1978年1月21日に公開の映画「アニー・ホール」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「アニー・ホール」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
アニー・ホールが視聴できる動画配信サービス
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アニー・ホールのあらすじ
アカデミー作品賞を含む4部門を受賞したウディ・アレン監督が贈るロマンティック・コメディ。テレビやナイトクラブで活躍する漫談家アルビーと歌手アニーの、都市での出会いから別れに至る複雑な恋愛模様を描いています。
アニー・ホールの詳細情報
「アニー・ホール」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | ウディ・アレン |
|---|---|
| 脚本家 | ウディ・アレン マーシャル・ブリックマン |
| 出演者 |
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| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ 恋愛 |
| 制作国 | アメリカ |
| 公開日 | 1978年1月21日 |
| 上映時間 | 93分 |
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アニー・ホールのよくある質問
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Q映画『アニー・ホール』のあらすじはどのようなものですか?
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A
『アニー・ホール』は、コメディアンのアルヴィ・シンガーと魅力的な女性アニー・ホールの恋愛を描いたラブストーリーです。ニューヨークを舞台にしたこの映画は、彼らの別れを迎えるまでのユーモラスで複雑な関係を探求します。視点を変えたり時系列を行き来する独特の語り口が特徴です。
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Q『アニー・ホール』の監督と主演は誰ですか?
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A
『アニー・ホール』は、ウディ・アレンが監督し、主演を務めています。彼はアルヴィ・シンガー役を演じ、ダイアン・キートンがアニー・ホール役で共演しました。二人の演技が映画の成功に大きく貢献しています。
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Q『アニー・ホール』のテーマにはどのようなものがありますか?
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A
『アニー・ホール』は、愛とアイデンティティ、現実と理想のギャップをテーマにしています。人間関係の複雑さや自己探求をユーモラスに描きながら、ニューヨークの都市文化や人生の儚さをも映し出しています。
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Q『アニー・ホール』の撮影場所はどこですか?
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A
『アニー・ホール』は主にニューヨーク市で撮影されました。特にマンハッタンの街並みが印象的に映し出され、映画全体の雰囲気を形作っています。また、物語の一部はカリフォルニアでも展開します。
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Q『アニー・ホール』の音楽にはどのような特徴がありますか?
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A
『アニー・ホール』の音楽は、主にジャズが使われており、映画の雰囲気を盛り上げます。ベニー・グッドマンやディキシーランド・ジャズなど、時代を象徴する楽曲が取り入れられ、作品のスタイルに合った選曲がなされています。



アニー・ホールの感想・評価
これがあの有名なアニーホール・ルックか!と話題沸騰。どのスタイルもマニッシュで好みど真ん中。今すぐシャツにベストを合わせて都会へ繰り出したい気分、ラディダ〜
・「ニタクソ笑って」
・「演技は魂の遍歴 宗教的なものだ 意識の解放というか視覚的な詩だな」
・アニーが運転するワーグナーと駐車の技術
・花壇にぶっ刺す白ワイン
・「キスで緊張を解いてから食事だ 消化も良くなる」
・公園での人間観察
・自殺願望のある弟が運転する車の助手席
・一連の懐古シーンと「彼女の素晴らしさが改めて分かりました」
いいなぁ!2人のこの関係性!
