1981年7月11日に公開の映画「機動戦士ガンダム II 哀・戦士編」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「機動戦士ガンダム II 哀・戦士編」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
機動戦士ガンダム II 哀・戦士編が視聴できる動画配信サービス
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機動戦士ガンダム II 哀・戦士編のあらすじ
地球連邦軍とジオン軍の戦闘に巻き込まれたアムロは、ガンダムのパイロットとして数多の戦場へ身を投じる。傷だらけの体を引きずりながらも、ホワイトベースは必死で連邦軍の本部ジャブローへと辿り着く。しかしジャブローはジオン軍の総攻撃を受けることになる。
機動戦士ガンダム II 哀・戦士編の詳細情報
「機動戦士ガンダム II 哀・戦士編」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
原作者 | 富野由悠季 矢立肇 |
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監督 | 富野由悠季 |
脚本家 | 山本優 星山博之 松崎健一 荒木芳久 |
主題歌・挿入歌 | 井上大輔 |
出演者 | |
カテゴリー | 映画 |
ジャンル | アニメ |
制作国 | 日本 |
公開日 | 1981年7月11日 |
上映時間 | 134分 |
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感想・レビュー
アムロ、思ったよりも子供っぽいな!
その一方で、カイは予想以上に成熟してるじゃん!
ガンダム劇場版第2弾を観て、強い衝撃を受けました。ニュータイプへと成長するアムロの姿に胸が高まり、マ・クベを演じた塩沢兼人さんの熱演にも深く感動。ザクやドムも好きですが、特にグフの魅力に心を奪われました。
セイラさんの『行きます』というセリフが印象的で、ランバ・ラルの生き様には強く心を打たれました。全員敬礼の後、アムロの『マチルダさーーーん』には胸を打たれました。
敵味方を問わず、魅力的なモビルスーツが次々と登場し、当時はガンプラをよく買ってもらった思い出が蘇ります。
P.S. このガンダム作品では多くの人が命を落としましたが、名セリフが心に深く刻まれています。
『ランバ・ラル、戦いの中で戦いを忘れた』
総集編ならではのテンポの良さで観やすく、いいとこ取り感が半端ない。ガンダム世代にとってはまさに聖典級の存在で、見慣れた絵柄も時を経て味わい深い。シャアが徐々に窮地に追い込まれていく展開は切なく感じられる。
2番目の作品が興味深い。しかし、知名度のあるキャラクターが次々と亡くなっていくのが印象的だ。
ジェットストリームアタックに関しては、あまりにも短くまとめられていて、果たしてこれが本当に有名になるのか疑問に思うほどだった(映画版では大幅にカットされている可能性もある)。
結局のところ、戦争に救いは存在しない。現場と指令部の間のギャップは、現実でも同様であろう。
を連続して視聴した。見るほどに人が次々と亡くなっていき、つらさが増していく。善人がいなくなるのが切なく、戦争とは守るべきものが何なのかを深く考えさせられる。では戦争の当事者として人を殺めることに苦しむ安室が、「いっただき!」と笑顔で致命的な一撃を放つ場面があり、その変化に胸が痛んだ。結局、人を傷つけることを一度でも選択してしまえば、元には戻れないのだと痛感する。カイのエピソードは特に良かった。カイのような適当なキャラは好みではないと思っていたが、普段はちゃらんぽらんなカイが愛を知り、守りたいと思い、感情を露わにするシーンに心を打たれた。振り返れば、カイがいちばん人間らしさを保っている気がする。
続き
この3部作の中盤を描く物語。シャアは最後にはほんの少しだけ登場する。
さまざまな人々が次々と命を落とし、戦争という現実を私たちに突きつけてくるのかもしれない。
・テレビシリーズの16話から31話の途中までに該当(15話はククルス・ドアンの島で別扱い)
・ブライトとミライに対して腹を立て、ガンダムで下船するアムロは、私情が入り交じった行動を見せる
・ランバ・ラルとハモンの魅力はやはり際立っている
・俺を踏み台にした!?
・さすがゴッグ、まったく平気だ
#ロボット#宇宙#兵器#戦争#「機動戦士ガンダム」シリーズ#9110
映画館のクーラーに頭をぶつけてしまい、近くにいたお兄さんが『大丈夫?』と声をかけてくれて、ティッシュまでくれたのを思い出す。
機動戦士ガンダムの劇場版三部作の二作目を観賞した。昨日に続き、登場人物の魅力がどんどん深まり、物語の盛り上がりが一段と高まっていると感じる。正直、第一作では主人公のアムロを含め、好きになれるキャラクターがいなかったのだが、二作目でランバ・ラルの登場により彼の男らしさに惚れ込み、そこからは続く人物の死とともに各キャラの人間味が深まっていった気がする。
「いつか恒久平和が実現する」と真剣に語る人々は今も存在する。冗談ではない。人間がそんなに賢明でないことは、現実を見れば明白だ。特に子どもたちには、そんなきれいごとを信じ込ませるべきではない。これが『ガンダム』を制作する動機の一つでもあった。重要なのは、バラ色の未来を夢見ることではなく、現実に不都合な事柄があれば、たとえそれが高い壁のように見えても、それを克服する志を持つことだと考えている。(富野由悠季監督インタビュー)
『ガンダム』の中盤には、敵味方の大切な人たちの戦死が描写される。個々の死に感傷に浸る暇もなく、次々と敵の攻撃が続く。例えば日本の映画史で興行収入第1位の「鬼滅の刃」(2020)に登場する煉獄杏寿郎のようなセンチメンタルな描写はまったくない。制作者の「戦死を決して美化しない」という決意が伝わってくる。
富野監督は、理想よりも現実を描くことの重要性を社会哲学者ピーター・ドラッカーの著作から学んだと言う。また、ポスト構造主義について「視野狭窄の信心を生む」と批判している。
~こうした議論に安住している人々は「夢遊病者」ではないだろうか。第一次世界大戦直前のヨーロッパで、王政のもとで戦争を起こす決定を下した人々を、夢遊病者と称した見解がある。もっと言うなら、夢遊病ではなく原理主義だ。自分が信じる正義を絶対視し、それに反対する者を排除するのだ。(富野監督インタビュー)
このインタビューから全ての真意を把握することは難しいが、ポスト構造主義と原理主義との親和性が高いという点には同意する。すべてを相対化し論理を優先すると、机上の空論に陥りかねない。しかし、仮にそれが無意味な空論であったとしても、論理に特化することで生じる「強さ」が「権威」として崇拝され、権威好きな人々によって「原理」として称えられる危険がある。無意味な「権威」が「原理」と見なされる危険な例は、軍国主義やカルト的宗教である。厄介なのはイデオロギーそのものではなく、権威に惹かれる人々の存在だ。
雑感
映画界隈での例として、蓮実重彦と彼のフォロワーを思い出す。蓮実が提唱する表層批評は、映画から物語や意味を取り除き、画面に関する「ショット分析」を物理的ロジックで展開するものだ。個人的には大袈裟な表現の並びで無意味な空論に感じるが、上から目線の口調と相まって権威好きからは「原理」として崇められている。例えばジョン・フォードの作品レビューでは、「運動」や「装置」といった蓮実原理主義者特有の用語が溢れ、明白である。右へ倣うのが好きな大衆について、ハンナ・アーレントは危険視し「凡庸なMob(群衆)」と表現している。