2011年4月30日に公開の映画「ミスター・ノーバディ」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「ミスター・ノーバディ」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
ミスター・ノーバディが視聴できる動画配信サービス
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ミスター・ノーバディのあらすじ
西暦2092年。不死の技術が確立された社会で、118歳の老人ニモは病院のベッドで最後の瞬間を迎えようとしている。彼の心に浮かぶのは、これまでの人生の重要な瞬間たち。選び取った道、捨てた道、様々な選択肢が彼の思考を巡りながら、過ぎ去った日々を振り返る。
ミスター・ノーバディの詳細情報
「ミスター・ノーバディ」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | ジャコ・ヴァン・ドルマル |
|---|---|
| 脚本家 | ジャコ・ヴァン・ドルマル |
| 出演者 | |
| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ ファンタジー 恋愛 |
| 制作国 | フランス ドイツ ベルギー カナダ |
| 公開日 | 2011年4月30日 |
| 上映時間 | 137分 |
ミスター・ノーバディの公式PVや予告編動画
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ミスター・ノーバディのよくある質問
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Q映画『ミスター・ノーバディ』のあらすじはどのようなものですか?
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A
『ミスター・ノーバディ』は、何の変哲もない日常を送る中年男性ハッチ・マンスルの物語です。彼の家に強盗が押し入ったことをきっかけに、抑えていた暴力的な一面を解放し、犯罪組織との対決に巻き込まれていきます。彼の過去が暴かれ、抑えられない本能と向き合う様子が描かれます。
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Q映画『ミスター・ノーバディ』で主人公を演じた俳優は誰ですか?
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A
『ミスター・ノーバディ』の主人公ハッチ・マンスルを演じたのは、俳優のボブ・オデンカークです。彼はこの役のために過酷なトレーニングを積み、アクションシーンも自らこなしています。
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Q『ミスター・ノーバディ』の制作に関わった監督は誰ですか?
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A
『ミスター・ノーバディ』の監督はイリヤ・ナイシュラーです。彼はアクション映画『ハードコア』で知られ、独特の映像表現を特徴としています。
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Q『ミスター・ノーバディ』の脚本を書いたのは誰ですか?
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A
『ミスター・ノーバディ』の脚本はデレク・コルスタッドによって書かれました。彼は『ジョン・ウィック』シリーズの脚本家としても有名で、緊迫感あるストーリー展開を得意としています。
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Q映画『ミスター・ノーバディ』の音楽を手がけたのは誰ですか?
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A
『ミスター・ノーバディ』の音楽を担当したのは、作曲家のデビッド・バックリーです。彼は映画の緊迫感やドラマチックな場面を音楽で効果的に演出しています。



ミスター・ノーバディの感想・評価
ハードSFっぽい雰囲気は悪くないが、オープニングは良かったものの、本編に入ると期待していたほどではなかった。絵作りのセンスは自分には合わず、マイナス。Where Is My Mindの使い方はファイトクラブの印象が強すぎて、どうにも違和感がある。自然なアジア人像の軽視を感じ、時勢もあって思わず笑ってしまう。ここまで積み上げてきてこのオチかという印象で0.5点減点。宇宙が収縮しても時間が逆戻りするとは限らない、という点には概ね同意する。
哲学的なテーマを持つ作品で、もしあの時こうしていればと自問自答を繰り返しながら人生を振り返る構成。どの選択をしても自分の人生を形づくる以上、間違いはないという考えと、選択をしない選択にも無限の可能性が残るという見方を教えてくれる。ストーリーは進行とともに場面が互いに結びつき、心地よいリズムを生む反面、全体のまとまりには欠ける印象も残る。独特の演出が多く、好みが分かれる作風。観る人を選ぶ作品だ。
『ミスター・ノーバディ』といえば、多くの人がボブ・オデンカーク主演を思い浮かべるだろう。とはいえ、自分には長い間、これが思い出補正によるものなのかと感じていた。前回観たときほどの感動はなかったけれど、それでもやっぱり好きな作品だ。
いわゆる「if系」が潜在的に描こうとするものは、物理的に不可逆な時間を、可逆的に扱うことで現実の「変更不可能性」という逆説に揺さぶられる。しかし本作は、心理的に可逆的な時間を不可逆的に振り返り直すことで、現実の「変更可能性」を立ち上げていくように感じられる。
もしあの時、こちらを選んでいたならその後の人生はどうなっていただろう。そうした選択の問題を通じて自分を見つめ直すことは、誰にでもあるテーマだろう。この『ミスター・ノーバディ』も一見すると「if系」の物語に見えるが、実際には正反対の事情を描いていると感じられる。
このことを端的に描いたのが、ジャコ・ヴァン・ドルマルの長編処女作『トト・ザ・ヒーロー』(1991年)だ。老年のトマが人生の報われなかった思いを胸に、少年時代の心の支えだった探偵トトとともに復讐へと向かう過程で、彼が見出すものは自分の思いとはまったく異なる別の側面だった。