ウディ・アレンの『アニー・ホール』は、彼の作風の本質を見事に表しています。第4の壁を破る手法や、イングマール・ベルイマンやフェデリコ・フェリーニへのオマージュなど、様々な解釈がなされています。実際、その通りだと思いますが、私が最も感じるのは、語りが連鎖するその魅力です。ウディは語る内容自体を信じていないかのよう。彼が愛を語るとき、まさにその愛の裏切りを引き延ばす口実に過ぎません。
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ウディ・アレンとマーティン・スコセッシは、まるでコインの裏表のように思えます。1935年生まれのウディと1942年生まれのスコセッシは、いずれもニューヨークの移民街で育ち、それぞれの感性が作品に色濃く反映されています。この7歳の年齢差は、ビートたけしと明石家さんまの8歳差に似ています。おそらく、北野武はスコセッシに近く、明石家さんまはウディに近いと思います。
北野武とスコセッシに共通するのは、父性の喪失感です。偉大な父(ゴッドファーザー)を失い、宿命的にその衣鉢を継ごうとして挫折しているのかもしれません。一方、明石家さんまとウディ・アレンに共通するのは、母性の喪失。無条件の愛を知らずに育った彼らは、愛されることを夢見ながらも、同時に何も信じていないのです。彼らの語りは、その宿命を永遠に引き延ばすためにあります。
青い悲しみと赤い悲しみ、コインの両面を考えれば、マザコンは父性の喪失から生じ、ファザコンは母性の喪失から生まれると言えます。体の左右をかばい合うように。
たけしとさんまが若い頃、一緒にクラブに行くと、呼んだお姉さんたちがどちらかの席に明確に分かれたというエピソードが興味深いです。だから、スコセッシとウディ・アレンの両方を好きということは少ないかもしれません(どちらも嫌いにはなれるとしても)。
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映画の中でウディ演じるアルビー・シンガーと、ダイアン・キートン演じるアニーが映画館に並ぶシーンがあります。その後ろで、ある教授がフェリーニを「技巧の人に過ぎない」と語り、彼は苛立ちます。そして、ついには第4の壁を破る形で現れたマーシャル・マクルーハンにその教授が論破されるのです。
この映画の中で彼が本音を語る場面は、その程度だと思います。
ウディ・アレンにとって、技巧自体が内容であり、その技巧が次の技巧を引き寄せるものなのです。語りが次の語りを生み、その中心には母性の喪失があっても、彼はそれを語りの中で無効化しようとする。喪失自体は躁鬱のシーソーの中心に過ぎないわけです。その両端で君と僕が座っていて、君が沈めば僕が浮き、逆もまた然り。このように愛は成り立つことを、僕たちは何年もかけて実証してきたのではないかと思います。『アニー・ホール』のラストシーンも、言ってしまえばそういうことです。君が左へ行けば僕は右へ行く、シーソーが止まっちゃうから、blah blah blah。
このようにウディ・アレンが自作を語っても不思議ではないと感じます。私が好きなのはスコセッシだとしても、真似できるのはウディ・アレンかもしれません。彼のように洗練されてはいないし、明石家さんまのような人気者にはなれませんが。
アメリカンジョークは冷笑系の界隈に属する話題なのだろうか。時代背景の理解が浅いせいもあって、いまひとつ笑えなかった。第四の壁を破る演出は、物語への没入を促すというより、内輪的なウィンクのように感じられて鼻白んだ。
Option 1: 観ている間、なんだかんだモテている自分を想像してしまったけれど、この映画はそんな恋愛モノではなかった。ラストのビターな結末が印象的で良かった。雄鶏の例えが面白く、思わず笑ってしまう。
Option 2: モテてる自分を感じつつ観賞したが、本作は恋愛映画の王道とは違う。終盤のビターな終わり方が心に残る。雄鶏の比喩がユーモラスで、話題性がある。
