2025年5月9日に公開の映画「クィア/QUEER」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「クィア/QUEER」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
クィア/QUEERが視聴できる動画配信サービス
現在「クィア/QUEER」を視聴できる動画配信サービスを調査して一覧にまとめました。以下のVODサービスで「クィア/QUEER」が配信中です。
クィア/QUEERのあらすじ
1950年代のメキシコシティを舞台に、閉ざされた米国人コミュニティの日常を送る駐在員リー(ダニエル・クレイグ)は、ある日、行きつけのバーで街に新たにやって来たばかりの美貌の男子学生ユージーン(ドリュー・スターキー)と出会う――。
クィア/QUEERの詳細情報
「クィア/QUEER」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | ルカ・グァダニーノ |
|---|---|
| 脚本家 | ジャスティン・クリツケス |
| 出演者 |
|
| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ |
| 制作国 | イタリア アメリカ |
| 公開日 | 2025年5月9日 |
| 上映時間 | 137分 |
クィア/QUEERの公式PVや予告編動画
「クィア/QUEER」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
クィア/QUEERの楽曲
「クィア/QUEER」の主題歌や挿入歌、サウンドトラックを紹介します。映像だけでなく音楽からも作品の世界を感じてみましょう。
- サウンドトラックQueer (Original Score)Trent Reznor and Atticus Ross
クィア/QUEERを見るのにおすすめの動画配信サービス
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クィア/QUEERを無料で見る方法は?
「クィア/QUEER」を視聴するなら、「U-NEXT」「Prime Video」「Lemino」などの無料トライアル期間を活用するのがおすすめです。
「Dailymotion」「Pandora」「9tsu」「Torrent」などの動画共有サイトで無料視聴するのは避けましょう。これらのサイトには、著作権者の許可なく違法にアップロードされた動画が多く存在し、利用者側も処罰の対象となる可能性があります。
クィア/QUEERのよくある質問
-
Q映画『クィア/QUEER』のあらすじはどのようなものですか?
-
A
映画『クィア/QUEER』は、LGBTQ+コミュニティや個々のアイデンティティを探求する人物たちを描いた物語です。彼らの挑戦や葛藤を通じて、自己発見や受容について考えさせられる内容です。
-
Q映画『クィア/QUEER』の主なテーマは何ですか?
-
A
『クィア/QUEER』の主なテーマは、ジェンダーとセクシュアリティの多様性と、それらを取り巻く社会的課題です。登場人物たちの経験を通じて、社会の偏見や理解の重要性についてメッセージを伝えています。
-
Q『クィア/QUEER』に登場する主なキャラクターについて教えてください。
-
A
『クィア/QUEER』には、自己のアイデンティティを追求する複数のキャラクターが登場します。彼らはそれぞれ異なる背景や物語を持ち、多様な視点からクィアに対する理解を深める役割を果たしています。
-
Q映画『クィア/QUEER』の監督は誰ですか?
-
A
映画『クィア/QUEER』の監督は、LGBTQ+のテーマを得意とする映画監督として知られる人物です。その独特の視点とストーリーテリングが作品の特徴となっています。
-
Q『クィア/QUEER』が視聴者から支持されている理由は何ですか?
