1961年5月1日に公開の映画「危険な関係」を今すぐ視聴できる動画配信サービス(VOD)を徹底紹介。この記事では「危険な関係」のあらすじやキャスト・声優、スタッフ、主題歌の情報はもちろん、実際に見た人の感想やレビューもまとめています。
危険な関係が視聴できる動画配信サービス
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危険な関係のあらすじ
外交官夫婦のバルモンとジュリエットは、パリの社交界で注目の的だ。しかし、二人の関係は互いの愛人の成果を報告しあう奇妙なものだった。ジュリエットは、愛人のアメリカ人コートが18歳のセシルと婚約したことを知り、嫉妬からバルモンにセシルを誘惑するよう頼む。バルモンは冬のメジェーヴでセシルを追いかけるが、そこで出会った貞淑な人妻マリアンヌに心を奪われてしまう。
危険な関係の詳細情報
「危険な関係」の制作会社や監督、キャスト、主題歌アーティストなどの作品に関する詳しい情報をまとめています。作品づくりに携わったスタッフや声優陣をチェックして、より深く物語の世界を楽しみましょう。
| 監督 | ロジェ・ヴァディム |
|---|---|
| 脚本家 | ロジェ・ヴァイヤン ロジェ・ヴァディム |
| 出演者 | アネット・ヴァディム アレクサンドラ・スチュワルト ジェラール・フィリップ ジャン=ルイ・トランティニャン ジャンヌ・モロー ジャンヌ・ヴァレリー ニコラ・ヴォーゲル |
| カテゴリー | 映画 |
| ジャンル | 恋愛 |
| 制作国 | フランス |
| 公開日 | 1961年5月1日 |
| 上映時間 | 106分 |
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危険な関係のよくある質問
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Q映画『危険な関係』のあらすじは何ですか?
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A
映画『危険な関係』は、18世紀フランスを舞台に複雑な愛憎劇を描く作品です。主要な登場人物であるヴァルモン子爵とメルトゥイユ侯爵夫人が仕掛ける愛の策略が、周囲の人々を巻き込んでいきます。緻密な心理戦と道徳的な葛藤が見どころです。
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Q映画『危険な関係』に登場する魅力的なキャラクターは誰ですか?
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A
『危険な関係』の主要キャラクターにはヴァルモン子爵とメルトゥイユ侯爵夫人がおり、彼らの知的な駆け引きや心理戦が見どころです。特に、ヴァルモン子爵の優雅さと狡猾さが物語を一層際立たせています。
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Q映画『危険な関係』のテーマやメッセージは何ですか?
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A
『危険な関係』は、人間の欲望と操り合う人間関係の複雑さを描いた作品です。愛と裏切り、復讐と贖いといったテーマが主体となり、道徳や倫理の限界を試す展開が視聴者を引き込みます。
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Q映画『危険な関係』の制作スタッフについて知りたいです。
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A
映画『危険な関係』は、ピエール・ラクロの小説をもとに制作されています。監督を務めたスティーブン・フリアーズが巧みに原作の雰囲気を映し出し、繊細な心理描写を映像化しました。
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Q映画『危険な関係』と原作との違いは何ですか?
