2013年10月5日に公開の映画「今日子と修一の場合」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「今日子と修一の場合」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
今日子と修一の場合が視聴できる動画配信サービス
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今日子と修一の場合のあらすじ
病に倒れた夫を支えるため、他人と関係を持った今日子。暴力的な父親から母を守るべく行動した修一。故郷・宮城県南三陸町を離れ、それぞれ東京で新しい生活を始める二人。そんな彼らの日常を揺さぶる“あの瞬間”が、ある日訪れる。
今日子と修一の場合の詳細情報
「今日子と修一の場合」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | 奥田瑛二 |
|---|---|
| 脚本家 | 奥田瑛二 |
| 出演者 | カンニング竹山 和田聰宏 安藤サクラ 宮崎美子 小篠恵奈 平田満 柄本佑 |
| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ |
| 制作国 | 日本 |
| 公開日 | 2013年10月5日 |
| 上映時間 | 134分 |
今日子と修一の場合の公式PVや予告編動画
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今日子と修一の場合を無料で見る方法は?
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今日子と修一の場合のよくある質問
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Q映画『今日子と修一の場合』のあらすじはどんな内容ですか?
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A
『今日子と修一の場合』は、複雑な家庭の事情を抱える二人が出会い、それぞれの人生の問題に向き合いながら成長していく物語です。今日子と修一という主人公たちがどのようにして互いを支え合い、新しい未来を築いていくのかが描かれています。
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Q映画『今日子と修一の場合』の主なテーマは何ですか?
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A
『今日子と修一の場合』のテーマは、個人の成長と家族の再生です。登場人物たちは過去の傷を乗り越え、新しい関係を築くことで自分自身を見つけ出す過程が中心に描かれています。
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Q『今日子と修一の場合』の登場人物の魅力について教えてください。
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A
『今日子と修一の場合』では、主人公の今日子と修一の人間味溢れるキャラクター像が魅力です。今日子の強さと柔軟性、修一の優しさと決意が、観客の共感を呼び起こします。
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Q映画『今日子と修一の場合』の制作スタッフには誰がいますか?
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A
『今日子と修一の場合』の監督は特定の著名な人物が務め、脚本や音楽もそれぞれ実力のあるスタッフが担当しています。作品の雰囲気を作り出す重要な要素として、感性豊かなスタッフ陣が貢献しています。
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Q映画『今日子と修一の場合』で描かれている世界観の特徴は何ですか?
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A
『今日子と修一の場合』の世界観は、日常の中に潜む人間関係の深い側面を探るリアルな描写が特徴です。現代社会における家庭や人との関わりを丁寧に描き出しています。



今日子と修一の場合の感想&レビュー
今日子(安藤サクラ)は生命保険の営業をしていたが、肉体を使った契約獲得が家族にバレて勘当される。
東京に移り、チャラい男と同棲することになる。
一方、修一(柄本佑)はリストラされた父親からの酒癖の悪い暴力に耐えかねて、ついに手をかけてしまい、刑務所に入ることに。
その後、東日本大震災が発生する。
今日子は宮城県出身で、修一の母も同じく宮城県で暮らしていた。
ラストの展開がはっきりしなかった。
柄本佑が、あの頃の南三陸町を訪れていたことを思う。
あの日のテレビ映像を、今日子や修一の暮らす場所になぞらえて見ていた人もいたはずだ。
自分の居場所も人生で最も揺れた体験で、決して他人事とは思えなかったが、言葉を見つけられずにいた自分がいた。
髪を束ねた安藤サクラが母親のように映り、柄本佑の歩き方が父親の動きと重なるさまが、なんとも見事だった。
さまざまな事情を抱える人々の物語は、観ていて心が痛むほどしんどかった。サクラちゃんと佑くんがどう交差していくのか、最後まで気になりつつ観ていたけれどああ、そういうことだったのか。とはいえサクラちゃんの演技力は、怖いくらいに圧倒的だった。
