2008年3月15日に公開の映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)が視聴できる動画配信サービス
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実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)のあらすじ
1960年代、ベトナム戦争や文化大革命などが世界を揺るがしていた時代、日本でも学生運動が盛んになり、過激な若者たちによって連合赤軍が結成された。1972年2月、彼らは革命に全てを賭け「あさま山荘事件」を引き起こす。
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)の詳細情報
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監督 | 若松孝二 |
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脚本家 | 大友麻子 掛川正幸 若松孝二 |
出演者 | RIKIYA タモト清嵐 並木愛枝 中泉英雄 井浦新 伊達建士 伴杏里 佐生有語 佐野史郎 倉崎青児 地曵豪 坂井真紀 坂口拓 大西信満 奥田恵梨華 奥貫薫 小木戸利光 川淳平 日下部千太郎 本多章一 桃生亜希子 椋田涼 渋川清彦 玉一敦也 笠原紳司 粕谷佳五 菟田高城 高野八誠 |
カテゴリー | 映画 |
ジャンル | ドラマ |
制作国 | 日本 |
公開日 | 2008年3月15日 |
上映時間 | 190分 |
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)の公式PVや予告編動画
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感想・レビュー
この映画館のスクリーンは想像以上にしんどく、これまで避けてきた怖い映画だった分、山岳ベースのシーンは本当にトラウマ級だった。今思い出してもなお怖さが残り、夜にお風呂に入るのもためらってしまう。永田を演じた役者のハマり込みすごさには圧倒され、怖さが引くことはない。
理想だけが先走るとこうした事態を招く可能性があると感じる。平等や反権力を語る人間が、狭い空間の中で優位を示そうとする場面で悲劇が生まれるのは、意味不明で愚かなことだとすら思える。とはいえ、今の時代には共産党や左派への拒絶感が根強いのも事実で、理想だけ立派でプロセスが抜け落ちているような感触が強い。今の文脈での拒絶の背景には、こうした経験が影響しているのかもしれない。
武装闘争で平和が実現すると信じるのは一理あるとしても、それだけでは権力の再編を生むだけで、また新たな支配構造が生まれて不満が生まれの繰り返しになる。アナーキズムが最適解なのかは分からないが、ガンディーは非暴力だが非抵抗ではなかった。武力を使わずとも理想を達成する道はあるはずで、置かれた立場次第という側面もあるのだろう。現実のパレスチナ情勢に置き換えても、私たちが偉そうに語れるのかは疑問だ。テロリストは無関係な市民を巻き込むこともあり、彼らは犯罪者だが、テロ組織がなぜテロを起こすのか、理由を深く考えるべきだと思う。複雑な要因が絡み合い、元々は先進国の戦争や配慮不足が背景にあることが多い。
同時多発テロの影響もあって世界的にイスラム教徒への差別が広がっているが、これは社会・世界の縮図でもある。重信房子の出所後のインタビューにも同様の視点が見られた。ネット上でパレスチナ問題を語る重信と遠山の違いの一つは、遠山に男に従う側面があることかもしれない。そもそも重信がこの合宿に参加していたのかも疑問だ。いずれにしても遠山は総じて優しい人だと思う。
永田の死刑判決で、女性特有の嫉妬深さや陰湿さが原因だとされた点はミソジニーに他ならないと感じるが、それを指摘して受け入れない強さを、永田は図太さとしても示しているのだろう。確かに個人的な要因はあるとしても、内ゲバをはじめとする左翼組織の組織体制の問題は依然として重要だ。概念だけが先行してプロセスや具体性が抜け落ちると、組織は形骸化する。組織自体を解体するべきだと考える向きもあるが、現実にはそう簡単ではない。そう考えると、サパティスタの存在には強く惹かれる。
