1981年9月12日に公開の映画「イレイザーヘッド」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「イレイザーヘッド」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
イレイザーヘッドが視聴できる動画配信サービス
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イレイザーヘッドのあらすじ
フィラデルフィアの工業地帯を舞台に、モジャモジャ頭の印刷工ヘンリーは、恋人メアリーから“奇妙な赤ん坊を出産した”と告げられ、結婚を決意する。しかし赤ん坊の異様な泣き声に耐えきれず、メアリーは家を出ていく。やがてヘンリーの精神は崩壊していく。
イレイザーヘッドの詳細情報
「イレイザーヘッド」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
監督 | デヴィッド・リンチ |
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脚本家 | デヴィッド・リンチ |
出演者 |
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カテゴリー | 映画 |
ジャンル | ドラマ ファンタジー ホラー |
制作国 | アメリカ |
公開日 | 1981年9月12日 |
上映時間 | 89分 |
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感想・レビュー
僕の解釈は、ヘンリー・スペンサーとリンチを結びつけて読む視点を提示する。謎のキモ赤ちゃんは作品そのものを表しており、リンチ自身の子どもであると同時に怪物という意味には必ずしも限定されない。むしろそれは、作者が自分の意志だけで生み出せるものではなく、作品に振り回されるリンチ自身の投影ではないか。惑星の人は頭の中のインスピレーションを生み出す仕組みを指し、鉛筆はその仕組みを形にする道具だ。コブ女は作品を忘れるためのイレイザー(消しゴム)であり、快楽の源にもなっていると読み取れる。人口チキンは、おそらく他人の作品やまがい物のような意味を帯びているのだろう。頭から消しゴム付きの鉛筆が出てくるというイメージは、こうした発想の成り立ちを象徴しているのかもしれない。結論として、真のイレイザーヘッドはコブ女であり、それを宿すリンチ自身であり、怪物を生み出す人の皮を被った怪物でもある。ただし、それが妊娠という実体験から直接導かれるものとは思わない。
モノクロのために生まれる独特の不気味さがあったかもしれない。
まるでずっと悪夢の中にいるような感覚だった。
冒頭の30分は非常に不快で辛かったが、悪夢のシーンから一気に面白くなった。子供が勝手に生まれ、子供がいることで眠れず、仕事もできず、性格が変わり、恋愛が難しくなる。子供は親の首を切り落としてその血で育つ。子供のせいで無機質な量産品のような存在になってしまう。浮気のアイデアは他の人(隣の女性)からのもので、責任は取りたくない。子供を殺すアイデアも他の人(ラジエーターの女性)から来ていて、これまた責任を負いたくない。しかし、責任から逃れた結果、空虚さが残る。意外と共感できる映画かもしれない。
恋人のメアリーから奇形児を押し付けられた主人公ヘンリーは、徐々に心の均衡を崩していく。物語全体は幻想と悪夢、狂気に包まれ、登場する不気味な人物や生き物が次々と現れては寸劇のように展開して消える。何が真実で何が暗示・象徴なのか、観る者に解釈の余地を残すが、結局はよくわからない。独特の不気味さを放つ芸術作品で、時折、再び観たくなる魅力をもつ。
眠る前に、しばらくの間毎日この動画を見ていた。気持ち悪いと同時に心地よさを感じる、不思議な感覚。驚かせる要素はなく、ただただのんびりと観るだけで癒される。唯一、チキンを食べるシーンだけは音で思わず反応してしまうかもしれない。見ていると、自分も同じようなことをしてみたいと思うことがある。
わからんシーンは多いものの、多くの人が指摘するように、親になる苦悩を丁寧に描いている。ただ、それと同時に映像の造形や音響には強い不気味さが伴う。奇形の赤ん坊がエイリアンのような外見で死に向かう場面は特に衝撃的で、泣き声さえ不快感を呼ぶ。妻の実家で聞こえるペットが乳を飲む音も、長く続くため聴覚的に気味が悪い。こうした音と造形が、観る者のストレスを増幅させる理由にもなる。作中で、妻の家のおばあさんは痴呆のようにも見えるが、リンチの妻の家にも過去に現れたのだろうか、という疑問も残る。全体としては不気味さが先行する一方で、そこに惹かれる魅力も確かに感じられる。
