1994年3月19日に公開の映画「日の名残り」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「日の名残り」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
日の名残りが視聴できる動画配信サービス
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最終更新日
日の名残りのあらすじ
カズオ・イシグロの同名ベストセラーを基にしたラブ・ストーリー。イギリスのダーリントン邸で生涯を捧げた老執事スティーブンは、自らの半生を振り返りながら、実らなかった女性との思い出に浸る。
日の名残りの詳細情報
「日の名残り」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
原作者 | カズオ・イシグロ |
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監督 | ジェームズ・アイヴォリー |
脚本家 | ルース・プラワー・ジャブヴァーラ |
出演者 |
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カテゴリー | 映画 |
ジャンル | ドラマ |
制作国 | イギリス |
公開日 | 1994年3月19日 |
上映時間 | 134分 |
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感想・レビュー
雰囲気豊かな映像が素晴らしい
こういったしっとりしたドラマが好きだ
内容は私の好みではありませんでした。時代背景を知らずに観たため、会議のシーンなど肝心な部分がよく分からず、高く評価されている理由がいまいち掴めませんでした。
1958年、イギリス。ベテラン執事ジェームズ・スティーブンスは、かつて共にダーリントン卿に仕えていた女中頭、ケントンから手紙を受け取り、会うことを決意する。道中、スティーブンスは過去の出来事を振り返る。
1939年、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告する前夜。ダーリントン邸において、各国の要人たちが集まる中、ケントンは新たに女中頭として雇われる。
カズオ・イシグロの同名小説が原作であり、第66回アカデミー賞では作品賞や主演男優賞、主演女優賞など8部門にノミネートされるも受賞は果たせなかった。
完璧な仕事をこなすスティーブンスと勝気な性格のミス・ケントンは、いがみ合いながらも互いに惹かれ合う。直接的に気持ちを表現することはないが、好意は明らかで、その微妙な感情を見事に描いた脚本と主演の演技が印象的だった。
さらに、主人のダーリントン卿が親独派であったため、1958年のシーンでは世間から非難されている。しかし、スティーブンスとケントンはダーリントン卿が真の紳士であることを理解している。善良な人物であるがゆえに、ナチスに利用されてしまった彼の姿は、ある種の哀れさを感じさせる。スティーブンスは、自らの立場に忠実であるため、思いを口にすることはない。しかし、1958年に出会った男性に「ダーリントン卿は知らない」と一度は言いながら、彼に仕えたこと、優れた人物であったことを語るシーンは印象深い。
本作の魅力は、主演2人の素晴らしい演技にあります。感情を抑えることで生まれるもどかしさが、非常に切なく響きます。特に最後のバスシーン、手が離れ、エマ・トンプソンの表情には思わず涙がこぼれました。素直になれればいいのに、そんな一抹の感情がこの作品の深みを与えているのです。
大人のビターで淡いロマンス、そして歴史の影に埋もれた真実を知る者の苦悩。とてつもなく繊細で、切なく、美しい作品でした。
カズオ・イシグロの原作を読んだ後に映画化と知り、観賞しました。主演は私が尊敬している俳優のアンソニー・ホプキンス。彼はあるインタビューで台本を数百回読むと語っており、本という媒体は面白くても2〜3回読み返す程度が一般的だと思うと、かなり驚きます。とにかく映画の雰囲気もキャスト陣も素晴らしかったです。
カズオ・イシグロの作品を母に勧められて読んでみました。主人公は非常にストイックな執事で、使用人頭との対立を経て、良好な関係が築かれていきますが、一線を超えることはありません。史実が背景にあり、勉強不足の私にも理解しやすかったです。夕方が最も良い時間であると感じるのは、私も同じように思います。
20年以上前に一度鑑賞したことがあります。最近ようやく原作を読み始めたのですが、映画の細かい部分は全く覚えていませんでした。それでもアンソニー・ホプキンスの姿が自然に思い浮かび、最後まで楽しく読み進めることができました。そして「原作と比較するため」に映画を再鑑賞したため、その視点からの個人的な感想になります。
原作のミスター・スティーブンスはとても純粋で真面目な人で、心から執事の職務に没頭し、それを信じる姿が愛おしく感じました。
