1994年3月19日に公開の映画「日の名残り」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「日の名残り」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
日の名残りが視聴できる動画配信サービス
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日の名残りのあらすじ
カズオ・イシグロの同名ベストセラーを基にしたラブ・ストーリー。イギリスのダーリントン邸で生涯を捧げた老執事スティーブンは、自らの半生を振り返りながら、実らなかった女性との思い出に浸る。
日の名残りの詳細情報
「日の名残り」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 原作者 | カズオ・イシグロ |
|---|---|
| 監督 | ジェームズ・アイヴォリー |
| 脚本家 | ルース・プラワー・ジャブヴァーラ |
| 出演者 |
|
| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ |
| 制作国 | イギリス |
| 公開日 | 1994年3月19日 |
| 上映時間 | 134分 |
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日の名残りのよくある質問
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Q映画『日の名残り』のあらすじはどのような内容ですか?
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A
映画『日の名残り』は、完璧なバトラーを目指していた執事スティーブンスが主人公です。彼は過去の仕事と主人であるダーリントンに対する忠誠心を振り返りながら、かつての同僚であるケントンとの再会を通じ、自らの人生を再評価していく物語です。
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Q映画『日の名残り』に登場するスティーブンス執事のキャラクターの魅力は何ですか?
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A
スティーブンス執事は、一貫したプロフェッショナリズムと忠誠心を持つ人物です。彼の冷静沈着な態度と、仕事に対する献身が描かれており、観客に彼の内面的な葛藤を感じさせます。彼の人間性と変化が物語の中心となっています。
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Q映画『日の名残り』の製作スタッフについて教えてください。
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A
映画『日の名残り』は、ジェームズ・アイヴォリーが監督を務めました。また、アンソニー・ホプキンスやエマ・トンプソンといった有名な俳優が出演しています。製作はマーシャンツ・アイヴォリー・プロダクションズが手がけています。
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Q『日の名残り』の原作との違いはありますか?
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A
映画『日の名残り』はカズオ・イシグロの小説を原作としています。映像化に伴い、物語の時間軸やキャラクターの描写が調整されており、特にスティーブンスの内面的なモノローグが映像として表現される部分に違いがあります。
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Q映画『日の名残り』のテーマやメッセージは何ですか?
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A
映画『日の名残り』は、過去の選択と現在の自分に対する問いかけ、そして人生における後悔と気づきをテーマとしています。人物が立ち止まって振り返ることで成長し、何を優先すべきかを考えさせられるメッセージ性の強い作品です。



日の名残りの感想・評価
信頼できない語り手とは、主にミステリー作品で使われる叙述トリックであり、1人称の語り手が誤解を招くように展開することで、物語の謎を隠す手法を指します。ただし、この手法はミステリーだけに限らず、ノーベル賞作家カズオ・イシグロや同じくノーベル賞を受賞したパトリック・モディアノなど、多くの作家が採用しています。イシグロは「文芸的なテクニックではない」と述べており、ミステリーとしての特性にとどまらず、私たちの生の実感にも深く響く要素を持っています。
『日の名残り』は、イシグロのこの「信頼できない語り手」の普遍性を用い、イギリス文学を品格高く描写するジェームズ・アイヴォリーの監督によって映画化されています。原題は『The Remains of the Day』で、大英帝国の衰退を見つめた老執事スティーヴンス(アンソニー・ホプキンス)の視点から描かれます。この視点の特異さは、後世の歴史家が振り返るような高い視野ではなく、個人的な体験から語られる点です。
イシグロの作風では、史実を基にした作品でも、『わたしを離さないで』のような虚構であっても、広い舞台に個人の狭い視点から物語を展開します。したがって、老執事の内面的な混乱とアイロニーが際立ち、物語が進む中で観る者に深い余韻を残します。
この作品は、第二次世界大戦を挟んで戦前の1938年と戦後の58年を通じて、イギリスの階級社会の中で揺れ動く一人の男性の姿を描きます。スティーヴンスの揺らぎは、父子、恋愛、社会の3つの関係から生じ、特に職務に忠実であろうとしたことでのアイロニーが宿ります。父子の関係は死に目に会えないこと、恋愛はミス・ケントン(エマ・トンプソン)が屋敷を去ることで、社会関係は数多くの矛盾によって揺らぎます。
スティーヴンスは、ダーリントン卿(ジェームズ・フォックス)の指示に従ってユダヤ人女中を解雇し、その結果、戦前と戦後の価値観の逆転で非難されます。また、彼の務める階級社会自体が変化します。これらは彼の職務に対する忠誠が引き起こしたアイロニーであり、スティーヴンスは常に自らの誇りを守ろうとします。映画におけるミス・ケントンの役割は、観る者の代弁者として描かれています。彼女は、スティーヴンスの揺らぎを全ての点において問いかけ、愛し、去ります。だが、彼を責めることができる人はいるでしょうか?
