1993年10月23日に公開の映画「友だちのうちはどこ?」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「友だちのうちはどこ?」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
友だちのうちはどこ?が視聴できる動画配信サービス
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最終更新日
友だちのうちはどこ?のあらすじ
アッバス・キアロスタミが監督・脚本・編集を手がけた「ジグザグ道三部作」の第1作。様々な映画祭で数々の賞を受賞した本作は、間違って持ち帰ってしまったノートを返すため、場所を知らない友達の家を探し回る少年の物語を描いています。
友だちのうちはどこ?の詳細情報
「友だちのうちはどこ?」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
監督 | アッバス・キアロスタミ |
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脚本家 | アッバス・キアロスタミ |
出演者 |
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カテゴリー | 映画 |
ジャンル | ドラマ |
制作国 | イラン |
公開日 | 1993年10月23日 |
上映時間 | 85分 |
友だちのうちはどこ?を無料で見る方法は?
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感想・レビュー
アハマッドがひどくぞんざいに扱われていて、かわいそうだ。イランの子どもの扱いって、こんな場面もあるのかと胸が痛む。おじいちゃんたちは時に厳しい印象を受けるけれど、鍛冶屋のおじいちゃんは最初、変質者かもしれないとハラハラした。けれど、実際にはとても親切な人で、そこは安心した。
子どものころ、親が別の大人と話している場に居合わせると、話の内容がわからず居心地が悪く、疎外感に包まれたことを覚えている。焦りや不安もあって、もっとわがままに振る舞って怒られてもいいはずなのに、案内された場所がネマツァデの家じゃなかったときは、隠していたノートをニットベストの下にしまい込み、おじいさんと落ち合った。ああ、なんてやさしい子だろうと思いながら、同時に感情をしまい込む癖が自分にもあるのかもしれないと胸がぎゅっと締めつけられた。解決しなくても、役に立たなくても、安心を感じられる場所があるという心強さを感じる。だからこそ、そんな存在を大切な人のそばにもありたいと思う。
三部作のひとつを静かな気分で観始めたつもりだったのに、予想外にハラハラして怖い映画だった。大人たちが最初から最後まで子どもをちゃんと見ていないと感じて、心がゾワッとした。
建物の描写や景色がとても印象的で、要所要所で映るドアが美しいと思っていたら、物語の中でその話が出てきて納得した。キアロスタミさんの作品は、相変わらず人々が『語る』ことで成り立っていて、価値観の根はどこにあるのか、何を指針として生きているのかが生活とともに語られていく点がとても好きだ。画面から伝わる生活感や場の雰囲気も素敵で、土地固有の習慣や行動が色濃く描かれているのがいい。
(親族の老人が虐待の連鎖のように見えつつも、今思えば「子供の頃に教わったことは、どんな理不尽さでも大人になっても実行する」という教育の話だったのかもしれない)靴下が穴だらけなのが、鍛冶屋かドア職人の老人と少年の関係とリンクしているように感じられて、わざとそう描いているのか、それとも生活水準の象徴なのか、自分にはまだ判断がつかない。もしかしたら両方なのかもしれない。
主人公があの老人と出会ったことが、観ている私が感じた安らぎや安心、窓から差し込む光のきらめき、色の多様さといった未来へつながる希望を与えるのではないかと感じつつ(その親切心や穏やかさは、物事が解決しなくとも「優しさ」や「礼儀正しさ」を示したくなるほど暖かいものだったのかもしれない)。主人公が恐怖を感じたときに頼った場面も、ここにあった。
