2016年5月28日に公開の映画「或る終焉」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「或る終焉」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
或る終焉が視聴できる動画配信サービス
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或る終焉のあらすじ
終末期の患者をケアする看護師デヴィッド。死を迎える者の前で、彼は命と向き合う。崇高な献身と葛藤を描くサスペンスフルなヒューマンドラマ。
デヴィッド(ティム・ロス)は、在宅で終末期の患者を看護する看護師だ。妻ローラ(ネイレア・ノーヴィンド)と娘ナディア(サラ・サザーランド)とは、息子ダンの死を機に疎遠となり、今は一人暮らし。日々の生活は、患者の介護とエクササイズの繰り返しだが、患者との関係は非常に親密で、時に家族以上の絆となる。彼自身も、患者とのつながりを必要としていたのだ。
エイズ末期の患者サラ(レイチェル・ビックアッブ)を看取った後、次に担当したのは脳卒中で半身麻痺となった老人ジョン(マイケル・クリストファー)だった。口は悪いがジョークを愛する彼とデヴィッドの関係は良好だったが、家族がデヴィッドをセクハラで訴えると言い出し、ジョンの近くに立つことを禁じられたデヴィッドは職を失う。
そんな中、離れて暮らす娘ナディアと久々に再会する。将来は医者を志す彼女の姿に触れつつ、デヴィッドは亡くした息子ダンのことを思い出す。やがて彼は、末期がんに侵された中年女性マーサ(ロビン・バートレット)を担当することになる。最初は心を閉ざしていたマーサだが、デヴィッドの献身的な姿勢に徐々に心を開いていく。
しかし、化学療法の副作用に苦しむマーサは身も心も追い詰められていた。そしてある日、マーサはデヴィッドに切実な願いを口にする。「化学療法はもうたくさん…手を貸してほしい。」その言葉は安楽死の選択を思わせるもので、デヴィッドは複雑な思いにとらわれる。
或る終焉の詳細情報
「或る終焉」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | ミシェル・フランコ |
|---|---|
| 脚本家 | ミシェル・フランコ |
| 出演者 | アンジェラ・ブーロック カリ・コールマン クレア・ヴァン・ダー・ブーム サラ・サザーランド ジョー・サントス ティム・ロス テイト・エリントン デヴィッド・ダストマルチャン ナイレア・ノルビンド ビッツィー・トゥロック マイケル・クリストファー レイチェル・ピックアップ ローラ・ニエミ |
| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ |
| 制作国 | メキシコ |
| 公開日 | 2016年5月28日 |
| 上映時間 | 93分 |
或る終焉の公式PVや予告編動画
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或る終焉のよくある質問
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Q映画『或る終焉』のあらすじを教えてください。
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A
映画『或る終焉』は安楽死をテーマにした作品で、医師が末期ガン患者を看取る様子を描いています。患者と医師の間に生まれる特別な絆が、感動的なラストを迎えるまで緊張感を持続させます。
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Q『或る終焉』の主演俳優は誰ですか。
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A
映画『或る終焉』の主演はティム・ロスが務めています。彼は医師役として緊張感と感情の両方を演じ切り、高い評価を得ています。
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Q『或る終焉』の監督は誰ですか。
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A
『或る終焉』の監督はメキシコ出身のミシェル・フランコです。独特の作風で知られ、緻密な演出がこの作品でも際立っています。
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Q映画『或る終焉』のテーマは何ですか。
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A
映画『或る終焉』のテーマは「安楽死」です。人生の終わりに関する重い問いを投げかけ、その中で浮かび上がる人間の尊厳を深く探求しています。
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Q『或る終焉』が受けた評価について教えてください。
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A
映画『或る終焉』は、その重厚なテーマとティム・ロスの演技が国際的な映画祭で高い評価を受けました。特にカンヌ国際映画祭では注目を集めました。



或る終焉の感想&レビュー
終末期の患者に寄り添う看護師が主人公。患者の心に寄り添う姿勢は素晴らしい反面、結局は周囲の人や家族から距離を取られてしまう。距離感の難しさを伴うこの仕事だと痛感させられる。観る者の視点次第で感じ方が変わり、鑑賞後にはさまざまな問いが浮かぶ作品だった。
いやいや、あらすじ!
本編を観た後に読んだので、ほとんどネタバレ状態です。
作品は静かで単調ですが、難しいテーマを投げかけています。
「寄り添う」とは何か。
人によってその感覚は異なるのでしょう。
しかし.