人間は常に広がる世界の中で限られた選択の中から行動せざるを得ません。情報社会が進化しても、過去を振り返ることはできず、見えたとしても新たな歴史的枠組みによって制約されます。自由であることは、特定の位置に自らを置き、そこから如何に生きるかを模索する態度となります。この自由さは時として、人を不安定にさせる要因になるため、人は安定した「港」を求めます。スティーヴンスの港は、執事としての職務でした。ナチスのアイヒマンもまた、スティーヴンスのような男だったのかもしれません。
しかし同時に、人間はその港を離れることもできる。ラストシーンでは、新しい主人ルイス(クリストファー・リーヴ)が迷い込んだハトを窓の外に逃す姿が描かれ、象徴的です。自由で生きることは、単に個人の意志によるものではなく、根本的な難題として立ち現れます。物語は、人間の自由、尊厳、愛の果てしない挑戦をユーモアを交えて描き、鳩を飛ばす象徴を用います。
戦前のイギリスの貴族から戦後のアメリカ人へと変わる中で、スティーヴンスには大英帝国の衰えが映し出されます。ただし、イシグロとアイヴォリーが描くのは、マクロ的視野を生きることの本質的困難さです。このため、私たちは物語の中の鳩の行方を見守らなければなりません。たとえそれが、限られた視点からしか見ることができないとしても。
「遠い山なみの光」がとてもよかったので、同じくカズオ・イシグロ原作のこちらを観てみた。劇的な出来事が起こらなくても、漂う雰囲気にすっかり惹かれる。アンソニー・ホプキンスの繊細な表情や、すっと背筋を伸ばした佇まい、執事としての誇りに満ちた姿が眼福だった。
雰囲気豊かな映像が素晴らしい
こういったしっとりしたドラマが好きだ
内容は私の好みではありませんでした。時代背景を知らずに観たため、会議のシーンなど肝心な部分がよく分からず、高く評価されている理由がいまいち掴めませんでした。
1958年、イギリス。ベテラン執事ジェームズ・スティーブンスは、かつて共にダーリントン卿に仕えていた女中頭、ケントンから手紙を受け取り、会うことを決意する。道中、スティーブンスは過去の出来事を振り返る。
1939年、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告する前夜。ダーリントン邸において、各国の要人たちが集まる中、ケントンは新たに女中頭として雇われる。
カズオ・イシグロの同名小説が原作であり、第66回アカデミー賞では作品賞や主演男優賞、主演女優賞など8部門にノミネートされるも受賞は果たせなかった。
完璧な仕事をこなすスティーブンスと勝気な性格のミス・ケントンは、いがみ合いながらも互いに惹かれ合う。直接的に気持ちを表現することはないが、好意は明らかで、その微妙な感情を見事に描いた脚本と主演の演技が印象的だった。
さらに、主人のダーリントン卿が親独派であったため、1958年のシーンでは世間から非難されている。しかし、スティーブンスとケントンはダーリントン卿が真の紳士であることを理解している。善良な人物であるがゆえに、ナチスに利用されてしまった彼の姿は、ある種の哀れさを感じさせる。スティーブンスは、自らの立場に忠実であるため、思いを口にすることはない。しかし、1958年に出会った男性に「ダーリントン卿は知らない」と一度は言いながら、彼に仕えたこと、優れた人物であったことを語るシーンは印象深い。
本作の魅力は、主演2人の素晴らしい演技にあります。感情を抑えることで生まれるもどかしさが、非常に切なく響きます。特に最後のバスシーン、手が離れ、エマ・トンプソンの表情には思わず涙がこぼれました。素直になれればいいのに、そんな一抹の感情がこの作品の深みを与えているのです。
大人のビターで淡いロマンス、そして歴史の影に埋もれた真実を知る者の苦悩。とてつもなく繊細で、切なく、美しい作品でした。
カズオ・イシグロの原作を読んだ後に映画化と知り、観賞しました。主演は私が尊敬している俳優のアンソニー・ホプキンス。彼はあるインタビューで台本を数百回読むと語っており、本という媒体は面白くても2〜3回読み返す程度が一般的だと思うと、かなり驚きます。とにかく映画の雰囲気もキャスト陣も素晴らしかったです。
カズオ・イシグロの作品を母に勧められて読んでみました。主人公は非常にストイックな執事で、使用人頭との対立を経て、良好な関係が築かれていきますが、一線を超えることはありません。史実が背景にあり、勉強不足の私にも理解しやすかったです。夕方が最も良い時間であると感じるのは、私も同じように思います。
20年以上前に一度鑑賞したことがあります。最近ようやく原作を読み始めたのですが、映画の細かい部分は全く覚えていませんでした。それでもアンソニー・ホプキンスの姿が自然に思い浮かび、最後まで楽しく読み進めることができました。そして「原作と比較するため」に映画を再鑑賞したため、その視点からの個人的な感想になります。
原作のミスター・スティーブンスはとても純粋で真面目な人で、心から執事の職務に没頭し、それを信じる姿が愛おしく感じました。
