1955年1月15日に公開の映画「浮雲」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「浮雲」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
浮雲が視聴できる動画配信サービス
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浮雲のあらすじ
戦時中、インドシナで富岡と出会ったゆき子は、彼に深く愛されることになりました。終戦後、富岡が妻と別れると約束した言葉を信じ、彼を訪れますが、富岡は決断を下さず、はっきりしませんでした。ゆき子は途方に暮れ、最終的に外国人の愛人となって富岡のもとを離れることになります….
浮雲の詳細情報
「浮雲」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 原作者 | 林芙美子 |
|---|---|
| 監督 | 成瀬巳喜男 |
| 脚本家 | 水木洋子 |
| 出演者 | ロイ・H・ジェームス 中北千枝子 出雲八重子 加東大介 千石規子 大川平八郎 山形勲 岡田茉莉子 日吉としやす 木匠マユリ 木村貞子 村上冬樹 森啓子 森雅之 瀬良明 谷晃 金子信雄 高峰秀子 |
| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ |
| 制作国 | 日本 |
| 公開日 | 1955年1月15日 |
| 上映時間 | 124分 |
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浮雲のよくある質問
-
Q映画『浮雲』のあらすじはどのようなものですか?
-
A
映画『浮雲』は、戦後の日本を舞台に、ベトナムで出会った男女の複雑な恋愛模様を描きます。二人は日本に帰国しても再会を果たし、愛を求めつつも、経済的状況や社会の変化に振り回されます。二人の運命に焦点を当てた人間ドラマが展開されます。
-
Q映画『浮雲』の主要なキャラクターは誰ですか?
-
A
映画『浮雲』の主要キャラクターは、主人公の富岡と彼の恋人であるゆき子です。富岡は自由奔放な性格で、ゆき子は彼に深い愛情を抱いています。彼らの間には複雑で情熱的な関係が描かれています。
-
Q映画『浮雲』のテーマやメッセージは何ですか?
-
A
映画『浮雲』は、戦後の混乱期を背景に、人間の愛と孤独を描いています。愛することの困難さや、人間の持つ弱さと強さを通じて、社会の変化の中での人々の葛藤を浮き彫りにします。
-
Q映画『浮雲』の制作スタッフには誰が関わっていますか?
-
A
映画『浮雲』の監督は成瀬巳喜男で、脚本は水木洋子が担当しています。この二人のスタッフは、映画の独特な雰囲気と深い人間描写を生み出しています。
-
Q映画『浮雲』はどのような評価を受けていますか?
-
A
映画『浮雲』は、戦後の日本映画の傑作と評価されています。リアリズムを追求したストーリーと、深みのあるキャラクター描写が、多くの映画評論家や観客から高く評価されています。



浮雲の感想・評価
高峰秀子の美しさに心奪われる。
当時の女優の撮影スタイルの影響も少なからず感じる。
それにしても、富岡という男は本当に
あんな男を好きになったら破滅が待っている。
でも、どうしても惹かれてしまうから仕方がない。
富岡の妻は、彼が帰ってくるのをどんな思いで待っていたのだろうか。
そして、どのように終焉を迎えたのか。
富岡を理解し、受け入れていたのだろうか。
富岡は、どんな気持ちで妻を無視し、
どんな思いでゆきこを振り回していたのか。
彼は、自分勝手な人間だったのだろうか。
それとも、後先を考えずに行動する結果、自分自身を低く見積もっていたのかもしれない。
富岡は、「俺なんかやめておけ」というタイプなのに、
ゆきこの周りをうろついている。
自己評価が低いから自分を卑下しているが、でも構ってほしいがために、はっきりと距離を取れない。
そんな自分を受け入れてくれるゆきこやおせいが大切なのだろう。
