2017年1月21日に公開の映画「沈黙ーサイレンスー」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「沈黙ーサイレンスー」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
沈黙ーサイレンスーが視聴できる動画配信サービス
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沈黙ーサイレンスーのあらすじ
17世紀、江戸時代初期。幕府による厳しいキリシタン弾圧が続く長崎。著名な宣教師フェレイラが日本で捕らえられ、棄教したとされる中、弟子のロドリゴとガルペは日本人キチジローの協力を得て、マカオから長崎に潜入する。
彼らは日本に到着し、信じがたい光景に驚きつつ、弾圧から逃れた隠れキリシタンたちと出会う。しかし、幕府の取締りがますます厳しくなる中、キチジローの裏切りによってロドリゴたちも捕らえられてしまう。頑ななロドリゴは長崎奉行の井上筑後守から「お前のせいでキリシタンたちが苦しむのだ」と棄教を迫られる。次々と命が奪われていく中、彼は守るべき信念と目の前の弱い命との間で葛藤する。心の中に迷いが生じ、自身の強さに疑問を抱くロドリゴ。追い詰められた彼の下す決断とは――。
沈黙ーサイレンスーの詳細情報
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沈黙ーサイレンスーの公式PVや予告編動画
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沈黙ーサイレンスーのよくある質問
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Q映画『沈黙ーサイレンスー』のあらすじと見どころを教えてください。
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A
『沈黙ーサイレンスー』は、17世紀の日本を舞台に、キリスト教の伝道と迫害を描いた映画です。二人の宣教師が師であるフェレイラ神父の消息を追い、日本での過酷な試練に直面します。信仰の葛藤や人間の弱さが濃密に描かれており、迫力ある映像美が見どころです。
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Q『沈黙ーサイレンスー』の主要な登場人物とその魅力は何ですか?
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A
主要な登場人物には、宣教師のロドリゴ神父とガルペ神父がいます。彼らは信仰を試される中で自らの信念を問い直し、特にロドリゴ神父の心理的変化が注目されます。葛藤を抱える人間味あるキャラクターたちが、観客に深い印象を与えます。
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Q映画『沈黙ーサイレンスー』のテーマは何ですか?
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A
『沈黙ーサイレンスー』のテーマは、信仰と信念の試練です。日本でのキリスト教の布教を通じ、困難な状況での信仰の意義と、沈黙する神の存在に対する疑問が深く探求されています。人間の精神的な強さと弱さを問いかける作品となっています。
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Q『沈黙ーサイレンスー』の制作スタッフについて教えてください。
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A
『沈黙ーサイレンスー』の監督はマーティン・スコセッシで、原作は遠藤周作の同名小説です。スコセッシ監督は長年この映画化を熱望しており、彼の情熱と信念が作品に深く反映されています。
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Q『沈黙ーサイレンスー』と原作の小説との違いは何ですか?
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A
映画『沈黙ーサイレンスー』は、遠藤周作の小説を忠実に再現しつつ、映像化の際に一部の登場人物の描写やシーンが変更されています。映画は視覚的な要素を強調し、物語の感情的な深みを出すために独自の表現が加えられています。



沈黙ーサイレンスーの感想・評価
歴史的な視点から楽しめるのが魅力的だった。歴史ファンにはぜひおすすめしたい。
原作が好きなので3.5点からのスタートですが、フェレイラ師がクワイガンに見える部分は強烈でした。(やはり彼はさすがです)。
キチジローのイメージはかなり異なりました。小説を読んでいたときは、もっと小賢しい印象を抱いていました。
それでも、実写化されていることが何よりも素晴らしいと思います。人類の過酷な体験を伝えるには、文字よりも映像の方がその悲惨さを感じやすいと実感しました。
五島列島にも行ったことがあり、この原作や映画を通じて、なぜこの切支丹信仰に感動を覚えるのか考えます。多くの犠牲があったからなのか、それとも信仰を問わず生き抜くための厳しい時代だからなのか?