1947〜49年のベビーブームで人口が爆発的に増えた団塊の世代は、その圧倒的な数で社会現象を引き起こした。そのなかでも代表的なのは、彼らが大学生だった時代の学生運動だ。そんな社会現象から組織的犯罪にまで発展した連合赤軍の実録風犯罪を映画化した、いわば昭和の群像青春コメディである。惑星運動はハシカのようなものと評されることもあるが、革命精神に染まった画生たちは何かに取り憑かれたように描かれている。革命のためには武器が必要と、交番を襲って拳銃を盗むなどの愚かな計画や、いわゆる総括としてのリンチや殺人へと暴走する。とにかく登場人物が多いので話がわかりにくくなる場面もある。警察署のポスターでよく見かける名前も登場するが、その実態は革命の闘士というより帝国陸軍の鉄拳制裁に近い暴力性と何が違うのかと問われる。とにかく自己を正当化する若者特有のクセを、集団で徹底してしまう。団塊の世代は人数が多いだけに社会現象を動かす力を持つ。学生時代にはテロリスト紛いの運動をし、社会人になってからもバブル経済を牽引した。各国ともにこのベビーブーマー世代は必ずしも碌なことをしないとの評価がある。総括という名のリンチはもっと過酷な事例があると聞くが、本作ではそこまで過激な描写は多くなかった。逆に山荘の奥さんへの過剰な丁寧さには違和感を覚え、狭い世界に入ると人はろくなことをしないと感じさせる。小さなコミュニティは一見面白い部分もあるが、軌道を外れたときにはとんでもない方向へ進むのだ。
70年代以前に生まれた人が日本共産党や左翼に抱く強いアレルギーと抵抗感の背景には、あまりにも無謀で周囲に迷惑をかけた連合赤軍の内ゲバという悲劇が作用していると感じられる。パレスチナ連帯の象徴として知られるクーフィーヤを連合赤軍のメンバーが首に巻く場面を見ると、ネガティブな文脈が先行してしまい、非暴力へとアップデートされていないリベラル思想の限界を痛感させられる。事件は1971〜72年の時期だが、ヘアメイクと衣装の一部が過剰にY2K風に見える箇所があるのは予算の制約のせいかもしれない。ただ、工夫の余地はあったはずで、もったいないと感じる。
勝手に評価項目
– エンタメ 3.1
– 美術 3.6
– 脚本
– ストーリー 3.5
– キャラクター造形 3.8
– 音楽 3.3
– 構図 3.2
– メッセージ 3.9
– 演技 4.3
水筒を忘れた場面は、個人的に好感がある。真面目そうにボケているように見える点が興味深い。
この人たちに知性があるとは思えない。
革命後の理想も、現実として成り立つとは限らない。
思想にはコンテクストが欠如しており、自分の言葉で語る力にも乏しい。
カルト的な問題よりも、より複雑で危うい側面を露呈している。
熱意を世界の命運と自分の人生と結びつけることで、個として生きる道を見失っているように見える。若さゆえの情熱が、それを加速させているのだろうか。
「総括」という行為は、全体主義的な視点で自分を歴史の中に位置づけ、存在意義を見出そうとする試みだと感じられる。
見た目の美しさだけで生きていける女性が腹立たしく感じられるのは理解できる。ルッキズムは根深い問題であり、それを乗り越えることに意味を見出したい。
連合赤軍における自己批判は、反省にとどまらず「誤りを生み出した原因を自己史の分析まで深く掘り下げ、根本原因を解明し、その克服方法を自ら提示する」ことが求められていた。(出典: ウィキペディア)
224,2025
鉄球ドーンといえば、あのイメージだけが頭に浮かぶ。
長々と一生分の総括を聞かされたが、意味はまったく分からなかった。
リンチ殺人集団。これが革命というのか?笑うしかない。
共産化を目指していたようですが、仲間を次々と粛清しつつ、自分たちは仲良くやっている。
本当にダサい。こんなことで命を失った方々に、心から冥福をお祈りします。
本作は、あさま山荘事件を軸にするのではなく、そこへ至るまでの連合赤軍の心理的過程を主題として描く。特にリーダーの資質には大きな違和感を覚える。革命の理念は頭になく、仲間内で「統括」(リンチ殺人のような行為)や「処刑」を繰り返す姿が鮮明に描かれる。その場面には強い憤りを感じた。こんな暴君的なリーダーを生んだのは誰なのか。とはいえ、犯人視点であさま山荘事件を捉え直せる点には、意味があると感じた。
若松プロダクションの作品を観たいと思っていたが、これが歴史に基づいているという事実がとても苦しくてやりきれない。元々は悪人ではないはずなのに、同じ志を持っていた人々の中でどうしてこんなことが起きたのか、その思いが消えない。人間の精神の脆さや集団心理の恐ろしさを深く感じさせられる。
胸が痛むほどの内容だ。これが決して遠い過去の話ではないと思うと、なおさら恐ろしい。閉鎖的な環境ゆえに情報が閉ざされ、手に入れた情報に過度にのめり込んでしまう人間の醜さが浮き彫りになる。とはいえ、描写はリアルで、脚本の構成も分かりやすく、事のあらましを確かに知ることができた。
学生運動の時代とは何だったのか、私にはほとんど知らなかった。シリアスで力強い映画だ。胸の内に渦巻く強い不快感と、全員を嘲笑したくなるような不思議な感覚が同居する場面が印象深い。高学歴の人物を中心とする、あまりにもおかしな異常者集団と一蹴することもできるだろうが、何かの目標に全てを捧げる才能を冷笑するのは間違っている。彼らには勇気が欠けていただけだ。嫉妬心を発端とする永田洋子の執拗で陰湿な悪感情は、本当に恐ろしかった。革命戦士になるために総括し、自己批判して、再び総括する。言い訳ととばっちりの連鎖。総括は怖い。