なんかずっと悪夢を見ているみたいだった。
マルホランドドライブのときと同じく、意味はサッパリわからない。
デヴィッドリンチを一生理解できる気がしない(エレファントマンは大丈夫だった)。
でもこのわからない感情が悔しくて、あともう一本くらい観てみようかなという気になっている。
次も理解できる自信はないが。
映画の楽しみ方は色々ある。
ストーリーを味わうだけでなく、カット割りやカメラワークなどの演出、編集を楽しむことや、ボーっと空気感を味わうこともひとつの楽しみ。
もちろん「意味を読み解く」楽しみも、アート作品と同じように存在すると思う。
僕はまだそれを心から楽しめていないけれど、気にはなり始めている(マルホランドドライブも全く意味はわからないけど3回観た)。
とりあえずこの作品の感想を一言で言うと、正直、気持ち悪い。
追記
少しだけ知識を得たうえで2回目を視聴すると、印象が変わった。なるほど、これは監督の私小説的な映画なのか。次々起こる謎の現象や赤ん坊は、この男にとってはこう映っている、という仮定で観ると納得がいく。
リンチの映画は「ここから夢ですよ、妄想ですよ」という境界が曖昧になることを理解して観るべきだと学んだ。
全く理解できない。
制作意図は一体何なのか。
モノクロで表現することで、グロテスクさや汚らしい描写が際立っているが、それをデヴィッド・リンチは狙っていたのだろうか。
芸術性が高すぎて、ついていけないことを改めて実感した。
うっかり子供を持ってしまった男性が、我が子に対して抱く嫌悪感や不安を、妄想と現実が交錯する形で描いたシュルレアリスム作品です。
赤ちゃんが不気味なクリーチャーとして描かれ、気持ち悪さを引き起こす効果音やぬらぬらした表現が、まるで『裸のランチ』を彷彿とさせます。年代的にもこちらの方が後なので、間違いなく影響を受けているのでしょう。
町山さんの解説を聞いた後に知ったのですが、この作品には、リンチ監督自身が同棲相手との間に子供を設けた実体験が反映されているそうです。なお、その時のお嬢さんも後に映画監督になったとのこと。えっ、これは酷い!もし娘さんがこの作品を見たら、大きなショックを受けること間違いなしですね。
このエピソードを知り、私の中でリンチ監督に対する苦手意識が決定的なものとなりました。
でも、その苦手意識を深掘りしてみると、大体、人間の本質をさらけ出そうとする彼の正直さに不安を感じるのかもしれません。さらに言えば、これはシュルレアリスムや精神分析自体に対する苦手意識とも関係しているかも。無意識がさらけ出されても、たいしたものは出てこないんだから、そっとしておいてほしいというのが本音です。
とはいえ、拒否感を感じつつも、その表現力には驚かざるを得ません。ストーリーらしいストーリーはなく、わかりづらさもあるのに、主人公の中にある不安や葛藤がしっかりと伝わってくる。そして無意識の不合理な世界を直接見せられている感覚に襲われます。
ただ、それを見せられたところで、子供が欲しくないなら避妊すべきだとしか思わないのですが。
ゔぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ〜
気色悪い゙よ゙ぉ゙ぉ゙ぉ゙〜
悪夢。戦慄。愕然。
全く好きにはなれないが、何故か数年おきに観たくなる不思議な作品。
解釈を試みても、それが全部的外れな気がしてくるので、怖くて筆が進まない。
誰かと分かち合いたいと思っても、気色悪いので未見の人にはわざわざ薦められない。
ただ、何度か観て思いついた一番しっくりくる解釈は「望まない子供を授かった男の恐怖」を描いたものではないだろうか。そう考えると、いくつかの場面には意味をこじつけられそうな気がする。(それでも、意味を捉えきれない場面の方が多いけれど。)
また、そう考えることで、いくつかの場面は本人にとっては悪夢だが、リンチにとってはコメディとして成立しているようにも思える。笑えない。だが。(コメディと仮定するなら、ここで笑ってよいのかもしれない、と思える場面もいくつかある。)
ところで、ヘンリーの住むアパートのエレベーターホールの絨毯は、『ツインピークス』の赤い部屋のと同じだろうか?