2017年7月22日に公開の映画「5時から7時までのクレオ」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「5時から7時までのクレオ」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
5時から7時までのクレオが視聴できる動画配信サービス
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5時から7時までのクレオのあらすじ
若く美しい歌手クレオは、癌検査の結果を待ちながらパリの街を歩き回っていた。恋人や仲間の音楽家、女友達、そして見知らぬ兵士との交流を通じて、彼女はこれまで気付かなかった新たな世界に目を開く。心の安らぎを少しずつ取り戻した2時間後、クレオは医師から検査結果を告げられる。
5時から7時までのクレオの詳細情報
「5時から7時までのクレオ」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | アニエス・ヴァルダ |
|---|---|
| 脚本家 | アニエス・ヴァルダ |
| 出演者 |
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| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ |
| 制作国 | フランス |
| 公開日 | 2017年7月22日 |
| 上映時間 | 90分 |
5時から7時までのクレオの公式PVや予告編動画
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5時から7時までのクレオを無料で見る方法は?
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5時から7時までのクレオのよくある質問
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Q映画『5時から7時までのクレオ』のストーリーの概要は何ですか?
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A
映画『5時から7時までのクレオ』は、パリで暮らす歌手クレオが、医者からの診断結果を待つ間の2時間を描きます。彼女は様々な出会いや自分自身との対峙を通じて、人生観を見つめ直します。美しい映像とともに展開するドラマです。
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Q『5時から7時までのクレオ』の監督は誰ですか?
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A
『5時から7時までのクレオ』は、フランスの映画監督アニエス・ヴァルダが手がけました。彼女はヌーヴェルヴァーグの重要人物の一人とされています。
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Q映画『5時から7時までのクレオ』のテーマは何ですか?
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A
『5時から7時までのクレオ』は、生と死、幸福、自己探求をテーマにした作品です。クレオが医者の診断を待つ間に経験する出来事や会話を通じて、人生における不確実性とその中での自己発見を描いています。
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Q『5時から7時までのクレオ』に登場するキャラクターの魅力はどのようなところにありますか?
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A
『5時から7時までのクレオ』では、主人公クレオの複雑な心情が魅力的に描かれています。彼女は華やかな歌手でありながら、内面には不安や孤独を抱えており、それが様々な人々との交流を通じて深く探求されます。
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Q『5時から7時までのクレオ』の映画音楽はどのような特徴がありますか?
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A
『5時から7時までのクレオ』の映画音楽は、ミシェル・ルグランが作曲しました。作品の感情的な展開を豊かにサポートする音楽で、パリの雰囲気を彩り、観客を映画の中に引き込む役割を果たしています。



5時から7時までのクレオの感想・評価
素晴らしかった!映画は占いから始まります。カードを切り、9枚を抜き取ります。3枚は過去、3枚は現在、残りの3枚は未来を表しているのでしょうか。全てを理解したかのように話を聞く女性がいます。どうやら彼女は病気を抱えているらしい。彼女が店を去った後、占い師は「死が出たの。彼女は癌かもしれない」と呟きます。