Option 3: モテる気分で観ていたが、映画はそういうタイプじゃなかった。結末はビターで締まりがあり良かった。雄鶏の例えがツボにはまるほど面白い。
アルビーは好きになれないタイプの人間だが、それでも自分と重なる部分が多く、身につまされた思いで見ていた。プライドが高く現実と折り合えない点はアダルトチルドレンの特徴を連想させ、蛙化現象が見られる場面には時代を先取りしているのか、それとも時代が変わっても人間は変わらないのかという問いが浮かぶ。人生の転機となるいいタイミングでこの作品に触れられたのも幸運だった。
「私を会員にするようなクラブには入りたくない」という恋愛観が、私にとっての共感ポイントだった。なんとも言えない気持ちだ。」
大好きなダイアン・キートンの訃報を受け、彼女の出演作をもう一度観返したくなる。
これ、アカデミー賞作品だったんだと改めて実感。まるで会話劇の舞台を覗いているかのような臨場感でした。
観客へ直接訴えかけ、登場人物の心の声を露わにする演出は、当時として斬新だったのかもしれません。
プライドが高く、神経質で、理屈や価値観を押し付けがちなアルビー。
悪い人ではないのに、これほど面倒さそうな人と付き合っていくアニーの姿には、当時から不思議さを感じつつも、結局はそうなるんだろうな、と思わされます。
冒頭と別れの後で、二人の会話の動線が逆転するのが面白い構図でした。
美味シーン
美味シーン度
食べる場面はさりげなく、断片的に描かれるのみ。
司会の仕事でロスへ出たアルビーは、現地の空気に生理的に馴染めず、原因不明の体調不良を起こします。仕事がキャンセルされると急に食欲が湧き、ほぐした鶏肉に塩を振って口に運ぶ様は、変人ぶりが際立ちます。
アニーの家族との食事と、アルビーの実家の食事を対比させた場面が、ところどころユーモラスでした。
アニーのおばあちゃんの手作りハム、私も一度は味わってみたいです。
NYでアニーと外食した場面では、サンドイッチの具としてコンビーフを!と頼みたかったのに、ロスのレストランではアルファルファの新芽とマッシュ・イーストを注文するなど、演出意図を窺わせます。)
若き日のダイアン・キートンを鑑賞。数日、数回に分けて視聴するも、まだ結末へ辿り着けず。口論の場面は特に辛く、観賞を難しく感じる。
今年は著名人が次々と逝去してしまった。コロナワクチンの影響なのだろうか?
さて、午後10時からダイアン・キートンに捧げる映画祭を我が家で開催。これを抜きにして映画を語ることはできない。
初めて観たのは高校生の時だったが、何が面白いのかわからなかった。しかし、「変わったアプローチをしている映画だ」ということだけは理解できた。
画面がこちらに向かって話しかけたり、心の声を字幕に出したり、過去の出来事にダメ出ししたり、痴話喧嘩に観客を巻き込んだり、突然アニメに切り替わったりと、当時誰も試みなかった手法は、50年たった今でも新鮮である(影響を受けた作品としては『フェリスはある朝突然に』ぐらいだろう)。
内容は、都会のエセインテリが抱えるプライドやさまざまな失敗を自虐的に描いた恋愛エッセイのようなもの。その面白さがわかれば、軽やかでありながら深みのあるテイストに心惹かれるし、40代半ばを過ぎればその魅力が身に沁みる。
こだわりの強い偏屈な二人が、お互いに背伸びしながらダラダラと無意味な会話を続ける様子。事件と呼ぶにはお粗末なキッチンでのロブスター捜索や、浴室のクモを深夜に退治するなんて話が展開される。
それがまた良いんですよ。40年前の教室で自分に言いたいこと。派手な仕掛けや非現実的な状況、ドラマティックな展開は全くないが、恋が始まるときの高揚感を思い出させてくれる。
日常の中のささいなきっかけを掴み取ろうと、ぎこちない誘い方をしながら、途中からは何を話しているのかわからなくなるような会話の流れを経て、何とかデートへと進展する様は微笑ましい。
美人とは言えないヒロイン。冴えない小男で、理屈っぽくてひがみっぽい主人公。しかし、二人が並ぶと何故か絵になる。