分からないですが、静かに見ることができて良かったです。本の方が、より深く、感情がじわっと伝わる印象があります。
首を刎ねるシーンや和室の描写に、日本映画特有の撮影技法が随所に見受けられる。それと同時に、監督の独自の演出も感じられ、作品は題材と相まって独自の魅力を放っている。命を懸けて守り通す信仰心の本質について、観者に深く考えさせる。一方で、キリスト教を禁じた日本側の正義についての掘り下げがもう少しあればより良かった。
学校で鑑賞させてもらった。拷問の場面は見ていられないほど痛々しく、学ぶべき点の多い良作の映画だった。
物語自体は好みではなかったが、衣装と小物の完成度は抜群だった。外国人監督ならではの日本らしさの過剰さはなく、むしろ海外の視点から描く日本の時代感が新鮮だ。さすがスコセッシ。窪塚がタタタッと来て、ペタッと踏み絵を踏むシーンには思わず笑ってしまった。
前半はかなり長く感じたが、宗教映画としての完成度は高く、特にロドリゴとフェレイラの再会シーンが作品のハイライトとして印象深い。ロドリゴは日本人がキリスト教の神を信じると信じていると説明するが、それに対してフェレイラは、日本で生まれ育った人々がキリストの概念を理解できないと主張する。ただ、それは自分の弱さを正当化する言い訳に過ぎず、フェレイラはこれを厳しく問いただす。彼らの議論を聞くうち、井上らが司祭によってキリスト教の概念が押し付けられていると指摘する視点にも共感を覚えた。私は最初ロドリゴの主張を正しいと感じていたが、結局は自分も彼と同じ結論に納得してしまっていたことに気づかされる。周囲の人間を裏切り続けたことで苦しみ神に助けを求めるロドリゴだが、躊躇なく踏み絵を踏むキチジローの存在は、キリスト教の「愛」を考えるうえで大きな意味を持つ。肉体的な苦痛を避けるキチジローと、苦しみを受けて死んだ信徒が平等に救われるという教えは、キリスト教の核心であり、それがロドリゴの棄教のきっかけになったのではないか。結局、神は語るのかそんな問いを残して幕を閉じる。
アンドリュー・ガーフィールドはもちろん、窪塚洋介、イッセー尾形、浅野忠信、塚本晋也、小松菜奈といった日本の俳優たちも素晴らしい。
教会の司教が、人を救うはずの宗教が命を奪うという矛盾に葛藤する。
救うべきは人命なのか、それとも信仰なのか。
物語的には奉行所が冷酷で邪悪に描かれているが、同一・均一な状況に異物が投げ込まれれば拒絶反応を示すのは当然のことであり、一方的に奉行所だけが間違っているとは言えない。その点が原作(遠藤周作)の魅力であり、マーティン・スコセッシが冷静な視点で制作した作品であることが伝わる。
五島に至るまでの前半部分は、もう少しコンパクトにまとめられていれば、よりテンポ良く鑑賞できたかもしれない。
スパイダーマン、カイロ・レン、クワイ・ガンが勢ぞろいする豪華キャスト。リーアム・ニーソンの長髪と着物姿が抜群にカッコいい。
沈黙が満ちる映画、タイトル通りの体験。残酷な場面ですら静けさが支配し、描かれるテーマの重さと監督の熟考が伝わってくる。もし神が雄弁に語るとしたら、私は救いを求めないかもしれない。しかし神の沈黙こそ、司祭たちの信仰を研ぎ澄ませたのだろう。とはいえその沈黙も、実は自分自身が生み出したものだった。神の声を遮り聴こえないようにしていたのは他ならぬ自分だった。けれどそんな自覚なしには到達できない信仰がある。映画は、そんな内的な道のりを静かに映し出す。試練は常に心の内側にあり、選択には正解も不正解もない。ただしその先には、赦しと愛が欠かせないこの点を作品は静かに示している。主人公ロドリゴが踏み絵を踏む瞬間、彼が受け取ったキリストの言葉こそが、彼の信仰の到達点なのだろう。神は沈黙したままだが、彼の苦しみを確かに見ていた。沈黙は見放すためではなく、苦しむ者に寄り添うためだった。おそらくロドリゴ自身が沈黙を招いたのだと彼は悟る。以後の彼も神のように沈黙し、苦しむ者のためには語らず、胸の奥で信仰の炎を静かに燃やし続けたのだろう。日本社会の現実と当時の宣教師の歴史的背景、信仰と弾圧、純粋さと残酷さ、傲慢と謙虚どちらにも正義があり、どちらにも苦しみがある。スコセッシ監督は結論を押しつけず、沈黙を選ぶことで観る者に判断を委ねたように見える。正しさを主張せず余白を与え、沈黙そのものを体感させたのではないか。結局、宗教や信念は人を縛りすぎてはいけない。自然は作中で圧倒的に美しく描かれる一方、このテーマの重さの前では海の荒波の迫力が際立ち、無垢な美しさをただ信じきれない自分にも気づかされた。人間の弱さや迷いの存在を、改めて噛み締める作品だった。
満足度
3.0<楽しめた 3.5<面白かった 4.0<再度観たい 4.5
日本人の視点が丁寧に伝わり、モヤモヤが解消されてスッキリ。とても満足しています。よかったです。
ザビエル
太陽とゼウスさん
沼地では育たないあきらめる
宗教の複雑さは、少し理解したつもりだったが、実際は自分が思っている以上に深いのかもしれない。フェレイラ神父は、名言を次々と生み出す機械のようだ。
現在、外国からの訪問者は増加していますが、それでも偏見が根強い理由は何でしょうか?
