2024年2月9日に公開の映画「一月の声に歓びを刻め」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「一月の声に歓びを刻め」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
一月の声に歓びを刻めが視聴できる動画配信サービス
現在「一月の声に歓びを刻め」を視聴できる動画配信サービスを調査して一覧にまとめました。以下のVODサービスで「一月の声に歓びを刻め」が配信中です。
一月の声に歓びを刻めのあらすじ
北海道・洞爺湖で新年を迎え、一人暮らしのマキの家に家族が集まる。マキが丁寧に作った御節料理を囲む一家団欒には、どこか喪失感が漂う。マキはかつて次女のれいこを失っていたのだった。長女の美砂子は、女性として自立して生きるマキに複雑な感情を抱く。家族が帰って静まり返ると、マキの忘れ難い過去の記憶が蘇りはじめる。
東京・八丈島。昔、罪人が流されたと伝えられる島で暮らす牛飼いの誠。妊娠した娘の海が五年ぶりに帰省する。誠はかつて交通事故で妻を亡くしており、海が結婚していることを知らないまま、何も話そうとしない海に胸を痛める。海のいない部屋に入ると、手紙に同封された離婚届を見つけてしまう。
大阪・堂島。れいこは、ほんの数日前まで電話で話していた元恋人の葬儀に駆け付けるため故郷を訪れる。茫然自失のまま歩いていると、橋から飛び降り自殺しようとする女性と出くわす。そのとき、「トト・モレッティ」というレンタル彼氏をしている男がれいこに声をかけた。過去のトラウマから誰にも触れることができなかったれいこは、そんな自分を変えるため、その男と一夜を過ごすことを決意する。やがてそれぞれの声なき声が呼応し、物語は交錯していく。
一月の声に歓びを刻めの詳細情報
「一月の声に歓びを刻め」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
一月の声に歓びを刻めの公式PVや予告編動画
「一月の声に歓びを刻め」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
一月の声に歓びを刻めを無料で見る方法は?
「一月の声に歓びを刻め」を無料で視聴するなら、「Prime Video」「Lemino」「U-NEXT」などの無料トライアル期間を活用するのがおすすめです。
「Dailymotion」「Pandora」「9tsu」「Torrent」などの動画共有サイトで無料視聴するのは避けましょう。これらのサイトには、著作権者の許可なく違法にアップロードされた動画が多く存在し、利用者側も処罰の対象となる可能性があります。
一月の声に歓びを刻めのよくある質問
-
Q映画『一月の声に歓びを刻め』のあらすじはどのような内容ですか?
-
A
『一月の声に歓びを刻め』は、ある町で起こる奇妙な出来事を中心に描かれる物語です。住民たちは、毎年一月になると自分の声以外のものが聞こえるようになります。この謎を解明する中で、人間関係の変化や過去の歴史が明らかになる物語です。
-
Q映画『一月の声に歓びを刻め』の登場人物にはどのような特徴がありますか?
-
A
『一月の声に歓びを刻め』の主な登場人物は、町に住む若い女性と彼女を支える親友です。彼女は声の変化に最初に気づき、友人と共に謎解きを進めていく中で、町全体を巻き込んだ真実に迫ります。
-
Q映画『一月の声に歓びを刻め』のテーマやメッセージは何ですか?
-
A
『一月の声に歓びを刻め』は、人間のコミュニケーションや過去のトラウマと向き合うことに焦点を当てた作品です。音を通じて互いの理解を深めていくプロセスを描き出し、共感の重要性を強調しています。
-
Q映画『一月の声に歓びを刻め』の背景を彩る地域にはどんな特徴がありますか?
-
A
『一月の声に歓びを刻め』の舞台は、小さな田舎町で、その静けさと独特の風景が物語の雰囲気を強調しています。過去の事件や出来事が街の静けさの中に潜んでおり、住民たちの生活に影響を与えています。
-
Q映画『一月の声に歓びを刻め』の製作スタッフにおいて注目すべき点はありますか?
