デビルズ・バスはどこで見れる?今すぐ視聴できる動画配信サービスを紹介!

4.1
デビルズ・バス 映画

2025年5月23日に公開の映画「デビルズ・バス」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「デビルズ・バス」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。

デビルズ・バスが視聴できる動画配信サービス

現在「デビルズ・バス」を視聴できる動画配信サービスを調査して一覧にまとめました。以下のVODサービスで「デビルズ・バス」が配信中です。

動画サービスPR 利用料金 視聴
U-NEXT
  • 初回31日間無料
  • 見放題
今すぐ見る
最終更新日

デビルズ・バスのあらすじ

18世紀半ば、オーストリア北部の小さな村。古い伝統が息づくこの村に嫁いだアグネスは、夫の育った環境や村人たちに馴染むことができず、憂鬱な日々を送り続けていた。無神経な言動や恐ろしい儀式、まるで警告のように放置された腐敗した死体など、異様な光景に囲まれながら、次第に精神的に追い詰められていくアグネス。限界を迎え、現実と幻想の境界が曖昧になっていく彼女を、村人たちは次第に狂人として扱うようになる。果たして、正気を失っているのはアグネスなのか、それとも村人たちなのか。やがて、アグネスは村を、そしてこの世界から解放されるために驚くべき決断を下す。

デビルズ・バスの詳細情報

「デビルズ・バス」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。

監督
脚本家
出演者
カテゴリー
ジャンル
制作国 オーストリア ドイツ
公開日 2025年5月23日
上映時間 121分

デビルズ・バスの公式PVや予告編動画

「デビルズ・バス」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。

デビルズ・バスの楽曲

「デビルズ・バス」の主題歌や挿入歌、サウンドトラックを紹介します。映像だけでなく音楽からも作品の世界を感じてみましょう。

デビルズ・バスを無料で見る方法は?

「デビルズ・バス」を無料で視聴するなら、「U-NEXT」などの無料トライアル期間を活用するのがおすすめです。

「Dailymotion」「Pandora」「9tsu」「Torrent」などの動画共有サイトで無料視聴するのは避けましょう。これらのサイトには、著作権者の許可なく違法にアップロードされた動画が多く存在し、利用者側も処罰の対象となる可能性があります。

JAPANMATE運営事務局
JAPANMATE運営事務局

映画・ドラマ・アニメなど幅広い作品を分析し、各動画配信サービスの魅力をわかりやすく紹介。実際に体験して得たリアルな情報をもとに、読者が自分に最適なサービスを選べるよう信頼性の高い記事を発信しています。

映画

感想・レビュー

  1. 石川哲

    この監督コンビは、素朴な自然の風景を絵画的に切り取りつつ、そこに禍々しさを漂わせる名手だと常々感じているが、本作は18世紀オーストリアを舞台にした時代劇・因習ものとして、これまで以上の完成度を見せる。過去作にも共通するモチーフとして「母」と「子供」が挙げられるが、今回の少年の起用は冒頭だけなのかと予想していると、全編を通じて自然光のみで撮影されたのではないかと思えるほどの光景が広がる。美術と佇まいの整った俳優陣が、風景美と結びつく映像的説得力を高め、ヨーロッパの森や沼地のどこか神秘的な空気を私的にも強く魅了した。とはいえ、素朴で自然と共生する人々=コミュニティは、因習と切っても切り離せない関係にある。基本のストーリーラインは、当時の女性やマイノリティといった社会的弱者が置かれていた境遇と、それを巡る惨劇を描く点で共通しており、前述の高い映像性とジャンル映画的語り口で語られている。とはいえ、裁判記録を参照しているだけあって、追い詰められていく主人公の造形はリアルで、現代的な価値観を前提にした被害者像とは一線を画す。彼女はむしろ、劇中で最も敬虔なキリスト教徒として描かれ、嫁ぎ先の人々の中で祈りと子を望む気持ちを熱く抱く。オープニングで死刑に処された女性の指を笑顔で受け取り、ベッドの下へ潜り込ませる場面もある。義母に対して時代性を踏まえれば悪人とは言えず、昔気質で狭量な一面はあるものの、生活を合理的に営もうとする一人の人間として描かれている。彼女がアグネスを怒鳴りつける場面はなく、むしろ共に生きる難題を前に冷静さを崩さない。アグネスの運命を狂わせたのは義母の狭量ではなく、夫の性の指向である。しかし彼も時代とコミュニティの抑圧に翻弄された個人でしかなく、悪の根源とは言えない。こうした複合的要素が人物描写の多面性を生み出し、ドラマとしての厚みを生んでいる。観る者としてはもどかしささえ感じる場面もあるが、それこそが本作の魅力だろう。さらに興味深いのは、アグネスの信仰心の描き方である。宗教学に詳しくなくとも私見だが、彼女の敬虔さはキリスト教的なまなざしというより、神へのひたむきさ自体が土着的・ペイガニズム的な感性と共鳴しているようにも見える。草木や浜辺から美を拾い、大地に身を横たえる姿は、一神教という枠を超えた自然崇拝にも近い印象を与える。天国の象徴である雲海から大地へと切り返すショットも記憶に強く残る。彼女が精神の均衡を崩して鬱状態へと追い込まれる過程は痛々しく、愛情を注いでいた生き物にも十分な気遣いができなくなるさまは胸を締め付ける。蝶の描写が繰り返される場面も象徴性を帯びており、イメージ事典を参照すると「魂」や「キリストの復活」を意味するとされる。終盤で彼女が蝶を口に含む場面には、その解釈が頷ける。もっとも、続く場面で十字架に貼り付けられているのが蝶なのか蛾なのかは読み手によっても解釈が分かれるところだ。蛾には「寄宿者」「怠け者(特に女性を指す)」といった意味があるとされ、彼女の自責の念を象徴しているのかもしれない。最後に、刺殺される少年の悲鳴の生々しさと、告解で赦されたときのアグネスの慟哭は、安堵と贖罪、苦痛と葛藤が同居する解放の表情として圧巻だった。ジャンル映画としてのショック性と、抑圧の犠牲者を描く社会性、そして役者の力量が高次元で結実した名シーンだと言える。ラストも複合的で、宗教的・閉鎖的な祝祭感に包まれつつも、場にいる者の中には浮かない顔をした者もいる。子ども達が無邪気に歓ぶ様子はグロテスクだが、彼らも決して悪魔ではない。『ウィッカーマン』にも似た終幕だが、こちらはそれを抑制的に、見事に差別化している。

