1989年9月15日に公開の映画「利休」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「利休」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
利休が視聴できる動画配信サービス
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利休のあらすじ
美は揺るがない。――― 三國連太郎と山崎努が共演! 勅使河原宏監督の手による、日本映画史に名を刻む不朽の名作。1989年モントリオール世界音楽祭で最優秀芸術賞を受賞。戦国の乱世を経て迎えた安土桃山時代。織田信長、明智光秀、豊臣秀吉が織り成す権力闘争の中で、ひたすらお茶の道を追い求め、自身の生き様を貫いた千利休。本作は、美と知を体現する利休と、圧倒的な権力を持ちながらも粗野で、利休に対して羨望と嫉妬を抱く秀吉という、対照的な二人の確執をドラマチックに描写している。
利休の詳細情報
「利休」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | 勅使河原宏 |
|---|---|
| 脚本家 | 勅使河原宏 赤瀬川原平 |
| 出演者 | 三國連太郎 三田佳子 中村吉右衛門 坂東三津五郎 山崎努 松本白鸚 田村亮 |
| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ 時代劇 |
| 制作国 | 日本 |
| 公開日 | 1989年9月15日 |
| 上映時間 | 135分 |
利休を無料で見る方法は?
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利休のよくある質問
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Q映画『利休』のあらすじはどのようなものですか?
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A
映画『利休』は、戦国時代の茶人千利休の生涯を描いた作品です。彼の茶の湯への情熱と、武将たちとの関係が描かれています。特に、豊臣秀吉との対立が物語の中心となります。
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Q映画『利休』での千利休のキャラクターの魅力は何ですか?
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A
『利休』では、千利休の静謐な人物像と彼の茶の湯に対する革新的な姿勢が魅力的です。彼の内面的な葛藤や美意識が豊かに表現されています。
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Q映画『利休』の見どころはどこにありますか?
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A
『利休』の見どころは、茶室や茶道具の細部にまでこだわった美しい映像美です。また、歴史的背景と人間ドラマの融合が見事に描かれています。
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Q映画『利休』の監督は誰ですか?
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A
映画『利休』の監督は、熊井啓です。彼は歴史的な題材を扱う際に、丁寧な演出で知られる監督です。
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Q映画『利休』で描かれる豊臣秀吉との関係はどのようなものですか?
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A
映画『利休』では、利休と豊臣秀吉の関係が緊張感を持って描かれています。茶の湯の美学を追求する利休と、政治的野心を抱く秀吉との対立が物語の軸となります。



利休の感想&レビュー
近年、インバウンド客が抹茶を求める中、普通の煎茶畑を抹茶用に転換する「かぶせ茶」の栽培が急増しています。それでもなお、抹茶不足という報道を目にしました。
抹茶は本来、ソイミルクやアーモンドミルクを加えて飲むラテとして楽しむものではないことを、もっと多くの人に知ってほしいですね。日本の政治と深く結びついてきた茶の道。この背景を理解せずに「Matchaー」と一時的なブームに飛びつく人たちには、この映画を観て学んでもらいたいです。
序盤に登場する茶室には、朝顔(一輪の白い花)が飾られています。削ぎ落とされた美しさと、薄暗い茶室に灯された明かりが、まるで秀吉(猿)が現れたかのように驚かされる瞬間でした。あの場面は本当に心に残りました。
ワダ・エミ先生の華やかな衣装が秀吉のゴージャスさと利休の侘び寂びを見事に対比させていて、私の好きなジャンプ漫画「花の慶次」の衣装がこの作品から影響を受けたと知り、納得がいきました!
ちょい役には細川元首相や子役の中村獅童、元祖スーパーモデルの山口小夜子も出演していて、端役にも手を抜いていませんね。
利休の美的・政治的センスに嫉妬を抱く秀吉が哀れに思えました。我らが勅使河原先生らしい、「砂の女」や「落とし穴」を思わせる映像美と、音楽もまたその雰囲気を盛り上げていました!素晴らしい作品です!
「砂の女」のように魅了され、余白や余韻を感じる。監督と作品の相性が抜群だ!