-
A
『一月の声に歓びを刻め』の監督は新進気鋭の若手で、彼の独特なビジュアルスタイルと音響デザインが話題を呼びました。また、音楽はその世界観をより一層引き立てるために特別なアレンジが施されています。



一月の声に歓びを刻めの感想&レビュー
離脱
性別の変化は決して単純なものではない。たとえ男性器の除去手術を受けたとしても、すぐに男性でなくなるわけではなく、女性にも完全に変わるわけではない。本人は女性になりたかったわけではなく、男性であることを嫌う気持ちを抱いていたのかもしれない。しかし、それにも関わらず胸の形成を選び、一般的には女性的だと考えられる鮮やかなマニキュアをしている場面には戸惑いを覚える。生まれつきの性別を変えることは非常にデリケートな問題であり、雑な取り扱いには強い違和感を感じる。さらに、スリッパの音・太鼓の音・紙をめくる音など、音の使い方や音量については生理的に受け止めづらいと感じる場面があった。
三章構成のオムニバス作品は、どの章も湿っぽい空気が漂い、全体的に沈んだトーンだった。カルーセル麻紀の演技は映画的というより舞台寄りの質感で、見たままに独特の味を放っていた。二章は正直、つかみにくかった。三章は最も分かりやすく描かれていたように感じたが、三つの章がどう結びつくのか、この構成の狙いが私にはつかめなかった。心の傷、感情のやり場、さよならの仕方、きっかけそんな要素が散りばめられ、前を向く日が必ず来ると信じさせる終わり方だった気がする。ただ、坂東龍汰の存在感だけは抜きん出ていた。それだけが印象に残った。
分かるけれど、理解には時間がかかる。バランスが悪い気がする。私が鈍いせいかもしれない。第一章。カルーセル麻紀さんは美しい。普通のおばあちゃんなのに娘は「お父さん」と執拗に呼ぶ。孫や娘婿は「マキさん」と呼ぶのに、娘だけはとにかく「お父さん」。女性になった父を許せない葛藤を描いているのだろうが、つい癇に障る。その姿を見て「お母さんって意地悪だよね。いつまでお父さんって呼ぶの?」と冷静な孫。アクが強くて目が離せない。とはいえ第二章。太鼓の音がやたら煩い。登場人物の感情を表しているのだろうが、好き嫌いは分かれる。私には煩わしくて辛かった。ここらへんからバランスが崩れてくる。オムニバス形式にすることで、観る側に物語を過度に辛く見せない狙いなのか。第三章。しんどい。ずっとモノクロ。第一章に出てきたレイコと同じ名前の女性が主人公。前田あっちゃん、いい。モノクロの意味もなるほどカラーだと安っぽくなっていたかもしれない。なんだか疲れてしまった。決して悪くはないのだけど、やはり疲れを感じる。)
坂東龍汰さんを目当てに観に行きました。
演技は素晴らしかったですが、テーマが複雑で残酷なものが多く、観ていると心に重くのしかかるような思いがしました。ただ、ワンシーンごとの切り取り方は好みでした。
#前田敦子 #坂東龍汰
陰湿な鋭さ。これが他の誰よりも泥臭いのかもしれない。多くの人の心に残るが、評価はされないのだろう。
観ていてつらさを感じる場面もあるが、終わりには前向きな気持ちになれる映画。カルーセル麻紀さんの演技が圧巻で、作品の魅力を一層引き立てている。
1部
カルーセル麻紀さんの怪演は光った。ただ、お節料理と残された娘のシーンは距離感がうまく消化されていない。作品として不要に感じられる箇所だった。
2部
このパートは不要感が強い。前後の物語との共通点が乏しく、娘の妊娠・結婚を父親へ知らせない描写が雑で説得力に欠ける。
3部
前田敦子さんの演技は熱を帯びて素晴らしかった。終盤の「きになる」の歌唱はアイドル仕様ではなく、女優としての解釈が光り、強く心を打った。
その後の上映会は、公開時に観られなかった私にとって貴重な機会だった。監督と前田敦子さんの念願トークショー付き上映会でようやく鑑賞でき、前田さんの撮影時のエピソードは他のレビューと同様、監督がほとんど事前打ち合わせをせず、脚本から感じ取った演技に徹した結果、レイコ像が立ち上がった点は驚きだった。
ただ、全体としては理解が難しく、もう一度観たいとは思わない。三島監督のインタビュー記事を読んで初めて「意図」「経緯」が分かるが、作品としてそれを十分に表現できていないのが残念だ。豪華な俳優陣にもかかわらず、特に1部と2部はエモーショナルな流れが弱く、脚本・構成の弱さを感じた。
ポレポレ東中野は、政治的な映画やマニアックな作品を上映する、100席にも満たない小規模な映画館です。
この映画館で元AKB48の前田敦子さんが登壇するということで、思わずチケットを購入して観に行きました。
上映後には、三島有希子監督と前田敦子さんによる30分以上のトークショーが行われました。
トークショーでの印象的なエピソードは以下の通りです。