  2. まきもどし まきもどし

    最初から最後まで不安感や不快感、そして不気味さが漂う作品です。メンタルが弱いときには視聴に注意が必要!私自身は非常に気に入っています。

  3. ろく ろく

    田舎町でアグネスは結婚生活を始める‍️
    しかし夫は冷淡で、義母とも関係が悪く、さらに子どもにも恵まれない
    次第に彼女の心は蝕まれていく️
    _______

    -評価-
    ️映像 4
    音楽 3.5
    脚本 4
    ️演出 4.5
    編集 3.5
    映画的教示 3.5

    総合評価 3.8
    _______

    まれに起こるヒューマンエラー🩸

    本来、人を導いて幸せにするはずの宗教が、時には人々を誤った道に導くことがある️

    社会に貢献する人々や精神的に苦しむ人々
    四面楚歌の状況で狂気がどのように生じるかを描く

    17世紀から18世紀の女性の存在意義を皮肉り
    現代が少しでも改善されていると感じさせられる。

    『ミッドサマー』のような土着的なホラーを想像していたが、想定外のアプローチで意外にもホラー感が薄いホラー

    体の一部を強調した痛々しい描写と、最後の狂気染みた映像

    ただ、期待以上に地味に感じた。
    1時間半の尺ならもっと観やすかったかも
    演出は秀逸⭐️
    タブーやショックを感じる事柄が無関心に描かれ、説明もない。
    そしてラストで「やっぱりこの人たちはおかしい」と気づくことで、ホラー的なカタルシスが訪れる

  4. へっぽこライダー

    彼女が狂っていたのか、村や宗教が異常なのか。多くの人々は、彼女が精神的に追い詰められ、赦されることを願って殺人を犯し告解する様子を見ています。しかし、ラストのお祭り騒ぎや歴史的事実に触れると、宗教の不思議さも感じられます。人々が彼女の血を求めて群がる光景は、まるで待ち望んでいたかのようです。作品全体の雰囲気が暗いので、なおさら目立ちます。過剰な信仰から生まれる非人道的な行為には興味を引かれますが、それでもアグネスの周囲には冷淡な人々ばかりで、胸が痛くなります。まさかあの結婚式が頂点だとは思いませんでした。。。

  5. みにまむ みにまむ

    ヘレディタリーブリムストーンサクラメントを彷彿とさせる雰囲気の映画。実話を基盤にした伝奇的なムードがしっかりと作られており、不協和音のBGMが緊迫感と不安感を一層高めてくる。舞台は約300年前のヨーロッパ。自殺が大罪とされていた時代背景を映画化しており、あえて罪を犯して代理自殺のような仕組みを描くことが作品テーマのひとつだとされる。エンタメ色は薄いが、ところどころプチグロ描写も散りばめられている。アリアスターやイーライ・ロスの作風が好きな人には刺さるかもしれない。#楽しくはない

