1988年4月23日に公開の映画「ベルリン・天使の詩」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「ベルリン・天使の詩」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
ベルリン・天使の詩が視聴できる動画配信サービス
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ベルリン・天使の詩のあらすじ
ベルリンの街を見下ろす天使たちは、長い間地上の人々を静かに見守ってきた。ある日、天使ダミエルはサーカスの空中ブランコ乗りである美女マリオンに出会い、恋をする。人間に恋することは、天使にとって“死”を意味するのだが……。
ベルリン・天使の詩の詳細情報
「ベルリン・天使の詩」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | ヴィム・ヴェンダース |
|---|---|
| 脚本家 | ペーター・ハントケ ヴィム・ヴェンダース |
| 出演者 |
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| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ ファンタジー 恋愛 |
| 制作国 | 西ドイツ フランス ドイツ |
| 公開日 | 1988年4月23日 |
| 上映時間 | 128分 |
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ベルリン・天使の詩のよくある質問
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Q映画『ベルリン・天使の詩』のあらすじはどのようなものですか?
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A
『ベルリン・天使の詩』は、天使たちが人々の日常を見守るというストーリーです。天使ダミエルは人間界に興味を持ち、サーカスの曲芸師マリオンに恋をしてしまいます。天使であることの孤独を感じたダミエルは、人間になることを決意します。
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Q『ベルリン・天使の詩』の監督は誰ですか?
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A
『ベルリン・天使の詩』の監督は、ヴィム・ヴェンダースです。彼はこの映画を通じて、人間の感情豊かな生活と天使の無垢な視点を対比させることで深いメッセージを描き出しています。
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Q映画『ベルリン・天使の詩』に登場する天使のキャラクターの魅力は何ですか?
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A
『ベルリン・天使の詩』に登場する天使ダミエルは、人間の生活に触れることで、感情や愛に対する興味を抱くキャラクターです。この天使の内面的な葛藤が観客に深い印象を与える要素となっています。
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Q『ベルリン・天使の詩』の音楽の特徴について教えてください。
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A
『ベルリン・天使の詩』の音楽は、ユルゲン・クニーパーが担当し、映画の幻想的な雰囲気を引き立てています。また、ニック・ケイヴの楽曲も使用され、独特なムードを醸し出しています。
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Q『ベルリン・天使の詩』はどのようなテーマやメッセージを持っていますか?
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A
『ベルリン・天使の詩』は、人間の感情と存在の意義を探求する作品です。孤独や愛、生きることの喜びといった普遍的なテーマを扱い、天使の視点から人間性の価値を描いています。



ベルリン・天使の詩の感想&レビュー
妻によれば、ブルーノ・ガンツが演じる天使ダミエルに似ているとされ、「あなたは天使だから」とよく言われる。これは容姿ではなく、存在意義についてのことであり、僕が周囲との乖離を感じるとき、それは自分自身に何かが欠けているのが原因だとわかる。
確かに、マリオンを見つめるように、僕も妻を見つめる。
