ファントム・スレッドはどこで見れる?今すぐ視聴できる動画配信サービスを紹介!

4.3
ファントム・スレッド 映画

2018年5月26日に公開の映画「ファントム・スレッド」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「ファントム・スレッド」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。

ファントム・スレッドが視聴できる動画配信サービス

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最終更新日

ファントム・スレッドのあらすじ

舞台は1950年代のロンドン。英国ファッション界の頂点に立つオートクチュールの仕立て職人、レイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)。ある日、若いウェイトレスのアルマ(ヴィッキー・クリープス)と運命の出会いを果たす。互いに惹かれ合う二人は、レイノルズの世界にアルマをミューズとして迎え入れ、魅惑的で緻密な美の世界へと誘われていく。しかしアルマの登場は、完璧さと規律を貫く日常を揺さぶる。やがて二人がたどり着く、究極の愛の形とは――。

ファントム・スレッドの詳細情報

「ファントム・スレッド」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。

監督
脚本家
出演者
カテゴリー
ジャンル
制作国 アメリカ
公開日 2018年5月26日
上映時間 130分

感想・レビュー

  1. ズワイガニ

    映画レビューとして総括すると、前作の名声を受け継ぎつつ完成度を高めた佳作です。セットや衣装を含む世界観は隅々まで緻密に作り込まれており、観る者を瞬時に別世界へと誘う快感を生みます。ストーリーは見応えがあり、展開も引き込まれますが、終盤はやや難解で腑に落ない部分が残るのも事実です。とはいえ、ダニエル・デイ=ルイスの演技力は圧巻で、姉役を演じる女優の存在感、そしてアルマのキャラクター造形も素晴らしい。全体として高い完成度を堪能できる作品です。なお、アルマは大谷夫人に似ていると感じました。

  2. こっちゃん こっちゃん

    感想の軸: 比較・抽象・発見・流行・普遍性

    代理性ミュンヒハウンゼン症候群
    献身に自分の甲斐性を感じる

    共依存
    あんなにもひどいことをされても捨てられないのは才能・財産・名誉のため?

    印象的なシーン /セリフ
    – 調理シーン
    – 他のメニューが並ぶ机からの舐めカット
    – ニューイヤーパーティのあとのバルーンだらけの中のキス

    アウトライン

    演技面

    撮影面

    編集面

    音楽面

    美術面

    その他演出
    お医者さんへ返す場面でアルマと姉のセリフが3回も重なる箇所は笑いを誘う

  3. zxcv8

    ポール・トーマス・アンダーソン監督、ダニエル・デイ=ルイス主演、音楽はジョニー・グリーンウッドによる作品『ファントム・スレッド』は、歴史的名作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』と同じチームが再集結した作品であり、デイ=ルイスにとっての事実上の引退作とも言われています。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で描かれた衝動的で破壊的なキャラクターとは対照的に、今作では静かで内省的な人物描写が主となっています。ただし、他者に対する興味や関心の欠如という根本的な欠落は共通しており、内面的には「空虚な人物」として『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』と繋がっています。また、本作の重要なテーマの一つは「アルマはファム・ファタールか?」という問いです。デイ=ルイス演じるレイノルズは、整ったルーティンで生きる完璧主義者であり、その朝の流れだけで彼の人物像が明確に浮かび上がります。彼の職業的な美意識は、映画の隅々まで表れており、衣装デザイン賞を受賞したことも象徴的です。デイ=ルイスの完璧主義はキャラクター構築にも現れ、冒頭から視聴者を強く引き込むことに成功しています。