「比類なきファッションアイコン」ダイアン・キートンのセンスが際立ち、それを引き立てるウディ・アレンの自然体なユルさが絶妙に調和している。
もし映画史上のベストカップルをランク付けすると、間違いなく上位に入るであろうコンビ。私生活で別れた後も良き友人であり続けたこともうなずける。
お気に入りのシーンはもちろん、ロブスターの騒動。後のシーンでアニーの部屋にそのときの写真が飾られているのがまた良い。しかも、連写で。
アニーが横目で運転するシーンや、対向車のライトに吸い寄せられるアニーの弟の表情も楽しめる(若き日のクリストファー・ウォーケン!)。
特に車にまつわるシーンには、身の丈に合わないツールに振り回される主人公たちの不器用さが象徴されていて興味深い。
最後に触れたいのが有名な’La-dee-daの訳。字幕では「へへーん」、吹替では「シラーッ」だが、「なーんてね」や「ありゃりゃ~」と訳すのがいいと思う。今だったら「もう、どうでもいい(アタシったら何やってるんだろ)」とか「ちょっと、忘れて〜(見なかったことにして)〜」のようなニュアンスが合いそう。
余談だが、セントラルパークで遠目にいじっている「カポーティそっくりさん大会の優勝者」は、実はカポーティ本人らしい。
ダイアン・キートンに関するニュースをきっかけに鑑賞した。大学のメディア論の授業で少し触れたことがある程度だ。マクルーハンはテレビ出演もこなすタイプの学者として語られることが多いが、学術界からの評価は賛否両論だ。彼の作品は撮影に工夫が凝られ、メタ的な語り口が特徴的。個人的にはウディ・アレンの作品が結構好きだ。
何度も繰り返し観ている大好きな映画。
親愛なるダイアン・キートンに捧げる思いで、久しぶりに鑑賞しました。
ダイアン・キートンを偲んで一作鑑賞しました。彼女の映画との縁はあまり深くなく、女優としては『ゴッドファーザー』の初期作くらいしか観ていません。ですが、故人を偲ぶ機会に改めて作品へ触れることで、彼女の軌跡と功績を感じ取れるのではと考えています。
『アニー・ホール』はダイアン・キートンが演じた主人公の名を冠した作品。彼女とウディ・アレン演じる夫婦・恋人同士の物語です。この演技でオスカーを獲得した彼女の表現は、言葉にしがたい自然さと説得力にあふれていて、まるで役に成りきっているかのようでした。
物語の展開は、いわゆるウディ・アレン節と呼べる知的な冗談と会話劇の連続。私にとっては、ついていくのが難しい場面も少なくありませんでした。全体として心地よい雰囲気はある一方で、心に深く響く何かが弱いと感じたのも事実です。
また、ウディ・アレンについては、比較的新作には触れてきましたが、初期作や20世紀の作品についてはあまり観ていません。自分がこの監督の作品に接してどう受け止めるべきか、見終えた後も少し考え込んでしまいました。作品の中の彼の人物像には強い性格的な奔放さが描かれており、現実の報道や過去の騒動が頭をよぎると、複雑な感情が湧いてくることもありました。とはいえ、これは映画の評価と私の感想を混同すべきではないでしょう。
それはさておき、本作はダイアン・キートンとウディ・アレンの名作であり、二人の演技には改めて引き込まれました。今後もダイアン・キートンの残してくれた作品を鑑賞し続けたいと思います。
ラストの回想シーン、いいね
まるで昔の頃に戻ったみたい。君と一緒に歩けるし、君と話せる。君を抱きしめるだけで、いまも胸が高鳴る。君を見つけたあの日のときめきが、いまも鮮やかに蘇る
ダイアン・キートンの訃報に深く心を痛め、冥福を祈りつつ、48年ぶりに『アニー・ホール』を配信で観ることにした。