-
A
『クィア/QUEER』が視聴者から支持されている理由は、多様なジェンダーとセクシュアリティの描写が豊かである点です。現代社会における重要なテーマを扱っており、多くの人々に共感を与える力強いメッセージが評価されています。



クィア/QUEERの感想・評価
終盤の奇想天外なトリップ展開が本当に素晴らしい。孤独な「おかま」の姿を完璧に演じるクレイグが驚異的だ。
ビートジェネレーションに興味を持ち、ケルアックやバロウズを読み始めました。「Queer」を読んだ後、映画の存在を知り、ルカ・グァダニーノ監督に惹かれて観てみました。
ダニエル・クレイグはダンディで魅力的ですが、私の中のリーのイメージはもう少し異なる。ただ、彼の演技がとても素晴らしく、しっかりとリーのキャラクターを表現していました。アラートンは想像以上にドリュー・スターキーにぴったりで、背が高くて華奢な印象が見事でした。その肋骨のラインも魅力的で、2人のシーンは本当に素晴らしかったです。
ネタバレに入ります。
原作では淡々とした語り口で重い倦怠感が漂っています。リーは嫉妬心や執着心に翻弄され、アラートンとの関係には非対称さがあります。リーの欲望に対し、アラートンは冷たく拒絶することがあります。その距離感が、滑稽さではなく静かな寂しさを生み出していました。リーの人生は若さや認知を求める欲望によって動かされ、ヤヘを探す旅や恋愛も根本には「何かを求める渇き」があります。それは爆発的ではなく、疲労の反復として描かれ、人生は止まらず、倦怠の中でも旅が続くのです。
映画ではおしゃべりな父親のような役柄ですが、初めての夜に必死で相手に向かう姿はどこか愛おしかったです。また、アラートンのツンデレなキャラクターも魅力的で、ジョー・ギドリーの存在感が際立っていました。リーのどんなみっともない姿を見ても、最後まで彼を見つめる人がいることで、少しは世界の残酷さが和らいだ気がしました。
映像は物語に身体と視線を与えます。ダニエル・クレイグ演じるリーは、冴えない中年男がジーンを優しい眼差しで見つめ、その目がジーンを神格化しました。ドリュー・スターキーのアラートンは美しく、その肉体や声、存在感はスクリーンに忘れがたい印象を残します。しかし、本当に美しいのは、アラートン以上に彼を美しく見るリーの視線です。この眼差しに憧れを覚える瞬間がありました。
アラートンの頭上のグラスを撃とうとして誤って殺してしまうシーンは、1951年にバロウズが妻を誤射した事件を思い起こさせました。この映画は、死の影を重ね、欲望と死が切り離せないことを象徴しています。原作に直接語られない影を、映画は夢や妄想の形で表現しています。
欲望は生を駆動しますが、同時に破滅の可能性を秘めています。それでも映画は最終的に破滅で終わらず、老いたリーが静かに息を引き取る様子が描かれます。これは罰や断罪ではなく、穏やかな安らぎでした。どれだけ欲望に翻弄されても、最後は静かに死ねることもあるというメッセージが伝わります。
映画は完結する必要があり、観客に「体験の収束」を提供するために必要でした。他の終わり方も考えられますが、あの終わり方はバロウズへの献花のようでもありました。それは「物語の締め」ではなく、作家の人生への弔いのように感じました。
原作は持続的な物語であり、映画は完結を目指しました。
欲望は人を破滅に導く一方で、その感覚を抱えながらも、人生の中で静けさに向かうことを思わせます。その静かな最期が心に残りました。
ビートジェネレーションの世界を知りたくて、ケルアックやバロウズを読み始めた。Queerを読み終えたあと、あとがきでこの映画の存在を知り、ルカ・グァダニーノが監督だと知って観ることにした。ダニエル・クレイグはダンディでいわゆるイケオジ枠の佇まい。私の中のリー像はもう少しけばけばしさがある方がよかった気もするが、演技の深さがリー像を確かなものにしていた。アラートンはビジュアルの想像通り、ドリュー・スターキーの演技が説得力を持つ。背が高く、痩身の雰囲気に美しい肋骨。二人の絡みのシーンは抜群で、アラートンの身体と存在感が画面を染めていた。
ネタバレあり
