2018年4月7日に公開の映画「ラブレス」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「ラブレス」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
ラブレスが視聴できる動画配信サービス
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最終更新日
ラブレスのあらすじ
一流企業で働くボリスと美容院を営むイニヤは夫婦だが、それぞれ別のパートナーがいる。二人は早く別れ、新たな人生を始めたいと考えている。しかし、12歳の息子アレクセイの存在が問題だった。いずれも新しい生活に息子を必要としていなかった。ある晩、二人は激しく言い争い、お互いに息子の責任を押し付け合った。その翌朝、学校へ出かけたアレクセイは姿を消し、ボリスとイニヤは必死になって息子を探し続けるがーー
ラブレスの詳細情報
「ラブレス」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
監督 | アンドレイ・ズビャギンツェフ |
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脚本家 | アンドレイ・ズビャギンツェフ オレグ・ネーギン |
出演者 |
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カテゴリー | 映画 |
ジャンル | ドラマ |
制作国 | ドイツ フランス ベルギー ロシア |
公開日 | 2018年4月7日 |
上映時間 | 127分 |
ラブレスの公式PVや予告編動画
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感想・レビュー
一流企業のボリスと美容院を経営するイニヤは、現在離婚協議中の夫婦です。それぞれが新しいパートナーを持ち、新たな生活を始めるために早く縁を切りたいと考えています。彼らには12歳の息子、アレクセイがいますが、どちらも新生活に息子を必要としていません。ある日、激しい口論の中で息子を押し付け合ってしまいます。
翌朝、学校に行くはずのアレクセイが行方不明になります。必死になって彼の行方を探す二人。しかし、夫婦の関係は最悪で、互いに顔を合わせれば罵り合い。恋人と過ごしているため、帰宅も遅く、息子は一人で寝ています。
離婚後、どちらが息子を引き取るのか揉めるでしょうが、実際にはどちらも引き取るつもりはありません。息子はそのことに心を痛め、涙を流しています。そして、ついに失踪してしまいます。
アレクセイが無事見つかることを願っていましたが
救いのない物語で、結末もすっきりしませんでした。
雪化粧の森の美しさに圧倒され、その構図に引き込まれた。
登場人物たちは、父母ともに人間性に欠け、不倫相手たちもまた然り。うんざりするような人間関係が展開されるが、それでも観る者を惹きつける制作者の技術は見事だ。
原題のНелюбовьは、「愛」愛любовьに打消しのнеが付いており、「愛に非ず」と読める(辞書には嫌悪や敵意などの意味がある)。愛に非ざるものを見せられつつ、「愛」という言葉が繰り返されることで、視覚と聴覚のギャップが心を揺さぶり、監督の巧妙な手法に巻き込まれていく快感があった。
やがて少年の失踪事件というミステリー展開になり、頼もしいボランティア捜索隊の活動には期待感が沸いた。その際に感じたのは、フィクションとはいえ他人の不幸が面白いと捉えている自分のいやらしさだった。
街に貼られたビラの近くを通る人々をカメラが捉えるが、それは何の関係もない通行人だった瞬間が、物語の虚しさを一層際立たせていた。
ウクライナ戦争の始まりに関するニュースを、富裕層の主人公たちはどこか遠い内戦の話として無関心に眺めていた。愛の対極にある無関心とはまさにこのことだと実感した。
小さな物語を巧みに大きな物語へと導く力がある
愛せない親と愛されない子の乖離を描く話だったはずが、気づけばウクライナ戦争や社会不安をテーマにしていた
子どもの無事と将来の幸せを願いながら見守っていた。内容はとてもつらく、胸が締めつけられる。両親が見せる悲しみやパニックを偽りとは言えないが、どこか役割を演じているようにも感じられた。これらの人たちは今後、心からの幸せや愛を感じられる日を迎えられるのだろうか。できればそうした未来であってほしいと、私は強く願った。
綿密に設計された構図の画面は静謐で、物語の中で感情移入が難しそうな夫婦を、距離を置いた視線で映し出す点に非常に適しており、強い印象を残した。
ただし序盤は、長々とどうでもいい場面が続き、かなり辟易させられた。
また、写真集のように美しく整った構図がある一方で、意図がストレートに伝わるショットも混ざり、全体としての徹底性には欠けると感じた。
子どもの抵抗を描かない点自体が問いかけになっており、それがこの作品のインパクトを高めていると感じた。つまり、子どもの抵抗は謎で不在のままなのだが、だからこそ両親の欺瞞を露わにする力を持つ。メルヴィルの『書記バートルビー』を思わせるところもある。ただ、両親の自己満足を描く部分が冗長で、ややもったいないと感じる場面もあった。
子どもを持たない方が良い人もいる。離婚寸前の夫婦は、12歳の子どもを互いに押し付けあい、罵り合っていた。その様子を、子どもは声を殺して聞いていた。