しかし、同時にその自分に嫌気を感じているようでもある。
富岡は、常に今とは違う場所に行きたがっているようで、
現在の自分を否定しながらも、その自分を肯定してくれる女性たちに頼っている。
そして、女性たちもそんな富岡が必要不可欠だと感じているのだろう。
どちらもどちらだ。
そういう時代であったのだろう。
今もなお、そういった側面はあるのかもしれない。
男と女、そんなものなのかもしれない。
高校時代、アメリカン・リアリズムの巨匠アンドリュー・ワイエス(1917 – 2009年)の展覧会を見たとき、その圧倒的な写実性にもかかわらず自身の作品を「抽象画」と称する彼の言葉に、深く共鳴したことがある。
また、監督成瀬巳喜男、主演高峰秀子、脚本水木洋子(原作林芙美子)による名作『浮雲』を鑑賞し、ワイエスの「抽象」の意味について再考した。
この映画は、戦時中から敗戦直後にかけての男女のもつれを描いているが、その表現はハリウッド式に整理されたものとは異なり、憎しみや執着に根ざしたものだ。
名作の一つに、描かれる街全体が心理構造として表現されている。この映画で描かれる闇市やドヤ街、バラックが立ち並ぶ通りは、深層心理的であり、どこかシュニッツラーの作品を彷彿とさせる。
リアリズムとしての写実においても、照明の明暗が巧みに使われ、暗い場所は暗く、薄明かりの場所は薄明るく、明るい場所は明確に映し出されている。登場人物たちは、この明暗に「飲み込まれる」ように存在している。
こうして、写実は抽象へと転換する。
鈴木清順の「大正三部作」を続けて観たことで、本作の表現力の優れた点を再認識した。描かれる女性の心理は、まさに清順に受け継がれている。
ラストシーンでの屋久島への旅立ちは心の辺縁を象徴し、二人の関係は南国(ベトナム)から始まり、内地と呼ばれる時期の闇を経て南島で結末を迎える。このような空間の移動が心理的かつ運命的なプロセスとして描かれており、F・W・ムルナウの『サンライズ』(1927年)を思い起こさせる。
このように、写実主義(成瀬巳喜男)と表現主義(ムルナウ)が円環的な関係にある。
・くっついては離れ、エンドレスな遊び
・ままごとに興じる子供たち
・温泉が二つ
・高峰秀子
とても良かった。名作に納得のいく作品だった。ただ、10〜20分短かったらさらに良かったかなと思った。
成瀬巳喜男のストーリーテリングは素晴らしいと感じた。シンプルな美しさを体現しており、思わず引き込まれた。
繰り返し使われるショットやカットの切り返しなど、一般的な技法が多く見受けられるのだが、使い方がすばらしく、一つ一つが明確に作られていると感じた。
時間の飛ばし方もうまかった。シーンごとにかなりの時間が飛んでいるが、自然に感じるようにできている。特に、電報を仲居に頼むシーンでは、普通なら電報の内容を伝える流れを省略し、荷物を持ってくるカットに変わる。これにより、電報の内容が隠された演出でありつつ、物語がスムーズに進んでいくカットにもなっている。素晴らしい!
芝居の演出も巧妙だった。特に、ゆき子が富岡以外と話しているときの富岡の雰囲気や、年齢設定による雰囲気の違いが感じられた。何が違うかは明確には分からなかったが、確実に上手いと感じた。
ストーリー展開も優れていた。ゆき子が富岡を好きな理由について、初めから疑問に思ったが、それが富岡の核心を示しているのかもしれないと考えた。クライマックスまで富岡はミステリアスに描かれ、特に他の女性といる時の表情は、ゆき子に見せるものとは異なる。彼の職業や本心がわからず、何を考えているのかわからない人物であるが、クライマックスでその核心に近づくことができる。なぜ好きになったのかが描かれなかった理由について考えさせられた。
セリフも非常に工夫されていた。含みのある言葉や背景を持つセリフが良かった。思わせぶりなセリフは後で回収され、巧妙に伏線が展開されていた。
時間の飛ばし方に関しては、シーンごとにうまく調整されており、大まかな流れをつかみつつ、詳しくは描かれないことで観客の想像力をかき立てる。情報の出し方も見事で、過不足なく表現されていた。