原作では淡々と乾いた語りの中で倦怠と欲望が長く続く。リーは嫉妬し、執着し、欲望に振り回される。アラートンとの関係も非対称。リーは欲望を放つ一方で、アラートンは時にそれを冷たく拒絶する。触れられる距離にいながら埋まらない距離。その温度差が、滑稽さより静かな寂しさを生む。リーの人生は、若さ・承認・超越への欲望に動かされ、ヤヘを探す旅も恋も根っこは同じ「何かがほしい」という渇き。しかしそれは爆発ではなく、疲労の繰り返しとして描かれる。人生は止まらない。倦怠の中でも旅は続く。
映画の始めに登場するのは喋り過ぎのオヤジにも見えるが、初夜の必死な場面や、薬が切れて震える場面にはどこか愛らしさがあった。アラートンのツンデレぶりもなかなか良い。ジョー・ギドリーの存在感も印象的だった。リーがどんなにみっともなくても、震えても、嫉妬しても、最後まで見ている観客がいる。それだけで世界の残酷さは少しだけ和らぐように感じられる。
映像は、物語に身体と視線を与える。ダニエル・クレイグのリーは、平凡な中年男でありながらジーンを愛おしそうに見つめる眼差しを持ち、その視線がジーンを神格化する。ドリュー・スターキーのアラートンは、圧倒的な美しさと存在感を画面に刻む。しかし真に美しかったのは、アラートン自身よりも、彼を美しく見るリーの視線そのものだった。美しく見られる被写体に憧れ、その眼差しを羨ましく思う気持ちも生まれる。そうした憧れを呼び覚ます視線が、観る者の心に残る。
アラートンの頭上のグラスを撃とうとして、謝って殺してしまう場面は、1951年にバロウズが妻ジョーンを誤射した事件を連想させる。映画はここに死の影を重ねる。それは現実の罪の記憶であり、欲望と死(破滅)が切り離せないことの象徴でもある。原作では直接語られないその影を、映画は夢や妄想の形で挿入する。
欲望は生を駆動するが、同時に破滅の可能性も孕む。しかし映画は最終的に破滅で終わらなかった。老いたリーは、ベッドの上で眠るように息を引き取る。それは罰でも断罪でもなく、静かな安らぎだった。どれだけ欲望に揺れ、どれだけみっともなく生きても、最後には穏やかに死ねることもある。
映画は終結を必要とする。観客に「体験の収束」を渡し、何かしらのカタルシスを提供するための結末だった。あの終わり方には諸説あるが、バロウズへの献花のようにも見える。それは「物語の締め」ではなく、作家の人生への弔いに近い。
原作は持続の物語。映画は完結の物語。欲望は人を破滈へと導くが、それを抱えたまま人生は静かな終わりへと向かう。その静かな最期が心に残る。
スターキーの魅力は本当に圧倒的です『アウターバンクス』では気づかなかった彼の色気に心を奪われ、シャラメから鮮やかに切り替えました他人や恋愛、ドラッグに頼るのではなく、自分の感情や意識に没頭したいと思います
映画がどうしても合わなくて、途中で飲み物を買いに映画館のバーに行ったら、当時の同僚であるクイアの友達に怒られました(笑)。普段はよっぽどのことがない限り、途中で飲み物を買いに行くことはないんですが、その時はジャングルのシーンについていけなくなったのと、咳が止まらずジンジャーティーがどうしても必要だったんです。ジンジャーティーが優先されてしまって、本当にごめんなさい。
期待外れで残念でした。
J.W.アンダーソンのスタイリング(スラックスがすべて素晴らしい!)や、音楽のカット割りの巧みさは変わらず素晴らしいですが。
ちょっと気分が悪くなり、仕事帰りの疲れもあって途中で視聴を諦めたけど、ダニエルの俳優魂に感動。幻覚の映像化は圧巻だった。#2025
途中から『待って、置いて行かないで!』状態になった。雑誌のパラ見で想像していた展開と違う場面が次々と現れ、見終わった後にポスターを見てゾッとするほどだったし、『途方もない孤独』と感じる描写もあった。とはいえ、私は作品を難解と感じてしまった。その流れで本当にジャングルへ行く展開になるのかと戸惑いが増え、『何でや』と思う場面も多かった。ここらへんで完全にストーリーの流れから置いてけぼりになってしまった。さらに、共感性羞恥のせいで見ていられないシーンもあり、作品に没入することができなかった。
心象風景とは何か、薬による幻覚なのか?
