1991年4月6日に公開の映画「ジェイコブス・ラダー」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「ジェイコブス・ラダー」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
ジェイコブス・ラダーが視聴できる動画配信サービス
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ジェイコブス・ラダーのあらすじ
地下鉄内で夢を見ていたジェイコブ・シンガーは、突然、かつてのベトナムでの経験がよみがえった。それ以降、彼は奇妙な幻覚に悩まされるようになる。自分の精神状態に不安を抱えたジェイコブは、かかりつけの医師に相談しようと試みるが、その医師はすでに亡くなっていた。
ジェイコブス・ラダーの詳細情報
「ジェイコブス・ラダー」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
監督 | エイドリアン・ライン |
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脚本家 | ブルース・ジョエル・ルービン |
出演者 |
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カテゴリー | 映画 |
ジャンル | ドラマ ホラー |
制作国 | アメリカ |
公開日 | 1991年4月6日 |
上映時間 | 113分 |
感想・レビュー
タイトルからラストまで抜かりなく完成度の高い作品。病院へ搬送される場面は、しっかりとホラー描写が際立っている。
序盤から夢オチの予感はあったけれど、とても楽しめた。
軍の秘密に関する部分や不気味な病院のシーンはリンチ作品を彷彿とさせる。
戦地からの帰還兵が幻影を見るようになるという設定の作品でした。
果たして自分が見ているものは現実なのか幻なのか。あの強引なマッサージ師は何者なのか。自分が居るのは一体どこなのか。
その全てに割とすっきりとした答えが用意されている、珍しくもすっきりと結論づけられる作品だと感じます。
マコーレ・カルキンの演技が非常に良いですね。
とにかく総じて、戦争は碌なもんじゃない、という強いメッセージを感じさせられる作品です。
公開時にロサンゼルスで観たのですが、自分としてはベトナム戦争で銃弾を受けたジェイコブが死ぬ瞬間に見る走馬灯を映像化した作品だと思っていました。でも、どうやら違うようです。もう一度観直したいです。
10.18 ジェイコブス・ラダー 星4.0。天使か悪魔か、天国か地獄か。ベトナム戦争から帰還した兵士が見る奇妙な幻視を軸に展開する不思議な作品。最初はSF寄りなのか、ヒトコワ系なのか、ホラーなのかを探りながら観ていたが、結局は三要素が交錯するような、どれにも明確には収まらない不思議さが残る映画だった。作中には言葉や名前、物体といった伏線が所々に散りばめられ、徐々に彼の過去と真実が浮かび上がっていく展開に強く引き込まれる。\n\n軸となる二つの視点は、過去(天国)と死後(地獄)。戦前の穏やかで取り戻せないはずの家族の日常と、国家ぐるみで隠されていた化学兵器「ラダー」による同士撃ちの末、死を受け入れられず地獄にとどまるジェイコブが、対照的にクロスオーバーしながら物語を進める構図は難解さを伴うが、終わりを迎えたときには不思議な清々しさが残る。こういう映画が好きだと感じさせる余韻だ。\n\nベトナム戦争を象徴する夕日とヘリコプターの光景は他の作品と共通するモチーフとして描かれ、悪魔的なオーラを放つ場面も印象的。史実としては語られなかった事実じみた人体実験の可能性は、混乱の時代の闇として確かに存在した。実際のベトナム戦争の歴史を知れば、さらに胸を打つ響きが増すだろう。
過去・現実・夢が混ざり合い、どれが正解か分からなくなる。私には苦手な系統の物語かと思ったが、結末はかなりすっきりとした印象だった。事実を受け止め、死へと向かっていく。本当の家へ帰り、悪天候の中に光が差し、崩れてしまった階段を息子と共に登り終える映像が美しい。「冷静に死を受け止めれば、悪魔は天使となり人間を地上から解放する」
創世記のヤコブを超える長さと歪みを持つ梯子を登り切ったジェイコブに、ハレルヤを捧げたい!
夢か現実か、あるいは幻覚か判断がつかず、置いてけぼりにされたような不完全燃焼の感覚。特に序盤の地下鉄シーンが最も怖く印象的だった。唐突に現れるマコーレー・カルキンの登場にはいつも驚かされ、彼のキュートさに思わず見惚れてしまう。
一人の人間の終焉として非常に美しい、反戦映画としても大変気に入っている。
何も情報を入れずに鑑賞した本作は、序盤からホラー寄りの不安とサスペンスが交錯する展開で、観る者の心を引きつけられる。戦争をテーマにしたPTSDの描写が散見され、時に強い違和感を覚える場面もあった。途中でもう死んでいるのでは?と感じる瞬間があり、結末はその予感通りだった。ただ、マコーレー・カルキンと階段を登るシーンは天国への階段を連想させるほど印象的で、強く心に刻まれる。こうした実験に使われて命を落とした兵士が現実にいたのかもしれないと思うと、戦争の忌まわしさは一層深く胸に響く。自分は戦争を体験したことがなく、体験したいとも思わない。だからこそ、こうした作品で疑似的な体験をすることには強い拒否感を覚える。どの国の戦争の話にも共通して言えることだが、地球人同士がもっと仲良くできればいいのにと願う。宇宙人に脅かされたときだけ手を取り合うのではなく、日常の時から互いを支え合えればと感じる。話が少し逸れたが、今の自分の心にはそう映った。記録として残しておく。