一方、映画ではスティーブンスの「内面の揺れ」をホプキンスが表情を変えずに表現しています。無理をしている感じが伝わって、それもまた良いのです。信念はあれど「それが正しいのか自分でも分からない」という葛藤を必死に押し殺している様子が、物語を通じて描かれています。
やはりホプキンスの演技は素晴らしいです。原作よりも人間味が感じられる一方で、少し冷たく、嫌なキャラクターにもなっている。そんな不器用さが切なさを引き立てています。
映画だけに追加されたシーンもあります。ミス・ケントンが一人で泣くシーンは、原作ではスティーブンスはその部屋に入らず、外から彼女の涙を感じるだけでした。そのため、彼女が号泣している姿や、「新しい女中の掃除が行き渡っていない」といったダメ出しは原作にはありません。このシーンは二人の別れが決まってしまう瞬間となっています。
原作のスティーブンスは、察しながらも触れないという自然な態度を体現しており、長年の「執事としての美徳」でありながら彼の悲劇でもありました。
どちらにしても、スティーブンスはミス・ケントンに自分の心を見られるのが恐かったのではないでしょうか。彼女の涙を目の当たりにすることで、自らの何かが崩れてしまうことを本能的に避け、あえて「職務」という盾を取り出したのです。特にホプキンス版では、彼女の涙を見た結果、職務的な苦言を口にすることでしか感情を守れなかったことが美しくも悲しいです。
原作の結末では、最後まで読み進めることで初めてミスター・スティーブンスとミス・ケントンの本心が見えてきます。二人はもう二度と会うことはないだろうと言いながら、静かに本音を打ち明けて別れを告げます。
振り返れば自分は職務に追われるばかりで、物事の本質を見ていなかった。というか、本質から目を背け続けていました。しかし過去を振り返って悲しむのではなく、人生の引退を迎える時が真に美しいのだというメッセージが伝わります。希望があり、これからは新しい米国人雇い主のためにジョークの勉強をしようと前を向く姿が描かれています。
対して映画は悲しみを感じさせる終わりになります。「これまでも、これからも自分は籠の中の鳥のようなものだ」というような切ない結末となっています。
同じ物語でありながら、原作は希望を描き、映画は哀しみを強調しています。個人的には原作の終わり方の方が好みですが、映画は人生の斜陽をより明確に浮き彫りにしています。老いと喪失、そして希望を見つめつつも届かない人生の描写があり、どちらも「日の名残り」というタイトルの通り、人生の夕暮れ時の切なさを感じさせる作品です。
美しいイギリスの田園風景と、優雅に佇むダーリントンホールを背景にした静かな小説と音楽が映像として具現化されたことがとても嬉しいです。
とても心に残る映画だった。アンソニー・ホプキンス演じる父親の執事が老齢で、転んだりして役割を外されたのに、転ばないようにお盆を持って歩く練習をする場面には涙がこぼれた。執事とメイド頭の二人が再会した後、普通に会話を交わし、バスが来て、別れを告げる場面も切なかった。いつもは遅れてくるバスが、その日はなぜか定刻通りに来てしまい、もっとお互いに言いたいことがあったに違いないのに
ストイックな執事と女中の過去の恋愛を描いた物語。アンソニー・ホプキンスが演じる執事の姿勢は規律があり、美しさすら感じさせる。理想的な使用人像のひとつだ。隠し扉が多い豪華なお屋敷で、主人と使用人たちの生活はレトロな雰囲気があり、見る価値がある。政治的なテーマも多く、難しさを感じたが、なんとか理解できた。主人公のダーリントン卿は、第二次世界大戦前にドイツとの親密さから名誉毀損を受け、失意のうちに亡くなる。登場する車はどれもスーパーレトロで魅力的だ。アンソニー・ホプキンスが恋愛のイメージと結びつかず、恋愛映画としての印象が薄かったのは、彼の持つ超人レクター博士のイメージが影響しているのかもしれない。自分が恋愛体質でないため、スティーブンスの行動にも共感しやすく、感傷的にはなれなかった。お互いに仕事に専念し、相手の能力を尊重する関係は、深いものには感じなかった。スティーブンス自身も同様だったのかもしれない。繋がりを持たず、過去の経験からそうなった結果、次第にそれが本心になっていく感覚がした。仮面をつけているうちに、本当の自分になっていくような。不明な点が多い中、原作を読めばさらに深い心情描写があるかもしれない。父親を呼び寄せたものの、すぐに衰え、亡くなったことは心痛む出来事だった。職務に忠実なスティーブンスは、今後もお屋敷に仕えながら人生を全うするのだろうか。彼は死の間際に後悔するのだろうか?職務を全うした充実感とともに、「あの時、主人に意見していれば」「あの時告白しておけば」と思う瞬間があるかもしれない。しかし、人生には良いことも悪いこともあり、その両方が存在するのが本質なのではないか。また、役所広司の『Perfect Days』を思わせる印象を受け、自身の老後について考えさせられる作品だった。
信頼できない語り手がいる場合、真実は何なのだろう?
ラストシーンで、ミス・ケントンは本当に涙を流していたのか?もし彼女が雨に打たれながら泣いているように「見えただけ」なのだとしたら、どうなるのだろう?
イシグロさんと一緒に視聴しました。忠誠心を感じる一方で、人生の終わりには仕事よりも家族が大切だと実感できる人生の方が幸せなのだろうなと思いました。