    物語はレイノルズとアルマの関係を中心に展開し、タイトルのファントム・スレッド(幻の糸)が示す通り、彼を束縛するのは母親の影でもあります。母親の存在は具体的に描かれませんが、彼がそこに囚われ続ける構造が根底にあります。マザコン的な完璧主義者が、自分よりも若い女性に惹かれるという、ややクラシックな物語ですが、ヒッチコック的な心理劇の深さが感じられます。アルマとの出会いは、クリエイターとミューズの関係を象徴しており、レイノルズは「この女性なら完璧な服を仕立てられる」という直感を抱きます。この一目惚れの瞬間には創造的な本能が働いているのです。この創作者とミューズの関係は、映画史で数多く描かれてきたテーマであり、ウディ・アレンとダイアン・キートン、ヒッチコックと彼の女優たちの創作と愛情が交錯する構図が思い起こされます。ただし、本作は、その関係が「共依存」として描かれている点が興味深いのです。

    互いの最も深い部分を引き出しあうことで、逆に離れられなくなります。アルマはレイノルズの職人としての美に魅了されながらも、その閉じられた世界を壊したいという欲求を持っています。これは単なる自己中心的な考えではなく、彼を変えたいという願望でもあります。一方で、レイノルズはアルマが彼の作品を侮辱する者たちにドレスを奪い返す瞬間に、「自分を本当に理解してくれる人」と認識するのです。しかし、愛が単純に深まるわけではありません。アルマは「彼が弱った状態の時」を好むという複雑な性質を持ち、毒キノコを料理に混ぜて彼を病ませます。通常の映画なら悲劇的な展開となるところを、ポール・トーマス・アンダーソンはそれを奇妙に親密な愛の儀式として描き出します。

    レイノルズが倒れ、アルマが彼を看病することで、二人の関係は逆説的に深化していきます。「完璧だ。だが良くはない」という台詞には、レイノルズの美意識が常人には理解しがたいほど高次元であることが表現されており、その病的とも言える完璧主義が彼の魅力でもあり、同時に呪いでもあるといえます。最終的に二人は結婚しますが、それは安定ではなく、より複雑な依存の関係を表します。若いモデルの登場などを経て再びすれ違う二人ですが、最終的にはレイノルズがアルマのもとに戻ります。彼の姉シリルが「口喧嘩なら私が勝つ」と言う通り、彼の才能や未熟さを最も理解しているのは周囲の女性たちです。

    また、レイノルズがアルマを受け入れたことに対する後悔を「静かなる死の匂い」と表現し、これが彼にとっての恐怖であると示唆します。日常が崩壊し、大事にしていたスタイルや基準が崩れていくことに恐れを抱いているのです。ラストではアルマが再びキノコを炒め、バターでの音や香りの描写が強烈です。レイノルズもそれを理解し受け入れます。彼女は「彼がいなくなっても構わない。彼は私を待つから」と言います。この愛の形は狂気的でありながら、二人の温度が一致しているからこそ成立しています。このラストシーンにおける歪んだ親密さは、まさにポール・トーマス・アンダーソンが描く愛の極致であると言えるでしょう。最後の幻想的なイメージ、子どもやダンスの場面が現実なのか妄想なのかは定かではありませんが、それこそが彼らの世界の完全性を示しているのかもしれません。他者性を受け入れることで浮かび上がる、ねじれた純愛をここまで美しく描けるのは、やはりポール・トーマス・アンダーソンならではの手腕です。

  4. hiyoko hiyoko

    PTA監督感謝祭。

    『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』でダニエル・デイ=ルイスが演じていたのは、炎のように熱い、動きのある、粗野なキャラクターでしたが、今回の作品では、氷のように冷静で、静かで、洗練された全く異なる役を担っています。

    この映画を観る多くの人は、彼をまるで別人のように感じることでしょう。

    ストーリーについて言えば、私自身、完全に圧倒されました。

    主従関係が行き来し、驚愕のラストが待っています。どうぞご自身の目で確かめてください!