後半はまるでホラーのように感じられた。
リーの見る夢がとても恐ろしかった。
作業をしながら観たせいか、何も理解できなかった
ダニエル・クレイグが演じる中年男性の狂おしい恋は、同じ題材を描くフランソワ・オゾンの最新作『苦い涙』とは別格の切なさを放つ。
アカデミー賞受賞作の次に撮られたルカ・グァダニーノの作品には、強く惹かれました。バロウズ原作のアダプテーションとしての評価にとどまらず、作家性を魅力的に活かした挑戦作としてもっと広く評価されるべきだと思います。彼の作品は、クィアであることへの自問自答、自己否定、自己嘲笑、エディプスコンプレックスを含む複雑なアイデンティティと、深刻な依存症を抱えた孤独な主人公を描き出します。救済の道としてテレパシーが示されるものの、それは他者に受容されることではなく、むしろ自己の歪み・不快・恐怖・拒絶をより明確に露わにします。ジーンは主人公のクィアを薄める救済者のようにも見えますが、結果的に主人公のイメージはジーンの犠牲となってしまいます。孤立と乖離、自己離脱が深まる中で、死の瞬間には内在する他者(ジーン)と決別し、外在化した記憶とともに幕を閉じます。救いのない物語ではあるものの、語り口は幻惑的で魅力的。離脱の震えは痛ましく、孤独は痛々しく、観る者の心を揺さぶります。現実には、過度な暴露を避けようとしても人は誰かに依存してしまうものですが、それを自傷的・破滅的な依存にまで落とさずに済む道はあるのかそんな問いを深く考えさせられました。
永遠の片想いは、中年のリー(ダニエル・クレイグ)が酒と薬に溺れながら、若く美しい青年ユージーンに一目惚れし、彼を手に入れようと奮闘する物語だ。前半ではユージーンと出会い、次第に距離を縮めていくリーの執着と、ユージーンが掴みどころなさでリーを翻弄する様子が描かれる。リーの情熱は美しくも生々しく、彼がユージーンを心の底から愛してやまない様子が愛らしくも痛々しい。リーは中年でありながら心境はどこか少年のように未熟さを感じさせる。
問題は後半。ユージーンの心をなかなか掌握できないまま、リーはテレパシーを使えるとされるドラッグのヤヘを求めて南米ジャングルへと二人で向かう。二人はヤヘを口にして幻覚の世界へ入る。視覚的には魅力的でありつつ、意味を掴みづらい展開が続く。幻覚体験の果てに、リーとユージーンは離れ離れとなる。その後長い時が過ぎ、年老いたリーは記憶の中のユージーンと寄り添いながら息を引き取るそんな切ないラストだった。
観賞後には満足感も得られるが、後半の薬物体験の長い描写には少し引っ掛かるかもしれない。とはいえ、静かで情緒豊かなドラマとして心に残る作品だ。
『私はクィアだ』『私はクィアではない』。この揺らぎこそが、まさにクィアだった。前半のラブストーリーは愛おしく、後半の夢のような世界には心を奪われる時間だった。ルカ・グァダニーノ監督の映画『チャレンジャーズ』を観て度肝を抜かれ、続編の『クィア』を楽しみにしていて正解だった。映画館の大スクリーンで観られてよかった。メモ:ポスター公開時から観たいと思っていたのに、6月公開を逃してしまい、11月にMorc阿佐ヶ谷で観賞した。
本来、ダニエル・クレイグの欲望はモノローグで示されるべきものであるが、多重露光の手法により簡潔に表現される。この感覚が後半から終盤にかけてのトリップに深みを与えるかと思いきや、実際は平面的で、突き放された印象を与えるわけでもない。グァダニーノは正統派と異端を自在に撮影できるため、その表現が中途半端であることが非常にもったいない。
キャッチコピーが示す通り、孤独と愛を軸にした映画だった。ラストまで、自己破壊的な酒と薬、夜のバーを徘徊する描写が、途方もない孤独と渇望を強く伝え、ウィリアムへの一途な想いと会話の空回りが切なく胸を刺す。孤独と渇望に翻弄された人生で、結局は一人で終わるとしても、瞬間だけでも温もりを感じられる誰かを愛したなら、それはひとつの幸福だったのかもしれない。人間関係や感情はその瞬間に留まらず、記憶を抱いて旅を続けるのだろうとラストカットを見ながら考えた。トリップ感たっぷりの変わった映画ではあるが、人間のぐちゃぐちゃな欲望と愛情、葛藤を描く力はやはりルカ・グァダニーノの素晴らしさを再確認させる。特別な薬で高揚すればテレパシーで愛する人と心を通じられるかもしれない、そんな縋りを胸に南米のジャングルへと踏み出すウィリアムは、やっぱり愛おしい。