信仰を持たない者の視点から見ると、神も仏も天国も地獄も人間が作り出した虚構であり、信仰は現実の困難を生き抜くための心の拠り所にすぎない。しかし、権力者や大規模宗教団体の幹部にとっては、それらを権力維持の道具として使い、資金を集める仕組みにもなる。そして社会的に弱い立場にある「民衆」は、そうした構図に扇動されたり、弾圧されたりする。結果として、誰もが被害者にも加害者にも変わっていく。信仰とは何か。信念とは何か。救われるとは何か。良心とは何か。信仰や思想の違いが多くの生命を奪うさまを、目を背けたくなるほどの人間の狂気・愚かさ・虚しさを、じっくり丁寧に抉り出していく映像に、息が詰まる。正直、観るのがしんどい。
信仰は人それぞれの内面に宿り、幸せをつかむためのものだと私は考える。スコセッシ監督の映画は容赦なく人間の弱さと葛藤をえぐり、観る者の心を苦しくさせる場面が続く。キチジローはおそらく純粋で、最も人間らしい存在なのかもしれない。彼には強い罪悪感があり、それを払拭したい一心で誰かに頼る。周囲の村人は信仰を口にしない人が多い。キリシタンを弾圧する側にも複雑な理由があり、そのやり取りは興味深い。信仰そのものよりも、侵略や政治利用が正義の名の下に用いられるべきではない、という視点が際立つ。物語の冒頭と結末は闇の中で始まり、終わる。自然の音だけが響く静謐さが素晴らしく、世界がそこに静かに存在していることを強く感じさせる。
生きているからこそ、いろいろな処刑方法や拷問の実態が明らかになる。処刑や拷問を受けた人々の罪は何だったのか?それはキリスト教を信じていること、つまり仏教ではないという理由に過ぎない。今では信じられない話だ。神父として殉教することが正しいのか、自分を慕う信者を見捨てずに信仰を貫くことが正しいのか、神はその答えを沈黙で示している。考え、迷い続ける日々。一度『沈黙』を観たとき、その言葉の意味に衝撃を受けた。再度鑑賞し、理解を深めたいと思っている。
遠藤周作の小説「沈黙」を、マーティン・スコセッシが映画化したヒューマンドラマ。江戸初期の日本でのキリシタン弾圧を背景に、ポルトガル人宣教師が人間にとって何が大切で、弱さとは何かを探求します。17世紀、日本での棄教が疑われる師の真相を求め、若き宣教師ロドリゴとガルペが日本を目指す物語。彼らはマカオで出会った日本人キチジローを案内役に、長崎に到着し、厳しい弾圧の中で信仰心と向き合います。スコセッシが1988年から温めてきたプロジェクトで、ロドリゴ役はアンドリュー・ガーフィールドが務めます。共演にはリーアム・ニーソン、アダム・ドライバーが名を連ね、キチジロー役の窪塚洋介や浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮、笈田ヨシなど日本のキャストも登場します。
先日、五島列島に滞在しました。島内には教会やクリスチャンの姿があふれており、踏み絵の話題は中学の歴史の授業以来でしたが、想像を絶する葛藤があったことを知りました。その葛藤をしていない(ように見える)キチジローは、永遠の0に登場する宮部久蔵を思い起こさせます。長崎に強い思いを馳せたことはあまりなかったのですが、鎖国の玄関口であり、被爆地であるという歴史がぎっしり詰まっていると感じました。またいずれ、ゆっくりと訪れたい場所です。
宗教に対して海外の一般論を持たない現代日本人としてこの映画を観ると、考えがある程度まとまっていると感じる。
“宗教”についての多様な視点を考慮すると、ラストの部分は見せなくて正解だった。