  5. まきもどし まきもどし

    ヒロインを採寸しているシーンから、身体をモデル化している!と直感する瞬間が生まれる。みんなもモデル化に挑もう。ファッションデザインは、理系と社会科学が交差する領域だ。

    お前はこの服を着る資格はねェ!と言うシーンは熱い。まさしくスティリストの精神だ。ワシのスタイルに乗れ(乗らなければ帰れ)。

    緑はお好きですか?確かに使いにくい色と見られがちだが、ボッテガ・ヴェネタの差し色使いが大きな話題を呼んだり、Charli XCXも敢えて違和感を狙って緑を選ぶ動きを見せている。

    「お前もこの体に、なれ~!」という呪いをかけ、美的価値とアポロン的祝祭性で巧みに人を誑かすのがクチュリエの役割だろうか。

    ヒロインの反抗心は、それ自体がファッションの力でもある。反抗的不服従disobedient、となれば現代デザインの系譜としてジョナサン・アンダーソンの名が浮かぶ。もしアンダーソンがDiorのクチュールを手掛けたら、きっともう一度見直したくなる。

  6. くいち

    え!美しさと光の撮り方。繊細な表情と衣装のエレガンス、そして Jonny Greenwood の音楽が際立つ。

    自分の世界観と日課、若くして母をなくしたレイノルズの固まったコンプレックスが、アルマの粗雑さとキノコの毒に打ちのめされることで、むしろアルマを深く愛するようになる過程は、愛とは相手にイニシアチブを渡すことだ、という見方へとつながり興味深い。

    「Never cursed」の趣旨はよくわからず、満点には届かなかったのが心残り。

    シゴデキ人のモーニングルーティーンは、見ていてずっと満足感を得られる。

  7. どりーん

    – PTAはこんな甘美で複雑な世界まで描くのかと新鮮に感じました。
    – 中盤以降の展開には度肝を抜かれます。
    – 着地の仕方も独特で、終わり方が面白い。
    – それと、知っていながら口にするキノコのスープが印象的。
    – ホラー寄りでありながら、時にコメディ要素を感じさせる瞬間も。
    – 神経質なダニエル・デイ・ルイスの演技は、額の血管を浮かせるほどの迫力で圧巻でした。

  8. にしやん

    女性の食べ方に腹を立て、我慢できず席を立つ男の場面は、演技も演出も見事で最高だった。

  9. YMD YMD

    PTAの長編監督作、8作目。
    本編とは直接関係ないが、ポスターのデザインが『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を思わせる。
    主演のダニエル・デイ=ルイスの横顔は、どちらを向いているかが作品のテーマに関連している気がするし、その真ん中には主人公にとって重要な存在が描かれている。前者ではモデルであり主人公の交際相手であるアルマ、後者では掘削する油井から立ち上がる火柱が配置されている。この似た構図が興味深い。

    さて、本作について語ろう。
    PTA作品に手を出さなかった理由は、上映時間が長いことだけでなく、敷居が高そうに感じたからだった。早熟の天才と呼ばれるその監督の中でも、特に『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』と本作はその印象が強かった。

    しかし、『ワン・バトル・アフター・アナザー』を観る予定で監督作品を一気に見始めたときに本作を観ると、過去の作品との共通点が理解の手助けとなり、とても観やすかった。(逆に言えば、監督の作品にハマっていなければこの映画をコメディとして捉えることはなかっただろうね。笑)

    冒頭、主人公レイノルズ・ウッドコックと交際中で倦怠期に突入している恋人ジョアナが、「あなたの心はどこへ?」と言う場面は、まさにPTA作品にしばしば登場する、空虚な目的を持つ主人公像を思い起こさせる。
    レイノルズは、自身が手がけるオートクチュールの仕事に夢中で、常に衣装デザインのことしか考えていない。

    「結婚で自分を偽りたくない」
    そう語る彼だが、それは彼の論理に過ぎず、一緒にいる恋人にとってはたまったものではない。

    本作のヒロイン、アルマも最初はそう感じていた。
    (彼の仕事を除けば)あなたの心はどこにあるの?と、アルマも他の恋人たちと同様に感じざるを得なかった。
    「シリルは全てにおいて完璧で、私と何が違うの?」

