1952年10月1日に公開の映画「お茶漬の味」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「お茶漬の味」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
お茶漬の味が視聴できる動画配信サービス
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最終更新日
お茶漬の味のあらすじ
日本を代表する名匠・小津安二郎の意欲作。戦時中に検閲当局に却下された脚本を再び取り上げたことで、ユーモアが巧みに盛り込まれた傑作に仕上がっている。
物語は、倦怠期を迎えた中年夫婦を描いている。妻・妙子はお嬢様育ちの影響で、派手に遊び回る日々を送っている。一方で、夫・茂吉は豊かな生活を享受しながらも、質素な生活を貫いている。二人は互いに理解し合えない孤独感を抱えている。
性格の異なる夫婦の愛を、二人で食べたお茶漬けの味に見出すという、小津監督ならではの斬新な視点が魅力的だ。
お茶漬の味の詳細情報
「お茶漬の味」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
監督 | 小津安二郎 |
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脚本家 | 小津安二郎 野田高梧 |
出演者 | 三宅邦子 上原葉子 佐分利信 北原三枝 十朱久雄 小園蓉子 山本多美 山田英子 志賀直津子 日夏紀子 望月優子 木暮実千代 柳永二郎 津島恵子 淡島千景 石川欣一 笠智衆 美山悦子 藤丘昇一 設楽幸嗣 谷崎純 長尾敏之助 長谷部朋香 鶴田浩二 |
カテゴリー | 映画 |
ジャンル | ドラマ |
制作国 | 日本 |
公開日 | 1952年10月1日 |
上映時間 | 115分 |
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感想・レビュー
素朴で身体に染み入る夜のお茶漬けの味。この味を通じて、言葉では表現しづらい夫婦の関係性が浮かび上がる。まだ理解はしていなくても、感じ取ることができる。台所でお互いが少しずつ助け合いながら目的のものを探すシーンが印象的だった。妻は気を利かせていろいろな足りないものを見つけるが、あまりに気を回しすぎて大事なご飯を忘れてしまう。この行動は、愛する人に何かをしてあげたいという思いから来ているように感じられて良かった。
不在がもたらす実感は、小津安二郎作品に共通するテーマかもしれない。節子の問題が次第に彼ら夫婦の問題として現れてくる。そして、互いの存在に真剣に向き合わざるを得ない状況に直面する。
友人を勝手に盲腸のキャラクターにするシーンや、鯉を夫に例える部分が印象に残った。
ラスト10分が全てだけど、長く感じるな。
この頃、部長は二人の女中を雇うことができたんだ。
妻への感情移入で涙があふれた。夫婦でキッチンに立ち、食事の準備をするシーンには胸が熱くなった。画面のズームが多用されていた点も、印象に残る演出だった。
2025年公開作、249本目。
清々しい和解とは言い難いが、巨匠・小津安二郎が地方出身の素朴な夫と上流階級出身の妻とのすれ違いと和解を丹念に描くドラマである。
妙子と佐竹茂吉は結婚しておおよそ7、8年。妙子は裕福な黒田家に生まれ育ち、外の世界の華やかな付き合いを好むのに対し、茂吉は信州の田舎出身で質素を貫く性格。価値観のズレは日常のささいなすれ違いとして現れ、やがて大きな溝へと発展していく。
ある日、妙子は神戸の友人の家へ遊びに出かけ、その留守中に茂吉は急な海外出張が決まる。原案は復員直後に構想された未映画化のシナリオだったが、戦時下の検閲で不許可となる。戦後、小津は野田高梧と共にこの構想を引き継ぎ、応召をモンテビデオ赴任へと置き換えて再構成。こうして待望の映画化を果たす。共演はマキノ雅弘監督の『離婚』で共演した佐分利信と木暮実千代、笠智衆など小津作品の常連と、鶴田浩二ら若手を脇に配した布陣で固められた。
茂吉は地方出身で質素を好み、煙草は安物で十分、汽車も3等で十分と考える。そんな自然体の落ち着きが、彼の過剰な幸福を求めない姿勢として描かれる。一方の妙子は裕福な家庭の出身で、華やかな付き合いを楽しみたいと望み、茂吉の感覚を貧乏くさいとして軽んじる。小津がこれまで描いてきた、見合い結婚を経て価値観の異なる二人が同じ家に暮らす難しさが、本作でも鮮明に示される。妙子の態度には夫への見下しが透けて見えるが、それは結婚が黒田家の妥協の産物だったのではないかという示唆にもつながる。家柄の釣り合いだけを理由に結ばれたとすれば、妙子の内心の反発も理解できる。
本作の見合いを拒む若い娘のモチーフは、姪の節子が担う。彼女は理想を追い、形式的な見合いを受け入れられずに逃げ出す。茂吉は口では窘めつつも、心の底では「嫌なら仕方がない」と理解を示す。自分自身が見合い結婚によって妻との距離を経験しているからこそ、節子に寄り添えるのだろう。
物語は、夫婦が最終的に歩み寄り、お茶漬けを口にしながら穏やかな一体感を取り戻す結末へと向かう。ただし妙子の急な心変わりには説明が不足しており、出張を見送らなかったことを友人に咎められた体裁上の不安や離婚の可能性を恐れた計算が影のように潜んでいるのではないか、という読みも成立する。笑顔の裏に潜むしたたかさを読み取ることもできる。