小説が原作ということもあり、物語は豊富で、情報が多く、心情の変化も細かい。観客としては疲れを感じるかもしれないが、分かりやすく見ることができるのが素晴らしかった。とはいえ、最後の方は長さを感じ、少し疲れた。
『乱れる』を最近観た影響で思ったが、成瀬巳喜男は旅館が好きなのか、それとも偶然なのだろうか。また、高峰秀子さんの顔が吉高由里子に少し似ている気がした。その雰囲気が似ていると思う。
けして綺麗じゃない現実を、ずるくてみっともない、どうしようもない自分の姿として直視する。
変わりゆく富岡、変わらないゆき子
ベトナムの日々は富岡にとって一時の幸福だった。だが寂しさを埋めるための関係に過ぎなかった。終戦後、日本は激変し、富岡自身も変わってしまった。前ほど妻を愛せず、だからといって妻を捨てられず、場の勢いで付き合っていたゆき子の責任も取れない。要するに、ずるい男だ。
ベトナムでの幸福と今の自分を比較して、富岡はゆき子を選ばない。しかし満たされない心は別の女へと向かわせる。
要するに、彼はクズ男だ。
一方、ゆき子は義理の兄からの性的暴行から逃れ、ベトナムで富岡と出会う。最初は流れるような関係だったかもしれないが、ゆき子にとって富岡は希望の光だった。敗戦の傷跡も、それは変わらずに彼女の中にあった。
落ちぶれていく富岡を、ゆき子は見ようとしない。自分の抱く希望を奪い取ろうとする女に対して嫉妬し、執着する。
満たされない富岡は、敗戦によって価値観と心の拠り所を失った男たちの象徴なのだろうか。そんな男の弱さを見ないふりをし、現実の希望を型にはめて執着するゆき子のような女たち。
それでも、ただ自分を信じてくれる人がいることの大切さを、彼らは知っていた。
自分には理解できない男女の関係についての話。かなり複雑でした。数年後に再度見たいと思います。
寝床の女性ってこんなに美しく映せるんですね。微妙な感情の揺れが目線から感じ取れるのが素晴らしいし、斜めに座るのが許される日本家屋や畳の強さも印象的です どこかにカット割りのリストはないでしょうか、、 交換に連れて行くと、カットバックの2ショットになる気がします。
1943年、戦時下のベトナムで出会ったゆき子は、既婚者の富岡と関係を持ちます。しかし、終戦後、彼女は富岡に見捨てられ、外国人の愛人へと転落していく物語です。成瀬巳喜男の名作であり、熱演が光る高峰秀子が情熱的な女性の心境を見事に表現しています。
美しい映像は奥行きがあり、敏感なキャラクターを描写する一方で、小津安二郎の冷徹さとは異なる印象を与え、驚かされます。ゆき子が自身の子を妊娠していることを知った富岡は、妻との間に子どもができないために態度を一変させ、「女をそのようにしか見ない男」としての典型を示し、嫌悪感を抱かせます。
ゆき子がその怒りを力強くぶつける姿は、女性の強さを感じさせます。終盤では、病に苦しむゆき子の姿とともに、生前の思い出の風景が回想され、ベルイマンの『第七の封印』の「生と死」に近いテーマが描かれています(富岡が死神の役割を果たす点も印象的です)。
終戦後の混乱に適応できず、次々と女性を変えながら破滅へ向かう自堕落な男と、彼に執着し身を滅ぼしていく女性の姿を描いている。
仏印で始まった情熱的な不倫関係は、戦後の東京で倦怠期を迎えつつも、伊香保温泉や再び東京、九州、屋久島へと続いていく。
森雅之演じる富岡は実に酷い人物だ。冷笑的で情熱に欠け、何より女性への態度が悪すぎる。愚かな女性たちはその危うい魅力に引き寄せられ、富岡と関係を持った高峰秀子演じるゆき子や岡田茉莉子演じるおせいも、必然的に共に転落していく。しかし、それは彼女たち自身の責任とも言える。二人にとっては悲劇かもしれないが、外から見れば滑稽で喜劇的な側面すらある。
一方、ゆき子の死に顔は微笑んでいるようにも見え、施された死化粧は美しさを際立たせる。惚れた男のために生き、そして死ぬことができた彼女にとって、それはある意味で幸せだったのかもしれない。
高峰秀子と森雅之が出演し、成瀬巳喜男監督が手掛けた作品を見てみた。名作と名高いこの映画は不倫と愛憎がテーマのようで、序盤で少し疲れてしまい視聴を中断した。