嘔吐恐怖症の方はご注意を。初めの方は飲み過ぎで一度、終盤には何か変わった吐く描写があります。
ここからネタバレ感想です。
二本立てで観ました。蜜の哀れを連想させる瞬間もありました。予告編でユージーンが水の中を泳ぐ場面が美しく、観てからしばらく経つとその効果がより強く感じられる気がします。
ユージーンの脚の描写がずっと心に残るなら、それだけで作品の価値は大いにあると言えるでしょう。なまけものに好かれているユージーンの描写はシュールで笑えるところもあり、二人がジャングルでめちゃくちゃになる場面が一番印象的で可愛く感じました。
ユージーンは頭に霧がかかっているようにも見え、あの夜を見られたらよかったのに、という指摘を受けつつ、彼は自分はクィアではないと語る場面が印象的でした。私がいつかおじさんになったら分かるかなでも私はおばあちゃんにもなるのだ、というセリフも響きます。
プチ・シュルレアリスム風の、ダリを連想させるようなシーンも良い。背中を手のひらの感覚で撫でられるような表現が特に印象的でした。
上映中はかなり官能的なセックスシーンが撮られていると感じ、全体の不思議な空気をさらに引き立てていました。
だからなんとなく、全体に不思議な違和感が残る作品だったのかもしれません。
ところで、オルフェの理由はなぜなのでしょう?ジャン・マレーとジャン・コクトーだからなのか、それとも別の意図があるのか。
伝説の作家ウィリアム・バロウズが描いた男性同性愛の世界を映像化した初期長編。監督は『君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノ。内容は、男を求めて酒浸りの日々を送るダニエル・クレイグの演じる主人公、ウィリアム・リーの物語。舞台は乾燥したメキシコの街だが、物語の湿った情感が際立つ演出だ。
ゲイであるウィリアム・リー(ダニエル・クレイグ)は、街で見かけた年下の美青年アラートン(ドリュー・スターキー)に心を奪われ、ふたりは伝説の麻薬「ヤーへ」を求めて南米へ旅立つことになる。
ウィリアム・リーは一見スタイリッシュに見えるが、住所も職業も定まらない大酒飲み。アラートンは眼鏡をかけた細身の美青年で、ふたりの対比が際立つ。リーは様々な手段でアラートンにアプローチし、特にその目つきが印象的に描かれる。
しかしアラートンは仲の良い女友達もいるため、彼の本心が見えず、リーは不安を抱える。最終的には南米旅行に誘うが、旅行シーンは常軌を逸した展開が待ち受けている。
私個人としては、内容に対して少し長いと感じたが、旅行の過程は面白く、全体的にはバランスが取れていた。特に、メキシコのロケーションは良かったが、情緒が高まるのは夜のシーンだった。
挟まれる幻想的なシーンは印象深く、アラートンへのリーの欲望が視覚的に伝わる演出もあったが、一部の意味を捉えきれず、考えさせられる部分もあった。また、登場する「ムカデ」の意味もはっきりしないが、精神的なつながりがない欲望の象徴のようにも思える。
原作の「クィア」というタイトルは、元々は侮蔑語だったが、現在では反転して多様な意味合いを持つ言葉となり、ゲイカルチャーの象徴とされている。音楽も様々な言及があるが、個人的には興味が薄かった。
ウィリアム・バロウズの他作品と比較すると、彼の魅力が強く表れているが、全体のバランスが失われている部分も。また、グァダニーノの作品は、以前の『君の名前で僕を呼んで』の印象を反転させたものに感じた。
結論として、作品を通じて過去の文脈を引き継ぎつつも、現代における新たな視点を提示しているように思った。
私の中では、この監督の映画には『Call Me by Your Name』のフィルターをかけて観ているつもりだった。違和感があっても、その興味深い一面に目を向けるよう心がけてきた。しかし、この作品は駄作だった。始終、混沌としており、私にはアイデンティティの疑問に悩む男たちというより、ただ本心を曝け出すことを恐れる臆病な二人にしか映らなかった。正直、非常に退屈だった。