物理的な時間の問題として現実を変更することは不可能であっても、心理的な時間のなかでは、現実に起きた出来事の様相やそこに宿る価値を変えうる。おそらく人が誰かと和解するときには、こうした内的なプロセスを確実にたどっているに違いない。
また、長編二作目となる『八日目』(1996年)でも、多忙な会社員生活を送る中年男性アリーが、妻と娘二人の心が離れていく様子を受け止めつつ、半ば自殺のような夜に出会ったダウン症の青年ジョルジュとの交流を通じて、生きる意味や価値を心の問題として変えていく姿が描かれている。こちらもまた、心理的な時間のなかで現実の価値を変容させる可能性を示している。タイトルも秀逸で、神は天地創造を七日間で終えた後、八日目にこの変更可能性を創造したのだ、という解釈が提示される。
そして『ミスター・ノーバディ』では、人間が心理的な時間のなかに宿す「現実の変更可能性」を、物語の一つの極点として、徹底的に描き出しているように感じられる。
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近未来の2092年、細胞の永久再生技術が普及し、人類は皆不死となっていた。そんな時代にあって118歳の老人ニモ・ノーバディは「最後の死ぬ人間」として世界中の注目を集める。彼の人生を知りたがる人々は多いが、ノーバディの記憶は曖昧で、少年期・青年期・中年期に出会った三人の女性(アンナ、エリース、ジーン)のうち誰と結ばれたかという、少なくとも三つの生が矛盾しつつも鮮やかに語られていく。
結局、ノーバディという「非ファミリーネーム」(根を持たない人格)に集約される彼の人生は、どれが実際に起きた出来事なのか分からないまま映画は幕を閉じる。しかし、ここで分からないのは、物理的な空間のうち何が起きたのかではなく、心理的な時間のなかには「どれもあり得た」ということ自体にこそ、本作の核心が宿っているということだ。
こうした人間存在のあり方は、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガー(18891976年)の主著『存在と時間』において解き明かされようとする思想と結びつく。『トト・ザ・ヒーロー』で詳述した問いと重ねると、ドルマルの主人公たちは皆、「現存在性」を生きる者として、死や大きな喪失をきっかけにそれまでの人生の様相や価値を編み替えていく存在だと言える。
人は、切実な喪失を経て現実を可能性の総体として編み直し、やがて自分が自分であることの意味を究めていく。その到達点は、かならずしも同じ形にはならないが、すべての作品が共通して描く根源的な人間存在の本質だろう。ジャコ・ヴァン・ドルマルが紡ぐ物語は、そうした本質の極点を、秀逸な緊密さで描き出しているように思える。
ベルギー
難解な映画で、スコアを付けるのも難しい。理解が難しく混乱するが、製作者が伝えたかったことを考察してみる。人生の中には数多くの分岐点があり、その選択によって人生が変わる。ただし、その選択には間違いがなく、全てが正しい道であるというメッセージがあったのではないかと思う。冒頭でバタフライエフェクトに触れており、小さな選択が大きな未来を変えることが表現されているのだろう。母親の離婚に伴って誰についていくかで大きく人生が変わるのは一般的な話で、感情移入できた。最後にアンナが言った「時間に息を引き取って、人生で最も幸せな日だ」との言葉が印象的だった。ニモにとって、アンナとの日々が望む幸せな人生だったのだろう。もし母親について行っていた場合の人生では、何度もアンナと会うことがあったため(火星での再会さえも)、本当にアンナを求めていたのだと思う。この映画の設定は独特で、人が死なない世界でニモだけが不思議に長生きしていることには驚かされ、ツッコミを入れたくなるが、考えずに受け入れるしかない。頻繁に挿入される科学パートも斬新で面白かったが、物語から少し離れてしまう印象もあった。そして、映像美が素晴らしく、9歳のニモがプールに飛び込むシーンやニモとアンナのシーンは特に構図が良かった。その映像美のおかげで、難しい設定も受け入れることができたのかもしれない。
非常に頭を使って観賞しました
最終的には9歳の少年による虚構の物語ということなのかな?
解説をお願いしたいという気持ちです
伝えたいことはなんとなく感じ取れましたよ。
ふぉーーーーー!!!
これ、すごいね!
約8時間かけて観たよ(笑)
この作品にはいくつのルートがあるのだろう。
考察する価値はあるが、どれも正解とは言えず、どれでもあるようでどれでもないようにも感じられる。
この映画自体が虚構であると捉えてよいのだろうか。
選択と分岐を違和感なく見せる巧みな映像と演出だが、後半はさすがに疲れを感じる。
選択肢によって変わる未来。主人公ニモの人生は、一人称の視点でもあり三人称の視点でもある。過去を戻ってやり直すバタフライエフェクトやシュタインズゲートとは異なり、別の選択をした世界線に同時に存在する感覚は、『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』に似ているかもしれない。
愛し合っているのに状況が結ばれることを許さないアンナ、深く愛しているのに愛されずに互いに不幸を重ねていくエリース、愛されているが自分の愛を注げないジーン。この三人はニモの選択によって運命が変わる存在であり、特にジーンは視覚的にも「愛されない枠」として扱われるため、可哀想に思える。エリースのメンヘラ的な描写は生々しく、理性とは裏腹に制御を失う瞬間がつらい。
高度で複雑な設定と伏線が見事に織り交ぜられ、難解でありながらも直接的に響く。徹底的に練られた構想を感じさせる。過去や未来のインテリアやルートごとのキーカラーの違いなど、美術も非常に楽しめる。Pixiesの「Where Is My Mind?」のロマンティックな使い方も印象的で、小道具の配置にも怠りがない。
複雑さが一度の鑑賞では味わい尽くせなかった気がするので、また必ず観たい。基本的に全てを受け入れる大好きな映画だが、「不死の世界が実現した世界で」の設定は必須ではなかったかもしれない。リスクや暴力、有限性を前提とした人間賛歌を表現しているのだと理解はしたが、手を広げ過ぎている印象も受けるこれは愛に基づく主張かもしれない。
「人生のほとんどは何も起こらなかった。フランス映画のように」。本当に、それが正しい人生の姿かもしれない。
なんだろう、非常に詩的で儚い。たまにはこういう映画もいいですね。
好みが分かれる作品なので、観る人を選ぶかもしれません。