2017年11月18日に公開の映画「エンドレス・ポエトリー」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「エンドレス・ポエトリー」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
エンドレス・ポエトリーが視聴できる動画配信サービス
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エンドレス・ポエトリーのあらすじ
物語は、ホドロフスキー一家が故郷のトコピージャから首都サンティアゴへ移住するところから始まる。若きアレハンドロは、自分に自信が持てず、抑圧的な両親との葛藤に苦しみながら、この環境から抜け出し、自らの道を模索していた。ある日、アレハンドロは従兄のリカルドに導かれ、芸術家姉妹の家を訪れる。そこでは、古い規則や制約から自由なダンサー、彫刻家、画家、詩人などの若いアーティストたちが生活していた。彼らとの交流を通じて、アレハンドロは自らを縛っていた檻から解放されていく。エンリケ・リンやニカノール・パラといった、後に国際的に名を馳せる詩人たちとの出会いや、初恋の相手ステジャ・ディアスとの運命的な出会いを通じて、アレハンドロの詩的な運命は、未踏の世界へと開かれていく。
エンドレス・ポエトリーの詳細情報
「エンドレス・ポエトリー」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
監督 | アレハンドロ・ホドロフスキー |
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脚本家 | アレハンドロ・ホドロフスキー |
出演者 |
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カテゴリー | 映画 |
ジャンル | 伝記 |
制作国 | フランス チリ 日本 |
公開日 | 2017年11月18日 |
上映時間 | 128分 |
エンドレス・ポエトリーの公式PVや予告編動画
「エンドレス・ポエトリー」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
エンドレス・ポエトリーの楽曲
「エンドレス・ポエトリー」の主題歌や挿入歌、サウンドトラックを紹介します。映像だけでなく音楽からも作品の世界を感じてみましょう。
- サウンドトラックEndless Poetry (Poesía sin fin) [Original Motion Picture Soundtrack]Various Artists
エンドレス・ポエトリーを無料で見る方法は?
「エンドレス・ポエトリー」を無料で視聴するなら、「U-NEXT」などの無料トライアル期間を活用するのがおすすめです。
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感想・レビュー
少年時代、ガルシア・ロルカの言葉の響きに真実を感じていた。『夢遊病者のロマンセ』を読んでいたが、作品の中で描かれるホドロフスキーも同じ場所に留まることを拒んでいるように見える。
詩を燃えさかる蝶と呼んで導かれているのだから、ふらふらと、何かを見つけたと思ったらひらひらと、じっとしてはいられないのかもしれない
ステラ、かっこいいね。40日間のあいだに遠くへ行ってしまった
個性の強い人物像や派手な場面が際立つ一方で、歳月を重ねて人生を振り返ると、ラストの父との対話をもう一度やり直したかったのではないか、という気がする。
アップリンク吉祥寺で予告が流れて気になっていた、人生哲学を描く作品をついに体験。お母さんがずるいくらい魅力的で、笑わせてくれたり泣かせてくれたりと見せ場が満載。お母さんの最後の歌が全てを物語り、台詞も最高。ゲロを自分の帽子で受け止め『君からこれしかもらえないなら、僕はこれを一生大切にするよ』という場面は、胸を打つ名シーンだった。
素晴らしかった。久しぶりに脳が新鮮な刺激を受ける映画を観た。ラテンアメリカには詩情あふれる国がいくつもあるけれど、結局チリが一番カッコいい気がする。
ホドロフスキーと言えば、その狂気を秘めた瞳が印象的ですが、彼の作品に触れるのはこれが初めてです。DUNEの実写化に失敗したこと以外は、ほとんど知らない状態で本作を観賞しました。