人それぞれに欠落があるものだが、その欠落こそがそれぞれの天使性を生きる源とも言える。妻にとっては、僕の欠落感が何か良いものとして映るだけのことのように思う。
この点において、妻は間違いなく女性であることを生きている。
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1987年に公開された西ドイツ映画を「2年前だ」と思う人は、今や40代以上かもしれない。1989年に起きたベルリンの壁崩壊は、その2年後に訪れた。
この作品が、東西ドイツを分けていた壁を崩壊させる一つの力として存在したことを知ると、政治と文学の論争のつまらなさを思い出す。良質な作品は社会的な企てを超え、越えられなかったものは残らないと、僕の基本的な見解がある。
したがって、1984年公開の『パリ、テキサス』に対する監督自身のレスポンスとして観た。この表現者には、自身の作品をどのように超えていくかという宿命があるのだろう、そしてそれは恐らく鑑賞者の想像を超えるほど大きなものだ。
両作品に共通するテーマは、何かに「つかまる」状況だ。『パリ、テキサス』でトラヴィスがつかまれたのは、虚無に近い名づけようのないものである。
トラヴィスはかつての妻をマジックミラーを通してしか見ることができなかった。涙は流せても、肉体を持つ彼女を抱きしめることはできなかった。すべては彼の元から過ぎ去り、過ぎ去ったものに対して責任を持つことはできなかった。責任とは、たとえ不幸に導くものであっても、彼女をこの体で抱きしめることを意味するが、虚無に近い何かに束縛されたトラヴィスにはそれができなかった。
したがって、『ベルリン・天使の詩』の天使たちもまた一種の無力を抱えている。彼らは人々の傍に寄り添い、見守ることしかできず、悠久の時を経て、人類の記憶を積み重ねている。嘆く人々に手を添えることで希望をもたらす者もいるが、根本的には彼らは傍観者でしかない。
その中で、ダミエルは女性マリオンに恋をし、その瞬間に恋に「つかまれる」。彼は地上の温もりや冷たさに憧れ、癒しのためには疲労が必要だと悟る。その存在にある苛立ちや絶望さえも。
そして彼は天使であることをやめ、肉体を持つ人間になる。この過程は、『パリ、テキサス』のトラヴィスと対照的であり、両者は「つかまれる」力に動かされながら正反対の行為を選んでいる。この様子は『パリ、テキサス』への『ベルリン・天使の詩』のレスポンスのように響く。
ヴィム・ヴェンダースの意図は分からないが、作品としてそのように理解できる。表現者としての宿命が、こうしたコール・アンド・レスポンスを描かせたと感じる。何かを超えていくのは、監督の意図ではなく、常に作品自体であるとも思う。
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この作品にはもう一人の重要人物が登場する。
それは刑事コロンボのピーター・フォークではなく、ホメロスに思いを馳せる老人(クルト・ボウワ)である。ピーター・フォークにはかつて地上に降りた先輩天使としての意味はない。
彼は人類最古の吟遊詩人ホメロスを思い、「語り継ぐ」ことの重要性を訴える。かつて賑わいを見せたベルリンの壁沿いの空き地を歩きながら、東西が分かれていなかった頃を懐かしみ、ナチの旗が掲げられた1933年に思いを馳せる。彼は言う。人々がどれほどの悲劇に遭おうと、語り部が語ることの中に救済があると。しかし、もし彼らが耳を傾けなくなったとき、語り部が語ることをやめるのではないかと。
これは「つかまれる」ことによって実存としての肉体を放棄したトラヴィスと、逆に天使ダミエルが獲得したものの対比として、この作品のもう一つのテーマとなるように思う。
語り継ぐことの中にある救済。
このテーマは『つぐない』(ジョー・ライト監督)や『ノクターナル・アニマルズ』(トム・フォード監督)にも描かれていて、象徴的に物語ることの中にある救済として共通のものだと感じる。
彼の詩「Als das Kind Kind war」には、語り部が持つ「声」による救済が象徴的に表現されている。なんという美しい響きだろう。
映画の終盤、天使ダミエルは恋するマリオンと出会う。マリオンはこれまでの出来事を偶然と思っていたが、その後こう続ける。
「偶然はもう終わり。運命を知らなくても決断する時。私たちの決断はこの街のすべての世界の決断なの。」
このセリフは、東西融合への呼びかけとも言えるが、僕にとってはペーター・ハントケの言葉と響き合い、企てを超えたものとして受け取れる。
マリオンは、「私は自分の全てで彼を迎え入れた。その人を受け入れ、迷宮を築いた。一体でいる幸福の迷宮を」と語る。
つまり、ある種の「つかまれ」によって不可避に状況を生きることになるが、その「つかまれ」を宿命と受け入れ、意志的に「つかみかえす」ことで、街も世界もこの世のものとして輝くことになる。
すべてを受け入れることで僕たちの中には迷宮のような困難が生まれるが、それは幸福な困難とも言える。幸福な迷宮として、僕たちはその中で生きることができる。