大学生時代の思い出深い作品であり、彼女の存在は知っていた。『ゴッド・ファーザー』でアル・パチーノの妻ケイを演じたり、『ボギー!俺も男だ』のリンダのように、彼女の印象は衝撃的だった。しかし、私にとっての彼女の存在が強く感じられたのは、77年の『アニー・ホール』を見てからだった。この作品に触れたことで、ウディ・アレンという作家を意識的に受け入れるきっかけにもなったが、主役のダイアン・キートンを大学生の自分が見つめ、その魅力に心を奪われたのは自然なことだった。彼女の立ち居振る舞いやファッション、感情の表現はどれも魅力的で、まるで陶酔させられるようだった。中学時代にオードリー・ヘプバーンに夢中だった自分は、彼女の存在によって再び大人になったと感じた。それを思えば、映画館に何度も通ったことは忘れられない。
ウディ・アレンの私小説のような語り口も、当時の自分には心を揺さぶるものであった。冒頭から観客に話しかけ、本編でも何度も視聴者に語りかけるスタイルは、新鮮で引き込まれた。登場人物たちは、自らの状況を客観視し、ため息をついたり意見を求めたりする。行列に並ぶ中で、赤の他人が自らの見解を語り、主人公を呼び寄せて間違いを指摘させる場面に、当時の無学を思い出してしまった。遠い映画の世界が、彼の技法により身近に感じられ、説得力を持って迫ってきた。
この作品は、決して壮大なものではなかったが、時間軸の自由さや笑いと悲しみの深さが観る者を捉えて離さなかった。東海岸と西海岸のコントラストも美しく、ダイアン・キートンはどの場面でも愛らしく、切なく、時には凛として見えた。二十歳になったばかりの自分は、彼女に完全に魅了された。
約50年ぶりに観返した『アニー・ホール』の魅力は全く薄れていなかった。ユナイテッド・アーティスツのクレジットが流れただけで、胸が高まった。
ダイアン・キートンは、その後ずっとスクリーンで存在感を保ち続けた。老いをテーマにした作品に出演し、自ら監督を務めることもあった。形を変えずに、常にそのままの姿でそこにいた。すべての作品を追いかけたわけではなかったが、訃報は非常にショックだった。彼女の足跡は、配信でほとんど確認できる。私にとっての出発点は、『アニー・ホール』だった。この作品は特別な一本だ。
心よりご冥福をお祈りします。
ダイアン・キートンの訃報を受けて、久々にウディ・アレン作品を観直した。キートンの演技は自分の中で特別な位置づけなので星はつけないが、訃報が伝わるまで本作はウディ・アレン作品の中で最も好きな一本のひとつだったし、今作のダイアン・キートンが大好きなのは間違いない。
まず強く印象に残るのは、マニッシュなファッション。 メンズライクなシャツとベスト、チノパンという定番に、ドレスアップの場面ではエスニックなワンピースを合わせる。中でもテニスの場面と、チェックシャツに伊達メガネのスタイリングが特に好み。
スタイリングは全てダイアン自身が手掛けたそうで、撮影時の衣装係には『馬鹿げている』と一蹴されたとか。それでも今見ても新鮮で、時代を超えてタイムレスに映えるそのスタイリングは素敵だ。
若い頃のアルビーとアニーの洒落た会話、そしてウディ作品でおなじみのカメラに話しかけるメタ的演出も相変わらず魅力的だった。
改めて観ると、なぜウディがモテたのかは未だに理解しがたい気もするし笑えるところもあるけれど、アニーがアルビーに声をかける場面はやはり印象的。売れない歌手で少し病んでいたアニーを、定期的なカウンセリングや大学進学の勧めで前向きに導く描写(結果的に別れることになるが)が心に残る。アルビーが夜中にクモ退治に駆けつける場面も、情けなくも愛おしい️。こうした男性の恋愛観の風景は後の『(500日)のサマー』へとつながっている。
アニーは自立した女性像として描かれつつ、情緒不安定な一面も見せる。それでも前向きに生きようとする姿が強調されていた。ウディのLA批判(アカデミー賞授賞式をキャンセルするほどLAを嫌っていた)も、アニーのキャラクターに影響を与えているように感じた。
そんなアニーをファッション含め魅力的に演じたダイアン・キートンは、本当に唯一無二のアイコンだった。
あ、こんな場面にクリストファー・ウォーケンが! シガニー・ウィーバーが出演していたとは! 久しぶりの鑑賞でのラッキーな気づきポイント。 #R.I.P