺の彫刻公園の場面も強いインパクトを残す。前半はジウ、後半はセヒが次第に追い詰められていく構成だが、視点の切り替えが自然で、二人の相手を愛していたのかという根本的な問いにもきちんと向き合わせてくれる。二人とも、本当に相手と向き合って愛していたのかどうかについて、観終わっても思い返すたびに疑問が浮かぶ。結末は現実味のある悲しさと恐ろしさをはらみ、観る者の背筋をゾクッとさせる。