ゆえに、このセリフは、ある時期にはアジテーションとして有効であったとしても、年月を経ることでその企てを超えるものであると感じる。愛を詩った言葉のように響く。
西ドイツ
人間の声が響く天使
天使の視点では視界がモノクロに変わる
図書館での皆の声を聞く場面が面白かったなぁ。
天使ダニエルは、人間たちの心の声を聴くことができる。
彼らはそれぞれ異なる思いを抱いている。まるで世界を冷静に見つめているようで、とても興味深い。この視点は非常に大切だと思う。
その過程で、一人の女性に恋をしてしまう。
人間界に降り立ったダニエルの選択に、彼は人間の尊さを感じる。
モノクロの映像が独特な感覚を与えてくる。少し焦る気持ちにもなるが・・。
ベルリンの街は、美しさに満ちている。
「ゴダールの作品から映像美を取り除いたら、まるで拷問のような退屈さになるといった感じ。」
ベルリンの美しい街並みや詩的な世界観は魅力的だったが、前半のモノクロ部分での天使の視点からの人々の声に耳を傾け、見守る展開が長すぎたため、後半にもっと時間をかけてほしかった。
子供時代を思い返すのも、時には良いものだ。他者の人生がモノクロから色づいていく様子を、私は傍らで見守っている。愛は懐かしさと偶然が交差する瞬間であり、決して見下すのではなく、同じ目線で感じるものだ。新月は、決断の時を迎える。降り注ぐ言葉が、あふれ出している。
個人的には、モノクロとカラーで描かれる天使と人間の対比よりも、大人と子供の対比がとても印象的でした。子供には天使が見えていて、目が合うとウインクをしたり、描いている絵について説明してくれたりします。一方、大人は天使を見ることができず、心の中では日常の不安や未来のことばかりを考えています。日々に溢れる小さな喜びや美しい光景に気づかなくなるのが大人になることなら、それはとても寂しいことだと思います。振り返ってみると、子供のころはたくさんの小さな好きがあった気がします。自転車のカゴに集めたセミの抜け殻や、姉と夜遅くまで見た小さな音のテレビ、くま柄の毛布にぐるぐる巻きにされることなど。時々こんな風に思い出を振り返るのも良いかもしれません。天使たちが車で報告し合っていた内容も面白くて素敵でした。さらに、ピーターフォークが元天使で今はコロンボを演じているという設定も楽しすぎますね!
はぁ子どもの頃の純粋さを呼び起こす冒頭のセリフ。私はこの映画を観てこれは私の映画だと直感し、見事に的中した。ラストに語られる女性の長いセリフも見逃せない。愛の表現としても強く印象に残り、個人的に大きく共感した。私も大切な瞬間には相手へ一言一句伝え切りたいけれど、現実は映画のようにはいかないのが悔しい。
映像の色彩が放つ感動は、血の色や味の描写、洋服の新調といった日常の細部にも輝きを与え、胸を躍らせる天使のような存在をさらに愛おしくさせる。私はその存在をマリオンのように抱きしめたい。いや、二人ともまとめて抱きしめてしまいたいそれが私の愛だ。
あるエッセイで興味を持ったので、主人公の天使が結末を迎える場面を最初から知りながら観賞するという珍しい体験をしました。それでもじっと、かつぼんやりと楽しむことができました。
時間という概念を超えた、世界の背後にいる天使たちが、ベルリンの人々を見守っています。
その光景は荘厳でありながら滑稽でもあり、温かみを感じさせつつも傍観者的で、根底には人間に対する慈しみが漂っています。
比較的早い段階で、コロンボでおなじみのピーター・フォークが登場し、大いに感激しました。
脚本と冒頭の詩を手掛けたピーター・ハントケに興味が湧き、しばらくの間、彼について調べたり、読書を楽しんだりすることになりそうです。
さらに、これまでドイツ語に全く関心がなかったのですが、詩のリズムが非常に心地よく、初めてこの言語を理解したいと強く感じました。
2025年29本目
空中ブランコやエアリアルダンスの美しさに圧倒されて、ストーリーが頭に入ってこない。
コロンボがかつて天使だったという設定が素晴らしい。
静寂を伴い、触れる感覚が広がる。光、言葉、映像まるで小説や詩集を手に取り、そのページをめくっているような感覚だ。
最初の30分間は素晴らしい世界観が広がり、モノクロ映像が美しさを保ち続けます。会話ではなく語りによる孤独感が印象的で、戦後のドイツの冷たく暗い雰囲気が漂います。心の声を聞く天使や、人々の不安、諦めた夢を天使がそっと寄り添い聞いてくれている安心感が描かれ、天使の憧れが人々の生活そのものであることが示唆されています。ストーリーが明確に進行しない感じが心地よく、最近観た映画の中では最も親しみやすかったです。詩集に夢中だった頃を思い出させる作品で、ドイツが舞台ですがなぜかボードレールを再読したくなる気持ちになりました。
途中で寝落ちを繰り返して、見るのに何日もかかってしまった(笑)。うーん、詩的すぎて理解できないな!