現実逃避にも限界がある
辛い現実と向き合うとき、誰もが前を向けるわけではない
震災の描き方は、やはり難しい
尊属殺人、死体損壊、セクハラ、パワハラ、いじめ、売春、ヤクザの喧嘩、不良の傷害これでもかこれでもかという暗い事件の連続に加え、それを包み込む巨大地震と大津波。これだけの不幸を積み重ねて、一体何を伝えたかったのか。せっかく愛娘・安藤サクラを主演に起用したのに、なんだかもったいない。
私は岩手県の内陸で生まれ育ちました。子どもの頃は海水浴やドライブに連れて行ってもらった町の近くへ、よく出かけていました。震災後、その町が映像として映されたとき、胸に言い表せない感情がこみ上げました。安藤サクラさんの息子さんと再会したときの泣き顔は、切なくも美しく心に深く刻まれています。柄本佑さんの声が、とても好きです。
奥田瑛二監督作品「Case of Kouko, Case of Shuichi」は、東日本大震災を背景に、交わることのない二人の物語を対比させて描く。二人のケースは、未曽有の災害が起きても長い間それを無視し続け、やがて重い腰を上げるまでの差異を示している。
修一のケース。
過去には父を殺した罪があり、収監中に大震災が起きる。行方不明の母を抱え、修一は帰郷しても仕方がないと働き続ける。災害は母の行方を死とみなすに十分な出来事だったのかもしれない。大学受験を再開して見事合格し、好きだったミキに「ひとりじゃないかもしれない」と告げる。すべてを失っているから、どこへ行っても意味がないそんな虚無の中から、修一は再生へ向かう。母の死を覚悟しつつも、成人としての通過儀式として実家を見ておく必要があると感じたのだろう。母の死を受け入れる覚悟はあるが、心にはけじめをつけなければならない。これが修一の物語の核である。
一方、今日子のケース。
夫と息子がいる身でありながら枕営業に身を落とし、勘当される。ホテトル嬢のような仕事と不明な素性の男性・トオルとの同棲、そして小遣いをねだる生活。地震が起き、さらに二度目の大地震が襲い、包丁が胸元へと刺さって死に至る。今日子の心情は露わには描かれづらいが、彼女は呆然としながらも過去の勘当を思い出す。義父はそれを口にするが、夫は黙ったままだ。トオルが誤って死に、ニュースでは津波の映像が流れる。家族はみな生存の可能性を失ったのかそう思ったのだろうか。
彼女はトオルの死体を切り刻み、スーツケースに詰めて線路脇の空き地に埋めた。「あなたは本当は誰なの?」という問いは、おそらく自分自身へ向けた言葉だったのかもしれない。切り刻んだものは、もしかすると自分の心そのものだったのかもしれない。何もかもが意味を持たず過ぎ去る寂しさに包まれながら、今日子の瞳には涙だけが残る。彼女は戻ることができず、ただ一目だけ息子に会いたかったこの思いこそが彼女のせめてものけじめだったのだろう。義父と夫は死んだとみなされるが、義母と息子は生きている可能性が残る。息子は母の面影を忘れてしまったのか、祖母に隠れながら今日子を見つめる。遠い記憶を呼び戻さないよう自制する一方で、どうしても見てしまう葛藤を抱えながら、彼女は涙をこらして去る。
この作品は、人生と共に生きる大災害を軸にしつつ、震災そのものが二人の心に深く影響を及ぼしているわけではなく、心の虚無こそが大きな主題となっている。震災以上に、二人が犯した過ちと、それに対する誤った認識が転落に重みを与える。二人にとって震災は、克服すべき大きな虚無感の象徴であり、現実と向き合うための障害でしかないのかもしれない。やがて二人は、この虚無感と向き合い、折り合いをつける道を見いだす。長い余韻の中に浮かぶ虚無感が、作品を支える核となっている。
余韻から感じる虚無
素朴ながらも完成度の高い舞台を観ている気分だった。震災から2年後にこのような映画が制作されていたとは。奥田瑛二が好きだ。何とも言えない感動的な映画だった。
安藤サクラと柄本佑を目的に鑑賞しました。
あらすじではほとんど交わらないと聞いていましたが、後半の数シーンで同じ画面に映るだけで、一切の会話がないとは思いませんでした。
物語は東日本大震災に関連しており、安藤サクラは生保レディとして登場します。柄本佑はラーメンを食べ続ける姿が印象的でした。
私の故郷を題材にした作品を観て、率直な感想をまとめます。南三陸町である必然性はあったのか、共感できる場面を一つも見つけられず、そこがこの作品の狙いだったのか疑問に感じました。
作中の人物描写については、保険外交員の仕事や、浪人してまで早稲田を目指す人、標準語で話す家庭といった要素は私の地元には見当たりませんでした。志津川の駅の描写は控えめで、現実味を感じさせます。
修一の父親が怒りを爆発させる場面は強烈で、殺すべきだと感じる瞬間がありました。成人間近の息子に向かっていって勝てると思っていたのか、いじめていた者たちが刺される場面も現実の厳しさを映し出しているようでした。そんな人間はいなくなればいいと考える瞬間もありました。
社会人になってから大学へ進学することの背景には、生活費や学費の現実がつきまとうのだろうと考えさせられました。映画の1時間52分あたりから見えるあの頃の町並みには、少し嬉しさと同時に切なさも宿りました。
奥田瑛二のインタビューを読んで驚いたのは、戸倉地区が村だったのかという点です。初めて知る事実で、あの地の歴史をあらためて実感しました。
安藤サクラの泣きの演技はやはり圧巻です。最後に登場する地元の女性たちは訛りが強く、リアリズムと親近感を生み出す一方で、少し違和感を覚える場面もありました。