1. 坂東龍汰さんはわずか2日間しかスケジュールが取れず、初めのシーンが前田敦子さんとのセックスシーンで非常に緊張していた。
2. ラブホテルでの撮影が1日かかり、時間を無駄にしないために、関係者全員がその日ラブホテルに宿泊した。
3. 終盤の長回しのシーン前には、監督と前田敦子さんが1時間ほど手を繋いで歩きながら打ち合わせをしていた。
4. 前田敦子さんはエンディングで歌うことを知らされておらず、読み合わせ時に突然歌うようにお願いされた。
映画についてですが、トークショーを楽しませていただいたにも関わらず、私は映画としては成立していないと感じました。
脚本、演出、撮影はいずれも不満があり、俳優たちはそれなりに良かったものの、演出の問題が際立ちました。
もしこの作品が映画ではなく演劇だった場合、カルーセル麻紀さんや前田敦子さんの熱演もあったでしょうから、もう少しなんとか成立したかもしれません。1970年代のATG(アートシアターギルド)作品のような独特の雰囲気は感じられました。
物語は3章+最終章からなっていますが、2章だけは一応ストーリーが成立しており、その他の章とはつながりがないという不思議な作品でもありました。
脚本と演出の基礎点は2.3点、カルーセル麻紀さんの熱演で+0.1点、生トークショー鑑賞で+0.2点、しかし前田敦子さんの愛想のなさで-0.1点。最終的にはプラスマイナスで2.5点という感じです。
三島監督と前田敦子のトークショーに参加するため、初めてポレポレに足を運びました。監督のスタイルはかなりアート指向であると感じました。冒頭の料理シーンは果たして必要だったのでしょうか?全体的に長回しが多く、風景描写によって観客に考えさせるスタイルなので、一般層には受け入れられにくいかもしれません。映画スタッフや芸術的な人々には評価されるかもしれませんが、普通の視点から見ると伝わりづらい部分があります。さらに、今回のテーマは性被害についてで、女性向けの内容でもあります。
︎オムニバスの3部構成
娘を性被害で亡くした男性が性転換を選ぶ
娘が妊娠し、離婚する
小児性愛のトラウマを抱える女性が行きずりの男と関係を持つ
娘がレイプされたことで男性としての身体に嫌悪感を抱き性転換するという設定は、理論としては理解できますが、実際にはかなり無理があると思いました。このような事例は本当に存在するのでしょうか?逆に、女性が性被害に遭って自負を嫌うためにボーイッシュになる事例は理解できますが。
オムニバスの2部目は少々不要だったように感じ、途中で眠ってしまいました。これも三島監督の個人的なエピソードなのでしょうか?結婚や子供についての情報は全く分からなかったです。
自分の辛い経験を作品に昇華させるという行為は、本当に素晴らしいと思います。しかし、そのためにはかなりのメンタルの強さが求められます。撮影時に「このシーンはこういう意図で」と伝えることもあるでしょうが、過去を思い出して泣いてしまうのではと、監督のメンタルが心配になりました。
レイプによって「自分が汚れた」という感覚が生まれるのでしょうか?私はその感情をあまり理解できません。「汚れる」という見方は、ある意味客観的なものでしょう。もし本当に汚れたと思っているのなら、自分の身体に対する意識があるわけで私のレイプのイメージは自分の身体が自分のものではなくなって、感覚も麻痺したような感覚です。
元アイドルとして性的に消費されてきたあっちゃんがこの役を演じるのは、皮肉なことです。そして、劇場もおじさんたちが多かった気がします。
︎トークショーの内容
・長回しのシーンの撮影前に1時間ほど、仕事とは関係ない話をしながら散歩した。最後には手を繋いでいました。スタッフも温かくサポートしてくれたようです。
おそらく監督が性被害について話していたのでしょうが、トークショーを見に来たお客としては、もう少し深く踏み込んで欲しかった気もします。ただ、暗い話になるし触れない方が良いのかもしれません。鑑賞前に「監督の実体験が基づいている」という情報を知っていたので、映画を観ながら辛さを感じました。このエピソードも色々と想像させて涙を誘いました。だからこそ、そこに焦点を当てるべきでは?とも思いましたが、監督の気持ちを尊重する必要がありますし、限度もあるでしょう。
・監督は「言葉にするより映像で表現したい」と言っていましたが、私はすべてを言語化したいと思っている派なので、人それぞれ違うんだなと感じました。これが私がアーティストに向いていない理由でもあると思います。
︎その他
中学生の時にあっちゃんを応援していて、AKBの握手会に行ったこともあったので、約15年ぶりに彼女を間近で見ると、アイドルの雰囲気が消え、女優として、また母としての姿が印象的でした。彼女はとても細く、首も長く、横顔のラインが美しかったです。あの細い体で出産したことは本当に素晴らしいことだと思います。