老人の帰宅にスポットを当て、老人が帰宅して少年も無事である様子がつながっていくのがとても良かった。少年にとって不安でつらい帰路が、老人に焦点が当たることで穏やかな帰り道へと変わっていく。最後に老人がくれた花の映るシーンも、安らぎのモチーフとして強く心に残り、ほっとした。
鍛冶屋の老人の語りシーンは、桜桃の味の終わり方に近い、価値観の近さや安堵感を強くもたらす場面で大好きだった。本当に良かった。これまでの人生体験を通じ、鉄の扉は一生壊れないという人生観へとつながる語りが素晴らしい。人生はそんなに長いのか、という問いが浮かぶが、それはとても深い余韻として残る。
語り手の素朴さ、優しさ、生き物としてのたくましさが、映像の生活描写と同じく物語を動かしているようで、この人の映画を観ると全身が喜びで爆発してしまうほどだ。とはいえ監督の意図を完全に理解できないところもあるし、観ている途中は何度も息をつく場面が続く。
それでも私はキアロスタミさんの映画が好きで、構造よりも生活と語りの積み重ねを愛している。大人たちの行動や主人公の細かい焦れつきも含め、全体の流れは最後まで見ればおおよそ掴める。政治的な状況や実態までを知っているわけではないが、それ以上にこの作品の追想と余韻を味わえたのが嬉しかった。
坂道が静かで美しく、画面に映るその佇まいが心に深く刻まれる。
長い間観たいと思っていたアッバス・キアロスタミ監督の作品を、ついに初めて観賞した。主人公の少年アハマッドの瞳が忘れられない。
隣の席の少年が宿題ノートを忘れてしまい、それを届けようと彼の家を探して返そうとする。
大人たちは事情を知らず、耳を貸さず、探しても手掛かりはなく、必死に聞き回り夜が更けていく。
結末よりも、探している場面の景色やそのときの彼の姿に目を離せず、胸が高鳴る。
イランのことは詳しく知らないが、友だちの家を探している少年の姿を追ううちに、村の暮らしぶりが浮かんでくる。
忘れられない写真を何枚も見ているような感覚があり、記憶がよみがえる。
少年の優しさに触れ、温かな気持ちになり、また観たくなる映画だった。
アッバス・キアロスタミの転機となり、日本で初公開を果たしたイラン映画。制作は1987年。放課後の少年アハマッドは、友だちの宿題ノートを誤って持ち帰っていたことに気づく。宿題を提出しなければ退学になると知り、ノートを返すべく隣村へと「ジグザグの道」を辿る旅に出る。表面上はシンプルな物語だが、風の音や暮れゆく空、犬の鳴き声といった音景が、人生の難路を象徴しているかのようだ。学校の教師や少年の祖父は「規律こそが大切だ」と強調する一方で、そうでない大人の姿も描かれる。その時代のイラン社会はどんな状況だったのか観客は物語とともに想像力を巡らせることになる。
イランの風景や生活が感じられて、とても心温まります。本筋とは関係なく、心が癒される瞬間があります。無関心な大人たちに振り回される少年の姿が、切なくも愛おしいです。ドアや窓を作る職人のおじいさんと一緒に歩いた夜の街や、最後のノートに挟まれていたお花が特に印象に残っています。
こんな大人にはならないと心に決めよう。素晴らしいラストシーン、心地よい音楽が印象的な映画。
理不尽な大人たちに振り回され、散々な一日だった。でも主人公の優しさが際立ち、まるで演技ではない生の表情に心を打たれる。8歳とは信じられないほどの存在感で、必死に考え、走って、誰よりも前へ進む姿は涙を誘う。かつて私にも、学校が世界の全てだった時代があったことを思い出させられた。
ノートを返すというシンプルなミッションを題材にした映画があるのが驚きだ。結局、ノートを返せず、友達の宿題まで手伝ってしまうという展開が、先生に見つからずにうまくいくという不思議な物語。大人たちの自己中心的な態度にはイライラさせられる!
なんとも美しい映画だ。小学生の日常を描いた作品である。主人公の男の子は、宿題をすることが家事よりも重要だと厳しく教え込む教師のもとで学んでいる。しかし、彼は隣の席の友達の宿題ノートを間違って持ち帰ってしまう。これにより、隣の子は宿題を終わらせることができず、翌日に怒られる運命にある。退学の危険も潜んでいる。責任を感じる主人公は、母親の頼みを振り切り、山を越えて隣の街までノートを届ける旅に出る。途中で出会った老人が、行き違いや勘違いを解決する手助けをしてくれる。老人は職人であり、街の多くの木製ドアを手がけたが、今はほとんどが鉄製になっている。この街にこの老人はいつまでいるのだろうか。また再び導いてくれるのだろうか。