2022年1月2日に公開の映画「帆花」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「帆花」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
帆花が視聴できる動画配信サービス
現在「帆花」を視聴できる動画配信サービスを調査して一覧にまとめました。以下のVODサービスで「帆花」が配信中です。
帆花のあらすじ
生後すぐに「脳死に近い状態」と宣告された帆花ちゃん。母親の理佐さん、父親の秀勝さんと過ごす家族の時間に、カメラは静かに寄り添う。常に見守りが欠かせない帆花ちゃんとの生活は誰にでもできることではない。でも理佐さんと秀勝さんにとって、それは当然の、普通の暮らしだ。いろんな場所へ出かけ、絵本を読み聞かせ、お風呂を共にし、吸引をする……そんなありふれた日常が重ねられ、育まれていく。動かなくても、言葉を発しなくても、触れ合うことで通じ合い、満ちていく。帆花ちゃんを深く愛する両親の姿から伝わる、「我が子と一緒にいられる幸せ」。そんな家族の日々に、生きる喜びと生命の営みを見出すのは、この作品の初監督・國友勇吾だ。3歳になった帆花ちゃんが小学校入学を迎えるまでの間、家族のすぐそばで、言葉にも映像にも現れなくても、人が生きていくうえで大切なものを丁寧に見つめ続けた。プロデューサーには『春を告げる町』の監督としても知られる島田隆一を迎え、編集を『ニッポン国VS泉南石綿村』『東京クルド』などの秦岳志、整音を『台湾萬歳』『オキナワ サントス』などの川上拓也が担当するなど、現代ドキュメンタリーの精鋭がスタッフとして参加している。帆花ちゃんの手の柔らかさと温もりに、生を実感して心が震えたという國友監督が紡ぎ出す、いまこの社会とともに在る「いのち」の物語。
帆花の詳細情報
「帆花」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
帆花の公式PVや予告編動画
「帆花」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
帆花を無料で見る方法は?
「帆花」を無料で視聴するなら、「Prime Video」「U-NEXT」などの無料トライアル期間を活用するのがおすすめです。
「Dailymotion」「Pandora」「9tsu」「Torrent」などの動画共有サイトで無料視聴するのは避けましょう。これらのサイトには、著作権者の許可なく違法にアップロードされた動画が多く存在し、利用者側も処罰の対象となる可能性があります。
感想・レビュー
「合理性」という言葉が好きだ。
清潔な規律と理性が感じられ、壮大な摂理を思わせる。日々の生活は結果に満ちており、その背後にある合理的な理由について考えることが面白い。
しかし、考えを巡らせても非合理な「わからない」事象に遭遇することも多々ある。そのときには、素直に「わからなさ」を受け入れ、人智を超えた奇跡に心を奪われ、その背後の虚無に吹く風に身を委ねる方が、はるかに尊いと思う。
答えが出ないなら、考え続ければいい。それも一つの答えだと受け入れることができるようになったのは、ここで言及されている『津久井やまゆり園』の事件を経てからだ。
あの事件に関する知識を深めようと、公判記録や傍聴記、関連書籍、有識者の意見、映画などを見てきたが、どれもわからなさを増すばかりだった。
そんな時、植松死刑囚が送った手紙を取り上げた大学教授・最首悟さんの記事に辿り着いた。
最首さんは、「人にはどんなに考えても決してわからないことがある。それを受け入れることで、人は静かな優しさに包まれるのではないか」と述べ、植松死刑囚に手紙を送ったという内容が今も公開されている。
この文章を読んだ瞬間、私は「わからなさ」にどれほど耐えられないようになったのだろうと思った。「わからなさ」こそが生そのものであり、障害や病気の有無には何の関係もないはずなのに。しばらくしてその言葉の真意に気づいたとき、ふわっと優しい風が心に吹いた。
この映画を観たとき、また優しい風が胸に吹いてきたことを忘れない。私は弱いから、一人の時間が続くと「わからなさ」を大切にできなくなってしまう。
障害福祉に携わる支援者の一人として、できることをずっと「わからないな」と思い続けて考え続けることをやめない。ほのちゃん、ありがとう。
看護師として働く日々、このような患者さんと向き合う機会もあります。幸せとは何か。生きるとは何か。そんな問いが胸に迫ってきました。あらためて、愛の力を強く感じました。