成瀬監督の作品は音楽が特徴的で、「階段を上がる女」と同様に、印象深い劇中音楽が流れている。半音の音階を使った、どこか妖艶な雰囲気を醸し出す楽曲が印象的だ。
この映画は1955年の作品で、終戦直前の東京を舞台にしている。戦中の仏印の様子も描かれており、仏式の家屋や食事など、比較的恵まれた生活をしているように見えた。南方の日本軍はこんな感じだったのだろうか、と考えさせられる。
高峰秀子は不倫に溺れる女性として、美しく、魅力的であり、彼女の低いハスキーな声は妙にセクシーだ。
終戦間近でも、不倫をする二人の会話は今も昔も変わらないように感じられた。
続きを見るべきか、迷っているところだ。
何度目かの再会。高峰秀子が恨みをこぼす中、それを軽やかに受け流す森雅之が戦後の東京を陽射しを浴びながら歩き続けるシーンの美しさ。伊香保の荒れ果てた風景と、そこで出会う加藤大介と岡田茉莉子の存在感。山形勲の怪しげで不気味な雰囲気。彼から逃れて鹿児島から屋久島まで赴く列車や船の映像の的確さ。そして屋久島で臥せりながら、森雅之が手伝いの女性と会話を交わす姿を嫉妬深く見守る高峰秀子の視線。愛と死は映画や文学の中核であり、それを描き続けた成瀬の映画は、その豊かさに満ちている。
終戦前の混乱期における、男女の不倫の悲劇を描いた作品。
兎に角、高峰秀子と森雅之の演技が圧巻だった。
見ていると腹が立つほど、無責任でいい加減な男に何故惹かれるのか、不思議に思った。女性の方がしっかりと惹かれている気がする。
二人が並んで歩くシーンは、まるで夫婦のような深い理解がありながら、決して幸せにはなれない距離感が印象的だった。
男女の痴話話を二時間以上にわたり、飽きることなく見せるドラマの技術は見事だ。
この世の中で理想の生活を送っている人はいない。理想と現実の間には必ず隙間が存在する。二人はそれぞれの隙間を交わらせることなく、一生を終えていく。
女性は、挫折を経て理想を実現しようと奮闘し、生きるために次々と男性に身を委ねる。一方、男性は自分の無力さから逃れるために女性を渡り歩く。その中で女性の弱さ、男性の強さに見える流れがあるが、逆に女性の無念や怒り、男性のか弱さと惨めさを描く皮肉が、この作品の悲喜劇の面白さとして展開される。特に戦争や戦後の混乱期における、力が支配する時代にたくましさを欠いた男性の惨めさが新鮮に映ったのかもしれない。
主人公の女性は、自信を少しは持っているが、男性は自信を失っている。彼は毒舌をもって現実を攻撃し、自分を守るというスタンスを取っている。
男性と女性の愚痴が交響し合う様子が続き、二人の半生を構成している。上品なコンソメや澄まし汁のように、余計なものがなく、味わい深くシンプルで心地よい。
台詞以外の表情や視線が心の動きをしっかり描写し、言葉が水面に投げ込まれた石のように波紋を生み出し、次の展開を引き寄せる。徐々に絵巻物を楽しむような面白さがある。
名作ではあるが、楽しむ人は限られる。「他人の不幸は蜜の味」と言われるように、他者がもがいても人生を変えられない虚無感との葛藤を皮肉という形で味わえるかどうか。人生のあはれを受け入れられるかどうかが、この映画を理解する鍵である。もしも主人公のように、現実から目を背けたままや理想を夢見る若い世代が観ても、楽しめないかもしれない。
二本の直線が交差することのない「ねじれの位置」というものが存在する。成瀬版の「男と女」は、結局二つの人生がねじれた位置にいる男女を描写している。
女と男の間で、理性と感情が揺らぐ浮雲。浮くのか、浮かぶのか嘘か。鉛のように重く沈む。空に浮かぶ白い雲はレントゲンの白い影、黒船が吐く黒煙は死の病。終戦を迎え、意気揚々と引き揚げてきたゆき子を待っていたのは、金と男を巡る闘争と病との戦いだった。女の愛は戦争、愛は病、愛は人を殺す。富岡の女たちは次々と死に、最後に生き残った勝者はゆき子だった。彼女が死の淵に瀕したとき、走馬灯に浮かぶあの頃ゆき子と富岡のロマンスは、異国の地で戦争が見せた幻のようだった。僕たちのロマンスは終戦とともに消えた。命を落として初めて気づく、結局、男はおままごとに過ぎない、ということを。