一方、映画ではスティーブンスの「内面の揺れ」をホプキンスが表情を変えずに表現しています。無理をしている感じが伝わって、それもまた良いのです。信念はあれど「それが正しいのか自分でも分からない」という葛藤を必死に押し殺している様子が、物語を通じて描かれています。
やはりホプキンスの演技は素晴らしいです。原作よりも人間味が感じられる一方で、少し冷たく、嫌なキャラクターにもなっている。そんな不器用さが切なさを引き立てています。
映画だけに追加されたシーンもあります。ミス・ケントンが一人で泣くシーンは、原作ではスティーブンスはその部屋に入らず、外から彼女の涙を感じるだけでした。そのため、彼女が号泣している姿や、「新しい女中の掃除が行き渡っていない」といったダメ出しは原作にはありません。このシーンは二人の別れが決まってしまう瞬間となっています。
原作のスティーブンスは、察しながらも触れないという自然な態度を体現しており、長年の「執事としての美徳」でありながら彼の悲劇でもありました。
どちらにしても、スティーブンスはミス・ケントンに自分の心を見られるのが恐かったのではないでしょうか。彼女の涙を目の当たりにすることで、自らの何かが崩れてしまうことを本能的に避け、あえて「職務」という盾を取り出したのです。特にホプキンス版では、彼女の涙を見た結果、職務的な苦言を口にすることでしか感情を守れなかったことが美しくも悲しいです。
原作の結末では、最後まで読み進めることで初めてミスター・スティーブンスとミス・ケントンの本心が見えてきます。二人はもう二度と会うことはないだろうと言いながら、静かに本音を打ち明けて別れを告げます。
振り返れば自分は職務に追われるばかりで、物事の本質を見ていなかった。というか、本質から目を背け続けていました。しかし過去を振り返って悲しむのではなく、人生の引退を迎える時が真に美しいのだというメッセージが伝わります。希望があり、これからは新しい米国人雇い主のためにジョークの勉強をしようと前を向く姿が描かれています。
対して映画は悲しみを感じさせる終わりになります。「これまでも、これからも自分は籠の中の鳥のようなものだ」というような切ない結末となっています。
同じ物語でありながら、原作は希望を描き、映画は哀しみを強調しています。個人的には原作の終わり方の方が好みですが、映画は人生の斜陽をより明確に浮き彫りにしています。老いと喪失、そして希望を見つめつつも届かない人生の描写があり、どちらも「日の名残り」というタイトルの通り、人生の夕暮れ時の切なさを感じさせる作品です。
美しいイギリスの田園風景と、優雅に佇むダーリントンホールを背景にした静かな小説と音楽が映像として具現化されたことがとても嬉しいです。
とても心に残る映画だった。アンソニー・ホプキンス演じる父親の執事が老齢で、転んだりして役割を外されたのに、転ばないようにお盆を持って歩く練習をする場面には涙がこぼれた。執事とメイド頭の二人が再会した後、普通に会話を交わし、バスが来て、別れを告げる場面も切なかった。いつもは遅れてくるバスが、その日はなぜか定刻通りに来てしまい、もっとお互いに言いたいことがあったに違いないのに
ストイックな執事と女中の過去の恋愛を描いた物語。アンソニー・ホプキンスが演じる執事の姿勢は規律があり、美しさすら感じさせる。理想的な使用人像のひとつだ。隠し扉が多い豪華なお屋敷で、主人と使用人たちの生活はレトロな雰囲気があり、見る価値がある。政治的なテーマも多く、難しさを感じたが、なんとか理解できた。主人公のダーリントン卿は、第二次世界大戦前にドイツとの親密さから名誉毀損を受け、失意のうちに亡くなる。登場する車はどれもスーパーレトロで魅力的だ。アンソニー・ホプキンスが恋愛のイメージと結びつかず、恋愛映画としての印象が薄かったのは、彼の持つ超人レクター博士のイメージが影響しているのかもしれない。自分が恋愛体質でないため、スティーブンスの行動にも共感しやすく、感傷的にはなれなかった。お互いに仕事に専念し、相手の能力を尊重する関係は、深いものには感じなかった。スティーブンス自身も同様だったのかもしれない。繋がりを持たず、過去の経験からそうなった結果、次第にそれが本心になっていく感覚がした。仮面をつけているうちに、本当の自分になっていくような。不明な点が多い中、原作を読めばさらに深い心情描写があるかもしれない。父親を呼び寄せたものの、すぐに衰え、亡くなったことは心痛む出来事だった。職務に忠実なスティーブンスは、今後もお屋敷に仕えながら人生を全うするのだろうか。彼は死の間際に後悔するのだろうか?職務を全うした充実感とともに、「あの時、主人に意見していれば」「あの時告白しておけば」と思う瞬間があるかもしれない。しかし、人生には良いことも悪いこともあり、その両方が存在するのが本質なのではないか。また、役所広司の『Perfect Days』を思わせる印象を受け、自身の老後について考えさせられる作品だった。
信頼できない語り手がいる場合、真実は何なのだろう?
ラストシーンで、ミス・ケントンは本当に涙を流していたのか?もし彼女が雨に打たれながら泣いているように「見えただけ」なのだとしたら、どうなるのだろう?
イシグロさんと一緒に視聴しました。忠誠心を感じる一方で、人生の終わりには仕事よりも家族が大切だと実感できる人生の方が幸せなのだろうなと思いました。