1966年11月19日に公開の映画「魂のジュリエッタ」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「魂のジュリエッタ」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
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魂のジュリエッタのあらすじ
平凡な主婦、ジュリエッタは夫婦仲が順調だと信じていた。しかし、結婚15周年の記念日を夫が忘れ、さらに寝言で別の女性の名前を口にしたことで、彼女は浮気の疑念を抱き始める。精神的に不安定になったジュリエッタは、探偵や霊媒師の助けを求めることになるが…。
魂のジュリエッタの詳細情報
「魂のジュリエッタ」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | フェデリコ・フェリーニ |
|---|---|
| 脚本家 | エンニオ・フライアーノ トゥリオ・ピネッリ フェデリコ・フェリーニ ブルネッロ・ロンディ |
| 出演者 | カテリーナ・ボラット サンドラ・ミーロ シルヴァ・コシナ ジュリエッタ・マシーナ フレデリック・フォン・レデブール マリオ・ピスー ヴァレンティナ・コルテーゼ |
| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ |
| 制作国 | イタリア フランス |
| 公開日 | 1966年11月19日 |
| 上映時間 | 138分 |
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魂のジュリエッタの感想&レビュー
次々と現れては話す人々が織りなす、賑やかなサーカスのようで夢幻的な世界が広がる。『映像の魔術師』と呼ばれる監督の卓越した手腕を存分に堪能できる。
フェリーニに興味があるが、少し物足りなさを感じる。ただ、人々が次々と登場し、ニーロ・ロータの音楽が響くと、気分が盛り上がる。
初カラー作品としてジュリエッタ・マシーナのカムバック作。いくつもの点で違和感は否めないが、それさえも楽しめる。『甘い生活』以来の官能的なノリとマシーナの泥臭い演技がぶつかり合い、フェリーニ夫妻の生活像がこうだったのかと想像を促す。60年代フェリーニの常連女優たちが華麗なメイクで次々と登場する。サンドラ・ミーロは『8½』と同様、監督の理想なる女性像を体現している。フェリーニは時事ネタにも敏感で、今回はオカルトと精神分析をテーマにしているが、表面的にぶち込むのではなく、マシーナの演技が女性映画らしさを引き出している。最後のシーンには山岸凉子的影響も感じられ、ホラー風味は『悪魔の首飾り』の影響かという気配もあるが、それを嘲笑する視線も忘れていない。コメディとしてはマシーナの演技が違和感なく成立している。これまでフェリーニは誰にも似ていないと考えていたが、堂々とベルイマンのパロディを描き、ジュリエッタ夫妻の邸宅はジャック・タチ風、快楽の館はイェジー・ハス風にも見える。中盤でヴィスコンティの『仕事中』へ寄りそう瞬間があり、ハラハラさせられる。スージー宅のシーンは『甘い生活』のラストと対応するが、映像空間が広がっていて観るのが楽しい。アール・ヌーヴォーもチャールストンもニュールックも一度に詰め込み、時代考証に縛られない自由さが光る。色が解放されると女性の衣装がいっそう華やぎ、フェリーニらしい華麗さが際立つ。
フェリーニ独自の幻想世界を通じて、映画は主人公ジュリエッタの内面を丁寧に描き出す。日常のささいな出来事の中に現れる幻影や不可思議な出来事に翻弄されつつ、彼女は記憶・欲望・愛への疑念といった感情を次々と見つめ直す。現実と幻想が混じり合う物語は、観客にも夢のような浮遊感をもたらす。夫との関係や自分の役割に対する葛藤は、ジュリエッタが自分自身と向き合う転機となり、精神的な成長へとつながっていく。色彩豊かな映像と象徴的な演出は、主人公の心の揺らぎを巧みに表現する。本作は観る者の感性に静かに寄り添い、深い余韻を残す名作だ。
久しぶりにフェリーニの世界へ。今回、改めてリマスター版Blu-rayを視聴した。初視聴時の凄みは心に残っていたが、改めて高精細な画で観ると映像はさらに鮮やかさを増し、百花繚乱の色彩とテクニカラー特有の粉っぽさが、性と死の質感を画面に何度も定着させている。
フェリーニは『ボッカチオ70』でカラーへの試みを一度行い、『8 1/2』でモノクロへ戻る。しかし本作『魂のジュリエッタ』以降はカラーで作られている。人間の世界=エロスの世界において、死は必ず反復強迫として現れる。死を実現することは叶わないが、死はそこ、私たちの内部、世界の内側からやってくる。おそらくこの《内側から》という特有のベクトルのせいで、死がこの世界に到来する際、多くの場合は思い出に包まれている。死はこの世界のあらゆるものを包み込めない(=死の象徴不可能性)ため、思い出の破れや裂け目はエロティックでグロテスク、可憐で哀しく、粉っぽさすらある。ここで言う粉っぽさとは、硬化した皮膚の質感、死体のドーランの粉っぽさを指す。
