2016年11月12日に公開の映画「この世界の片隅に」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「この世界の片隅に」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
この世界の片隅にが視聴できる動画配信サービス
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最終更新日
この世界の片隅にのあらすじ
どこにでもある、ふつうの暮らし。昭和20年、広島・呉。私はここで生きている。広島市江波で生まれ、絵を描くのが得意な少女・すず。昭和19年、20キロ離れた呉の町に嫁ぎ18歳で一家の主婦となったすずは、物資が欠乏するなか日々の食卓をどうにか作ろうと工夫を重ねる。だが戦況は進み、日本海軍の拠点だった呉は何度も空襲に見舞われる。庭先から眺めていた軍艦が炎を上げ、市街は灰燼に帰っていく。すずが大切にしていた身近なものが次々と奪われていく。それでも、日常を築く彼女の営みは止まらない。そして、昭和20年の夏がやってくる――。
この世界の片隅にの詳細情報
「この世界の片隅に」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
この世界の片隅にの楽曲
「この世界の片隅に」の主題歌や挿入歌、サウンドトラックを紹介します。映像だけでなく音楽からも作品の世界を感じてみましょう。
- サウンドトラック映画「この世界の片隅に」さらにいくつものサウンドトラックKotringo
感想・レビュー
心がざわざわした。戦争によって様々な感覚が混乱し、恐怖を覚えた。やはり世界には愛と平和、そしてチョコレートが必要だ。
ふわりとした作風ながら、非常に力強い作品だ。この時代の『よかった』は、今の私たちにはまるで別の重さを持つように響く。『泣いてちゃもったいない。塩分がね』と笑い飛ばす逞しさと、それを鼓舞しないと立っていられないほどの戦争の残酷さ。忘れずに、心に刻みたい。
絶賛されている作品だけど、正直、そこまでハマれなかった。
序盤はとても長く感じられ、終盤は良かった。
広島弁が聞き取りづらかったので、字幕があれば良かったなと思う。食事シーンは印象的だった。
すずにイライラが募った部分もあった。 「ありゃ」といった反応や、何かを失敗したときの表情に少し苛立ちを覚えた。
申し訳ないですが、自分は性格が悪いと思っています。
それでも、すずが玉音放送を聞き終えた後の言葉には感銘を受けた。
確かにその通りで、「戦争は悪いもの」という考えは戦後を生きる私たちの視点であり、当時を経験した人々にとっては納得できる考えだっただろう。
登場人物の頬が常に赤いので、照れているのかどうかがわかりにくかった。
一度観ただけでは足りないのかもしれない。
いつかもう一度見た時に、感じ方が変わるかもしれない。
前半は穏やかな画と主人公の声が、観る者の心を和ませる。広島のあの日が近づく瞬間を、私たちはまるでカウントダウンを見守るかのように見つめてしまう。じわりと心を刺すような物語だ。
広島弁がすずさんの声をさらに柔らかく温かく響かせ、何気ない日常の暮らしと逞しく生きる人々の姿を描く。呉の海と戦艦、山や街の風景が静かに横たわる。だが、悲劇はやってくる現実には、そんなことを考える余裕もなく日々を生きなければならない。家族の安否もすぐには分からない。)
数年前、学童保育のアルバイトをしていたとき、施設長が終戦記念日に子どもたちに見せていた映像があった。誰も真剣に見ていないのが当たり前だと思っていたが、自分が子どもだった頃には身近に戦争を経験した人や戦後の貧しさを知る人が周囲にいて、話を聞くのが当然の時代だった。いまやそれは曾祖父の世代の物語。暗い過去は遠くの話となり、子どもたちには興味の対象にもならないのだと感じた。
そのときは子どもたちの様子を見て時間が取れず、映像の全容を確認できなかった。長い年月を経て、ようやく鑑賞の機会を得た。
正直に言えば、学童保育の場で子どもに見せるには退屈に感じられる映画だ。しかし、戦時を生き抜いた人を劇的に描く作品が多い中、この作品は全く異なるアプローチを徹底しており、斬新だと感じた。