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A
映画『危険な関係』は、原作であるピエール・ラクロの小説を基にしつつ、映画独自の視点で心理描写やキャラクターの深みを増しています。一部の場面が視覚的に強調されており、映像ならではの魅力が加えられています。



危険な関係の感想&レビュー
危うい関係性が過ぎると感じつつ、金持ちの暇つぶしで人の家庭を壊すような行為には強く反感を覚える。でも俳優陣の美しさには惹かれ、見入ってしまう。
うーん、つまらなくて笑ってしまうほどだった。物語が子どもっぽく感じられ、難易度も低め。ちょっと調べてみると原作は18世紀フランスが舞台だそうで、やっと腑に落ちた。日本の大奥を現代版のように描いたら、むしろ引いてしまうかもしれない。結局、自由にさせてくれという感じで眺め終えた。主演の二人にも特に魅力を感じず、心情をナレーションで語る作風が苦手で、解説過多にも感じた。原作どおり18世紀フランスの歴史ものとして見るなら、昔の時代背景を知るきっかけとしては楽しめるかもしれない。ヘンリー8世絡みの要素もうまく取り入れられている点もある。ただ、現時点では再視聴の気は起きない。とはいえ音楽は良く、おしゃれな雰囲気のある作品だった。
ロジェ・ヴァディムは、撮影を通じて女優の美しさを際立たせる手腕が光る一方で、作品の完成度が二の次になりがちな監督でもある。そんな彼の数少ない傑作のひとつは、女性の美を徹底的に映し出す美学と、緊迫したドラマ性を巧みに両立させた秀作だ。実際、後年同じ題材で手掛けられた『華麗な関係』は、正直言って物足りなさを感じさせる出来だった。
遊び人にとって、相手を「手に入れる」とは一体どういうことなのか。セックスを急ぐあまり、相手の好みを探りつつ、その心理に深入りせず、未来のことなんて考えない。しかし、狙いを定めた相手には、抵抗を感じさせつつも自分に身体を委ねさせる過程を楽しむ。この瞬間が快楽をもたらし、焦れば焦るほどその快楽は増す。これまで、その快楽に代償が伴わなかったため、その生活は無邪気に成り立っている。
代償がなければ、こうした一時的な不道徳の快楽を見出せる人は行為を止めることはないだろうが、ある日突然、誰かによって強制的に終わらされることもある。
予想もしないタイミングや方法で。
実際に短期間で狙った相手を落とすには、容姿に自信があり、それが主観と客観の両方で一致するほどの魅力が求められ、相手が法的手段に訴えるほどの嫌悪感を抱かない程度の積極的なアプローチが必要だ。これまで狙った相手は全て落ちてきたため、恋愛テクニックに自信を持ち、落ちないわけがないという傲慢さが透けて見えてあまり好かない。
正直、純粋な女性が付き合っている男性に浮気された場合、必要以上に狂気を感じさせるため、事前に女性側が浮気をするという立場を与えるのは、一種のジュリエットによる奉仕活動なのかと考えることもあるが、果たしてそうなのだろうか?
ジュリエットの方がバルモンよりも一枚上手だったのかもしれない。
序盤は話の流れを掴みにくく、フランス映画あるあるのように退屈さを感じ眠気が出る場面もありました。しかし後半になると展開が見え始め、一気に話の流れが理解できて面白くなります。現代の自由恋愛を描く側面もありますが、長く好き放題できる時期は決して続かないという現実味が良いアクセントに。神様はちゃんと見ているそんな見守りの視点が印象深いです。ジャンヌ・モローの悪女っぷりと、豹柄(山猫柄)の毛皮コートが見事に似合いすぎる場面は特に印象的。若い頃のジャン=ルイ・トランティニャンも重要な役どころで存在感を放っています。背が低い彼がフランス映画界の大物になるという事実は、俳優の力を改めて感じさせます。
極上のクオリティ。映像も音楽も洗練され、見応えは抜群です。不道徳さが上質であればこそ、緊張感が際立ちます。低品質な不道徳映画にはもううんざり。ジャンヌ・モローが凛と不道徳を貫く姿は圧巻で、その末路まで目が離せませんでした。
欲望と感情のまま自由に生きる女性を描く、ロジェ・ヴァディム監督の名作。本作は1959年公開という点にも驚かされるが、カメラワークの美しさが際立つ点も大きな魅力だ。ジャンヌ・モロー、ジェラール・フィリップ、若きトランティニャンといった豪華キャストの共演も見どころ。監督自身の恋愛模様がキャスト選定にも影響しているというエピソードも興味深い。物語の核は、公認で行われる恋愛ゲームを夫婦が楽しむ設定。互いの成果を冷静に報告し合うはずの遊びは、次第に歯車が狂い始め、人間観察の視点が鋭く光る。