Chapitre CLÉO、17時5分から17時8分まで。時間がこのように表され、映画の時間と私たち観客の時間はほぼ同時に進んでいきます。螺旋階段を降りながら、クレオは美しさを保っています。鏡を見つめながら、「美しい限り蝶は死なない」といったようなことを言っていたでしょうか?ポルカドットのドレスがとても可愛いです。カフェで付き人と待ち合わせ、落ち着いてコーヒーを飲む余裕がありません。帽子屋に入ると、好きなだけ試着しては舞い、鏡に見入ります。そんな間は、病の不安もどこかへ消えます。彼女の美しさは、彼女自身が一番よく知っているのです。
タクシーに乗り、(縁起の悪いナンバーの車を見送ってから)家に帰ります。女性運転士が、私が下手だった頃の曲を流し、「止めてください」と言います。感じのいい人ですが、クレオは少し気を使います。家に着くと、まず息を呑みました。部屋は純白で、大きなベッドとドレッサーがあり、子猫が2匹鳴いています。ネグリジェに着替えながら「浮いたら楽になりますよ」と言うので、雲梯で浮いてみることにします。しかし、そんなことをしても気分は良くなりません。恋人が来たり、キスしたりして、やっとお待ちかねのミシェル・ルグランが登場˚。彼の演奏は滑らかで美しく、楽しいものでした。そこからは、美術のモデルをしている友達と会ったり、映画内映画(アンナ・カリーナとゴダールが主演)を観たりと盛りだくさんでした。
最後には、私もクレオのように幸せな気持ちになり、ヴァルダのカッコ良さに圧倒されました。フランスに行くのがますます楽しみになりました!もう一度観たいなあ
「美しい限り わたしは生きる」。先に「5時から7時までのジュヒ」を観たことで、元の作品を知ることができて嬉しいです。でも、個人的には「5時から7時までのジュヒ」の方が好みかもしれません。冒頭のタロットカードを使うシーンはすごくスタイリッシュで、魅了されました。カラーとモノクロの使い分けにはどんな意図があったのか気になりますが、過剰に物語を求めるのも良くないのかなと思いつつ、クレオがちょっと気になるところがあり、本当に美しかったです。彼女の服装もとても可愛く、ただ「鼻につくようなもの」として描かれている印象があって、それは作り手のミソジニーかもしれないと考えました。特に前半は、死の予感に一喜一憂する若い娘のように演出されており、後半で恋愛に昇華されるのは私には必要ない物語でした。けれども、音楽が素晴らしかったし、パリの街並みも最高でした。あんなに美しい街に住んでいたら、何も手につかなくなってしまいそうです。街を歌うように歩くクレオはとても美しく、この映画はただそれを楽しむための作品かもしれません。
おもしろスクリーンの背後にはクレオと彼女が見ている景色が映し出されている印象を与えるカメラワーク。クレオ視点のカメラワークは、彼女が人を神経質に観察する様子を見事に表現している。前半のクレオは特に余裕がなく、気が散りがちだが、後半に入るにつれてカメラワークが安定し、ジャンプカットの多用によって神経質さが和らいでいる様子が良い。前半では死亡フラグが目立ち、気が重くなるが、時間が経つにつれ「考えすぎだった」と感じ、恐れていた癌宣告も実際にはあっさりとしたものであり、拍子抜けするほどだ。生きることの辛さは、その程度のものだと励まされる気がする。パリの街並みが美しすぎて、こんなに綺麗だったのかと驚かされる。
おもしろスクリーンの向こうには、クレオとクレオが見ている景色があるかのように感じるカメラワークだ。クレオ目線のカメラワークは、人を神経質にジロジロ見る感じを見事に表現している。前半のクレオは特に余裕がなく、落ち着きがない場面が多いが、後半へ進むにつれてカメラワークは安定し、ジャンプカットを多用することで神経質さが解消されていく表現が秀逸だ。前半は死亡フラグだらけで重苦しいが、時間が経つにつれてそれほどでもないかもしれないと気づかされる瞬間があり、最も恐れていた癌宣告さえも案外あっさり受け止められてしまう終わり方には驚く。生きていて辛いことはそんなものだと励まされる気がする。パリの街並みは圧倒的に美しく、こんなにも美しい場所だったのかと改めて思わされる。
白い服と黒い服の登場。カフェの風景。かつらをかぶった人々。ミッシェル・ルグランの旋律。ミュージカルの瞬間。カメラを向けられる多くの顔。カエルを飲み込む大道芸のパフォーマンス。シンメトリーな構図。デッサンモデルによるヌード。自動車の走行。電車の発着。映画の中に映画。公園の広がり。階段を降りながら歌うミュージカルシーン。前方から映し出される二人が並んで歩く瞬間、カメラは二人よりもゆっくりと移動する。急に後退する視点。夏至の日の光が差し込む。
冒頭のタロットシーンから始まり、ひたすらカッコよさが続く展開が最高でした。dos monosの1stアルバム収録曲の元ネタとなっているセリフが突然流れてきて、思いがけない発見でした。
ピアニスト、吹き替えじゃないの?すごいと思っていたら、彼がルグランだったのか。さすがですね。
目黒シネマ様、この寒さの中も暖房をしっかりつけてくださり、館内の暖かさがとても心地よくて、ついぐっすり眠ってしまうほどでした。記憶は断片的ですが、思っていた以上にヌーヴェルヴァーグの作品を体感できた気がします。すみません、今後も精進します。
