2021年9月23日に公開の映画「MINAMATAーミナマター」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「MINAMATAーミナマター」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
MINAMATAーミナマターが視聴できる動画配信サービス
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MINAMATAーミナマターのあらすじ
1971年、ニューヨーク。アメリカの名高い写真家ユージン・スミスは、酒に溺れた厳しい生活を送っていた。そんな中、アイリーンという女性から熊本県水俣市のチッソ工場が海に放出する有害物質によって苦しむ人々を撮影してほしいとの依頼が舞い込む。水銀の影響で歩くことも話すこともできない子供たち、激化する抗議運動、そしてそれを力で押さえ込もうとする工場側──ユージンは驚きつつも冷静にシャッターを切り続ける。チッソの社長からネガを高額で買い取る提案を拒否したため、彼は危険な追及に直面する。追い詰められたユージンは、水俣病と共に生きる人々に新たな提案をし、彼自身の人生と世界を変える写真を撮影する。
MINAMATAーミナマターの詳細情報
「MINAMATAーミナマター」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | アンドリュー・レビータス |
|---|---|
| 脚本家 | デビット・ケスラー |
| 出演者 | |
| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | ドラマ |
| 制作国 | アメリカ |
| 公開日 | 2021年9月23日 |
| 上映時間 | 115分 |
MINAMATAーミナマターの公式PVや予告編動画
「MINAMATAーミナマター」の公式PV・予告編動画を紹介します。映像から作品の雰囲気やキャストの演技、音楽の世界観を一足先に体感できます。
MINAMATAーミナマターの楽曲
「MINAMATAーミナマター」の主題歌や挿入歌、サウンドトラックを紹介します。映像だけでなく音楽からも作品の世界を感じてみましょう。
- サウンドトラックオリジナル・サウンドトラック『MINAMATAーミナマター』Ryuichi Sakamoto
MINAMATAーミナマターを無料で見る方法は?
「MINAMATAーミナマター」を無料で視聴するなら、「U-NEXT」などの無料トライアル期間を活用するのがおすすめです。
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MINAMATAーミナマターのよくある質問
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Q映画『MINAMATAーミナマター』のあらすじは?
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A
『MINAMATAーミナマター』は、写真家ユージン・スミスが水俣病の実情を世界に伝えるために日本の水俣を訪れ、その惨状を記録していく物語です。彼のドキュメンタリー写真が世界に衝撃を与え、環境問題や企業責任についての議論を巻き起こします。
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Q映画『MINAMATAーミナマター』の主演俳優は誰?
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A
『MINAMATAーミナマター』では、ジョニー・デップが主演を務めています。彼は、著名な写真家ユージン・スミス役を演じ、その魅力的な演技が作品に深みを与えています。
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Q『MINAMATAーミナマター』で描かれているテーマは何ですか?
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A
『MINAMATAーミナマター』のテーマは、環境汚染とその影響、そして報道の力です。映画は、ユージン・スミスの写真を通じて、水俣病の悲劇を告発し、企業の責任を問いかける内容となっています。
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Q映画『MINAMATAーミナマター』の監督は誰ですか?
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A
『MINAMATAーミナマター』の監督はアンドリュー・レビタスです。彼はこの映画を通じて、実話に基づいた感動的なストーリーを視覚的に力強く描き出しています。
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Q『MINAMATAーミナマター』での音楽は誰が担当していますか?
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A
『MINAMATAーミナマター』の音楽は坂本龍一が担当しています。彼の音楽は映画の雰囲気をより一層引き立て、感情的なシーンに深みを与えています。



MINAMATAーミナマターの感想&レビュー
ユージーン・スミスが撮影したほかの写真もぜひ見てほしい。彼とボブの信頼関係は写真の中で際立って美しい。ppm、百万分の1といった微量の表現は微量だからないのと同じという考えにつながり、彼らは「ppmなのです」と語られる。燃やされる暗室ネガを残してくれた理由は何なのか。あの人が火をつけたのか本当に社長の前でリスカしたのか、エンドロール直前のスライドショーは観客を強く震わせた。公害は古くて新しい問題で、今も世界各地で人々を苦しめている。核燃料の廃棄問題もなお重大で、ここでも核の話題が浮かび上がる。
率直に言えば、この作品で触れられる情報は貴重だと感じる。学校の授業では、誰が、どこで、何が起きて、どうなったのか、ということは教えられたが、私はほとんど覚えていない。
この時代、この場所で起きた出来事を、知識という地平を越えてもう少し深く知れたのは良かった。奥行きというより、近所を見渡すような感覚だったのかもしれない。
