2019年4月19日に公開の映画「幸福なラザロ」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「幸福なラザロ」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
幸福なラザロが視聴できる動画配信サービス
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幸福なラザロのあらすじ
20世紀後半、社会から隔絶されたイタリア中部の小さな村。素朴なラザロと村人たちは、領主の侯爵夫人から小作制度の廃止についてさえ告げられず、昔と変わらず無償で働かされていた。しかし侯爵夫人の息子タンクレディが起こした誘拐事件を機に、前代未聞の労働搾取の実態が露わになる。やがて村人たちは恐る恐る外の世界へ踏み出していくが、ラザロだけは・・・。
幸福なラザロの詳細情報
「幸福なラザロ」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
監督 | アリーチェ・ロルヴァケル |
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脚本家 | アリーチェ・ロルヴァケル |
出演者 |
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カテゴリー | 映画 |
ジャンル | サスペンス ファンタジー |
制作国 | イタリア スイス ドイツ フランス |
公開日 | 2019年4月19日 |
上映時間 | 127分 |
幸福なラザロの公式PVや予告編動画
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感想・レビュー
観終わった直後はそれほど感じなかったのに、何日もその余韻に浸っている。不思議なことに、フィルム撮影の独特な感触や、ラザロの優しさが影響しているのかもしれない。村人たちはちょっとした力仕事をラザロに任せ、彼も自然に淡々と応じる。そのやり取りがとても心地よかった。タンクレーディ家の招待が裏目に出た元小作人たちが、教会の音楽に包まれながらトラックを押す場面は素晴らしかった。時代に取り残されたはずの人々なのに、皆が誇り高く、満ち足りていて、祝福された幸福感がずっと心に残る。
『マザー!』よりも人間に伝わるスケール感。ラザロの瞳はあまりに美しくて、直視できない。なんだか謝りたくなる気持ちにさせられる。
牧歌的な風景から一転し、資本主義社会に放り込まれる後半のラザロ。
ヨハネの福音書での蘇生、ルカの福音書の貧しいラザロ。
ラザロの存在は、人間が弱くなる際に失いがちなものを象徴していると感じる。
教会から音楽が流れてくる。
バッハの作品、Erbarm’ dich mein, o Herre Gott, BWV 721。
スーパー16mmの映像か。好きだ。フレームの可愛らしさが眼を惹き、見ているだけで心が躍る。時代が流れ、社会が変化していく中で、ラザロだけは変わらず、善良さと無垢が時代を超えて存在しているように感じられる。とはいえ、純粋すぎると滑稽に見えて苛立ちを覚える場面もある。邪悪な部分があってこそ、人間らしさは際立つのだろう。そして人間社会に拒絶された善は、自然オオカミの世界へと帰っていく。結局、搾取されるだけされて捨てられる、悲しい世界だ。
出会いを大切にし、決して忘れない。
ラザロが現実には存在しなくとも、
この映画には多くの助けをもらった。
私にとって大切なお守りの一つです。
ラザロと呼ばれる声は、使役から使者へと移り変わり、「正直者の顔よ」と言われる。彼は一体どこを見ていたのだろうか。なるべき姿でも、ならざる姿でもなく、ただそこに存在する。世界が動き続ける中で確実に彼はいるはずなのに、その涙は誰にも知られない。しかし私たちには、その泣き声を見てしまった。映画館の暗闇の中で、その確かな瞬間を感じたかった。
仕事でミスをしたとき、ラザロ風のキョトンとした正直顔を練習しておくと、実際の場面でうまく立ち回れる可能性が高まるかもしれません。
この独特な宗教観の表現に心を奪われています。ラザロの無邪気な青い瞳は神の祝福を受けているように感じられますが、彼の前には多くの試練が待ち受けています。
清貧に生きるラザロは、果たして聖人なのか?それともイエスの再来なのか?
ラザロは聖人ではなく、人間です。そして、彼は搾取され続けています。しかし、その搾取を行っているのは映画を観ている私たちであり、幸福とは何かを問いかけているという見解もあります。なるほど、そういう見方もできるのですね。
私自身、全てを理解したわけではありませんが、ラザロに何度でも会いたいと感じさせられました。
これ、理想以上に良すぎる。自分の好みにぴったりで、こんな映画に出会えるといつも多幸感に包まれる。
「泥棒」物語を理解する余裕がなかったため、ただ画面に映るものを見つめるしかなかった。ラザロの瞳は本当に美しく、ずっとキラキラと輝いていて、それが殴られたり蹴られたりしても変わらずに世界を映し出している様子がとても辛かった。エンドロールを見つめているときのあの何とも言えない感覚をもう一度味わいたい、何度でも観たい映画だ。