ある日、子どもが忽然と姿を消す。夫婦はそれぞれ悲しんでいるように見えたが、その感情は一時のものに感じられた。その後、離婚し、各々の新たなパートナーと生活を始めるが、果たして自分の利益ばかりを考える人間に幸せが訪れるのだろうか。映画としては、時系列に淡々と物語が進んでいく印象が残り、日記をめくっているような感覚だった。子どもが犠牲になるストーリーは苦手で、星の評価も低めになった。
しばらく前に視聴した作品で、レビューを書くのをすっかり忘れていた。時々思い出すことがある。自己中心的な大人に犠牲になるのは、常に子どもたち。しかし、大人になると、この自己中心な親たちが他人事ではなくなることを実感する。
「惨たらしい」と表現せざるを得ない異色の作品
そのおかげで、最近では稀に見る悪夢に悩まされました。
アレクセイが声を押し殺しながらも泣き叫ぶような表情が、脳裏に焼き付いて離れません。
2012年のモスクワ近郊。12歳のアレクセイは両親と郊外のアパートで暮らしている。離婚を巡る揉めごとが続き、アパートの売却話も出てくる。両親にはそれぞれ恋人がいて、子どもを誰が引き取るべきかという対立が深まり、アレクセイの居場所は不安定になる。そんな折、彼は突然行方不明となる。
監督はアンドレイ・ズビャギンツェフ。脚本は監督とオレグ・ネーギン。2017年公開のドラマ映画である。
【主な登場人物】
– アレクセイ:ボリスの息子
– アントン:ジェーニャの恋人
– イワン:探索ボランティア
– 刑事:多忙
– ジェーニャ:美容院の経営者
– ジェーニャの母:一人暮らし
– ボリス:デスクワーク員
– マーシャ:ボリスの恋人、妊婦
【概要から感想へ】
ズビャギンツェフは1964年生まれのロシア出身の男性。演劇学校を卒業して俳優として活躍後、2000年頃からテレビの制作に携わる。初長編監督作でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を獲得し、以後もパルムドールやアカデミー賞関連の栄誉に名を連ねる。本作は彼の長編5作目にあたる。
現在はフランスを拠点として活動しており、家族の葛藤を緻密に描くドラマの名手として知られる。ロシア国内のあるあるを扱うかは定かではないが、普遍的なテーマへと昇華させる作風が特徴だ。結婚は二度目で、子どもは一人という背景を持つ。
本作には、愚痴や不満、激情が散りばめられている。喧嘩の激しさや怒鳴りあいが中心となるが、必ずしも深い考察を促す場面は多くない。それでも、普段は発言を控える人や、共感を得られる人々の支持を集める構図には説得力を感じる。
恋愛と家庭の葛藤を映し出す手法について、監督の性別観や視点の一般化には賛否がある。とはいえ、物語が進むにつれて現実とフィクションの境界が曖昧になり、観客の共感を誘う局面も生まれる。
『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』の近藤監督の推薦も話題となる。
️🩹〈序盤〉
不思議に長いBロールと壮大な映像。極寒の地では風景だけで孤独や寂しさが伝わる。崩壊寸前の夫婦関係が描かれ、些細な喧嘩が愛の枯渇を露にする。演出の格好良さが光り、家出経験がある人には特に刺さる描写がある。
近年のドラマでも家庭内トラブルと児童の安否をテーマにする作品はあるが、本作は原因と解決の構図を明確に描く点で異なる。愛情が回復の鍵となる展開が用意され、現実味とフィクションのバランスが取れている。
序盤の印象として、愛情の欠落を問いつつも、観客が希望を見出せる余白が残されている。
️🩹〈中盤〉
アレクセイの失踪が物語の核となる。事件発生前の恋愛描写が長尺で、登場人物の区別が難しく、誰が誰と関係を持っているのか把握しづらい場面もある。だが、緊張感は徐々に高まり、不可解さが物語を押し進める。
️🩹〈終盤〉
失踪した後も世界は続く。自分が必要とされていないと感じる人間の孤独や絶望が映し出され、シュールさが強くなる。自意識の強さが人物の解釈を暴走させ、観客に強い余韻を残す。
結末は欲張りなまでに解釈の余地を残す分岐型。未来へと続く複数の道を見せつつ、現実と想像の境界を揺さぶる展開が特徴的だ。淡々とした語り口の中に深い余韻が残り、近藤監督が意図した表現のエッセンスを垣間見ることができる。
【映画を振り返って】
登場人物が家族という閉じた空間で孤立していく姿を通じて、ロシアに限らず愛の不足や無関心といった社会的テーマを提示する作品として評価される。一方で、監督の視点が過剰なまでに自己を映し出すとの指摘もある。物語は、観客が自分の日常を照らし合わせる鏡として機能しつつ、世界のあり方について考えさせる。
アレクセイは最も純粋な表現で感情を伝える。最初は子ども時代の演出のように見えたが、次第に記憶の扉が開く感覚を呼び起こす。親の喧嘩を間近で見た経験を思い出す人も少なくないだろう。
この映画は、結婚と子育てに伴う心のゆらぎをリアルに描くと同時に、捜索活動やボランティアの熱意と温度差を対比させる。捜索の取材が丁寧に描かれ、社会的な現実感を強く印象づける。
ただし、監督の視点がやや過激に感じられる場面もあり、観客によっては受け止め方が分かれる。世界の醜さを過度に強調する意図が見える一方、作品全体としては人間の複雑さと繊細さを捉える力に優れており、観客の心に残る余韻を生み出す。
総じて、本作は家族の葛藤と失踪という題材を通じて、現代社会の孤立とつながりを鋭く見つめ直す作品である。観客は自身の日常を重ね合わせつつ、他者の痛みや温かな結びつきを改めて認識させられるだろう。