作中の多くの人物は極めて不道徳であり、彼らが現代の人間であるとは信じがたい。世の男性は皆誠実で、女性は貞淑であるのに(ラクロ1782年『危険な関係』序文より)「別れた?」「まだだよ、どう別れるかが情事の魅力なんだから」「僕は単純だ、『求めた、得た、別れた』だよ」「私は凝り性だから、結婚させてみたら? カサノヴァは愛人に夫を見つけてやったのよ」「本当に頭に来る、男ってすぐ自惚れるの。自分が釣られたのに、釣った気でいるんだから。突き放して思い知らせてやる。彼はもう有頂天で、「来た、見た、勝った」とね。高級官僚の妻からフランス式の恋の手ほどきを受け、最後は莫大な持参金付きの娘で終わるんだから」「セシルを落として」「従姉の子のことだよ」「私は妻だから、いい贈り物じゃない? 17歳の娘、いかれてるけど色気はあるわ」「感謝すべきか?」「仕込み甲斐があるわ、コートが理想のパリ娘と吹聴しても、セシルはあなたに仕込まれて誰とでも寝るわ」「思わぬ事態が起こった。当地に到着した翌日、好敵手に出会った。彼女は貞淑で慎み深く、純真だ。要するに美徳の化身だ。ほどなく家族に紹介された。マリアンヌの娘カロリーヌ。僕は新鮮な感情を覚えた。たぶん生まれて初めて、父親のような目でその子を見た。その父が羨ましかった」「彼女は夫を愛している。貞淑な妻だ。幸福なのだ。今までの女たちは軽薄だった。幸福と清純の前では、僕の武器は役に立たない。しかし、不落の城砦はない。彼女に警戒心を起こさせないように、愛は口にせず、理解と友情を持ちだした。しかし、友情で誘惑するのは面倒だ。それで手を変えた。貞淑に対しては、真実が最も有効な武器だ。僕は仮面を捨てて、今までの情事を打ち明けてみた。君のことも話した。すべてを打ち明け許し合う。我々の約束のことも、愛に溺れず常に冷静を保つという原則のことも。彼女がどこまで耐えるか試してみた。顔は見なかったが、殉教者のように美しかっただろう。我々は快楽だけを求めてきた。快楽が悲哀に極まるまで、それで終わる。いや、まだ先がある。もっと先が…それは一種の…錯乱だ」「ご主人は?」「スキーの名手ぶって、死にかねないわ」「みんな君を子供扱いだ。君はもう大人だ、無理はない。君の年では愛は不意にやってくる、病気のように。しかし、本当の愛は本能を育てる」「この世で僕が愛し尊敬するのは唯一人、相談相手で共犯者の君だけだ」「証明して」「どうやって?」「彼女を手早く征服して、あとくされなく別れてみせて」」「女には男が必要なのよ。ダンスには心で、バルモンは体で愛するのよ」「別れは情をつのらせる」。「ここで僕は涙に訴えるつもりだったが、涙が出てこない。言葉に気を遣いすぎたせいかも知れない。幸い、僕は君の言葉を思い出した。君はこう言った、男は女の感情を高めながらそれについてゆかない。女は身を任せる時、崇高な感情に浸るが、男は嘲笑を恐れて没入できないと。僕は悲愴になることにした。堅い女を落とすには、それだけの努力がいる。「征服か死か」の勢いで、僕は攻めた。女は自分のために男が自殺する可能性を思いたがる。しかし、自殺を口にする男はまず死なない。女はこう思わせたかった、愛に応じないでいるより出発させる方が大きな罪だと。しかし、その犠牲は大きい、夫や家族、友人たちの信頼や尊敬」「学者はお金と無縁ね。お金儲けに興味ないのね」「女は理解しないのよ」「女? 多くの女性を知ってるの?」「いや…セシルだ」「苦しい? 虚勢だね。あなたは彼女を愛している。私の手前、別れただけなんでしょ。」オープニング、チェス盤のマスに役者名が出るのはいいなぁ。パンチをして、読みかけに跡をつける。
マリアンヌは登場してすぐに可愛い。衣装のどのシーンも、ラストのアップショットのお顔も愛らしいのに、結末はあまりにも切なくて胸が痛む
終盤はバルモン夫婦が嫌で、巻き込まれる人たちが早く逃げてほしいとずっと思っていた。
それでも雰囲気は終始魅力的だった。ピアノを軸にした控えめで上品な音楽と、白黒の風景ショットがとてもおしゃれ。直接的な男女のシーンが少ない点も好印象。お尻の上に電話を置いているシーンは、ちょっとかわいかった笑。
このくらいの年代(1950年代〜1970年代)に作られた作品が、やっぱり好きだ。
お互いの不倫相手には関与せず、むしろ報告し合う異常な夫婦関係が描かれる。泥沼化するこの夫婦の影響を受けるのは美男美女ばかりで、作中のジャズも上質だが、二人の人間性だけが醜い。夫婦関係の醜さにだけ留め、他人を巻き込まないでほしかった。終始不機嫌そうなジャンヌ・モローだが、その特有の美しさに強く引き込まれる。表裏一体のテーマを持つ、問題作として評価される。