生きること、生きていること、そして死んでいることについて、
何度も深く考えた。
辛さを感じたわけではない。それは美しさだった。
両親はずっと「ほのちゃん」と呼び続け、手はかさかさで、深夜もずっと側にいてくれた。
「植物状態だろう、ただ生きさせているだけだ」という声が耳にしみる中、
脳と心は別の存在だ。ほのちゃんには心と意志がある。その存在は明るく輝いている。
美しい一方で、痛みを伴うように感じながらも、やはりその美しさに涙が出た。
帆花ちゃんは生まれつき脳死に近い状態で生を全うしてきた少女と、そのご両親の日常。現在は高校生として成長する帆花ちゃんの生きているという事実を見つめる物語だ。
鑑賞中、植松聖の名前がふと頭をよぎる。彼の犯行動機を知るにつれ、日々直面してきた揺らぎを完全には否定できない自分がいることに気づく。だからこそ、彼の思想とその犯罪を断固として拒絶するべきだとも強く感じる。支援の現場で直面する葛藤は、放置せず問い続けるしかない。安易に既成概念に収めようとする思考回路は恐ろしいし、「生命には生産性がない」などと決めつける人の言葉は、最も楽な道へ向かう傾向でしかない。だからこそ私は、全力で拒絶し続けるべきだと信じている。
帆花ちゃんを目にすると、単純に美しいだけではなく、複雑で美しい感情が胸に立ちのぼり、同時に彼女の存在を支える力を強く感じる。生きていることは、すべての答えを含んでいると胸を打たれる。
ご両親や周囲の人たちが帆花ちゃんに語りかけ続ける姿にも強く心を打たれる。諦めるかどうかの問題ではなく、「そこに在る」という姿勢だ。もしご家族が『ジョニーは戦場へ行った』の登場人物だったなら、彼らはおそらくジョニーの意思を見抜き、いかなる変化も見落とさず、会話の道をつくっていったはずだ。母親の理佐さんが語った言葉、「お風呂に入っているときなんか、帆花が亡くなったらどう挨拶しようかなと考える。変な話じゃなく、普通にそう考えてしまう」この言葉は特に心に響く。
正直、感想を言葉にするのは難しい。母は、子どもが亡くなったとき何を話すべきかと悩んだ末に、感謝の気持ちで満ちていると語ってくれました。おっしゃるとおり、子育てや孫育てを通じてこちらが学ぶことは多く、たくさんの幸せをもらっています。まだ会話を交わせない子どもの寝顔からも、癒しと希望を受け取ることがあります。とはいえ、口には出せなくても肉体的にきつい時や精神的に重く感じる場面は現実です。福祉や金銭、自分の時間の確保など、越えるべき壁は多い。映画としてそのあたりが描かれきれていないのは残念です。どうどうか、ご家族と帆花ちゃんの幸せを心よりお祈りします。
毎日同じ介護の作業を繰り返す中で、時には自分が何をしているのか分からなくなると語っており、その確認のために写真を撮りたいという思いが印象的だった。
わからない、ぐるぐる
ケアができる人は、本当にすごい力を発揮していると思う。私はおじいちゃんの供養をうまくできていない、ぐぎゅぐぎゅ。
ううー
ほのかちゃんの「あーあー」という声が響いている。保護者のお二人は、辛くないのだろうか。ぐぎゅぐぎゅ。
うー、うぐー
夢をたくさん見ているというのは、辛そうだなと思った(あまり夢を見ない方が健康に良いと聞いたので)(うぐー)(緊張感のある生活だなとも考えたり)(うぐー)
津久井やまゆり園の殺傷事件を調べて知った映画を観ました。自分のことのように胸を打たれる内容で、私自身の記憶にも重なる点がいくつかあります。小学校5〜6年の頃、親戚から田舎の迷信として『将来生まれてくる子どもは障害を持つかもしれない』と言われ、障害のある子どもを愛せる自信が持てませんでした。大人になっても頭の片隅にもしもが残り、障害のある子を産んだら自分と家族が見捨てられるのではないかと思う癖が消えませんでした。 この映画を見て驚いたのは、帆花さんだけでなく、母・理佐さんはもちろん、父・秀勝さんや祖父母、伯母さんといった家族、さらには社会の福祉が寄り添って支えてくれる姿が描かれていたことです。重い障害を抱えた命にも死んだほうがいいと見なしてよい人はいない、そう実感させられました。私にとって特に印象深かったのは、7月26日の出来事として、価値観が大きく変わった瞬間です。
愛は風景のように広がる。僕はただ、眺めている。
天使は周りの人に多くの恵みを与える存在だと思う。知ること、想像することから始めよう。
私が感じる愛は、別次元の愛情があるのだろうと思わせるものだ。映画の冒頭には、誰もがひと通り思うことを母親自身が口にする場面がある。そこを乗り越えてきた家族に、私がとやかく言えるはずもない。見ていて胸が張り裂けそうになりました。#フリッパー0702-2025