痛みから目を逸らしてはいけない。理解しているつもりでも、実際にその痛みを目の当たりにすると、逃げ出したくなることも否定できない。冒頭のシャワーシーンは、その真実を象徴している。
他者のためだけに自分の人生を捧げることは可能だろうか。原題は『Chronic』、慢性病患者についてだ。おそらく、これはケアワーカーのデヴィッド自身を指しているのだろう。
彼は病的に患者に寄り添う。建築家の患者がいれば、彼が設計した家をわざわざ訪れ、「私はこの家の設計者の兄弟だ」と虚偽の一言で中に入り、間取りを確認しながら、患者の人生に寄り添おうとする。
スポーツジムで未開封のタオルを求める場面は、デヴィッドの神経質さを示すのではなく、「患者を支えるためには自分も健康でなければならない」という狂気を感じさせる。この映画を観る人が抱く狂気的な献身の感情は、デヴィッド以外の登場人物たちにも反映されている。非常に巧妙な展開だ。
やがて、デヴィッドには別れた妻と娘がいることが明らかになるが、患者への異常な執着の背後には、難病で亡くなった息子の存在が重くのしかかっている。その息子の名前が口にされると、彼は瞬時に涙し、虚無を宿した遠い目を浮かべる。物語の終盤で、その理由が予想外の人物から意外にあっさりと語られ、このことが彼を動かしていた力の源を否定する道へとつながっていく。
デヴィッドは、希望を失った他者にとっての絶対的な希望を目指していたのだろう。しかし、誰かに何かを与えられるのは、その相手が望んでいる場合に限る。あるいは、他者の欲望がどれほど理に反していても、本人にとってはその実現が最も大切なことなのだ。
では、他者のためにすべてを尽くし、報われず拒絶された場合、どうすればよいのか? 答えは、恐らく彼の行き着く先にあるのだろう。
ミシェル・フランコは、ダルデンヌ兄弟に匹敵するリアリズムで、ベルギーの巨匠とは対照的な冷酷さで真実を描写している。
エンドロールの余韻が本当に強い映画体験だった。ミシェル・フランコは相変わらず、登場人物の暮らしを断片的に映し出し、物語の意味は観客自身が探っていく作りになっている。意味をすぐに理解させることはなく、受け手が自分の解釈を組み立てる余地を残している。マーサの願いが最後に届くのではと感じたり、観客それぞれの見方が気になる作品。ティム・ロスの演技は生気のなさが印象に残る、静かな存在感が強い。
主人公は卓越した看護師でありながら、患者との距離感に揺れ悩み、同時に息子を亡くした痛みに苛まれている。物語のラストは救済にも贖罪にも思える余韻を残し、読後も尾を引く。
在宅看護と末期ケアを淡々と描くタブーぎりぎりの題材。末期患者の最期に立ち会う在宅看護師の視点を追い、介護職としての職務範囲と越えてはいけないラインの境界を問う作品。
最期に寄り添うことは美談では済まされず、背負い込んだ痛みが日常へと持ち越され、呼吸の音や触れた感触、声の記憶が消えることなく残る。看取る側の傷は長く疼き、彼が選ぶ終焉は倫理と人間性の境界を浮かび上がらせる。
安楽死の是非を結論づけず、死をどう見つめるべきかというテーマを観る者に投げかける。ティム・ロスが演じる主人公の行動が善か悪かの判断を観客に委ねる、観る者を問い質す撮影手法が特徴。作品は辛さを伴うが、ティム・ロスの圧倒的な演技が最後まで観る価値を支える。
デヴィッドの献身は、患者との共依存を強く感じさせる。まるで死に取り憑かれているかのようであり、亡き息子への贖罪のようにも捉えられる。典型的なヒューマンドラマではないため、人生に絶望している人々に希望をもたらす内容ではないが、現実の苦しみが少し和らぐ感覚が不思議とある。私だけの感覚かもしれない。病気であっても健康であっても、自分の死を操ることは不可能であるこれは当然のことだ。ラストは即死であってほしいと思う。元妻と娘は苦しむだろうが、デヴィッドにはそれが良かったのではないかと感じている。
Sometimes silence reveals something truly important.
【第68回カンヌ映画祭 脚本賞】
『あの歌を憶えている』はミシェル・フランコ監督の作品で、カンヌ映画祭のコンペティション部門に出品され、脚本賞を受賞した。
そのエンディングには驚かされた。こんな結末があり得るのか? フランコ特有の倫理観に揺さぶられる作品で、衝撃的なラストが心に残る。さすがというか、何とも言えない。
物語は思いのほかスムーズに進行し、視聴しやすいが、テーマは非常に重い。重要なシーンがさりげなく進むため、しっかり見ていないと見逃してしまうかもしれない。
在宅介護を行う主人公の日常を淡々と描いた作品ではあるが、全体には常に不穏な空気が漂っている。セクハラの誤解を受けるなど、嫌な気持ちにさせられる瞬間も多い。
そして終盤に依頼される出来事、まあ想像はつくとは思うが、その描き方も意外にあっさりとしている。ラストはその結果を示唆しているのかもしれない。何事もなかったかのようにはいかないという神の啓示か。
フランコらしい不快感を伴う物語で、後味は良くない。シンプルそうに見えて、実に緻密に作られた一作だ。ハネケとダルデンヌ兄弟を融合させたような印象を受けた。非常に心に残る作品である。
#第68回カンヌ国際映画祭
とても厳しい映画だった。
突然の死を除けば、
誰もが病にかかり、
介護を受ける立場になる。
その瞬間、人は無力感を覚える。
しかし、こんなふうに寄り添ってくれる介護士がいれば。。。
最後の展開は、なぜこんな結末なのだろう。