突然炎のごとくはどこで見れる?今すぐ視聴できる動画配信サービスを紹介!

4.3
突然炎のごとく 映画

1964年2月1日に公開の映画「突然炎のごとく」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「突然炎のごとく」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。

突然炎のごとくが視聴できる動画配信サービス

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最終更新日

突然炎のごとくのあらすじ

フランソワ・トリュフォー監督、ジャンヌ・モロー主演の恋愛映画『ジュールとジム』。文学を共通の趣味とするジュールとジムはパリのモンパルナスで出会い、すぐに意気投合する。やがて2人は同じ女性カトリーヌに恋をしてしまい、複雑な三角関係が始まる。

突然炎のごとくの詳細情報

「突然炎のごとく」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。

監督
脚本家
出演者
カテゴリー
ジャンル
制作国 フランス
公開日 1964年2月1日
上映時間 107分

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映画

感想・レビュー

  1. 工房の庭 工房の庭

    作家と新聞屋の間に芽生えた友情。奔放で情熱的だが幻のようでつかめない冷たい女。抵抗と衝動に駆られ川に飛び込む。姑と険悪になる婚礼前夜、愛人と夜を共にする。他の誰かと結ばれ妊娠した彼女は、今日もひとりで眠る。知り合ってはすれ違い、会っては燃え、別れてはつむじ風の中へと消える。

    ドイツ語とフランス語を翻訳させる場面や、名詞の性について語る場面。塹壕と砲弾、焼却と骨壷、焚書の記憶。しばし止まる絵と、過剰に流れるナレーション。机を囲んでぐるりと回すような動き。激しく手紙を送り続けた時代の戯れ。口ひげをつけて女装し、ムッシュと呼ばれる。123スタートを待たずして走り出す。娘を抱き上げ芝生をころがす。並んで自転車で坂を下りる。山荘と河畔の小屋。分かってほしくない、という声。おかしな話をして、愛想笑いぐらいしてよ。山田宏一の日本語字幕。

  2. B2mama B2mama

    人生は、軽やかで深刻さがないくらいの余白が心地いい 人生を過度に深刻に描く映画は、つまらないことが多い。子どもが可哀想だとか倫理観を押し付けるような世界線じゃなくていい。まさに台詞の通り『あなたには関係ないことよ』『分かってほしくないわ』この距離感こそ、最高だ。

  3. ろく ろく

    フランソワ・トリュフォー監督の作品は、以前『大人は判ってくれない』を観たことがある程度で、彼の作風を深く理解しているわけではありません。
    トリュフォー氏はジョン・グリュオー氏と共に脚本を手がけています。
    原作はアンリ=ピエール・ロシュの小説で、登場人物カトリーヌとジュールは実在のモデルが存在します。
    カトリーヌのモデルは、19世紀の多才な詩人ギョーム・アポリネールの恋人であり、原作者ロシュの愛人でもあったようです。
    ジュールのモデルはユダヤ系ドイツ人作家、フランツ・ヘッセルです。

    本作は、男二人と女一人の奇妙な三人組を中心に描かれていますが、単なる「三角関係」とは異なり、映画史において特別な存在感を持っています。

    邦題の意味はよく分かりませんが、原題は『Jules et Jim』であり、ジュールとジムが出会い、友情を築く中でカトリーヌと出会い、二人とも彼女に魅了される様子が描かれています。

    彼らの三人組は一人の女性を巡って争ったり、決して完全に離れることはなく、一緒にいるという関係性が描かれています。(途中、第一次世界大戦で分かれたり、カトリーヌとジュールの間に子供が生まれるという変化もあります。)
    また、ゴダールの『気狂いピエロ』、タランティーノの『パルプ・フィクション』、ジュネの『アメリ』、キャメロン・クロウの『バニラ・スカイ』など、本作の男女関係からインスパイアを受けた作品も多いようです。

    本作の根底にはジュール(オスカー・ウェルナー)とジム(アンリ・セール)の関係があり、そこに自由で美しい女性カトリーヌが現れた、という構図です。
    カトリーヌ役のジャンヌ・モローは、彼女の理解し難い行動で注目されやすいですが、果たして彼女はそんなに破綻した人物だったのでしょうか?
    私は、かつての「オヤジギャル」という流行語とも関連していると感じています。
    同じような行動をしている男性には問題視されないことが多く、むしろ称賛される場合さえあるのが不思議です。

    「男のくせに」や「女のくせに」という偏見が多い社会で、1961年頃よりは少し改善されたかもしれませんが、「オヤジ」がすることをする「ギャル」がいますよね。
    さらに、1960年代初頭は女性解放運動が盛んな時期と重なるため、カトリーヌの行動に対して肯定的な風潮があったようです。

    注意深く観ると、ジュールとジムは互いの幸せを気遣っていることが分かりますが、カトリーヌの幸せは重要視されません。
    彼女の人格も、明確に描かれることはなく、理解しにくいままです。