  6. にゃんこ にゃんこ

    ヴェロニカ・フランツとセヴェリン・フィアラ監督の新作は、2014年の『グッドナイト・マミー』を手掛けた二人による異色の宗教スリラー。17~18世紀の欧州史を背景に据え、オーストリア出身のミュージシャン兼女優アーニャ・プラシュクが主演を務めます。嫁ぎ先の北部オーストリア山間部の閉ざされた村で次第に精神を病んでいくヒロインを、迫真の演技で描き出します。物語は、若い女性アグネスを軸に、古い伝統と強い宗教観が支配する社会で孤立と葛藤が深まる過程を追う信仰葛藤スリラー。18世紀の欧洲に実在した、告解と処刑という悲劇の背景に触発された題材を、森と村に潜む過激な風習と信仰の闇がヒロインの心を蝕んでいく様として映し出します。一人の女性の視点から近世キリスト教の歪みがもたらす結末を描く、鋭い宗教スリラーです。)

  7. 松尾智之

    この映画は、わたしはこの人生にすっかり嫌気がさしたので殺人を思い至ったというテロップで幕を開ける。時代は17〜18世紀の教区社会、自殺が殺人よりも重い罪と見なされる世界を舞台にしており、殺人を犯して神父に告解すれば罪は赦され、処刑(断頭)という結果へと至る。つまり天国行きが約束されるのだ。こうした価値観のもと、ヨーロッパの自殺志望者は死を得るために他者を殺すという道を選ぶのが現実味を帯びる。歴史的事実として、ドイツ語圏には「Suicide by Proxy」が400例以上記録され、その大半を女性が占めていた。これを基にしたホラー作品であり、ミッドサマー系のトラウマ性を孕むが、実話性を帯びた物語でもある。監督はナオミ・ワッツ版の出典となったグッドナイトマミー(Ich seh, Ich seh、2014)を手掛けたデュオで、数多くの賞を受賞している。IMDbは6.6、Rotten Tomatoesは観客85%前後、批評家は62%といった数字を示している(評価は時期により変動する)。このホラーを支える核は、「殺人に合理性が与えられてしまう」という時代背景だ。ここでの合理とは、単に道理や分別ではなく、費用対便益のバランスが成立しているという意味である。費用=殺人、得られる便益=処刑、そしてその仕組みを導いたのは宗教だ。信心深い教徒たちは、自殺したい人や鬱病の人が劫罰を避けつつ死刑になることができる殺人を最良の自殺方法だと悟ってしまう。結果として、子どもや年若い少年少女が犠牲となった。なぜなら、この新手の自殺方法を選択するのは女性であり、子どもであれば無力な女性でも殺すことができ、さらには罪を犯していない無実の子どもを殺せばその子も天国へ行けると教義されていたからだ。彼女らは堂々と子殺しを実践し、告解を経て天国行きを得ると信じて断頭されていく。そうした恐ろしい過程を描く。さらに、死体が縁起物のように扱われる場面もあり、生首が露出され、身体の一部が御利益として取られ、持ち去られる。主人公アグネスは遺体から切り取られた指をお守りのように携える。公開処刑の日、アグネスの首が落とされると民衆は彼女の血を求めて断頭台へと群がる。その血は神の祝福を宿す霊験あらたかな血として崇拝される。作品内には整合的な合理が存在し、宗教が生活の中心にあり、自殺は大罪、むしろ殺人には赦しがある、そして罪を犯していない子どもを殺せばその子も現世の苦しみから救われるこうした信念が狂信を生み、現実世界での実践へ駆り立てる。治療法として描かれる頸部の糸を使った処置は科学的ではなく非合理的だが、それが時代と宗教の枠組みの中で正当化されていく。現代の目から見れば極端だが、当時としては間違いではない、という世界観の恐ろしさと不条理さが作品を支える。現代にも生きる者を傷つける事件は起こり得るが、それらとは根本的に異なる。ミッドサマー級の陰鬱さを携えつつ、むしろ現代の殺人のほうがよりホラーに映る、という鋭い対比を提示する作品である。

  8. りょうま りょうま

    最後の場面が一番つらかった。これまでいろんな映画を観てきたけれど、子どもが泣き叫んで死んでいく場面を目にするのは初めてで、特に辛さを感じた。

  9. 西村大介

    鬱展開が強烈で、思わずクスリと笑ってしまった。

    村八分という現象は、ヨーロッパも日本も似ているのだろうか。 外から来た異分子を監視し、徹底的に排除していく村社会。 バイオハザード4の村を思わせる、陰鬱で不穏な雰囲気だ。

  10. 金魚埠頭

    悲しい歴史を描くドラマ。
    宗教と村の因習、そして救いとは何かそんな問いを投げかける作品です。
    いろいろな要素を見つめながら、深く考えさせられます。

    ホラー映画だと思って観に行ったものの、特に分かりやすいお化けのような怖いものは一切出てきません。
    信心深い主人公のゆえに、十字架を下から見上げると逆さ十字になるシーンは非常に分かりやすく、単純でありながら素晴らしい象徴でした。