こうした思い出と死の彼方という構図は、フェリーニの得意技である一方で、いまだ理解の手触りが薄いテーマでもある。ベルイマンなら生と死のドラマを固有の方法で描き切っていると思われがちだが、フェリーニの語りはまた別の奥行きを持つ。『8 ½』を反転させたような感触とも言えるかもしれない。グイドという男の物語が、ジュリエッタという女の物語へと置換され、現実世界の舞台も自宅を中心とした小さな空間へと収斂していく。モノクロームからカラーへという色の転換も重なり、両作の直接的な関連は見えにくいが、根底には同じものが流れているエロスの端っこから吹き出すタナトス。
こっくりさんの降霊術はこの映画のモチーフとして三度にわたり反復される。最初の騒動を導くのは夫のジョルジョ。彼は顔をあまりアップにせず、闇をまとって登場する。次にファッションで視線を引きつけ、あっという間にカットが切り替わる。夫役の人がフェリーニ本人とは限らないが、鑑賞中は何度も「本当にフェリーニ本人なのか」と疑いが浮かぶ。擬態としての擬態何にでもなれるし、何でもない存在という問いかけが、家庭内における自己のねじれを指す形で現れるのが、実に面白い。
狭い空間で密集して動く賑やかな地獄絵図のような群像ショットは、相変わらず強烈で、画面の圧力を保つ。フェリーニとフェデリコの作家性が、時代を超えて観客の感覚に訴えかける力を持っていることを改めて実感させる。
#フェリーニ #フェデリコ #avecゴースト
フェリーニの作品の中では好きな方だが、彼に対しては常に分裂的で不調和な要素が付きまとってしまう。心の底から耽美的で退廃的なものを受け入れられず、恐らく相性の問題だと思う。
魂のジュリエッタは、映像美と幻想的な演出が光る名作。裕福だが平凡な主婦ジュリエッタが、中年の危機に直面する物語だ。周囲には妹や母、華やかな友人たちが揃う中で、彼女だけは地味で自分を他人と比較しては胸を痛ませる。夫が結婚記念日を忘れ、寝言で「ガブリエル」と女の名を口にする場面から、浮気を疑う心が彼女を苛む。
彼女は霊媒師のもとを訪れ、魅力的な女として生まれ変わろうとするが、それは同時に下品で罪深い女になることを意味していた。幼い頃、熱心なクリスチャンだったジュリエッタは、火炙りの刑で殉教した修道女の役を舞台で演じていた。天へと昇るはずだった瞬間、祖父の怒りで演劇から引き離され、神に背く罪悪感を抱くようになる。自由に生きることは、彼女にとって大きな負の感情の原因だった。
探偵を雇い夫の隠された日常を探ろうとする彼女は、迷子の猫を拾ったことから霊媒師の予言のようなものと結びつく友人・スージーと出会う。スージーは65歳の恋人を持ち、他の男性とも自由に遊ぶ華やかな存在。ジュリエッタは彼女を呆れつつも、後に夫の浮気の報告を受けて動揺を深める。
スージーが主催するパーティーで気分を解き放とうとするが、ジュリエッタは火炙りの修道女の幻影に睨まれ、逃げ出す。自宅でのパーティー開催を通じて精神を解放する実験的な治療を試みるが、過去の修道女や荒れ果てた神父の幻影に苦しみ続ける。精神科医らしき女性からの助言はこうだった。「本当はあなた自身が、旦那の元を離れたがっている。孤独を恐れるのは、幸せになるのが怖いからよ。」
決意を胸に、ジュリエッタはガブリエラに会いに向かう。しかしガブリエラは不在。電話での言葉だけが付き合いをつなぎ、旦那はガブリエラとの旅行の荷造りを進める。彼女はついに、夫へ本音を打ち明けるが、それは直接描かれない。
孤独になったジュリエッタは、過去と現在が混ざる妄想の世界へと踏み込む。母の厳格さから逃れ、幼い自分が火炙りの舞台で泣いている場面と再会して抱きしめる幻の父祖を想い出す。幻の祖父は別れを告げ、「お前の夢の中にいる。これからは一人で生きろ」と告げる。幼い自分は一人で歩み去り、姿を消す。
こうしてジュリエッタは自分を許し、自由を手にする。家を出て広い世界へと歩き出した彼女は、散歩なのか旅立ちなのかを見つめながら歩を進める。次に旦那と再会したとき、彼女は自分の幸福のために自由な選択を選ぶことができるだろう。)
サーカスに夢中な男の、やや誇張された中年の危機について。
猥雑で神秘的な世界を描く楽しさが満ち溢れており、信仰が絡むことでボスやミケランジェロの聖アントニウスのような雰囲気が浮かんでくる。この作品は、間違いなく後のアングラ映画の源流の一つと言えるだろう。
小津はカラーという武器を手に入れ、清楚に彼岸花を撮影した。一方で、フェリーニはそのイマジネーションを全開にする。色彩やファッションが、画面上で絶妙に配置され、奇天烈なエネルギーが溢れ出す様子に圧倒される。艶やかなサンドラ・ミーロ、心に傷を抱えるルイザ・デラノーチェ、そして謎めいた双子たち。公私を通じた盟友・ジュリエッタ・マシーナがストーリーの軸となり、奇妙な人物たちを巡る目まぐるしい物語が展開される。
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前半の逆光は、顔が影に沈むほど不自然で、実験的な魅力が強い。終盤へと進むにつれ妄想が膨らみ、リアリズムを投げ捨てた壊れた世界観を存分に楽しめる。