    カトリーヌが男装し、ジュールとジムと共に街に繰り出す青春の一ページは美しく楽しく、ラストシーンを思うと涙がこぼれそうになります。

  4. まきもどし まきもどし

    テレビドラマの副音声さながらに、登場人物の心情を解説するナレーションがあまりにも頻繁に挿入される。彼女が愛を満たせない女を演じたアントニオーニの『夜』と比べると、映画は極端に饒舌だ。アントニオーニは多くを語らず観客を突き放す演出を選ぶのに対し、トリュフォーは作品への解釈を一切許さない。観客との信頼関係の温度差を、思わず感じてしまう。

    かつて三國清三が「君の料理は洗練さに欠ける」という批判をフレンチの巨匠トロワグロから受けたという話を耳にしたことがある。ここでいう洗練とは、無駄をそぎ落とすことによって自然に身につく優雅さを指すと解釈できる。その意味で、アントニオーニに感じる洗練さは、トリュフォーの本作には欠けている。饒舌なナレーション、ストップモーション、ドキュメンタリー映像の混入など、実験的な試みが多く取り入れられている反面、それが却って作品を野暮に見せている。

    それまでのフランス映画を徹底的にこき下ろし自らが監督として名乗りを上げるようになった経歴を持つトリュフォーにとって、初期の作品には肩に過度な力が乗っていたに違いない。友人同士の男の間で揺れ動く奔放な女。欲望をむさぼるカトリーヌの無節操ぶりと、トリュフォーの野暮な演出は、意外と相性が良かったのかもしれない。

  5. 松尾智之

    終戦後、再会した三人の関係性の変化を描くシークエンスは、非常に強い印象を残す。戦争と歳月を経て愛が冷えた状態へと移ろう様子が、画面に形容しがたい空気として閉じ込められている。テンションが高まる場面が続く一方で、ジュールとカトリーヌの娘の存在が物語の停滞を程よく和らげ、展開に滑らかさを与えている。ファム・ファタールを軸にした泥沼の恋愛を描く作品であるが、濃密な空気感が常に漂うだけでなく、トリュフォーのユーモアが適度に散りばめられており、観る側に過度なストレスを感じさせない。映像面では、跨線橋を走る場面、何度も登場する自転車の運動シーン、窓越しに会話を交わす三人の場面が特に秀逸だった。

  6. 加藤茂

    『はなればなれに』と『チャレンジャーズ』の系譜を期待して観たのに、勝手に痛い目を見てしまった。確かに要素は十分に詰まっているのに、この異様なまでの入り込みづらさは何なのか。モノローグとテンポの良い編集、ワイプやストップモーションの遊び心は紛れもなくヌーヴェルヴァーグだが、実際には重厚な古典メロドラマのような印象を受ける。「特別美人でも聡明でもない だがどこまでも女だ」というモローの女性像の提示も、理解できるようで分からない。セーヌ川に飛び込む場面や「人生は中性だ」という台詞は、かなり刺さる。

  7. 伊藤直

    #原題: ジュールとジム
    #トリュフォーの作品を初めて鑑賞
    #ジャンヌ・モローの魅力がなければ成り立たない
    #約2/3までは新鮮で非常に楽しめた
    #戦争の部分は記録映像?

  8. momotaro

    フランソワ・トリュフォー監督の長編第3作目。自由で奔放な女性と、その女性に翻弄される二人の男性を描いた作品。

    日本では考えられないフランス特有の恋愛観が非常に興味深い。全てがオープンだからこそ複雑な関係がクリアになり、気分によって意見が変わるにもかかわらず、それに苛立ちを感じさせない。

    三角関係を描いた恋愛映画、または長年の友情をテーマにした青春映画とも解釈できる。しかし、個人的には男性中心ではないフェミニズム映画として捉えていた。

    しかし、最も見応えがあったのは二人の男性の長い友情であり、その点ではルカ・クァダニーノの『チャレンジャーズ』に似た作品と言えるかもしれない。クィアの視点から再解釈するのも面白い。

  9. 中島純

    久々に再鑑賞しました。フランソワ・トリュフォー監督の名作『ジュールとジム』。映画の中でジャンヌ・モローが歌うつむじ風が特に好きで、昔よく聴いていました。ジュールとジムは仲良しコンビで、自由奔放なカトリーヌと出会います。3人でかけっこをしたり、自転車に乗ったり、タバコを逆さにくわえて煙を吹くシーンも。危険なダイビングも描かれ、テンポと映像の美しさが際立ちます。前半は特に魅力的で、自由奔放すぎるところも微笑ましく感じますが、後半には悩みや葛藤が増えます。自由に生きることの難しさを思い知らされつつ、ストーリーには僕の妻と結婚してください系のニュアンスもあるものの、軸は全く別物。突然炎のように激情するキャラクターには怖さもあり、それでもつむじ風を歌うシーンはやはり最高。音楽はジョルジュ・ドルリューが担当。#ジョルジュドルリュー #つむじ風