すべてがスタイリッシュ。白黒の映像もなかなか良い雰囲気。パリジェンヌに憧れちゃうわ〜。主人公は落ち込んでいるのに、なぜか明るい雰囲気で楽しめた。不思議だな、たった2時間の一人の女性の物語なのに、こんなに感動的だなんて。重要な場面での兵士との出会いは映画の最後10分くらいからだから、どうなるのかドキドキしたけれど、距離の縮め方が見事だった。もう少しここにいたそうな兵士と、お医者さんとの会話で、放射線治療について癌の話が出たけれど、何とかなりそうで、クレオの明るい表情が印象的だった。ーーーーーーーー観ながらの感想ーーーーーーーー・タロット占い、再挑戦するんだね・めっちゃ怖いww 全部悪い未来じゃんww・占いで死や癌まで分かるの!?・心の声を聴くタイプなのか笑・サラッと奢られてるのが素敵・ワンピースにお腹に巻き物してヒールを履くだけでお洒落だなあ・途中で被ってた白い帽子が似合ってたな・彼女の声、ラジオDJか歌手?クレオは有名人?・街並みや車もお洒落・若くて美しい女性タクシー運転手・ウィノナ・ライダーを思い出す・部屋が広くて真っ白!・一瞬の恋人、何してるの?・音楽家の2人の男性が明るくて良い・お洒落なフレンチ音楽だ!・作詞家と作曲家なんだね・カツラだったとは驚き・細い階段が印象的・サラッとブランデーを飲む姿が格好いい・コニャックって何だろう?笑・ブランデーとウイスキーの違いも知らない!・ブランデー一気飲み!?すごい!格好良い!笑・ヌードモデルの友達、オシャレ・この車、オシャレ過ぎて運転できる自信ない笑・今夜、医者に診断を聞きに行く前のお話なんだね!じゃあまだ癌かは分からないね・あ、手信号?車なのに手で左折?やってるw・夕方6時なのに明るそうだ、白黒で見えづらいけど・難しい話をしてるね・この軍人、強引だな。
ストーリー自体は私には特に印象的ではなかったけれど、画角やふとしたカットがとてもお洒落で、当時のパリの雰囲気と相まって、ついボーッと観入ってしまった。ミシェル・ルグランがピアノを弾くシーンが特に好きだ!かっこいい。最初に登場する主人公の髪型には驚かされたけれど、実はウィッグだったとは!外した後の彼女の美しさに改めて気付いた。
女性が女性としての存在をどこまで描き切ることができるか、その限界を感じさせる作品がある。1962年に制作されたこの作品は、アニエス・ヴァルダの他の作品にも見ることができるように、女性の実存の奥に潜む本質を探るものである。
限界とは、女性性という社会的枠組みの中での表現を意味し、可能性とは、生理的な感覚の中での女性としての存在そのものを描写することを指す。
後者のアプローチが見事に表現された例として、ソフィア・コッポラの『ヴァージン・スーサイズ』(1999年)が思い浮かぶ。この作品では、五人の姉妹が常に彼女たち自身であり続ける姿が描かれている。
ポップシンガーのクレオは、タイトル通り、ある日の午後5時から7時までの2時間を描いた約90分の映画に登場する。彼女は医者からの診断に怯え、癌の恐れを抱えながら生活している。
オープニングはタロット占いから始まり、徒歩やタクシー、友人の車、バスなど、様々な手段でパリの街を彷徨う。周囲からはチヤホヤされる存在であるが、死に直面する彼女の心は、すべてが虚しく感じられるようになり、感情の浮き沈みに翻弄される。
映画には「ガーリー」な演出がなされ、特に自身を映し出す鏡は、女性としての美とそれを裏切る要素を二面性として描いている。
しかし、私が特に心を打たれたのは、当時のパリの混沌とした賑わいであり、この街の様子が女性の心の内なる声のように響いている描写だった。これはフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』(1959年)にも通じる、計算を超えた計算として感じられる。
つまり、実存とはそのようなものである。女性が他の女性を女性として捉える意図は明確であれ、意図としての限界がつきまとう。真に力を持つものは、ジークムント・フロイトが後期にまとめた「無意識」のように、自然に浮かび上がるのではないか。
また、映画という媒体の本質的な「ショット」の力は、こうした無意識的なものを映し出す役割を持つと言えるだろう。
追記:全編が白黒である中、オープニングのタロット占いのシーンだけがカラーで描かれているのは製作上の都合かもしれないが、非常に効果的であった。また、クレオに伴奏するボブが登場するが、なんとそれはミシェル・ルグラン本人で、彼のピアノ演奏の上手さには驚かされた。
パリを舞台に、歌手クレオが医師の診断結果を待つ2時間をリアルタイムで描く感動作。死の不安に揺れる彼女は街をさまよい、友人や見知らぬ人々との出会いを通じて自分と向き合う過程を繊細に照らし出す。鏡の前で美を追い求めてきた彼女が、次第に外の世界へ視線を広げ、他者との関係の中で生きる意味を問い直す姿は、観る者に深い余韻を刻む。パリの街並みと音楽が彼女の心の揺れを優しく包み、時間の流れとともに変化する感情の機微を浮かび上がらせる。人生のはかなさと日常の中に潜む美を再発見する旅として、この作品は静かに、そして力強く観客へ呼びかける。