勅使河原の流れを継承する草月流の贅沢な美術セットと、豪華なスタッフ・キャストを存分に活かしながらも、それを露骨に見せびらかさない点が、利休の『いかなる名器・名物もあってないものにするのが、果てしない茶の道』という思想を体現している。三國連太郎が演じた利休はまさにハマり役だった。北野武『首』の岸部一徳も見事。ATG時代の奇抜さは影を潜めたものの、映像の切れ味は相変わらず格好いい。ミイラのような木像が登場する場面は、他人の顔を連想させる強い印象を残す。
原作は野上彌生子の『秀吉と利休』を基に、タイトル通り二人を対比的に描く作品だ。特に長次郎作の黒楽と赤楽は有名な対比で、黒釉で覆われ華やかさを抑えた黒楽には抹茶の緑が映える。一方で派手さや華やかさを好み、黒楽を陰気だと毛嫌いした羽柴秀吉は赤楽を愛した。長次郎の赤楽『早船』は東京・白金の荏原畠山美術館に所蔵されており、実際に観賞できる。こうした感覚のズレは連想ゲームのようにさまざまな形へと変化していく。信長や秀吉はポルトガル産の地球儀を見つめ、天下布武を掲げ日本や朝鮮へと世界を広く平らげることを理想とする。一方で待庵を生んだ利休は、畳一畳半あれば他には何もいらないという小さな心の平和を築こうとした人物だ。対比だけでなく、農民上がりの秀吉が利休の不思議なカリスマ性に強い憧れを抱き、実は利休に「素晴らしいお手前です」と認めてもらいたかっただけだったそんな切ない側面も本作の特徴と言える。テーマの深さについては、熊井啓監督の『千利休 本覚坊遺文』や『利休にたずねよ』には及ばないとの声もあるが、それでも素直に世界観を楽しめる要素は十分にある。
三國連太郎や山崎努の演技は素晴らしい。特に、勅使河原宏の映像が持つ微妙な不安定感が心地良い。『砂の女』よりも洗練されているけれど、何だか(良い意味で)変わっている。
勅使河原の作品は初体験。以前はもっとアバンギャルドな印象を抱いていたが、今回は重厚でストレートな作風で、特筆すべき特徴を掴みにくい。美術もキャストも予想外に豪華だった。
勅使河原宏監督『利休』(1989)
人生を味わう作法
茶道が戦国時代の「コミュニティ」や「休息の場」として機能していたことを、静かな視点で浮かび上がらせる。作品各所には、フレーミングの美学と演出の作法が行き渡っている。竹の根元が切られる場面、宗二の遺体、利休の手紙の文面といった要素を直接映し出さず、芝居に託すことで観客の想像力を強く喚起する。芝居的な感覚は存在感として際立ち、見事な手本となっている。
Rikyu (1989), directed by Hiroshi Teshigahara
Etiquette as Life
Learn how the tea ceremony functioned as a community hub and a resting place during the Sengoku period. The film is rich in framing aesthetics and directing etiquette across its scenes. Elements such as the roots of cut bamboo, Soujis corpse, and the contents of Rikyus letters are not shown directly; instead, they are entrusted to the drama, provoking the audience’s imagination. The theatrical sensibility is pronounced, making it a superb exemplar.
歴史ドラマは、既に決定された歴史の流れに沿っているため、物語の展開を楽しむ余地はあまりありません。織田信長の後に豊臣秀吉が、さらには徳川家康が天下を獲ることは周知の事実であり、物語内で石田三成がどれほどの策を講じても、彼が政権を失って命を落とすのは避けられない運命です。野上彌生子の歴史小説「秀吉と利休」を基にした、勅使河原宏監督の映画「利休」もまたその例外ではありません。千利休が秀吉の命によって死に至る結末や、愛弟子の山上宗二が殺されること、利休が朝鮮出兵に反対するも実行される事など、歴史に基づいた展開です。特に家康の毒殺を三成が利休に命じる創作エピソードにおいても、家康が生き残ることは必然であり、その実行が果たしてどうなるかのスリルにはつながりません。そのため、私たち観客は結果よりもプロセスを楽しむ姿勢で観ることになります。なぜ秀吉が寵愛する利休を排除したのか、その歴史的「なぜ」が本作の中心テーマとなっています。
利休の権威が増すことへの恐れや、豊臣政権内部での権力抗争が原因との説、さらには朝鮮出兵における反対意見が秀吉の逆鱗に触れたとも言われています。本作では、芸術の頂点に立つ利休と、政治の権力者である秀吉の心理的葛藤に焦点を当てています。天下人となった秀吉は、芸術や皇室の権威に過剰なコンプレックスを抱いていたと描かれ、この執着が茶の湯に巨額を費やさせ、帝に茶を振る舞った際の異常な興奮として表現されています。皇室の権威は手に入らなくても、芸術ならば金で操ることができると思っていた秀吉ですが、同じ茶の世界では利休とは比較にならない存在でした。
映画冒頭の茶室で、秀吉を迎える利休が庭に咲く白い朝顔を選び、他の花を摘み取る演出は際立っています。一輪の朝顔が茶室の柱を飾り、二人の最終対決の際には、秀吉が与えた梅の枝を無造作に扱うことで芸術家としての意志を強く表明します。秀吉は茶碗を評価することで、権力で利休を支配しようとしますが、芸術の面では自らの限界を認識しています。権力を持っても得られないものがあることを、秀吉のキャラクターは教えているのです。しかし、秀吉と利休を単純に対比することは難しく、秀吉には独特の人間的魅力があり、それは人々の心を魅了する価値があります。一方、利休にも権力への志向が隠れており、秀吉に従うことは精神的自由を犠牲にする行為とされています。利休の純粋な芸術への追求は、山上宗二とも異なり、彼の側のジレンマと対比されることで秀吉のコンプレックスが浮き彫りになります。
三國連太郎が演じる利休と、山崎努が演じる秀吉は、いずれもその役に最適で、権力と芸術の衝突を強烈に描いています。二人の名優の演技は圧倒的で、他のベテラン俳優たちの存在感を霞ませています。三國は芸術家の魂を後ろ姿で表現し、山崎は権力者の不安と恍惚を現実的に演じています。勅使河原宏監督は、特に美術に力を入れ、セットや美術品にこだわり、桃山文化の豊かさを際立たせています。監督や脚本家、音楽家ら現代日本の芸術家たちが参加しているこの映画は、芸術について深く考えさせる作品となっています。
野上彌生子の名作『秀吉と利休』が勅使河原宏監督により映画化。美術・衣装・音楽を含む第一級スタッフが集結。利休を三國連太郎、秀吉を山崎努が演じ、新宿松竹にて公開。
お点前の映像は、私が実際に行っていた時と同じ緊張感が伝わってきて、震えや角度の付け方までしっかり映し出されており、思わず見入ってしまった。特に梅を活けるシーンが好きだ。