  10. Ayumu Kohiyama Ayumu Kohiyama

    四方を囲む橋を走る光景は、奥行きを描く手本のようだ。
    「家庭的ではない。地上では幸福になれない女だ。彼女は幻だ。独占できない女だ。」
    「昔の私は笑わなかった。いつもこうだ。」表情を捉えた静止。
    「この飛び込みはジムに鮮烈な印象を残した。激しい賛美の情がほとばしり、心の中で彼女にキスを贈った。心の中で彼女と泳ぎ、息を止めていた。」
    「旅をして筆を走らせる。どこへでも人生は見つかる。新しい職業だ。フランス人は外へ出ない。新聞で食べていける。」
    「普段は優しいのに、無視されると急に怒り狂い、恐ろしい女へと変わる。発作のように、極端へ走る。」
    「ドイツ語とフランス語の違いは性の区分にある。ドイツ語では戦争・死・月は男性名詞だ。しかし、太陽と恋は女性名詞。『太陽』や『恋』はそういうものだ。人生は中性だ。」
    「私の立場から私の話をするわ。ジュールの無邪気さと寛大さと傷つきやすさに惹かれた。他の男とはまるで違って、私は彼を危機から救いたかった。だが危機は彼の側だった。私たちは幸福だったが、その幸福も不安定で、私たちは一つにはなれなかった。」
    「手術の時はオスカー・ワイルドを思い出した『神よ、肉体の苦痛より精神の苦痛を与えよ』」
    「戦争で嫌なことは、個人の戦いができないことだ。」
    「『僕は君を放さない。君の胸をつかみ、君の裸を抱く。』娘の返事が冷たいと、彼は嘆願した『いつ死ぬか分からないのだから』と。文通で処女を奪うという、異常な行為は戦争の残虐さと集団の狂気、死と直面する恐怖と切り離せない。彼は大戦に参加しながら、小さな個人の闘いを成し遂げた。遠くから、一人の女を征服したのだ。」
    「揺り椅子は肉欲の歓びへと人を誘うね。」
    「一度に三人の男を公平に愛せなかった。一度にはジムは彼女への愛を表せなかった。人前では他人と同じだった。」
    「心から心へ移る愛は、痛みを生む。」
    「僕は彼女を失うのが怖い。彼女が僕の人生から消えるなんて。さっき君と彼女が並んでいたが、二人は夫婦のようだった。彼女と結婚してくれ。僕も彼女に会えるから。愛してるなら遠慮はいらない。」
    「谷間の村では、山荘の三人を『三狂人』と呼んだ。カトリーヌ考案の『村のバカ』遊び。食卓が村へと溶け、順番にバカになる。サビーヌは大喜びだった。」
    「カトリーヌは愛は一瞬だと言うが、その一瞬が甦る。人生は休暇だった。男達はドミノに夢中だった。時は過ぎていった。幸福は知らぬ間にすりきれる。」
    「エッフェル塔のエレベーター風景を運ぶ列車。」
    「明日ではなく、彼女と生涯を添える。1週間、私にください。」
    「ジムは彼女を振り切れなかった。苦しめてはならなかった。二人は木に残った。古い果実のようだった。」
    「彼女は何でも、とことんやる女だ。自然の力は天変地異を生む。彼女がそうで、純真無垢な感情で明晰と調和に生きる女だ。」
    「女王扱いだね。」
    「彼女は女王だ。率直に言おう。彼女は特に美しくない。聡明でも誠実でもない。だが女そのものだ。僕らが求める女、全ての男が夢見る女だ。そんな貴重な女がなぜ僕らに授けられたか。それは僕らが彼女を女王のように迎えたからだ。」
    「君を見てると、昔観た東洋の芝居を思い出す。幕が上がると皇帝が観客に向かって打ち明ける『余は最も不幸な男だ。なぜなら妻が二人いる。第一夫人と第二婦人が…』」
    「寒々としたホテルの部屋で、二人は終止符のつもりで体を交えた。埋葬のように、死者のように。」
    「この手紙は私の肌。インクは私の血。」
    「声だけでふれ合えないから、電話はしない約束だった。『三ヶ月で流産だった。彼女は何も言わない』。何も創造できなかった。人間の法則の再発見はすばらしいが、既成の規則に従う方が楽なのだ。生の泉を弄びすぎたのだ。」
    「君の借りた本に線が引いてあった。『船上で一人の女が見知らぬ男に体を与えたいと思う』。それが君の告白だね、それが君の信条だね。僕にも衝動はある。誰にもあると思う。僕は自制できる。君はできない。僕も、夫婦は恋愛の理想ではないと思う。周囲を見ればよく分かる。君は偽善と諦念を拒み、より良い何かを求めた。君は真の恋愛を生み出そうとした。だが先駆者は謙虚であるべきだ。物事を正面から見るべきだ。僕らはだめだった。失敗した。君は僕を変えようとしただけ。僕は悲しみをもたらしただけ。ジルベルトとは一緒に年を重ねる約束をしたが、偽手形と同じだ。」
    「親和力」