正直、映画としての盛り上がりよりも、ラストのテロップさえあれば十分だった、とさえ思う。私が生まれるずっと前にこんなことが起き、金銭での解決にたどり着いたにもかかわらず、提示された責任を国も企業も果たさず、2013年には政府が一方的に「解決済み」と公表した。そのニュースを、作品を観ながらふと思い出した。うん、酷い話だ。で、この作品の主題は何なのだろう。
写真家のおっちゃんの、身を削る戦いの果ての写真作品。おっちゃんは何をして、何を成し遂げたのか。その点がこの作品の核心なのか。
地方で起きた病気そのものの痛みや苦労を、もう少し描けなかったのか。どういう経緯でそれが起きて、今に至るのか。その企業にも、初めは正義があったはずだ。雇用を生み、事業を拡大し、住民の家族を支える力を分け与えたはずだ。だがやがて公害を生み出し、社会問題へと発展してしまった。その経緯を詳しく知りたかった。そういう経緯をたどる作品だと思っていた。企業や国の判断は、単純に悪だったのか。結果論は確かに悪だが。
日本の歴史で、第二次世界大戦の敗戦を「日本は悪だった」という一方的な教え方に違和感を覚えることがある。そんな感覚を、この作品にも感じた。だから、本当に悪であっても、きちんと知りたいという気持ちはあった。
ラストで被写体を前に、おっちゃんが「美しい」や「完璧だ」と言ったのだろうか。もし本当にそう言ったとしたら、かなり幻滅する。言うべきではない、と私は感じる。雑誌の写真家であり、発信者であり、企業のバックグラウンドを持つ以上、その言葉には商業的な視点が付きまとう。正義の戦いとしての写真や記事よりも、金になる素材として捉えられてしまうからだ。
とはいえ、あの場面は美しく、否定はしない。伝えてくれて本当に良かった。目を引く衝撃がありつつ、同時に当事者個人にはどうしても抗えない負の側面も映し出している。その場面(写真)をどう受け止めるかは、見る人次第だ。
おっちゃんの「美しい」という言葉に、観る者の心を誘導したのではないかと感じた部分もあった。彼がそう思った事実はあるのだろうが、この作品で最も痛みを伴う瞬間でもあった。
私の価値観がずれているだけかもしれないが、企業と住民、この地域で何が起きたのか、少なくとも触れられたのはよかった。正直、それくらいしか浮かばない。記録として。
ジョニー・デップの酔った話し方は非常に印象的だった。
彼の視覚的な存在感は、言葉を超えて瞬時に心に響いてくる。頭の中で何度も考え直すのは、その言葉たちだけど。
あんな状態になることが、彼の周りで実際に起きているなんて信じられない。
現実の恐ろしさを感じる。
素晴らしかった。音楽も美しく、心に響くひとときでした。もじゃもじゃの髭を触らせてくれたジーンは、かわいらしかったな^^
入浴する親子の写真に圧倒されました。1枚の写真には千の言葉が宿るまさにそのとおりです。世界のどこでも水質汚染が人々に被害をもたらす現実を、改めて痛感します。過去の被害として記憶は薄れつつありますが、伝えたいノンフィクション作品です。ぜひご覧ください。 #水俁病
《雑memo 》
最近、公害に関する本を読み終えたばかりだ。
舞台は水俣だが、水俣病については意外と軽く扱われている印象。
むしろ、”異世界”的な要素が強い。
(日本という島国と関わるアメリカ人)
個人的には、水俣病の詳細について、もっと深く掘り下げてほしかった。
加害者はチッソ社だけなのだろうか。
企業経営には、株主・経営者・従業員だけでなく、仕入先・販売先・監督官庁など、さまざまな関係者が関わる。家族・親族を含めれば、その関係者の数はさらに膨らむ。チッソ社と政府だけを責めても、根本的な問題は解決しないのではないか。
文明の進歩には、必ず光と影が混在する。人は光に酔いしれ、影の存在を見過ごしがちだ。やがて取り返しのつかない事態を招くこともある。影の責任を特定の誰かに押し付け、沈黙するのは自分自身をも見失うことにつながる。
文明の進歩を守るには、必要な知識と技術を継続して養うことが不可欠だ。
ジャーナリズムは、その警鐘を鳴らす大きな役割を担う。ユージン・スミスはその手本を示した。 この映画は、それを余すところなく描き出している。ジョニー・ディップの演技は見事であり、真田広之の演技も光っていた。
この世で生きる限り、人は加害者にも被害者にもなり得る。そして多くの場合、加害者であることに気づかないまま過ごしてしまう。だからこそ、黙認を避けて自分の行動を見つめ直すべきだ。
#光と影
歴史の教科書に載っている出来事は、どこか昔話のように感じられ、時間的にも心理的にも距離を感じさせる。しかし、それは過去の知識として終わるものではなく、今も私たちの社会とつながっている。映画というファインダーをのぞくと、その連続性が鮮やかに見えてくる。だからこそ、歴史を現在へつなぐ視点はとても大切だ。
髪型や髭、メガネ、体型がちょっと庵野秀明を彷彿とさせる。エンディングからは、世界各国の企業や産業発展によって被害を受けた人々への意識とその撲滅への強い意志が伺えるのが印象的だ。地元の住民の話し方や発声が聞き取りづらいのが残念で、音量を上げると今度は他の音が賑やかになってしまう。地域の集会では、演技感が強く感じられたり、リーダーの話し方にあまり共感できず。実際にそうだったのかもしれないが、机に座っている姿には少々驚いた。
ジョニー・デップはファンタジーのイメージが強いけれど、『グッバイ、リチャード!』や『ブロウ』のような現実に根ざした作品でも素晴らしい演技を見せてくれる。彼は本当に良い役者だと思う。ユージン・スミスについては知らなかったが、こういった作品はやはり白黒が映える。
食卓に魚が出てくるシーンにはドキッとする。現像や暗室作業は魅力的だ。モンテネグロで撮影されたそうだが、全然違和感がなく、すごいなと思う。当時の雰囲気をどうやって再現しているのか興味がある。
ジョニデは、本当に魂のシャッターを切っていた。これは伝えることの意味を問う映画だ。声なき声を写真で世界に焼き付けようとした、一人の人間の物語。水俣で出会う人々は皆、被害者でありながら決して弱者として描かれていない。障害を持つ子どもたち、怒りを胸に秘めた父親たち、笑いながらも苦しみを抱える母親たちどの人も、現実の人間としてきちんと立っている。それを撮ろうとするスミスに対して、「撮らないでくれ」「でも伝えてほしい」と揺れ動く感情がぶつかり合う場面は、リアリティがあまりにも強く、心をえぐる。