    「好みでドレスを着るのではない。シリルは正しい。」
    レイノルズ、何を言ってるんだ

    最初は彼の寵愛を受けていると思っていたアルマだが、実は彼女自身の体型が彼の美の基準によって完璧であるだけで、彼の真の心は別のところに向いていたのではないかと疑念を抱いていたかもしれない。

    しかし、後半になると状況は変わる。
    レイノルズはアルマに自分の痛みをさらけ出すことで、真の愛を理解し始める。

    この映画の本当に素晴らしい点は、それ以降の展開。彼が愛を理解したところで、それはただの恋愛感情ではないのだ。

    お互いの痛みを共感し、やがて共犯的にその痛みを生み出し合うことで、他人からは理解しがたい共依存的な関係へと進展していく。この点が特に秀逸である。

    夫婦とは共犯関係だと言われるが、この映画を通じてその意味が痛烈に伝わってくる。

    確かにこれはコメディだ。レイノルズの仕事以外の人間性を理解することが、他人には難しく、そんな彼を受け入れようとするアルマの姿勢もまた、観客には理解しがたい。

    しかし、これが恋愛であり夫婦である。二人にしか分からない間合いを、時に滑稽に、時にスリリングに描写している。その舞台が英国王室御用達のオートクチュールという品格のあるものであればなおさら面白い。

    劇中、アルマとレイノルズが二人きりで食事をするシーンが3回ある。最初は出会いのシーンで、お互いを理解しようとする場面。

    次はアルマがサプライズで出したアスパラガス料理の場面。ここでのすれ違い方が笑えるほどひどい。レイノルズの味付けや言い争いなど、観ているこちら側も呆れ果てるシーンが多い。観客としては、もはや笑える次元に到達している。

    そしてラストのきのこ料理。無言でお互いを見つめ合うこの場面は、ハラハラさせられる食事シーンを見たことがない。心を乱されることを嫌うレイノルズと、彼を静かに見守るシリルとアルマの朝食シーンは、この映画全体を通じて食事シーンがとても素晴らしいことを示している。

    朝、レイノルズがドレスのデザインを考えながらコーヒーを注ぐ時に使う急須のような器具がとても良いと思った。あれ、欲しい。笑

    このような食事のシーンだけでも何度でも語りたくなるほど贅沢だ。
    もちろん、アカデミー賞を受賞した衣装デザインは素晴らしい。メガネを何度も外したりつけたりしながらモデルのドレスを眺めるレイノルズや、品評会でモデルへの着付けに尽力する姿は彼の完璧さを物語っている。

    彼は何事にも妥協を許さないが、完璧であることだけでは面白くない。その理由が分からず彼の心は揺らいでしまう。

    うわぁ、、本当に面白いコメディとして観ると特に、最高だよ、ポール・トーマス・アンダーソン。

    レイノルズを演じるダニエル・デイ=ルイスはこの作品で引退宣言をしたが、今年に入って息子のローナン・デイ=ルイスの監督デビュー作で8年ぶりに復帰し、自身の引退宣言が恥ずかしいと語っていた。笑
    本作での彼が演じるレイノルズは気品に満ちているが、インタビューで見せるタトゥーの両腕が意外であった。見た目の印象がこんなに違うとは。笑

    非常に楽しめた映画だった。

  10. 金魚埠頭

    母性本能を持つ女性とマザコンアーティストが繰り広げる恋愛映画。お姉さんも母の役割から解放されて一安心。芸術家の繊細さには共鳴する部分があるため、その特性を尊重しつつ、仕事のパフォーマンスを維持しながら共に生活するのは簡単ではない。女性の中に存在したのは、愛なのか、意地なのか、あるいは狂気なのか。ミューズという言葉の響きは魅力的だが、実は彼女も無口のマネキンを求めていたのかもしれない。ただし、毒キノコのような愛情も存在することを忘れずに。