戦後の時代状況を映す場面も見逃せない。競輪場や野球場の整備がまだ進まない観客席、パチンコ店を経営しつつ「こんなものが流行るうちは世の中は良くならない」と呟く元班長の存在は、戦争を生き抜いた世代が抱える複雑な感情を映し出す。享楽へ戸惑いを感じつつも、かつての部下への連帯意識が同居する描写は、戦後日本の空気を生々しく切り取っている。
さらに、妙子の友人アヤを演じた淡島千景の存在感も本作の大きな魅力のひとつ。銀座で煙草をくわえ働き、思い立ったように温泉旅行へと友人を誘う豪放さは、戦後の女性像の変化を象徴する。夫に金をねだられれば一旦は受けて立つが、その後にはしっかり取り戻すしたたかさも併せ持つ、現代的な女性像として光っている。
『遠い山なみの光』の1952年における長崎市街のシーンで、黒澤明の『生きる』と並んで本作のポスターが貼られているのを見て、何か参照があるのかと興味が湧いた。
私の家庭内では自分が茂吉のような立場なのだが、それでも妙子にもう少し気を使ってあげるべきだと思う。この茂吉は、確かに「鈍感さん」と呼ばれても仕方ないし、反応が鈍いコンニャクおじさんのようだ。
こうなると、妙子が不満を抱くのも当然だと感じる。しかし、これもまた現代を生きる男性の解釈なのだろう。
1952年当時の「男」の価値観においては、反論するのは普通で、何発か殴って黙らせることも充分考えられたのではないかと思う。
とはいえ、一体何を見せられているのかと疑問に思うシークエンスが延々と続く。
オールド野球ファンとして、オリオンズ時代の別当薫が映る後楽園球場のシーンに心を奪われたが、パチンコや競輪といった復興した娯楽の場面は興味深いものの、映画全体として何を意味しているのかが頭から離れなかった。
妻たちと夫たちがそれぞれバラバラに遊び、最後にお茶漬けで収束する。
なぜかわからないが、夫婦の心の中で何かが変化したことは確かだと、ぶっきらぼうに描かれているのに2人の表情が妙に納得させるような感覚があった。
とても不思議な映画だった。
多くは観ていませんが、小津の作品は家族の嫌な部分を巧みに描写しています。それぞれに憎まれるキャラクターが登場しますが、特にこの作品の主人公の妻は非常に嫌な人物として描かれています。
それでもあの結末に至るのは、作品のテーマだけでなく、当時の時代背景も影響しているのでしょう。
当時の大衆文化を知る上でも貴重なシーンが多く、本作のパチンコの場面は特に興味深かったです。そこでの笠智衆の演技も素晴らしいです。
良かったんだけど、奥さんはさっき旦那さんがお茶漬けを食べているのを見てブチ切れていたし、旦那さんは『もうしないよ』と言っていたことを思い出して、結末だけなんだかいまいちだったなあ。
お嬢様育ちの妙子は、見合いで長野出身の素朴な茂吉と結婚した。彼女は彼を「鈍感さん」と揶揄し、言葉にできない不満を抱えている。姪の節子が見合いをドタキャンしたことがきっかけで、彼女の夫に対するストレスはピークに達する。そんな矢先、茂吉の海外出張が決まる。この映画は驚くべき作品だ。最後に夫婦がお茶漬けを食べるシーンで、感動するなんて。「お茶漬けだよ、夫婦はこのお茶漬けの味なんだ」と語られる。大きな事件が描かれない中で、結婚や夫婦の形を正面から見つめ直すその姿勢が素晴らしい。後半では、妙子が茂吉に対して冷たい態度を見せる様子が、彼女の親の喧嘩を思い起こさせ、いたたまれなかった。失ったときに初めて茂吉の存在の大きさを実感する妙子。彼女が嫌っていたお茶漬けを茂吉と共に食べることで、その変化が表現されているのも良い。深夜の緩やかな空気感が非常にリアルに再現されている。
タイトルの衝撃的な映像から始まり、ヨーロッパ風の影響を意識しているのかと感じた。戦後わずか7年で街も人もここまで変わるのかと驚く反面、女性の描き方には強い違和感があった。そもそもお見合いは家と家の結婚を結ぶ儀礼であり、こうしたギャップが生まれないようにするべきだと思う。さらに、中年まであれだけの生活を続けてきて、夫がいない日だけで反省して素直なかわいい奥さんになるという展開には説得力が欠ける。男性側の理想として、いつまでも奥さんが自分に寄り添ってくれる願望があるのかもしれないと感じた。
「遠い山なみの光」を観るため、長崎の映画館にこの映画の看板が掲示されているのを見つけ鑑賞した。他には「生きる」「サンセット大通り」といった名作を追い、1952年の雰囲気を味わおうと観てみたのだが、修善寺旅行、野球観戦、競輪、パチンコといった娯楽シーンが次々と続き、戦後復興の明るさと相まって、どうしても妙に陽気に感じられてしまう。長崎の観客は当時、この作品をどう受け止めたのだろうか。
ただ夫婦が用意したお茶漬けを向かい合って食べる10分間は、何気なく映されていながらも信じられないほど素晴らしい瞬間だ。全体として食事は多いが、特に華美な料理ではなく、作法が際立っているわけでもない。それなのに、どれも格別に美味しそうに見えるのは、二人の会話と関係性から生まれる心地よさのおかげだろう。加えて歌の場面も現れ、三度、登場人物が唐突に歌い出すが、ミュージカル風ではなく、会話の合間に自然と一節が挟まれる。麺でも米でも、すすり音が生まれる間合いが、物語のリズムを支えている。