本作は、ホドロフスキー本人の半生をファンタジックに脚色して描いたもののようです。リアリティを追求せず、時には黒子が映り込むなど、戯曲的な映像美を強調しています。鮮やかな色彩やキャラクターたちの個性が適度に表現され、度々挿入されるミュージカルシーンも相まって、観る者を飽きさせません。一方で、彼自身が登場し、人生の重要な瞬間に彼の考えを示していきます。「人生に意味はあるのか?」という問いに対して、「意味なんてない、ただ生きるだけだ!」という彼の答えが印象に残ります。
特に心に残ったのは、両親、特に父との関係性です。現在では少数派かもしれませんが、かつては芸術や文化を軽視し、学歴や資本主義社会での地位を重視する考えを持つ人々がいました。彼らと共に育った自分にとって、主人公の感情はより共感を呼びました。結局、両者は決別するのですが、その最後は意外にも温かいものでした。「何も与えてくれないことで全てを与えてくれた」「愛してくれないことで愛の存在を知った」というような、反面教師的な思想が印象に残ります。全てを否定し、ゼロから自らの価値観を築いていくことの尊さを力強く語る本作とホドロフスキーのメッセージには、多くの人が胸を打たれることでしょう。ただ願うだけでは実現しないこともあります。それに対して、苦境の中でこそ真の自己を発見し、それに出会えるのかもしれません。
情報を常に全力で受け止め続けるため、やや消化不良に感じるのが難点です。
クリストファー・ドイルの映像美も楽しめるので、そのアートを目的に鑑賞するのも悪くありません。
言葉の持つ力についてはまだ理解しきれませんが、その影響力には良い面も悪い面もあり、私たちはその幅に翻弄される生き物です。
「息子よ、おまえを祝福する」この言葉を、もはやこの世にいない父に聞きたくて作った映画なのでは?と感じてしまうのは、私の考えがひねくれているからだろうか。アップリンクで繰り返し映画を観るたびに、予告で映像を散々見せられるので、最後のカーニバルのシーンにはやはりカタルシスを感じた。
オペラのように喋るカーチャンが面白すぎる!
男塾名物の直進行軍のシーンが登場した。
現代のホドロフスキーが仲裁するシーンは最高だ。
目黒シネマのマジックリアリズム特集で観る、ホドロフスキー自伝映画第2部。前作『リアリティのダンス』は2020年にアップリンクで視聴済みで、今回、故郷トコピージャからサンティアゴへと続く旅路が再び私の記憶を呼び覚ます。作品冒頭に現れる家族三人の姿は、5年ぶりの再鑑賞にも関わらず鮮烈で、父はヒトラー風の厳格さ、母はオペラ調で語るような喋り方といった極端なモチーフが印象に残る。芸術を理解してくれる従兄の紹介で出会う、個性豊かなシェアハウスの住人たちも魅力的だ。詩人としての自我が芽生える青年ホドロフスキーの恋愛と友情の行方はどこへ向かうのか。深夜のバーで誰もが眠りに落ちる瞬間、反骨的な恋人のディテールを強烈に彩る派手なメイク、そして「生チンコタロット占い」といった刺激的な映像の連続に圧倒される。屋外撮影はラストの赤黒いカーニバルくらいしかなく、その点はやや物足りなく感じる場面もある。しかし、映像は極端に異様ながら、物語自体は極めてシンプルで王道。だからこそ普遍的な共感を呼ぶポップさと訴求力がある。現在93歳を超えたホドロフスキーの創作はなお熱く、第3部の到来にも大いに期待が高まる。
すべての人の後ろには死が寄り添い、誰もがその存在に包まれている。
私は私であり、アーティストであり、詩人です。どこを切り取っても私の一部で、私自身を反映しています。私という存在は、光のように変わることはありません。詩人としての自覚を持つ彼にとって、その光は希望ではなく、未来を生きるための指針です。愛を交わす瞬間には、詩を通じて心を通わせる時が流れます。愛し、愛され、生きること、そして詩が生まれる豊かな瞬間が重なります。戻ってきた時、互いに受け入れ合い、お母さんの歌声に気を取られない。悲しみがあっても、星々を頭に乗せて笑顔を浮かべることができます。愛を伝えるためにできることは何か、色とりどりの同じモチーフを選ぶことや、異なるモチーフを選ぶこと。私が白い丸を選べば、彼は黒い丸を選ぶ。次に何を選ぼうか、どんな言葉、どのような生き方であなたに愛を伝えるのか。絵を描かないと生きていけないと感じ、それを悲観することはない。愛があれば、明日を生きるための道しるべが見えてきます。傷があっても人生は素晴らしいと叫び、紫色の船に乗り込むのです。悲しみを手放し、羽を持つ骸骨が笑っている限り、きっと大丈夫。走り、ぶつかり、転び、泣き、笑いながら、私は生き、絵を描き続けます。私の全ての欠片を抱えて、今日も生きているのです。詩や絵を描くことは、私にとって生きることそのものです。私の表現を、ただあなたに届けたいのです。