【過去視聴】2017年2月20日
「祈りの沈黙」と「絶望の沈黙」
神にとって、この二種類の沈黙はどのように映るのだろうか。
「信念」
現代においても、他人のために表面的には信念を柔軟に見せなければならない場面があるかもしれない。それでも、心の奥底では曲げない信念を保持し続けることが、強い人間であるための鍵なのかもしれないと感じる。私は無宗教なので、信仰に対する深い思いは理解しきれないが、当時のキリシタンの姿を想像すると胸が痛む。
大好きなドラマ『海に眠るダイヤモンド』の第4話、サブタイトル「沈黙」が原作へのオマージュだと聞きました。豪華なハリウッド俳優と日本人俳優が共演し、ずっと観たかった作品をようやく見ることができました。物語は非常に辛い内容ですが、映像は贅沢そのものでした。私たちがこんなに苦しんでいる中で、神よ、なぜ私たちを助けてくれないのですか。このセリフが全てを表していると思います。人々が傷つき、必死に助けを求めているのに、神は沈黙を守り、何もしてくれません。極限の状況で、それでも神を信じる意味があるのか、信仰とは何かを根本から疑う重いテーマです。信仰が人生のすべてであったロドリゴにとって、その現実は非常に厳しいものでした。『海に眠るダイヤモンド』では、結局、地獄も奇跡も、人間が引き起こすものだと語られています。決断し、行動するのは人間であり、神はそのための拠り所に過ぎないのだと感じました。私自身は普段、無宗教であるためこの考えには非常に納得できます。しかし、宗教を大切にしている人々にはどう映るのでしょうか。人類と宗教というテーマについて考える良いきっかけになる作品だと思いました。非常に辛そうですが、いつか原作にも挑戦してみたいです。
さすがのクオリティ、文句のつけようがない完成度だ。日本の闇の一端にも鋭くスポットが当たり、沼地の比喩のように何も育たない地が浮き彫りになる。グロテスクさと、外国人には理解が難しく、ましてや自国民にもこれで良かったのかと問われそうな過去を前提に、今の日本があるのだと痛感させられる。西洋の視点には捉えきれない側面もあるだろうが、その視点が歴史の深みを開くのも事実だ。
遠藤周作の名作『沈黙』が映像化された作品です。江戸初期、幕府による激しいキリスト教弾圧の中、長崎が舞台となっています。
歴史として知っているものの、残酷な拷問のシーンを見ると胸が痛みます。そして、現在の自分が無宗教であることについて改めて考えさせられる映画でした。
振り返ると、私はカトリックの幼稚園と高校に通っていました。幼稚園では毎日祈り、発表会ではガブリエラを演じた記憶があります。高校でもアセンブリーは常に祈りから始まっていましたが、カトリックの環境だったという事実は意外と薄れていました。
信仰は自由だと思いながらも、宗教に対して少し距離を置いてしまう自分もいます。宗教といえば、オウム真理教の地下鉄サリン事件や旧統一教会の問題がちらつくからです。
人生のすべてをかけて何かに無心になることが、私にはどうも難しい。最近の”推し”の文化でも、借金してまで応援したり、ファン同士がSNSで衝突する様子を見ると、少し怖さを感じます(私にも推しはいますが、ライトな楽しみ方しかできません)。
とても難しいテーマですね(これはあくまで私の個人的な意見です️不快に感じた方がいれば、申し訳ありません)。
遠藤周作の『海と毒薬』に引き込まれ、また『沈黙をめぐる短編集』も読んだのに、なぜか『沈黙』は途中で挫折してしまいました。もう一度挑戦してみようかなと思っています。