戦時下の広島や呉を舞台にしつつ、主人公のすずさんのキャラクターは、よくあるヒロイン像とは一線を画す。多くの作品で見られる悲劇的な描写や芯の強い女性像ではなく、マイペースでぼんやりとした面を持つすずさんが、あの時代の現実の中で確かに存在したことを示している。
語り口は日常アニメのように淡々としており、戦争映画としては珍しくユーモラスな要素が物語の大半を占める。配給の悪化と食糧難の中、野草を摘み煮干しを焼き、芋を飯に混ぜて炊く、玄米を炒ってから炊くといった営みが描かれ、戦争映画なのに飯テロさえ匂わせる。その視点こそが、この作品の核になっている。
能年玲奈が声を担当するすずさんは、最初は浮かぶ違和感を徐々に解消していき、やがて彼女の声以外は想像できないほどにはまっていく。画面の横で多くの人が死んでいくその現実を、観客は日常の延長として受け入れていく。戦争の本質、すなわち人の死が生活の一部となってしまう残酷さを描くことで、戦争を経験した者とそうでない者との間に深い溝が生まれることを示している。
この映画は、そうした残酷な日常感覚を体感させてくれる点で、他に類を見ない作品だと言える。
ただ、個人的には晴美を失って以降のすずさんの変化や、玉音放送を聴く場面、原爆投下後の広島を訪れる場面での反応を、もう少し大胆に変化させても良かったのではないかと思う。ただ、それもこの作品の性質として受け止められる。これからも語り継がれるべき、貴重な一作である。
個人的には、過去の戦争の善悪を今さら論じるのは好まないので、戦争をテーマにした映画はあまり観ません。しかし、この映画のように戦争によって大切な日常を失った人々がいることを忘れてはいけないと思います。
この作品は、戦士ではない人々を描いている点が素晴らしいです。突発的な衝撃に対する非論理的な怒りが湧き上がる様子が印象的です。やるせなさや悲しみに対して無感動や我慢ではなく、頭の隅に追いやって生き抜く人間の強さが描かれています。戦争の厳しさと同時に、日常の中での人間としての苦しみが表現されているのが魅力的です。
喜びや希望、不安、怒り、抑えきれない衝動。言葉にできないどうしようもない感情を抱えて生きる多くの人々の物語、そして彼らが死んでいったこと、諦めながらも再び生きようとする姿。教科書には載らないかもしれませんが、語り継いでいくべき人間の命の証を描いた作品です。
また、気配りができる器用な周作が、自分の感情に関わる話になると途端に不器用になってしまう様子が愛おしいです。
日本一の軍港・呉を舞台とし、昭和19年に18歳で嫁いだすずさんの日常を描いた物語。彼女は出会いや日々の暮らしの中で美しい世界を見つけ、決して後ろを振り返らず前向きに生きていく。大切なものを失うことがあっても、「なんとかして生き抜かなければ」と思い続けるのです。感謝の気持ちを持って、この世界の片隅に自分を見つけてくれてありがとう。
東京テアトルの70周年を記念する作品。片渕須直監督/脚本で、「魔女の宅急便」の演出補佐を務めた。こうの史代原作、声優にはのんと細谷佳正が出演。第40回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品を受賞。
日本のアニメーション技術の真髄が詰まっており、繊細さと温もりが画面から溢れ出し、1枚1枚の絵が一貫した物語を紡いでいく様子が映し出される。胸に響く空の輝きは、遠くを眺めるたびに涙を誘う。どんなに厳しい状況でも生きなければならないというメッセージが心に突き刺さる。
戦争の最中でも前を向き、「人生」に真摯だった人々がいたからこそ、今の日本が存在し、今の自分もいる。行動すれば好きなことを追求できる社会に感謝し、その思いを持って生きていきたい。
#呉 #大和と武蔵 #終戦70年
主人公のすずさんが語る戦時中の物語。過酷な体験を重ねる中で、絶望を感じるたびに小さな幸せを一つずつ積み上げて日常を生き抜く姿が描かれています。
現代でも、私たちも小さな幸せを感じながら日々を過ごしている部分があるのではないでしょうか。
もちろん、戦時中と現代を単純に比較することは難しいかもしれませんが。
とても大好きです。すずさん、ありがとう。いつか必ず広島に行きます。
原爆をテーマにせず、戦争中の日常生活に焦点を当てているため、他の戦争映画よりも身近に感じられた。戦争には反対です。